4月3日朝7時、ル~が亡くなりました。
1日夜中、寝る前に見に行った時には元気に食べていました。
ル~ちゃん、また明日
元気でいてよ
といつもどおり、声をかけて家に戻りました。
2日朝、お腹が痛い様子。
これまでに2~3度あった、すぐに治る軽いものとは様子が違ったので、獣医さんに来てもらいました。
小腸が腫れている、ループになっている所がある、との診断でした。
下痢や便秘、ガスがたまっている、などと違い、開腹手術しかない状態でした。
全身麻酔による開腹手術はリスクが大きく、手術後も再発の可能性もある、今、ごろごろしていてひょっこり治る事もある…難しい選択ですぐには決められませんでしたが、29歳という年齢も考え、手術はしませんでした。
もしかして治るかもしれんって、ごろごろしに行こ、と放牧地に行きました。
いつものように私の背中を鼻で押しながら歩いたりもしましたが、やはりしんどかったようで放牧地で横たわる時間が長かったです。
穏やかに横たわっていたもので、この時にはまだ私は夕方からの仕事に行くつもりをしていて、そろそろ時間や、馬房に帰ろ、と起こして連れて帰りました。
帰ると、思ってたより痛がるので、夕方からの仕事を急遽休ませてもらい、そばについていました。
夜にもう一度、獣医さんに来てもらいました。
しばらくの間、痛みがわからないように鎮静剤を注射してもらうしかありませんでした。
朝まで持たない可能性が高い、との事で、今度は安楽死のほうがいいのか、このままのほうがいいのかの選択でした。
暴れてケガするような様子ではなかったのと、過去に獣医さんや牧場の人に見放された後、奇跡の復活をした馬の話もあるので、獣医さんと相談し、私が見ていられるなら奇跡の可能性を残して自然にまかせるのがいい、という結論を出しました。
翌日午前の仕事も他の人に替わってもらえてたので、一晩、そばについていました。
ほとんどの時間、横たわっていましたが、何度か立ち上がり、パドックの外にも出て歩き回ったり、好物のスポーツドリンクを飲んだりもしましたが、何時頃からだったか、立ち上がれなくなりました。
朝まで持たない可能性が高い、との事でしたが、
ル~ちゃん、居なくなったら嫌や!
という私の声に応えて、ちょっとでも長く頑張ってくれたような気がしています。
何日も長引くような状態なら、仕事でついていられなかったし、骨折みたいにあっという間の別れではありませんでした。
もちろん、私が寝てる間や留守中に亡くなる可能性もあったわけですから、まだまだ辛いけど、これでも私が一番ダメージが少ない亡くなり方をしてくれたと思います。
普段の世話のしやすさにも本当に感謝。
そして、ル~が助かるという奇跡は起こらなかったけど、このタイミングでル~が亡くなった事が奇跡だったのです。
ゴ~という馬の話につながるのですが、それはまたの機会に。
ブログを休んでた間の写真があるので、そちらをアップします。
ル~が亡くなってから日がたち、少し落ち着いてきたので、ル~が北海道に来た頃からのブログを読み返しています。
ル~の暮らしを最後までこのブログで見られるようにしておきたいので、3月に戻りますが、もしよろしければご覧ください。
ケータイの、数字でいうと147のキーが反応しなくなり、文が書けなくなり休んでいました。
ケータイを買い換えるまでの休みのつもりでしたが、2ヶ月休んでしまいました。
ご心配いただいた方、申し訳ありませんでした。
コメントやメール、ありがとうございました。
1日夜中、寝る前に見に行った時には元気に食べていました。
ル~ちゃん、また明日
元気でいてよ
といつもどおり、声をかけて家に戻りました。
2日朝、お腹が痛い様子。
これまでに2~3度あった、すぐに治る軽いものとは様子が違ったので、獣医さんに来てもらいました。
小腸が腫れている、ループになっている所がある、との診断でした。
下痢や便秘、ガスがたまっている、などと違い、開腹手術しかない状態でした。
全身麻酔による開腹手術はリスクが大きく、手術後も再発の可能性もある、今、ごろごろしていてひょっこり治る事もある…難しい選択ですぐには決められませんでしたが、29歳という年齢も考え、手術はしませんでした。
もしかして治るかもしれんって、ごろごろしに行こ、と放牧地に行きました。
いつものように私の背中を鼻で押しながら歩いたりもしましたが、やはりしんどかったようで放牧地で横たわる時間が長かったです。
穏やかに横たわっていたもので、この時にはまだ私は夕方からの仕事に行くつもりをしていて、そろそろ時間や、馬房に帰ろ、と起こして連れて帰りました。
帰ると、思ってたより痛がるので、夕方からの仕事を急遽休ませてもらい、そばについていました。
夜にもう一度、獣医さんに来てもらいました。
しばらくの間、痛みがわからないように鎮静剤を注射してもらうしかありませんでした。
朝まで持たない可能性が高い、との事で、今度は安楽死のほうがいいのか、このままのほうがいいのかの選択でした。
暴れてケガするような様子ではなかったのと、過去に獣医さんや牧場の人に見放された後、奇跡の復活をした馬の話もあるので、獣医さんと相談し、私が見ていられるなら奇跡の可能性を残して自然にまかせるのがいい、という結論を出しました。
翌日午前の仕事も他の人に替わってもらえてたので、一晩、そばについていました。
ほとんどの時間、横たわっていましたが、何度か立ち上がり、パドックの外にも出て歩き回ったり、好物のスポーツドリンクを飲んだりもしましたが、何時頃からだったか、立ち上がれなくなりました。
朝まで持たない可能性が高い、との事でしたが、
ル~ちゃん、居なくなったら嫌や!
という私の声に応えて、ちょっとでも長く頑張ってくれたような気がしています。
何日も長引くような状態なら、仕事でついていられなかったし、骨折みたいにあっという間の別れではありませんでした。
もちろん、私が寝てる間や留守中に亡くなる可能性もあったわけですから、まだまだ辛いけど、これでも私が一番ダメージが少ない亡くなり方をしてくれたと思います。
普段の世話のしやすさにも本当に感謝。
そして、ル~が助かるという奇跡は起こらなかったけど、このタイミングでル~が亡くなった事が奇跡だったのです。
ゴ~という馬の話につながるのですが、それはまたの機会に。
ブログを休んでた間の写真があるので、そちらをアップします。
ル~が亡くなってから日がたち、少し落ち着いてきたので、ル~が北海道に来た頃からのブログを読み返しています。
ル~の暮らしを最後までこのブログで見られるようにしておきたいので、3月に戻りますが、もしよろしければご覧ください。
ケータイの、数字でいうと147のキーが反応しなくなり、文が書けなくなり休んでいました。
ケータイを買い換えるまでの休みのつもりでしたが、2ヶ月休んでしまいました。
ご心配いただいた方、申し訳ありませんでした。
コメントやメール、ありがとうございました。
最愛の家族を亡くした辛さは、ご本人以外には計り知れないもの。
今はいそがず、ゆっくりしてくださいね。
別のお馬との再会は、きっとルーさんからのプレゼントですよ!
プルぽんさんが、寂しくならないように。
ブログの続き、ゆっくり読ませていただきます。
いつもどおりのルーさんに、少し涙が出そうだけど。
ありがとうございます。
ご心配おかけしています。
1ヶ月半もたった気はしませんが、少しずつ動きます。
この場所を借りた時は、ル~だけじゃなく、養老牧場をやりたいなあ、とも思っていて、牧場の名前は「プレゼントファーム」がいい、などと思っていました。
余生をプレゼントする場所、という意味で。
でもbrightさんもおっしゃるように、ル~からもらうプレゼントのほうが多かったのかもしれません
プルぽんさんとルーちゃんの暮らしぶりが素敵で
私のあこがれでして、ブログを毎日拝見していました。
ルーちゃんが亡くなったことは、引退馬協会の記事で知りました。
どれだけ悲しく、お心が沈んでいらっしゃるかと思うと、とても辛くて、涙が出ました。
今回の更新記事も、やはり泣けてしまいました。
でも・・・プルぽんさんにずっと一緒にいてもらって、天国へ見送ってもらえて
ルーちゃんはきっと安心して駆け上がっていけたと思います。
私も、愛馬をそうしてあげたい・・・
プルぽんさんは、あこがれであり、目標です。
お仕事も大変そうですが、どうぞ心身ともご自愛くださいませ。
ありがとうございます。
是非会ってほしかったです。
馬に限らず、いつ突然の別れがくるかわからない、という意識を持っている(つもりの)一方で、年の割には毛艶が良くて背中も垂れてないル~でしたから、まだまだ元気で、長寿記録も夢ではないと思っていました。
ル~との時間を噛みしめながら、ぼちぼち頑張ります。
ありがとうございます。
引退馬協会の記事にも数名の方からあたたかいメッセージをいただいてましたね
家族として暮らしたル~は、人間だとか馬だとかの種類を意識しない存在になっていました。
何かの折に「あ、ル~ちゃん、馬やったな」と思い出したりして。
もっとしてあげたら良かった、と思うこともたくさんあるし、ル~に相談できずに私がした選択がル~にとって良かったのか、わからないし、命と接するのは本当に難しいです。
でも、共に過ごせた貴重な時間を忘れず、私に幸せをくれたル~に感謝したいと思います。
ルーさんの訃報に泣いています。
プルぽんさんの方がよほどお辛いのにすみません。
ルーさんとプルぽんさんの生活は私の理想でした。
自由に馬房と外を行き来し、朝晩は放牧地まで気ままに道草をし、ルーさんはプルぽんさんに引き取られて、たくさんの心地よい時を過ごしていたと思います。
その背景にあるプルぽんさんのご苦労(そうは思われないかもしれませんが)も沢山あったことと思います。
私もいつか同じ時を迎えます。
プルぽんさんが想うように、ルーさんもきっと「ありがとう」と言っていることでしょう。
ルーさんに出会えてプルぽんさんは本当に幸せでしたね。
そして、ルーさん、元気な時に会いたかったけれど叶いませんでした。
プルぽんさんに出会えて本当に良かったですね。
これからは空の上からプルぽんさんを見守るのかな。
どうか安らかに・・・。
ありがとうございます。
ル~の事、なかなかブログでは書けずにいました。
思えばル~との4年、早かったです。
金銭的、体力的に確かに大変ですが、ル~を引き取らなかったら精神的に辛い、と思って決めた事でした。
猫が住みやすい家を探していたら、放牧地と厩舎がついて来たもので、預託するつもりだったのが一緒に暮らす事になったのでした。
乗馬クラブの会員、乗馬クラブのスタッフ、生産牧場のスタッフ、いろんな立場で馬と接してきました。
それぞれで愛情を注いできたつもりですが、一緒に暮らしたル~とは今までのどの立場とも全く違う関係ができていました。
4年前には想像もできなかったつながりでした。
本当に幸せな事です。
これを大変と言っては、そうしたくてもできない方々に申し訳ないですね。
命と接していたらいつかは、と覚悟をしているつもりでもやっぱり
今なの
と思います。
一緒に暮らすという形ではなくても、alohadreamさんのクーちゃんへの愛情を、心温まりながら見させていただいてます。
いろいろ心配な事もあると思いますが、クーちゃんといい時間を過ごしてください。
ル~の写真、あと少しあります。
記事を書いていると、ル~が元気だった時と変わらないように書けたりもするし、あ、ここは過去形か…と悲しくもなりますが、ル~との大切な時間、しっかり残しておきたいと思います。
3月の写真でも元気そうなのに
最後まで看取ってもらえて幸せだったとルーは思ってますよ。
ありがとうございます。
最後の散歩になるとは…、最後の食事になるとは思わず、普通に過ごしていました。
リーガルさんや、他の有名馬の訃報がニュースになるたび、切ない気持ちになっていましたが、ル~と私にもその時がきました。
最期にそばに居られた事がせめてもの救いです。
リーガルさんと年も近いし、昭和の話でもしてくれてるといいなあ、と思います。