名将李晟の著名な三子、愿・愬・聽で最も無能な子。長子ではないが兄達は早世したので
嫡男扱いである。
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李愿/李願伝
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愿は太尉晟の子。
若くして謙謹。
貞元四年七月.晟の功績により銀青光祿大夫太子賓客上柱國。父子門戟。
九年八月.晟が卒して喪に入った。
十二年.喪が明けて左衛大将軍。
左羽林大将軍?。
永貞元年四月.襲封岐國公,食邑三千戸。
元和元年八月.檢校禮部尚書兼夏州刺史夏綏銀宥等州節度使。政簡にして嚴。
六年十月.檢校兵部尚書徐州刺史武寧軍節度使。
十年十二月.李師道兵を平陰に破る。
久しく疾であり、性格が変わったようである。武寧軍節度使は弟愬に代わる。
十三年七月.刑部尚書
十四年四月.檢校尚書左僕射鳳翔尹鳳翔節度使。政績はあまりよくない。
長慶二年二月/元年三月.檢校司空兼汴州刺史宣武軍節度使。兵を撫せず奢侈、家人任せで
厳酷であった。
前帥張弘靖は兵の機嫌をうまく取っていたので不満は増していった。
二年七月.たまりかねた牙將李臣則が乱を起こし、愿は鄭州に遁走し。兵は大掠し介*が自立した。
隋州刺史に貶されたが、晟の功績により処罰はされなかった。
また左金吾衛大將軍に。
四年六月.検校司空河中尹河中晉絳慈隰等節度使。しかし軍政は乱れ、贈賄により地位を保つ。
兵乱が心配されていたが、寶暦元年六月.卒し贈司徒。
疾後はすっかり堕落した無能になり、ただ父や弟の功績に頼った。
嫡男扱いである。
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李愿/李願伝
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愿は太尉晟の子。
若くして謙謹。
貞元四年七月.晟の功績により銀青光祿大夫太子賓客上柱國。父子門戟。
九年八月.晟が卒して喪に入った。
十二年.喪が明けて左衛大将軍。
左羽林大将軍?。
永貞元年四月.襲封岐國公,食邑三千戸。
元和元年八月.檢校禮部尚書兼夏州刺史夏綏銀宥等州節度使。政簡にして嚴。
六年十月.檢校兵部尚書徐州刺史武寧軍節度使。
十年十二月.李師道兵を平陰に破る。
久しく疾であり、性格が変わったようである。武寧軍節度使は弟愬に代わる。
十三年七月.刑部尚書
十四年四月.檢校尚書左僕射鳳翔尹鳳翔節度使。政績はあまりよくない。
長慶二年二月/元年三月.檢校司空兼汴州刺史宣武軍節度使。兵を撫せず奢侈、家人任せで
厳酷であった。
前帥張弘靖は兵の機嫌をうまく取っていたので不満は増していった。
二年七月.たまりかねた牙將李臣則が乱を起こし、愿は鄭州に遁走し。兵は大掠し介*が自立した。
隋州刺史に貶されたが、晟の功績により処罰はされなかった。
また左金吾衛大將軍に。
四年六月.検校司空河中尹河中晉絳慈隰等節度使。しかし軍政は乱れ、贈賄により地位を保つ。
兵乱が心配されていたが、寶暦元年六月.卒し贈司徒。
疾後はすっかり堕落した無能になり、ただ父や弟の功績に頼った。