唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

盧従史伝

2019-04-15 10:17:40 | Weblog
功績はないのに宦官に画策して出世し、また陥れられて消えた藩帥
----------------------------
盧従史伝
----------------------------
從史は元魏以来の豪族。

父虔は進士,秘書監に至る。

從史は学問は学ばず、騎射を習い、澤潞節度使李長榮の大將となる。

德宗皇帝は軍乱を懼れて継承のたびに牙軍の意向を伺う姑息な方法をとっていた。
貞元二十年六月.長榮が卒し、從史は宦官監軍に通じてうまく立ち回り本命の來希皓を抑えて、八月.昭義軍節度副大使知節度事となった。

奸悪不道で部將達の妻妾を奪ったり、幕僚に嫌われたりし、成德王士真や幽州劉濟とつながっていたが、宦官への贈賄で地位を保っていた。

元和四年.父の喪のため罷官されるのを懼れて、成德節度承宗を伐つことを憲宗皇帝に提議し起復左金吾大將軍として復任した。
またその一方河北三鎭ともつながっていた。

十月.征討が始まると逗留して進まず、敵に内通し、兵糧を横流しする状況であった。

元和五年四月.宣慰使中尉吐突承璀は神策兵を率いて成德を伐つが功無く、從史の不誠実に責任転嫁を図り、これを捕らえて京師に送った。牙軍は騒乱したが都將烏重胤が制圧し収めた。

七月.成德王承宗の乱も従史に責任を押しつけて歸順させることにした。

貶驩州司馬、道に殺された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする