唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

曲環伝

2019-04-09 10:18:24 | Weblog
常に前線で戦い功績をあげる勇将であり、節度使としても能力を示した。
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曲環伝
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環は陝州安邑の人、父彬は南使正監。隴右に移る。

兵法に長け勇敢で騎射をよくする。

天寶中.隴右河西節度使哥舒翰に従い吐蕃と戦い、石堡城を陥し、黃河九曲洪濟等城を取り、
十三年.果毅別將となる。

安祿山の反には鄧州魯炅に従い賊武令珣と戦い、左清道率を加。

その後鄭陳節度使李抱玉に従い河陽に屯し、澤州を守り、賊將安曉を破る。
羽林將軍員外。

史朝義を伐って、金吾大將軍員外に至る。

大曆中.隴州に屯し吐蕃と戦い、特進兼太常卿員外。

大暦十四年.吐蕃が劍南に来寇し、邠隴兵を率いて大破し、七盤城、威武軍、維茂等州を収復。
威名大いに振い、加太子賓客員外。

建中元年.涇州劉文喜の反を伐ち、開府儀同三司兼御史中丞封晉昌郡王.邠隴都知兵馬使。

二年.淄青李納が徐州を攻撃し、環は宣武劉玄佐と救援した。兼御史大夫。

三年.検校左常侍邠隴行營節度使。

興元元年十一月.淮西李希烈が汴州を陥したとき、環は寧陵城を守り、陳州に淮西軍を大破し、將翟崇暉を捕らえて、希烈を蔡州に敗走させた。檢校工部尚書兼陳州刺史に進む。

貞元二年七月.希烈が平定されると、許州刺史陳許節度使となり賜實封三百戶。
陳許二州は戦乱により荒廃していたが、環は勤身節用して、三年で復興させた。

七年三月.環は冗官を省き、民力を回復させることを請うた。

功により十二年.檢校尚書左/右僕射。

十五年八月、鎭に卒した。年七十四,贈司空。