薦相 [婁師德の德]
-----------------------------
田舎の農夫然とした風貌の宰相婁師德の単調な奏議が続いている。
次ぎに並ぶ狄仁傑は苛々していたが、則天皇帝の信任に厚い仁傑にとっても先任の宰相を遮ることはできない。
「この無能の愚図め」と何度内心ではつぶやいたことだろう。
「こんな無能を陛下はいつまで宰相にしておくつもりなのか」
やっと師德の上奏が終わり、のそのそと退出していった。
仁傑のテキパキとした上奏が終わると、
則天は聞いた「師德は有能と思うかな?」
仁傑は「辺境の司令官程度ならよいかもしれませんが、宰相には値しません」
「師德は人を見る目があると思うかな?」
「あるとは到底思えません、属吏程度の評価ならできるでしょうが」
則天はニャリと笑って言った。
「卿を是非とも宰相にすべきだと推薦したのは師德だったがな」
絶句した仁傑は早々と退出していった。
そして「私には師德殿の人徳がわからなかった」とつぶやいた。
次々と宰相を登用しては殺害・左遷をくり返す則天時代に、師德は長く在任し失脚することなく卒した。
*******背景*******
則天は数十人の宰相を次々と任用し、短期間のうちに殺害・配流・罷免をくり返した。
特に初期には5人任用して、次の月には全員配流していることもあった。
仁傑も天授二年九月に宰相となり、翌年正月には死刑を赦されて県令に貶されたことがあった。
中期以降は殺害はやや落ち着いたがそれでも罷免はしょっちゅうだった。
師德は長壽二年[693]に宰相となり、萬歳通天元年[696]には対吐蕃敗戦により罷免されることがあったが翌年には宰相に復帰し、聖暦二年[699]に卒するまでその任にあった。
仁傑の再任用は697年のことである。