ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

人を気軽に便利に幸せにするためには・・・

2016-09-05 18:11:26 | 知恵の情報
およそ自分が善人として、周囲の人から認められるためには、人が自分に対して、
気兼ねし遠慮しようが、うるさく面倒がろうが、人の迷惑はどうでもよいことになる。
これに反して、人を気軽く便利に、幸せにするためには、自分が少々悪く思われ、
間抜けと見下げられても、そんなことは、どうでもよいというふうに、大胆になれば、
はじめて人からも愛され、善人ともなるのである。つまり自分で善人になろうと
する理想主義は、私のいわゆる思想の矛盾で、反対の悪人になり、自分が
悪人になれば、かえって善人になるのである。

たとえば人にご馳走をするときでも、人が少々下痢していても、まあどうぞどうぞ
と、無理強いに親切の押し売りをしようとする、これに反して、人に腹を損なわせ
ないように、無愛想をして、自分が悪人になることは、なかなか困難んであるので
ある。

私どもがこの老年になっても、まだ大人げもなく、自分が人からほめられたい、
悪人と思われたくない。それで自分で、いろいろな理屈をつけ、自ら弁護し、自ら
欺き、人をも欺いていることが多い。たとえば、私が人の悪口をいったり、あるい
は腹立ちまぎれに、叱ったりする。それをわがままとはいわずに、これは君らの
ために忠告するとか、人を治すためだとか、いろいろに理屈をこじつけるのである。

─『現代に生きる森田正馬のことば Ⅱ新しい自分で生きる』生活の発見会編 白洋社

人間を好きになることかもしれない。人は、人に警戒をもつ。しかし、自分だけでは
生きられないと悟ったとき、周りの人に寛容になれて、情が湧くのではないか。
私は、大病をして病院に入院したことがあるが、看護士さんの世話になり、日々
働く姿を見て、他者への意識が変わったことがある。自分が動けないときそれを
助けてくれたときの経験の感謝は計り知れない・・・
人と助け合わなければならないと理解できたとき、自然に周りの人の面倒をみたく
なる、やさしくしたくなる。

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