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気概を失っていないか──人間としての気概②    渡部昇一

2016-10-02 16:52:02 | 知恵の情報
「武」の精神と気概
この気概というものを考えるときに参考になるのが、「武」の精神です。
「武」の精神とは、自分の義務のために、いつでも死ぬということで、人間としては
一番高貴な行為と言えるでしょう。

一切の暴力を退け、無抵抗のままに十字架に磔にされることを選んだキリストの
教えを奉ずるキリスト教団でも、武は常に尊ばれてきました。キリスト教団で
「大王」とか「大帝」と呼ばれた中世の指導者たちは、いずれもキリスト教団を
侵す敵と戦場で戦い抜いた英雄たちでした。

日本でも、『葉隠』を引き合いにだすまでもなく、「一旦緩急あれば死をもいとわぬ」
精神は、武士の精神として尊ばれ、崇められてきました。
私たちが、歴史小説や劇などで、「武」の精神に感動を覚えるのは、人としての
素晴らしい生き方をそこに見るからなのです。
その例はいくらでもありますが、例えば私が子供の頃によく聞かされた佐久間
艇長の話を紹介しましょう。

それは、日本海軍に潜水艦が初めて登場した頃のことです。瀬戸内海で一隻
の潜水艦が故障し、浮上できなくなりました。乗組員全員が懸命に浮上への
努力をする中、佐久間艇長は、なぜ浮き上がれなくなったのか、どこに故障が
発生し、どのように修理しようとしたか、克明に書き続けました。電池がなくなり、
明かりが消えると、潜望鏡から漏れるわずかな明かりを頼りにして、空気中の
酸素がどんどんなくなっていく窒息状況の中で、渾身の力を振り絞って佐久間
艦長は書き続けます。

「一人も持ち場を離れた者はなし。このような事故のために日本の潜水艦の
発達が遅れないようにしてほしい。ここでなくなった自分の部下たちの遺族の
面倒は見てほしい」。最後にそういったことを書き残して、全員持ち場についた
まま死ぬのです。
これは、アメリカやイギリスの海軍の教科書にものって、海軍軍人の手本と
なったそうです。

これが「武」の精神なのです。武というものは、実際に戦争があろうとなかろうと、
人間としての使命を持った人には厳として存在するものなのです。自分という
人間を確立した人、そういった信念のある生き方をする人には、この「武」、
言い換えれば気概があるのです。
逆に気概を失った時、人はその信念どころかこれまでの生き方の軌跡までもが
嘘となって、見るも無残に散っていくことになるのです。

─『渡部昇一の 人生観・歴史観を高める事典』(PHP研究所)より

自分という人間を確立した人、そういう人になりたくて、よく生きるための情報
を集めている・・・いろいろ考えさせられている・・・行動はできているだろうか

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