超芸術と摩損

さまざまな社会問題について発言していくブログです。

TBSドラマ『歸國』出演の長渕剛 忘れがたき「AD殴打事件」その蛮行

2010-07-22 01:14:02 | 新聞から
 シンガーソングライターの長渕剛が、8月14日放送予定のTBS系の終戦スペシャルドラマ『歸國』に出演するという。長渕がTBSドラマに ――こう聞いて思い出すのが、17年前の長渕による理不尽な"AD殴打事件"だ。だいぶ前にこのコーナーで報告したことがあると思うが、許しがたき長渕の愚行を改めて、ここに問いたい。

  1993年に放送された長渕主演のドラマ『RUN』(TBS系)の打ち上げパーティー終了後のこと。長渕は一度パーティー会場を後にしたADを呼び戻し、何が気に入らなかったのか、サンドバッグのように殴りつけたのだ。当時、長渕の愛人と言われて、同ドラマでも共演していた国生さゆりも、ADにコップ酒を投げつけて「やれ、やれ」と囃し立てたという。長渕は、無抵抗のADを殴り終わったあとに、金を投げつけて「訴えられるものなら、訴えてみろ」と開き直ったそうだ。長渕がキレたのには、それなりの理由があるのだろうが、立場的に弱い人間を徹底的に痛めつけるという行為は絶対許されるべきではない。筆者は、この事件の裏を取り、記事を発表した。 

翌年9月、長渕は溶連菌感染症で緊急入院。全国ツアーを中止したが、入院先の病院で国生とイチャているとの情報を得て、取材を開始。"仮病疑惑"を夕刊紙で報じたところ、事務所が「事実無根であり、名誉毀損で告訴する」と通達してきた。記事は署名ではなかったので、本来は夕刊紙の担当デスクが対応するのだが、長渕本人は記事の執筆者に激怒し、筆者と直接話したいと言っているという。"AD殴打事件" のこともあったので、担当デスクと一緒に、長渕の事務所に話し合いに出かけた。ところが、応対に出てきたのは、その日に長渕の所属事務所社長に就任したという東芝EMI元社員のI氏。それと、どういうわけか、女性誌の副編集長だったN氏が同席していた。長渕が直接話したいというから足を運んだのに、本人がいないのでは話にならない。しかし、事務所のどこかに隠れている様子がしたので、帰り際に「長渕、出てこい!」と捨て台詞を吐いて帰ってきた。

 後日、事務所の関係者に聞いて分かったことだが、そのとき長渕は事務所内に隠れて、筆者の顔写真を撮影していたという。その写真をファンクラブの会報に載せようとしていたというのだ。さすがにそれはやり過ぎだと、スタッフが止めたらしいが、もし掲載されていたら、長渕のファンが暴走していたかもしれない。そう思うとゾッとした。

 それだけではない。長渕は筆者に報復したいと思ったのか、筆者の女性スキャンダルを掴もうと、探偵数人を雇って、尾行させたのだ。幸い親しい友人が尾行に気づき、探偵を捕まえると、その探偵は長渕に頼まれたことを白状した。卑劣な長渕は、95年1月に大麻取締法違反で逮捕された。これで少しは反省すると思ったが、最近でも、聞こえてくるのは弱い者いじめの話ばかり。それだけに、今回のドラマでも、17年前の悪夢が再現しないかと危惧している。

 今回、長渕をドラマに起用したのは脚本を担当した倉本聡さんらしいが、倉本さんに対しても筆者はいい印象を持っていない。筆者は昔、北島三郎の地方興行に同行した経験がある。場所は青森の恐山の近くの村だった。3月の初めでも寒さは厳しかった。会場の体育館では、村の人たちがサブちゃんのショーを楽しみに、せんべい座布団を敷いて待っていたが、開演時間になっても幕が開かない。どうしたのかと楽屋を覗きにいくと、サブちゃんが倉本さんとマージャンをやっていた。まだ、勝負がついていなのか、倉本さんがお客さんに対して、「待たせておけばいい」と言ったことをいまだに記憶している。些細な出来事だが、長渕と同じように弱者の気持ちが理解できない人間の素行だろう。2人の作品が多くの人に愛されていることは否定しようがない事実だが、まずは人間として愛のない言動は慎むべきだろう。
(文=本多圭)

日刊サイゾー 2010年7月17日8時00分
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まさる&りえこの週刊鳥頭ニュース 今週の御題…消費税10%

2010-07-21 19:57:45 | 週刊誌から
佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
西原理恵子(漫画家)

国家という泥棒が脱衣婆のよにテラ銭をもぎに来るよ。
納税と書いて自衛と読む。
消費税10%
国会議員がダメなんじゃなくてそもそも優秀な人間は国会議員になんかならない。
あの議員の不動産顔 もーダサダサ 何とかして
日本人の誇る真面目で優秀な人間はどこにいるかって 会社にいる。
あっちこっちでそらもう働いてる
高額納税企業経営者を国会議員にしろ。
理由 本当にえらいから。
貴族院復活
もちろんみんなちょぼい議員の給料なんかいるわけない
はした金なので
もちろんみーんなイヤがる
誰がやるかタコ 仕事命
天皇陛下に任命してもらいましょう。
勲章付き
みんな出てくる出てくる。
トヨタ さっさとすませましょう 仕方ないなー 松下
ソニー えーボクも? ニトリ
お前も個人でごっつい国税追徴金払ったろうがーイヤーイヤー
ジャパネットタカタも入れちゃえ(個人的に)
さすれば消費税どころか全ての日本の問題がソッコー解決。
借金と税金に良いものなし
西頭火

 税金を使うのが官僚の仕事だ。1997年に筆者は、当時、橋本龍太郎首相の秘書官をつとめていた江田憲司さん(現衆議院議員、「みんなの党」幹事長)から、白い封筒に入った30万円の機密費(内閣官房報償費)をもらった。30万円は大金だ。モスクワでの情報工作にこの機密費を使った。誰にいくら渡し、どこで飲み食いしたかも正確に記憶している。ところが筆者に機密費を渡したことについて、江田さんは「30万円については、まったく記憶にありません」(6月22日発売の『週刊朝日』)とコメントしている。
 現在、サラリーマンの昼食はワンコイン(500円)以下だ。30万円は、280円の牛丼1071食分に相当する。税金を原資とする30万円もの機密費を渡しても、「まったく記憶にありません」というのが、エリート通産官僚だった江田さんの金銭感覚なのだと思う。そういえば、外務省には「夜の幹部会」という会合があったが、あそこでの支出もすべて税金で賄われていた。そこで飲み食いした金額を元外務官僚は覚えていないと思う。
 自民党が消費税10%と言ったのを、菅直人首相は逆手にとって、消費税アップに踏み切ろうとしているが、とんでもない話だ。消費税アップに反対している「みんなの党」幹事長をつとめている過去官僚ですら、この程度の金銭感覚だ。官僚の金銭感覚が国民の標準的感覚に近づくまで、絶対に消費税を上げてはならないと筆者は考える。

週刊新潮2010年7月15日号
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まさる&りえこの週刊鳥頭ニュース vol.058 今週の御題…中国人「観光ビザ」緩和

2010-07-20 00:21:32 | 週刊誌から
佐藤 優(作家・元外務省主任分析官)
西原理恵子(漫画家)

中国人「観光ビザ」緩和
もう、うちはと――っくの昔から中国人の大金持ちが金ならいくらでも払うから全部やってくれって、来るわ来るわ
Yes 高須クリニック
あの中国人たちがお金を持ってやってくる。今度こそケツの毛まで抜いてやりましょう中国人!!
タイ人の売春婦に聞きました。
中国人もアラブ人も大嫌い。すごく値切るの
でもね韓国人が一番嫌い 終ったあと値切るの
中国人国際的には風俗マナー良し。歌舞伎町部隊行け
ゴン
成田に50インチの液晶テレビ持ち帰りの黒板中国人続出。
うろうろ ガン ゴン ゴン
ヨドバシカメラ出店だせよ
新大久保ヤクザ。
中国人の死体が転がっててさー、でも税金払ってないでしょ。公務員の警官も税金払ってない人はちょっとどーしよーもないなーって言っててさー
観光中の犯罪には気をつけて下さい
イタリア料理シェフびんちゃん
絶対許さないっ
大声でわめくツバはく安い酒しか飲まない床に食べ物捨てるすべての料理をまぜるあの世界一テーブルマナーの悪い民族を、
飲食店系のきなみ拒絶反応
でもさーテーブルマナーがないのが中国文化だし
そうっそこが良いとこっあの国民に道徳がそなわったら完全に世界は彼らのものだっ

 筆者は1985年に外務省に入省した。ソ連課(現在のロシア課)に研修生として勤務し、日本政府がソ連人に対する観光ビザ(査証)を厳しく制限していることを知って、驚いた。ビザは、外務省の判断で出せることになっているが、警察庁と公安調査庁、さらに防衛施設が記された秘密地図(とはいっても白黒のコピーの地図上にピンク色の蛍光ペンで立入制限区域に印をつけたチャチなもの)を見て、訪問先にその地域が含まれる場合には防衛庁(現在の防衛省)に連絡する。そして、これらの役所から「こいつは入れるな」というコメントがついたときは、ビザ発給を拒否した。
 ソ連崩壊後もロシア人に対する観光ビザの発給条件は厳しいままだ。ここだけの話だが、あるときモスクワの日本大使館領事部で大スキャンダルが起きた。ロシア人の男性現地職員が、「あんたがオマンコさせてくれるなら、日本のビザを出してやる」とロシア娘に迫ったのだ。それがバレて、現地職員はクビになったが、大使館幹部も管理責任を追及されるのを恐れ、徹底的な箝口令が敷かれた。
 観光ビザの条件が緩和されれば、中国の日本大使館・総領事館の職員が、ビザ申請者にオマンコを迫るような不祥事は起きにくくなる。その代わり、観光客を偽装した中国人スパイが日本にたくさん入ってくるだろう。外務省中国・モンゴル課はスパイ対策をきちんと立てているのだろうか?

週刊新潮2010年7月8日号
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日本人たった5000人のアフリカ大陸に「タフな中国人」100万人

2010-07-19 17:19:03 | 週刊誌から
無法地帯に「中華飯店」 スラム街で博打の胴元! 「アワビ密輸」探知犬を暗殺!? 日本人たった5000人のアフリカ大陸に「タフな中国人」100万人

 W杯開催中の南アフリカに住む日本人は約1300人。サハラ砂漠以南のアフリカ全域でも約5000人に過ぎない。が、中国人は200倍の100万人! 彼らは一体、何の用あって過酷な大陸に日々暮らすのか。驚くべき実態を以下にお届けすることにしよう。

 世界中からW杯目当ての観光客が押し寄せる南アフリカの玄関口、ヨハネスブルク。380万の人口を擁するこの大都市に大規模な「華人街」が現れたのは、ごく最近のことである。
 サハラ以南の、いわゆる「ブラックアフリカ」を取材して回り、『ルポ 資源大陸アフリカ』を上梓したジャーナリストの白戸圭一氏は、白人政権が退いて南ア初の黒人大統領が誕生する前年の93年夏から8カ月、ヨハネスブルクに住んでいたが、「市中心部から東へ約5㌔のところにあるブルマ湖は、当時は白人の富裕層が休日になると釣りに出かける静かな保養地でした。けれど、04年に現地を訪ね、その変貌ぶりに驚いたものです」
 と、白戸氏は語る。
「湖に近い、500㍍ほどの通りの両側に建つ、かつて白人が住んだコンドミニアムは、漢字と英語が併記された看板で埋めつくされ、1階に中華料理店や雑貨屋、床屋などがずらりと軒を並べている。2階から上のベランダには洗濯物が盛大にひるがえり、通りの先には中国人経営の巨大なショッピングモールまであって、すっかりチャイナタウンに様変わりしていました」
 シリルデーンというその街は現在、南ア最大の華人街で、白戸氏によると、
「南アでは今や、どんな小さな街にも中国人がいて、国内全体で40万人もの中国人が住んでいるとされています。ただ、これは統計上の数字なので、不法入国者まで含めると、もっと多いかも知れません。南アの人口は4900万人で、旧宗主国である英国の旅券保持者が25万人ですから、40万という数字の凄さがわかるでしょう」
 黒人政権が樹立した94年当時、600人ほどだった在留邦人は現在、倍増したとはいえわずか1300人。他方、中国人は1年に推計2万人ずつ増えているというから凄まじい。
 一体、彼らはなぜそこにいるのだろうか。
 中国のアフリカ進出は近年、目覚しいものがある。理由は明快。1つは資源が眠っているから。もう1つはビジネスチャンスあり、と見ているからだ。だから「人民」は移り住む。
 地域大国・南アの場合、中国人は特に卸売業の分野で存在感を見せているそうで、朝日新聞元中東アフリカ総局長のジャーナリスト、松本仁一氏によれば、
「数年前に私が本にするため取材した時、ヨハネスブルクには中国人経営の卸売センターが8カ所もできていました。W杯の会場となる市東部のエリスパークに隣接した『チャイナシティー』に、市西部の『ドラゴンシティl』、市中央部の『アジアシティー』といった具合です。それぞれには衣料品や玩具、家電製品、台所用品などを安値で扱う店が何十、何百と入っており、国内の白人、黒人のみならず、はるばるガボンやナイジェリアからもバイヤーが買い付けに来ていましたね」
 中国人店主は親戚から金を借りて南アに渡り、本国から船便で大量に届く商品を“薄利多売”でさばいていたそうで、
「たとえばインド人の店では中古でも1000円するジーンズを、新品で800円という値で売ったりしていました。これなら成功するわけです」(松本氏)
 かくして商売を軌道に乗せる者が現れれば、それを頼りに同郷人がやってくる。すると彼らを目当てに中華料理店が開かれ、次に食材屋が始まって:::といった按配で、華僑社会は拡大の一途。今では、
「売春を生業にする中国人女性も南アには少なからずいるほどです」(白戸氏)

 だが、いいことばかりではもちろんない。中国人の増加に伴って彼らを狙った犯罪も多発。何しろそこは世界に知られた“犯罪激発国家”南アである。
「中国人はアフリカ入大衆が商売相手で、治安が悪い下町にでも店を出す。年中無休で働くから、人通りの少ない日曜日も店を開ける。税金対策のため銀行を使わず、現金決済する。だから店には金がある――。そう見られているせいで、中国人の商店は次々と襲われ、私が取材した当時も、1年に20人以上が殺害されていました」
 とは松本氏。立て続けに20人もの邦人が殺されれば、日本なら連日連夜の大報道となるに違いない。が、
「たとえば私が取材に訪れた雑貨屋の店主は、頭を撃ち抜かれて死んだ妻の亡霊が出るんだ、と言いながら、ベニヤで仕切った店の奥の狭い空間を寝室にして、店を開け続けていましたね。有り金を強奪され、借金を返すには働くしかないんだと、休み返上で商売していたのを憶えています」
 いや、たくましいと言うしかあるまいが、たくましいのは中国人の真骨項。彼らはそうやって被害者に甘んじているばかりでなく、南アでそれ相応に“悪さ”も働いているのだった。
「アワビの密輸です」
 と、松本氏が続ける。
「南アの大西洋岸は荒磯で、アワビがよく育つ場所でした。これを中国人が乱獲し、本国に密輸する犯罪に手を染めたのです。アワビは成長が遅く、殻が小さい個体は捕獲してはいけないとの規則もあったのですが、中国マフィアはお構いなし。洗いざらい獲ってしまうため、対策を講じた南ア当局が“アワビ探知犬”の導入に踏み切りました」
 その効果はてき面で、アワビ犬ことボーダーコリーは空港などでブツを嗅ぎ当て次々と摘発。1年間で20億円相当の密輸を阻止した犬もいたそうな。
「これは中国マフィアにとって痛手だったようで、当局によると彼らはアワビ犬殺害に100万円の懸賞金をかけたということでした。なのでアワビ犬が摘発に出動する時は、シェパードが“身辺警護”のため同行していたくらいです」
 他方、先の白戸氏が目を瞠ったのは、中国人が黒人相手に博打を仕切っていた光景で、
「ヨハネスブルク郊外のソウェトでは、中国人がビンゴゲームに似た賭けごとの胴元をしていたのです」
 と、白戸氏は言う。ソウェトとは、アバルトへイト(人種隔離政策)時代の有名な黒人居住区で、今では観光スポットにもなっているが、低所得者層が多数住む、紛うかたなきスラムである。
「そこへ取材に行く際には、とにかく気をつけろと注意されました。中国人は黒人から金を巻き上げていると思われていて、評判が悪い。中国人と日本人は区別がつかないから、何をされるかわからないぞ、と」
 日本のヤクザも眉をひそめるようなスラムで、長く抑圧され、今なお富の分配に与れずにいる黒人相手に金を巻き上げるその根性、天晴れとほめていいものか。
 しかし、広いアフリカを見渡せば、政治体制や治安に問題を抱える国はゴマンとあるのが現実だ。そして、騒乱や危険や抑圧が社会に渦巻くアフリカだからこそ、中国の出る幕がある……というのが、これまた現実なのである。

 中国がアフリカに進出する大きな動機が地下資源の獲得にあることは、前にも触れた。わかりやすいその一例がスーダンにある。
「アフリカでは過去、欧米の企業が経済権益をがっちり押さえていました。原油の埋蔵が確認されたスーダンでも同様でしたが、01年の同時多発テロ以降、アルカイダの一大拠点であるスーダンから欧米企業が撤退。その間隙をついて入り込んだのが中国でした」
 日本貿易振興機構アジア経済研究所の平野克己・地域研究センター長は、そう解説する。先の白戸氏が自著で紹介したところによると、スーダンでは中国石油天然ガス集団公司が合弁会社をつくって20もの鉱区で石油を掘り、中国人労働者が大勢働いているという。
 酷暑の乾燥帯とあって体力の消耗は激しい。ために彼らはプリン、ケーキ、チョコレートなどを皿に山と盛って食べながら、12時間交代で作業に従事しているそうである。
「ここで問題は、スーダン政府軍がダルフール地方で反政府勢力を虐殺していること。中国に石油を売って得た金で、スーダン政府は中国から武器を買っている。つまり中国が人権弾圧を支える構図があるわけですね。しかし、中国はいかに国際社会から非難されようと、まずは石油が大事。実際、国連でスーダンに停戦監視団を送ろうとの提案がなされた時も、中国は拒否権をちらつかせ、反発する姿勢を見せました」(平野氏)
 爆発的に経済規模が膨らみ、増えるばかりの石油需要。これを満たすには委細構わず、というわけだ。
 松本氏の著書『アフリカ・レポート』によると、中国人の中にはスーダンで闇の中華料理底を開き、同胞の労働者にイスラム教の国ではご法度の酒や豚肉料理を供する者もあるという。
 彼らは役人に賄賂を使い、わずかな期間で利益を上げ、せっせと本国に送金する。スーダンの大衆は中国人と、それを許す自国政府に不信の念を日々、募らせる――。
 アフリカ南西部、アンゴラでも中国のふるまいは問題を起している。こちらも地下に膨大な石油が眠るとあって、内戦が終結するや中国が急接近。空港建設や道路、鉄道網の修復などを中国の国営企業が手がけ、将来的に20万人が住む都市の造成まで行っているが、
「技術者から労働者まで、すべて中国人が占め、地元には雇用を生んでいません。だから、アンゴラの人々の反感を買っているんです」
 と松本氏。飽くなき中国の欲望は今しも、アフリカを猛烈な勢いで“侵食”している最中なのである。
 白戸氏は言う。
「中央アフリカ共和国には一応、政府が存在しています。が、全土を実効支配していません。そんな国の首都にも中華料理庄がありました。南部のジャングルに、木材を伐採して中国に輸出する拠点があるせいで、中国人技術者が首都にやってくるからです。最も驚いたのはソマリアの首都モガディシオでの体験で、武装勢力が町を支配する無法国家であるため、コーディネーターから『日本人が長逗留していると、武装勢力に情報が漏れ、誘拐される危険がある』と言われた私は、大急ぎで取材を開始。携帯電話会社があると聞いて、その本社を訪ねたのですけれど……」
 そこで目にしたものに、白戸氏は思わず腰を抜かしそうになったそうである。

「なんと端末の前で8人の中国人技術者が働いているではありませんか。あちらは目を丸くしていましたが、むしろピックリしたのはこちらの方です。まさか無政府国家の首都で中国人が携帯会社の技術指導まで行っているとは、思いもしませんでしたから」(白戸氏)
 ここまでくれば、もはや中国の独壇場というしかないだろう。「アフリカ全土に住む中国人は100万人にのぼると見られている」(前出・平野氏)そうで、アフリカの政治経済が専門の大林稔・龍谷大学教授は、こう指摘する。
「テロや誘拐などの危険を伴う国や地域で、仮に商機があったとします。しかし、欧米や日本では、政府であれ民間であれ、安全確保のため現地の軍や武装勢力に袖の下を渡してまで進出するなど、到底考えられません。世論の批判は目に見えているからです。人民を抑圧する非民主国家に対しても同様で、欧米や日本は投資ができない。その点、中国には何の足かせもありません。さらに言えば、中国の政府系企業には透明性が求められていませんから、何だって思い通りにやれるわけです」
 アフリカ進出は、中国の一大国家プロジェクトに位置づけられている、と言うのは平野氏で、
「中国の胡錦濤国家主席は4回もアフリカを訪問し、計18カ国に足を運んでいますが、毎回、企業関係者を特別機の定員一杯、200人も同乗させて行くわけですよ。そしてトップセールスで商談をまとめてしまう。そんな体力は他の国にはないでしょう。実際、日本は小泉首相がアフリカを訪問した際も企業関係者は同行させておらず、概して働きかけは弱い。アフリカでのプレゼンスは完全に低下しています」
 白戸氏も同じく、中国と日本の“体力差”を感じている1人である。
「中国人は、北京大や清華大といった一流大を出た連中が、寝袋ひとつ、虫除けスプレーひとつで高原地帯やジャングルに派遣され、携帯電話のアンテナ敷設をやらされていたりします。私が2度目にソマリアに行った時、戦闘が激化したため国連機に乗って辛くも脱出したのですが、ホテルにいた中国人にどうするのかと尋ねたら、『戦闘が収まるまで生き延びろと本国から命令があった』と言う。日本の人権感覚では考えられないことですが、彼らに胆力があるのは確か。その点、日本人は行きも帰りもビジネスクラス。現地では空調の効いたホテルに宿泊、というのが基本です。だから日本は中国に押されっぱなし。それは、豊かだという証しでもあるのでしょうけれど……」
 これを幸せと言うべきなのか、どうなのか。タフで無遠慮な中華パワーの席捲を許す国際社会。その構図がアフリカにもあることは、疑いのない事実のようだ。

週刊新潮2010年7月8日号
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【参院選】教育問題という名の「社会問題」を直視せよ~和田中元校長 藤原和博氏に訊く

2010-07-05 01:38:53 | 新聞から
Infoseek 内憂外患編集部

 7月11日に投開票となる参院選。各政党がそれぞれ主張を出している。不景気が続く昨今、軒並み経済成長や税制に目が向き、教育については「高校無償化」の話以外、目を引くものはない。
 しかし、教育現場が多くの問題に直面していることは周知のところだ。この「教育現場で起こっていること」について、そして大きな目で見た「教育問題」について、杉並区立和田中学校で「土曜寺子屋」などを展開してきた元校長の藤原和博氏に話を訊いた。

教育格差の裏にある、収入格差・地域差
――東京と大阪の教育現場に携わる藤原さんですが、収入だけでなく地域間の教育格差を感じられることはありますか?
藤原 大阪府では生活保護世帯が多い現状があります。全校生徒のうち約3割が中国残留孤児の子孫という地域もあります。
 日常生活では中国語を使っているため、日本語の問題を読み解くことすら難しいというケースがあります。
 群馬県や愛知県など在日外国人が多い地域も同様の問題を抱えているでしょう。現場の先生が取り出し授業(習熟度が低い子どもを対象にした補習)を行ったりしていますが、それでは追いつかないのが現状です。
 子どもが減ったことによる問題もあります。1学年1クラスの単学級の場合、イジメなどの問題が起こるとクラス替えによる対策が取れません。学校の統廃合が進めばこういった問題は減少していくと思いますが、地域によってするべきことは異なり、公教育が一律に行えない状況が全国にあります。
――解決策はありますか
藤原 教育の場合、法律や制度を変えればすぐに効果が現れるとは限りません。法律や制度を変えるよりも効果があるのは、校長に民間人を据えることです。というのも、昨今の学校で起こる問題は「社会問題」だからです。これは学校の中でのみ育ったような校長先生には解決が難しいように思います。
 和田中でも、「父親に虐待されている子ども」「片親が外国人で社会的に適応できず、子どもの情緒が不安定になっている」などの問題を持つ子どもが40名あまりいました。なかにはてんかんという病気を持った子どももいました。
 そうなると、子どもに発作が起きたとき、先生がすぐに座薬を入れる、などの処置をしなければなりません。どの子どもにそうした緊急事態が起き、どうやって対応するべきか、先生同士で情報を持っていなければ対応できません。この1つの例から見ても分かると思いますが、これは学科教育の問題ではなく、医療であり、福祉であり、教育の問題なのです。
 学校の中で起こっているから「教育問題」と誤解されがちですが、そうではありません。社会の問題は、社会で解決しようと思わなければ解決不可能です。だからこそ学校の中だけで育った校長先生ではなく、社会にこなれた民間出身者が必要なのです。
 現在、公立中学校の就学区域は約10,000学区ありますが、半数は民間から校長先生を登用するべきだと考えています。私はこれによって、義務教育の大半の問題が解決できると考えています。

校長が教育界とそれ以外のつなぎ役に
藤原 キャリア(職業)教育についても同様のことが言えます。学校で企業の人を招いて、授業をしてもらうこと自体はいいのですが、「どうやったら子どもが分かってくれるか」ということを企業の人たちは分からないでしょう。分かりやすくする翻訳者が必要です。企業と学校が共同で教材開発することも必要でしょう。
 キャリア教育だけでなく、消費者教育や食育も同様です。例えば、「中国から輸入した冷凍の餃子の中に毒物が混入していた」という事件がありました。これを教えるにあたって、「今の中国と日本の関係はどうなっているか」など、背景をわかって指導するか、道徳を教条的に教えるか、ではまったく違います。

教科の教育だけを教えるところではなくなった学校現場
藤原 しつけなど、本来学校だけが負うべきでない教育指導まで学校に求められている、という感はあります。昔は父母が厳しかった、という声もあります。兄弟や姉妹、歳の離れた友だちから、遊びの中で「社会的な作法」を学ぶ場所がなくなったことは大いに影響しているでしょう。
 最近では学校で「シャツはズボンの中に入れなさい!」など、基本的なことを教えなければいけない状態になってきました。いったんこういったルールが崩れると結構大変です。特に、中学生はパワーがありますから、指導が難しくなることもあります。
 最近は家庭のフォローが足りない、と思うことが多々あります。例えば、九九を覚えさせる、ということ。昔ならば「どんなに貧乏でも義務教育の知識は何が何でも身に付けされる」という気合がありました。
 それは、計算ができればおつりをごまかされない、漢字が読めれば工場に勤めたときに解説書が読める、リーダーなどの要職に早く着ける、といった利益に直結していました。今は全体が豊かになったからか、親も子も教育に対して危機感がありません。
 また、ここ15年ほどの間に、自分が一番可愛いという「自分の気持ち至上主義」がはびこり、親が子どもを放っておくような現状があります。申し訳ないけれど、3割程度の家庭では子どものフォローができておらず、そのうちの約1割は完全に破綻しているような状況です。

本当は、家に帰したくない子どももいる
藤原 実は、家に帰したくないような子ども、もいます。家庭に帰すと必ず問題を起こすような子どもたちです。そうなってしまうと学校が寄宿舎になりますね。
 親元に帰すたびに子どもが虐待されるような環境にあったとしても、今の日本では親元から分離させることができません。事件が起きていないため、予防手段が取れないのです。もし入れることができるとすると、それは刃傷沙汰になったときくらいです。
 例えば、東京では児童相談所の職員1人が200件くらいの問題を抱えるオーバーフローがおきています。
「あそこの家庭はいずれ問題が起こるから」といっても、児童の一時保護所には入れられません。
 明らかに首に絞められたようなアザがあっても、分離できません。本人も虐待をされている、とは言いません。仕方がないので、私はポラロイドで写真を撮り、児童相談所の係員に「これでもし、この子になにか起こったらあなたの責任だからな!」とつきつけたことがあります。
 それでも動かないのです。
 やがて、その子どもが夜、徘徊してコンビニで万引きをするようになりました。その現場を見つけたコンビニ店員は、1度目は、悪いことだということを諭して帰らせたため、事件にはなりませんでした。
 私はその情報を懇意にしている別の学校のPTA会長から聞き、また万引きをしているところを目撃したら通報してもらうよう、コンビニ店員に協力してもらいました。そうすれば、一時的に保護所に連れて行くことができるからです。その子は明らかに精神的に不安定な状況だったんです。
 そうした子どもの場合は、思春期外来で診てもらうのですが、この診療ができる先生の数は限られています。普通に診てもらいに行くと3ヶ月待ちは当たり前です。子どもは表現が豊かではないので、診断に手間や時間がかかります。でもこっちはまってられません。危ないからです。
 だから、事件を起こしてでも大きな精神的な病院で、診察の順番を繰り上げてもらうしかないのです。究極の選択です。こんな状況はどこかおかしいでしょう?
 子どもに問題があるのではなく、そうした状況が問題なのです。
 親を呼んで精神病院に連れて行ったこともあります。これにはベテランの先生も「そんな校長は20年来始めてだ」と言って、感動していました。他の校長もたぶんやっていないのでしょう。
 でも、こんなことを学年主任や担任に任せられません。たらい回しにされ、対応が遅れる場合すらあります。
 ただ、もし私企業で部下にそうした問題を抱えた人間がいたらどうでしょう? マネジメントとして、普通は病院に連れて行きます。
 教員の置かれている現状を、教員自身は語らないし、メディアも報道しないけど、現実にあるわけです。しかも、そうしたことに一生懸命対応している先生の姿は報道されず、学校で問題が起こったら学校の責任になる、という具合です。

責任の所在が分かりづらい環境
藤原 一方で、モロに学校の問題であるにも関わらず、責任があいまいなところもあります。学校の問題は校長と教育長の責任の下にある、とすべきです。
 大阪府の子どもの学力が低いことに驚いた橋下府知事。なかでも一番怒ったのは「だれが責任者?」というと、だれも手を挙げなかったことです。
 教育長というのは特殊な立場です。知事は政治的なパワーバランスによって誕生する場合があります。
 もし、知事がそうした思想的バックボーンを持って誕生した場合、4年に1度知事の改選がある度に、教科書の選定など教育方針が変わることはまずいですよね。教育の一貫性を保つために、知事と同格の教育長が必要になります。ただ、いまは当初の目的が薄れ、ただ生き残るためだけになってしまっているように感じます。
 大阪府には府の教育長がいますが、教員任免権しかもっていません。市町村の学校の設備や教材を決めるのは、市町村の権限です。もっと言うと、小中学校の設置者は市区町村なので、障害児教育や給食の内容、教科書の採択など具体的なことは市町村が決めます。政令市についてはまた別に任免権をもっています。大阪府の場合、大阪市と堺市は政令市なので、ここは府が手を入れられません。
 例えば、大阪の教育改革の例を挙げて説明しましょう。学力調査の結果を公表することになり、府で教員の意識改革をしたところ、小学校の算数の学力が大阪府下では、全国平均を超える事態になりました。順位も6~7位ほどあがったのです。ただし、このくらいの成果は先生が本気になればできます。教育効果は長い時間がかかる、といいますが、本当はそうではありません。
 学力調査に真剣に教員が取り組みだけで違います。「こんなのは関係ない」と言って問題を配るか、「最後まで真剣にやりなさい」というのでは子どもの取り組み方が違います。市町村のレベルで点数が公表され、どこでどういった無責任があるか突き詰める、と言って、机間巡視をして、ちゃんと見直ししなさいよ、と教育的指導をし、最後まで取り組ませる。いい加減にしないだけで絶対に平均点は挙がります。
 これはこの先、子どもたちが仕事をするようになっても、最後まで手を抜かないでやりぬく意思を持つ上で重要な訓練でもあります。
 和田中の場合は学力調査の前に過去問題を解かせるなどしていました。先生たちの意識がちょっとでも変わることで、20点は変えられないけれど、5点や10点は変わります。

タブーを超える~大阪府の教育改革
藤原 大阪では学習の習熟度が上の方の子(いわゆる出来る子)を伸ばすことがタブーとされていました。これを変えるようにしました。
 5段階評価の成績表で4~5を取っている子を6にあげるような教育をするということです。土曜日に3コマ増やせば、子どももだんだん違ってきます。英語でもテニスでもなんでもいいのですが、自分に成長感があると、誰かに教えたくなるのが人間です。子どもは特にそうなんですね。そうすると、その子たちが授業中や休み時間に分からない子に教えるようになります。
 分からない子は授業が終わって「先生、ここが分かりません」なんて聞ききません。分からないことが放っておかれてしまうのです。でももし隣に教えてくれる子がいれば、その子にとっても教える子にとっても強い信頼関係が生まれます。もっとやりたい、という子はどんどんやらせればいいんです。そして、出来る子と出来ない子を組ませるのです。
 英語ではスキット練習といって、2人を組ませて「Hi, Jim」とかいうロールプレーをしますよね。あれは2人とも出来ない子だと地獄のようですが、片方が良く知っている子なら、その子が教え始めるんです。
 普通、中学の英語の指導要領では1000ワードを3年かけて教えます。ちなみに、英検3級に合格するためには3000ワード程度が必要とされています。この英検3級を持つ子が和田中にはたくさんいました。
 先生はこれによって、格段に授業が楽になります。なぜかというと、先ほど、スキット練習などで出来る子が出来ない子に教えるようになる、とお話しましたが、まさにここで出来る子がミニ先生として活躍するのです。
 ベテランの先生はまず真ん中レベルの教材を解かせ、生徒の学習レベルを把握します。そして、それぞれに適切な教材を与えます。1つのクラスでも習熟度別に教えるわけです。ミニ先生がクラスの半分になると先生は本当に楽です。先生の教材という縦の糸と生徒同士の横のつながりによって、全体の習熟度の引き上げにもなります。
 私は就任して、先生の前で「現場で気づいているかもしれないけれど、上の子を伸ばせば下の子のためにもなるって知ってるでしょ?」 と言いました。これを実践してもらったんです。
 これは子どもにとっても良いことです。教えることで誇りになり、まだあいまいなこと、理解できていなかったことに気付きが生まれます。
 上の子を伸ばさないと、公立学校の成長はありえないです。1人の先生ができることなんて限られているんです。子どもたちのネットワークのなかで、ミニ先生を増やさないといけません。これは情報処理の問題と同じで、ホスト処理か分散処理か、ということです。

本当に学校で身につけさせるべきことはなにか
――公立の学校で教えるべき範囲はどこまででしょうか
藤原 教育基本法の受け売りで「人格の完成」というようなことを言う先生がいます。しかし、「ちょっとまって。まずは学力と体力を押さえていくことが大切でしょ」と思いますね。
「心」は日々の学級運営の中で培われるものです。「人への思いやりを勉強する」といって、授業中に「思いやれ」と言っても思いやりの心が身に付くとは思えません。「心のノート」なんてものができるのはおかしなことです。
 思いやる心などは結果として集団生活の中で会得するものです。カネさえあれば、学力も体力もつくかもしれないけれど、心の問題だけは人との間に生まれるものです。特に公立の学校には貧乏な子どもや障害を持つ子どもなど、様々な子どもがいます。多様にいることで学べることはあるのです。

学習の内容をどうするか
藤原 情報処理と情報編集力。これを身に付けることが重要です。情報処理能力、というのは100マス計算などで得られる力のこと。そして、自分の知識経験を組み合わせて問題解決をはかるのが情報編集力です。
 先生の役割は「出来ないことを出来るように、わからないことをわかるように」することです。
 そして、結果としてよい習慣、例えば朝8時に学校に来ることや、朝読書で少しでも集団で本を読むこと、それを積み重ねることです。3年で1冊も読まないか50冊読むかは大きな違いがあるでしょう? でも、集団でやっていれば、義務としてでもやるわけです。こうした良い習慣を付けることが大事です。

政治と教育
藤原 例えば和田中で私がしたことは、目の前の子どもを「法律を守りながら、できることをすべてやって」授業をした、というのが改革の本質です。
 例えば1時間50分の授業時間を45分にして、あまりの5分をまとめて1週間で32コマを増やしました。これを英数国の時間に当てたのです。そうすると、当然反復の時間が増えることで学力が上がります。
 指導要領には50分換算で何コマ実施しなさい、とされているけれど、その1コマの時間の長さは指定されていません。これは学校の校長権限で定めることができます。この取り組みは実際に学力に効果も見られたのですが、私が講演会でいくらしゃべったとしても全国には普及しないでしょう。これを普及させるためには政治の力が必要です。
 また、団塊の世代がもうすぐ第二の人生を始めますが、そのなかで地元に戻るのが100万人くらいと考えます。そういう人のパワーを教育現場で使うのです。
 彼らは子育てもローンも終わっているはずなので、生きがいを持ちたいと思うでしょう。それを教育の現場で実現させるのです。また、教員になりたい大学生を集めることもしましょう。それを実験的に学校地域支援本部、として始めました。この取り組みによって、学校が身近になることにより、地域とのつながりが出来始めます。
 これについては、文科省の初等中等教育局と生涯教育局が予算をとって、50億円のもと、全国で波及しています。特に大阪府は大きく予算を取りました。大阪市と堺市を除くとすべての学校に学校地域支援本部が設置されることになったのです。
 いい実践を取り上げて、全国スタンダードにするにはやっぱり政治の力が必要です。

「新しい公共」とは何なのか?
藤原 学校支援地域本部が全国に広がっていますが、これは農村部など地域社会が残っているところには必要ないかもしれません。むしろ、これはコミュニティが崩壊している都市に必要なものなのです。
 最近政治家が「新しい公共」という言葉をよく使いますよね。私は、学校を核とした地域社会の再生こそが「新しい公共」の実態だと思うのです。子どもも大人もそうですが、地域のコミュニティが崩壊しつつあるいま、どこで公共心を養うのか。どこにもありません。
 和田中の「土曜寺子屋」などの取り組みは、表面的に見れば子どもたちが学んでいるように見えるでしょう。ですが、それは地域社会における大人の学びなのです。純粋に教育に関わることで、社会にどう繋がっていくか、ということを学ぶわけです。
 こうして、貢献する人がいることで、モンスターペアレンツがいなくなったり、地域・保護者からのクレームがなくなった、というところもあります。学校をよくすることを当たり前のようにやっていく、ということをもっと投資しないといけないと思います。
 ではなぜ「コミュニティ」が必要か、という疑問があるかもしれません。
 日本は今、発展社会から成熟社会になってきています。
 産業が発展したイギリスやフランスも同じでしたが、成熟社会になると地域はおろか、家族でさえもだんだん「みんな一緒」から「みんな別々」になっていきます。
「この大学に行って、この会社に行って、このくらいの給料をもらって」という一般的な幸せのモデルがあれば、人はそれを信じて進んでいける。でも、これからの子どもたちを含めて、私たちはそうした一般的な幸せではなく、幸福論を別々に持つようになるのです。凄く恐ろしいことです。
 例えば、コンビニと電子レンジによって「食」が個別になったり、企業も細分化する。それは効率がいいので、それを止めることはできません。そうして繋がりがだんだん希薄になっていく。
 欧米では、問答無用で「孤独感」という恐怖を救うために国家が「宗教という道具」を導入したわけです。教会がつなぎとめて、教会が戸籍を作るわけです。現実社会で失敗しても、教会のコミュニティの中でまた新しい立場を持つ、という具合です。このように、教会が中心となって、生涯学習を地域社会がやるわけです。
 では、日本はどこがやるか、が最大の問題です。もし戦争がなければ、神社宗教がやっていたのでしょう。祭によって男女を引き合わせる結婚や、寺子屋での学習などがそうです。しかし、いまさら神社にそんな力はありません。酷いところでは後継者難で、カミサマも信じないような人間に資格を取らせて派遣している現状です。
 いま日本の一番の問題は「バラバラになる個人を誰がつなぎとめるのか」ということです。仲介手段をどこにもつか、ですね。
 日本では携帯電話のメール機能が非常に良く使われていますが、それもつながりを知りたいからでしょう。欧米に置き換えて考えると、携帯電話のサービスを提供する会社が宗教の代わりになっているわけです。それでも本当に繋がっているのかどうか、分からない。この孤独感であり恐怖をぬぐうには、宗教なり哲学でなければならないわけです。
 神道が先に述べたような現状、一方日本の仏教は死後のお世話しかしてくれない。となると、生きることを教える宗教はキリスト教くらいしかない。しかし、キリスト教が日本に入ってきてから500年近くたとうとしているのに、普及率は1%程度です。そうなると、地域コミュニティを再生させるためには学校を核に進めるしかない、というのがわたしの意見です。
 学校にちょっとマネジメント能力のある校長を入れ、「村長」を生むことで大人と子どもが一緒に学ぶ接点を作る。それを学校のなかで一番価値の出る授業の時間で育む、ということが必要です。
 実際にそれを実現するのが文部科学省なのかどこなのか分かりません。もしかすると今の省のあり方が間違っているのかもしれません。ただ、教育を語るにおいて、こうした成熟社会が抱える問題を分かった上で、「教育どうする?」という話をしなければなりません。
 義務教育の劣化は、教員の能力低下や日教組の問題でもなく社会の問題です。繋がる、という機能をどこにもたせるか、です。
 子どもの事件がおきればすぐ「人を思いやる心がないからだ! 道徳を増やせ」、とか骨を折ったりする子が増えたら「体力低下が原因だ! 体育を増やせ」という人がいますね。しかしそれは、本質を見られていない証拠です。分からない人がやることでめちゃくちゃになるけれど、この話が分かる人がいれば、教育は変わります。

Infoseek 内憂外患
2010年06月25日 10時00分
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債務超過1兆円、2万人リストラのさ中… 怒りの告発 JAL“戦犯役員”が続々天下りしている!

2010-07-04 03:02:19 | 週刊誌から
ノンフィクション・ライター 森功

船が沈没する時、最初に救助されるのは船客のはず。ところがJALでは、船長と航海士が真っ先に救命ボートに乗り込んでいた。再生へ向けてリストラ邁進中のはずが何たる厚顔無恥! 莫大な税金をつぎ込んだ「再生計画」の意味を改めて聞い直す深層レポート。

「航空トラブルや内紛、不祥事や経営危機があると、必ずと言っていいほど、この手の文書が多くなるけど、よりによってこの時期にあってはならない話です」
 ある労務担当OBは、くだんの投書に視線を落とし、唇を噛んだ。その「日航の再生を願う社員有志一同」なる差出名の六月九日付文書には、こうある。
<特別早期退職において極めて恣意的な運用がなされ、(中略)リストラ施策が完全に頓挫した状況に陥っているばかりでなく、企業再生機構が自ら禁じたにも拘わらず、引責辞任した筈の殆どの役員の「天下り」「渡り」が、今の日航でも平然と行われ続けている>
 目下、企業再生支援機構を受け皿に、法的整理手続き中のJAL。来年三月期の営業黒字が新聞報道され、一見、ことは順調に見える。だが、内情はかなり切羽詰まった際どい状況にある。
「この計画では、とても融資要請に応じられない」
 銀行団にそう突きつけられたJALは、二次破綻が現実のものとして迫ってきた。そのため、一月の会社更生法適用申請時の更生計画から大幅な修正を余儀なくされる。なかでも三年間で一万五千人とした人員削減を、一万九千三百人に上積み。六月末だった裁判所への更生計画の提出期限が、八月に先延ばしされた上、ここへ来て、債務超過額が九千五百八十五億円に膨らむことまで判明した。
 JALは、今まさに再生の道を閉ざされるかどうか、という岐路に立たされている。人員削減は再生の最低条件であり、JAL社内には、かつてない大リストラの嵐が吹き荒れている。
 これに先立ち、JALでは法的整理手続きに入った段階で重役の一斉引責辞任を発表。当然といえば当然の措置だった。
 退任したはずのJAL前役員たち。ところが、そこに飛び出したのが、文書にある「天下り」や「渡り」なのである。社員に早期退職を迫っておきながら、その裏で関係企業に再就職しるているのだから、とんでもない話なのだ。
 今回の投書でやり玉に挙がっている再就職のケースは、JALの高橋淑夫(59)、大島敏業(60)。執行役員だった高橋は、この六月十八日付でグループ商社のJALUX代表取締役副社長に就任。取締役だった大島も二十二日付で、福岡空港ビルディングの副社長になった。が、それだけではない。
 さらに常務だった芳賀正明(61)と前社長の西松遙(62)。芳賀が空港施設(株)なる東証一部上場企業の副社長に収まり、西松にいたっては、日航財団理事長のポストに座っている。
 倒産のどさくさに紛れた再就職。新聞やテレビではほとんど問題にしない。が、JAL関係者の間では、すこぶる評判が悪いのである。
「会社側は高橋と大島は経営に携わった日が浅いので、再就職先を用意したという言い分のようです。確かに高橋は昨年執行役員になったばかり。大島は執行役員から取締役に昇格して一年目。駅伝に例えたら、最終タスキを渡されたときにはどうしようもなかったから気の毒だ、という理屈です。しかし、それで世間が納得するでしょうか」
 あるJAL元役員は、こう鋭い指摘をする。
「高橋は、東大野球部の名二塁手として鳴らし、JAL入り。長年運航本部に籍を置いてきた。経営企画室と一体でやってきた経営の責任者です。スト対策名目で、経営の足を引っ張ってきたパイロットたちに高給を与えてきた立場ともいえます。日航がずっと抱え続けてきた経営体質を変えることなく、今にいたらせた責任は間違いなくある。本来、スポーツマンで東大文学部卒。文学の素養もある彼が、なぜ、そんなことも分からないのか、残念です」
 高橋は目下、進行中のリストラ計画策定を担当した張本人でもある。再就職先のJALUXは、飛行機の部品から給油施設の管理、機内の毛布などの備品調達にいたるまで、一切合財を取り扱う旧「日航商事」だ。経営難で総合商社の双日に株を売却し、今はJALの持ち株は二一%に下がっている。当の高橋本人に事情を聞いてみると、
「自分で選んだわけじゃないから、わからないですよ」
 とまるで他人事だ。

「私はJAL時代から関連事業室長として、JALUXの社外取締役をやっていましたから、声がかかったのかもしれません。五月の初旬、JALUXを建て直してほしいと電話があり、お引き受けした。その話の内容は企業戦略に関わるから言えませんが、天下りという意識はありません。JALUXは三〇%株主の双日とJALが一体経営し、今までも社長はJAL出身者が多かったから、おかしくはありません」
 JALの関連事業室長はグループ企業の担当ではある。が、高橋の在任期間は一年足らず。商社業務の専門家でも何でもない。なぜ、JALUXなのか。
「彼のJALUX副社長就任には、違和感が残ります」
 天下りに関する先の元役員氏の見方はこうだ。
「そもそも飛行機の部品や備品を取り扱うJALUXは、JALの裏調達部隊と呼ばれるほど、業者との取引における利権が多い。会社側は株を売ったとはいえ、その利権を手放したくない。だから、高橋を送り込んだのではないでしょうか」
 また、もう一人の大島は、東大法学部を卒業したJAL本流のエリートだ。労務畑を歩み、旧JASとの合併を推進した兼子勲元社長の門下生である。JAL幹部の解説。
「彼は労務専門家とじて腕を買われ、空港担当の役員に抜擢されました。空港はJALの関連会社に運営を任せている部分が大きく、それらの組合をまとめるのが大変です。その空港担当だったから、福岡空港ピルの副社長としておさまりがよかったのでしょう」
 JALやANAは全国の空港ピルに出資しているため、もともと社外取締役への就任など、人事交流があるが、今回は完全移籍だ。大島にはこの先、福岡空港ビルの副社長として、悠々自適な暮らしが待っている。
 つまるところ、彼らは沈みかけている船の航海士や機関士みたいなものだ。にもかかわらず、一般船員や乗客をさしおき、いち早く救命ボートに乗り込んで脱出しているのである。
 もっとも沈没船における責任の軽重でいえば、役員になって日の浅い彼らより、キャプテンや副船長にあたる社長の西松や常務の芳賀の方が、ずっと重い。
 その芳賀が副社長となる空港施設(株)は羽田空港内にある。全国の主要十一空港ターミナルの各種施設や飛行機の格納庫、整備工場、事務所ビルの賃貸・管理を一手に引き受けている“優良”企業だ。JALの常務経験者が打ち明ける。
「もともと空港施設(株)は、自民党族議員への政治献金づくりが、会社運営の大きな目的でした。施設を所有し、JALやANAがそれを借り上げて、会社に莫大な利益を落としてきた。他にない独占企業。それだけに、施設の賃貸料や管理料は言い値みたいなもの。資金が豊富ですから、経費もかなり使い放題。天下り先としては最高です」
 そして、日航丸の船長、最高経営責任者(CEO)兼社長だった西松進。理事長になった日航財団は、JAL本社ビルの中にある。本来、海外研修生を招いた交流イベントや文化人による講演会などを催す財団法人で、理事長は社長を退いたあとの名誉職だ。先のJAL元幹部が話す。
「西松さんが財団の理事長としてJALグループに残ったのは、リストラされる社員たちの面倒を見るためだと話していました。再就職先を斡旋するには、財団の理事長という肩書があった方がいいらしい。でも、それは結局社員のためではなく、役員の天下りのためだったのか、と言いたくなりますね」
 そもそも引責辞任した経営者が財団の理事長という名誉職を要求すること自体、世間の感覚からズレている。さすがに報酬はないらしいが、社内には次のような悪評も広がっている。
「西松さんは、社員が再就職の相談に来にくいだろうから、囲いのある部屋を用意してもらえないか、と言ったそうです。つまり理事長個室の要求。それと、財界人などと面談する際、タクシーで移動するのはみっともないので専用の黒塗りハイヤーをねだった、とも噂されています」
 まさかとは思うが、念のため本人に確かめようと自宅を訪ねると、「取材には答えられない」と頑なに返答を拒むばかり。むろん財団では「個室やハイヤー要請の事実はない」と否定するが、JAL社内や関係者の彼らに対する不信感は募る一方だ。

「再就職については、管財人と相談の上、本人の経験や適性などを判断して就任しており、適切なものと考えております」(広報部)
 とはこれまたズレたJAL側の見解。くどいようだが、JALを“ツブした”張本人たちなのだ。これでいいのだろうか。
「会社側は、役員に慰労金を支払えないので再就職を斡旋したのかもしれません。今回の特別早期退職制度では、消化していない社員の有給休暇を買いあげる優遇措置まで用意し、退職者を募った。一方、役員たちの中には、経営難に陥り休日返上で働いてきたのに、我々は何もなしでは報われない、と愚痴る人もいたらしい。馬鹿なことを言うな、と言いたいですよ」(JAL元幹部)
 更生計画作りに青息吐息のJAL。そもそも今のリストラ計画の元をつくったのが、前役員たちなのだ。
 その五月末の特別早期退職制度にも問題ありだ。JALは、当初予測した二千七百人の希望退職に対し、三千六百人の応募があった、と大喜びである。が、それは破格の優遇制度があったからに他ならない。月額基本給の六カ月分に加え、退職金は通常の自己都合時の倍付け。おまけに有給の買い上げは、パイロットで一日あたり最大七万円、一人あたり最大二百八十万円にもなる計算だ。
 JALでは、来る九月にも二度目の早期退職者を募る。が、リストラに伴う費用も税金で賄うほかない。社員たちには酷だが、血税を投じた倒産企業に、これまでのような大盤振る舞いは許されないだろう。
 JALの過酷なリストラは、これからが本番。天下り役員たちは、沈みゆく船に取り残されている社員たちに、どう申し開きするのだろうか。 (文中敬称略)

週刊文春2010年7月1日号
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窓際OLのすってんころりん日記 連載第402回 Who are you? 斎藤由香

2010-07-03 01:12:11 | 週刊誌から
「パカヤロウ!」
「そんなことで選挙は勝てんぞ!」
 隣の部屋から大声が聞こえる。
「オレも辞めるべきだったと思うよ」
(エッ、何が起こったの?)
 久しぶりに週刊誌で働く女性記者さんらと、「美味しいものを食べよう!」と赤坂の店に行った時のこと。
 みんなで最近流行のレストランなどの話をペチャクチャおしゃべりしていたら、隣室からすさまじい声が聞こえてきた。個室で壁も厚いのだが、あまりの音量に会話が筒抜けだ。六人程の会合のようだ。
「いやあ、○○先生、頑張ってくださいよ。ワッハッハッハッ! オレ自身もそろそろ辞めるべきだと思うけど、頑張っておるからな」
「私も六十六歳だよ」
「頑張るのが一番!」
「後ろから足をひっぱられることもあるしな(笑)」
「まあ、少しどうぞ」
「いやあ、悪いね」
 酒を酌み交わしている。やがて仲居さんが部屋に入った気配がした。
「ネエさん、マスコミはいろいろうるさいね」
(エッ、マスコミ!?)
 敏腕記者であるA子が小声で言った。
「ユカ、隣室の政治家達を覗いてきたら?(笑)」
「そんなことできるわけないじゃん」と言いながら、紹興酒を飲む。
 するとまた大声が。
「これは三十六万円のスーツ。選挙用に買ったんだよ」
「選挙区では1200いっているから、1.2の1.7の2.7の500。最低3000……」
「2.3.5.5」
(????)
 仲居さんの声が聞こえる。
「デザートは何がよろしいですか? バニラアイスクリームと、さくらんぼがございますが」
「ボク、アイス!」
「オレはさくらんぼ!」
「ボクも!」
 重鎮であろう政治家の大声が聞こえてくる。
「野球は負ける時がある。必ず原因があるんや。選挙も負ける時がある。必ず、原因があるのじゃ。原因を攻撃すれば必ず勝つ! 一発逆転があるんだから!」
「さすが先生!」
 パチパチ!と大拍手。
「まず今夜は先生の激励会みたいなもんや」
「お待たせしました。アイスクリームはこちら様ですね。さくらんぼをどうぞ」
「あれっ? ボクのさくらんぼはないの?」
「三人様のご注文だったので……」
「さくらんぼ、さくらんぼ」
「では追加でお持ちします」
 A子が、「ユカ、やっぱり見てきたら?」と言うので廊下に出る。
 するとSPが入口にいた。大柄で目が鋭い。ヒョエー! 大慌てで部屋に戻ろうと思ったところに、酔っ払いのメタボの政治家がヨロヨロと部屋から出てきた。ヤバイ!
 部屋の前でアタフタしていると、私を仲居さんと間違えたらしく、
「トイレはどこ?」
「あっちです」と答えながら、冷や汗。政治家さんの部屋をのぞくと、全員がメタボの先生方! ウエストは一メートル二〇センチくらいだろう。
 政治家はトイレから出ると、どの部屋に戻っていいかわからずオロオロ。
(たった四部屋しかないのにボケているのか?)
 他の部屋を開けて怒られていた。部屋に戻ると、また大声が。
「○○先生、真剣に考えろ。ワシはこの年まで苦労しているから、政治家でいられるんですよ」
「さすが○○先生!」
「今の最大の問題は国対が面倒みすぎ」
「おっ、携帯が鳴った。もちもち、ボクだよ」
「先生の声が変わった(笑)」
「ボクでちゅよ。わかる? ボクの愛情感じる? ボクでちゅよ♡」
 Who are you?
 この国、大丈夫か?

週刊新潮2010年7月1日号
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変見自在 連載401 The Gulf  高山正之

2010-07-02 00:54:32 | 週刊誌から
 たて琴アザラシ(harp seals)は回遊性で、夏はグリーンランドで過ごし、冬は大西洋を渡ってカナダのセントローレンス湾に下ってくる。ニューファウンドランド島の西側の湾だ。
 生息数は約七百万頭。「たて琴」の名は成長するとそれらしい白い模様が背中にできるためだ。
 セントローレンス湾は冬季、流氷で埋まり、その氷の原で彼らは求愛し、春が訪れる頃に赤ん坊を産む。
 真っ白な羽毛のような毛に包まれた赤ん坊アザラシは黒い大きな目を瞬かせてそのままぬいぐるみになりそうなほど愛らしい。
 実際、それを見るためのツアーがあって、成田発一週間の日程で費用は三十八万円くらいという。
 ツアー客はセントローレンス湾の中央にあるマドレーヌ島で生まれたてのアザラシを見るのが定番だ。
 日本からのツアーとは別にカナダの沿岸警備隊もこの時期、氷上の赤ちゃんアザラシを探す。
 首尾よく発見すると無線で沿岸の漁港に連絡する。数千人の白人漁師が知らせを受けて船を出し、沿岸警備隊の砕氷船が流氷を砕いて彼らをアザラシの群れに導いていく。因みにこの砕氷船は「海の導き人(Sea shepard)」と呼ばれる。
 白人漁師は群れの中に入り、産まれて二、三週間の赤ちゃんアザラシを見つけだしては約二㍍の梶棒で頭をぶん殴って殺す。頭を狙うのは売り物の皮革を傷つけないためだ。
 傍にいた親が我が子を守るために手向かうと「人間様の生命にかかわる」から銃で殺していいというカナダ政府のルールがある。
 子アザラシは根棒を口に突っ込まれて身動きできないよう固定されて生皮を剥がされる。真っ白な氷原はアザラシの鮮血で赤く染まって行く。
 カナダ政府は「瞬きの確認」規則を義務付ける。棍棒で殴っても中にはまだ生きている場合もある。黒いつぶらな瞳が瞬いているかどうかを確認し、生きていたらもう一度ぶん殴って息の根を止めてから生皮を剥げという規則だ。
 しかし殺される約三十万頭の子アザラシの半分が生きたまま生皮を剥がれているのが実情という。
 子アザラシの革は柔らかくそれでいて保温に富み、コートや防寒靴に最適とされ輸出の花形になっていた。
 ただ白人社会でもここまで残酷な狩りに反発もあった。これに対してカナダ政府は「先住民イヌイットが伝統猟としてやっているだけ」と言い訳した。残忍さは非白人のものだと。
 しかしイヌイットは自給分にほんの何百頭か獲るだけ。九割九分までが白人がやっていたことがばれて英国は輸入禁止にもした。
 カナダ政府はすかさず最近の鱈の漁獲量激減は「たて琴アザラシが増え過ぎたため」と言い出した。
 鱈を喰うのはこのアザラシだけではない。鯨やイルカの方がもっと喰う。
 こういう大食いの海獣の適正化こそ日本が国際捕鯨委員会で主張してきたことだが、カナダ政府はそうは言わない。言ったら赤ん坊アザラシの残酷狩りはだめになるし日本苛めの理由もなくなってしまうからだ。
 その辺は米国も英国も心得ていて、見え透いた「たて琴アザラシ犯人説」に納得して、白い氷原を赤く染める赤ん坊アザラシ殺しは今年も盛大に行われた。
 ただ今年は暖冬異変で流氷が早めに溶けて子アザラシの収獲が順調ではないとニューヨークタイムズがこの三月に報じていた。
 同じころ米国人監督が和歌山・太地町で隠し撮りしたイルカ漁の記録映画「The Cove(入江)」がアカデミー賞を受賞した。
 描くのはほんの何頭かのイルカを入江で獲る追い込み漁風景だが、シホヨス監督は日本人がセントローレンス湾の白人漁師とは違ってイルカの子や子持ちの母イルカは殺さないことはわざと触れない。
 この監督は白人種として未開の有色人種・日本人に残酷はやめよと説教する。
 それなら次はセントローレンス湾の記録映画「The Gulf(湾)」を撮ってほしい。アカデミー連続受賞も決して夢じゃないと思う。

週刊新潮2010年6月24日号
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こちら特報部 へこたれない人々 前任者を告発 元埼玉県警察学校長・田中三郎さん(62)

2010-07-01 03:24:45 | 新聞から
 たなか・さぶろう 1947年8月15日、栃木県生まれ。茨城県立古河第一高校卒。67年7月、埼玉県警巡査に採用される。寄居署長、少年課長、交通部理事官、西入間署長、越谷署長などを経て2005年警察学校長。趣味は読書(中国文学)。

 秋風が吹き始めた庭を眺めて、田中三郎(六二)は、自宅にいた。写真撮影をお願いすると、きまじめに背広、ネクタイに着替えてくれた。応援セットの向こうには、警察手帳をコピーした埼玉県警のエンブレムが飾ってある。

 「人に聞かれれば“自宅待機中”と答えています。誰が来ても、あるいは呼ばれても、いつでも対応できるようにです。あの日から警察の仲間たちとのつきあいは絶ちました。迷惑がかかっても因りますから。酒は一滴も飲んでいません。いざというときに不覚を取ってはいけないので」
 ひとつひとつの言葉を確認するように語る。
 二〇〇七(平成十九)年九月。田中は六十歳定年を半年残して、四十年間勤め上げた埼玉県警を退職した。三つの署長、警察学校長などを歴任し、階級は警視正だった。高卒のノンキャリアとしては、ほぼ最高の地位まで出世した。普通なら外郭団体の専務理事などに天下るのが通例だ。だが、再就職の斡旋はすベて断った。機関誌「秩父嶺」には、こんな最後のコメントを残した。
 「素晴らしい後輩の皆さんヘ。『警察職員は憂えず懼れず』。制服のときも非番のときも、家族とくつろいでいるときも、県民の方々が素朴に思い描いている格好のいい警察官、心から拍手を送りたくなるような強くて頼りになるお巡りさんを演じ続けて欲しいと願っています。『自ら反みず縮んば千万人と雖も吾往かん』(略)」
 田中が前任者の元警察学校長、元同副校長らを業務上横領の疑いで刑事告発したのは、この二カ月後の十二月六日のことだった。告発状などによると、元校長らは共謀して、警察学校内で売店を経営する会社から同校の親睦団体・校友会に対する助成金約百二十五万円を着服した。
 詳細を田中が語る。
 「〇五(平成十七)年三月。校長に着任して引き継ぎ書類を見るうちに、その事実に気付きました。四カ月ごとに校友会に入金されていた助成金が前年四月に突然消えた。事務員を事情聴取すると「校長の指示だからと言って副校長が持って行った』と。これは変だ」

 資料を集め、教職員から事情を聴いた上で本部に持ち込んだ。いずれは何らかの処分が発表されるものと考えていた。だが、待てど暮らせど動きはなく、それどころか田中はこの件に関する情報から遠ざけられた。
 不信感が募り、やがて憤りに変わった。
 「警察は公明正大に生まれ変わったはずではなかったのか」
 これに先立つ二〇〇〇年ごろ、全国の警察で不祥事が相次いだ。危機感を抱いた国家公安委員会、警察庁は「警察改革」に着手。「警察改革要綱」をまとめた。田中自身も改革にかかわり、警察庁に出向後、二年間の九州管区勤務を経て古巣の埼玉県警ヘ帰ってきた。よもや、そこでこのような不透明な金銭処理がされているとは思わなかった。

 長い問、一人で悩んだ。見ないふりを決め込むこともできる。
 巡査の時代から、つらくとも楽しかった警察官生活の思い出が頭を駆け巡った。微罪で取り調べた被疑者が実は爆弾事件の全国指名手配犯で、本人に告白され、大騒ぎになったこと。警備訓練で山中を大汗をかいて走り回ったこと…。そうやって人生のすべてをつぎ込んだ県警を、“告発”することなどできるのか。
 だが、どうしても譲れなかった。生まれ故郷の栃木県藤岡町で農業を営んだ父は、郷土の英雄で足尾鉱毒事件と闘った田中正造翁を敬愛していた。口癖は「自分にうそをつくな」。そのせいか、田中は節を曲げるのが何より嫌いだ。
 地元の高校を卒業後、最初は憧れだった航空会社に入り、整備士の見習いになった。だが備品を持ち帰るなどの“不正”が横行する職場に嫌気がさした。「不正と対決できる仕事はないか」。そう考えて、第二の仕事に警察官を選んだ。
 巡査部長で警務部勤務のころ、上司の課長が公用車をひどく乱用していた。やはり悩んだあげく、警務部長に事実を伝える手紙を書いた。手紙を官舎に届けたら退職しようと考えていた。長女を身ごもっていた妻は泣きじゃくって反対したが、止まらなかった。このときは警務部長が「僕に任せてくれないか」とすべてをのみ込んで、改善してくれた。
 警部時代には、大手警備会社ヘ行政処分を執行する直前に上司からストップがかかった。警備会社のトップと警察庁上層部に何らかの取引があったと直感し、徒手空拳で警察庁に乗り込んだ。キャリア官僚を相手に直談判し、「時期を遅らせただけだ」という文言を勝ち取った。後に警備会社は「指示処分」を受ける事態となった。

 こうした経験から、田中は「警察とは想像していたよりずっと懐が深い組織だ」という感慨を持っていた。そうした組織で働けることに誇りと喜びを感じていた。ところが、今度ばかりは、その信頼が裏切られたのだ。

 告発から一年半が経過した今年八月三十一日、さいたま地検は元学校長らを不起訴処分(嫌疑不十分)とした。元校長らに現金が渡った事実は事務員の証言などから疑いようもなかった。だが地検は「(元校長らが)不法に自分のものにしようとした意思が認められなかった」と説明した。
 「職員の飲食に使った」という元学校長らの説明は、金額などに不審な点が多かった。だが地検はお金の使途の詳細に言及することもなかった。
 田中を支える弁護士の清水勉は「百万円を超えるお金が職員の飲食に使われた形跡はない。仮にそうだったとしても、現金が副校長に渡った時点で犯罪は成立しており、お金を何に使ったかは、情状の問題であって、犯罪の成否の問題ではない」と地検の判断に疑問を投げかける。
 近く検察審査会への審査申し立てに踏み切るつもりだ。
 田中は語る。
 「三度警察学校に勤務して、この学校では教えられていないことが、ひとつあると知りました。それは本当の意味での“倫理”です。『天知る、地知る、子知る、我知る』。警察官は何より清廉でなければならない。また公務員には不正を告発する義務がある。見て見ぬふりをするだけで、市民を裏切っています。この一件が片付いたら、本当の意味での引き継ぎがしたい。それで晴れて退職です。その晩は、少し飲ませてもらいましょうか」
(坂本充孝、敬称略)

東京新聞 2009年9月28日号
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