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精神科病院なくした町(愛南) 共生社会 患者と地域へ かわる/かえる

2022-12-19 02:49:53 | 新聞から
 半世紀余り続いた2階建ての病院は取り壊され、姿を消していた。「ひどいところでした、ほんとに」。院長だった長野敏宏(51)は昔を思い出し、ぽつりと言った。
 愛媛県の南端に位置する愛南町。町唯一の精神科病院「御荘(みしょう)病院」は、海と山に囲まれた高台に立っていた。最大時には約150人が入院していたが、2016年に閉鎖。今は建物の一部を使った「御荘診療所」と、入院していた患者らが少人数で共同生活をするグループホームなどに姿を変えた。
 長野の肩書は院長から診療所長になり、町で暮らす患者を外来と訪問診療で支える。障害者を病院や施設から地域へ―。世界の潮流だが、日本の精神科は特に立ち遅れている。自ら病院を閉じた長野は異色の存在。誰もが違いを認め、共に暮らす「共生社会」を体現した町の取り組みは、国内外で評価されている。

矛 盾

 四国中央市で生まれた長野がこの町にやってきたのは1997年のことだ。愛媛大医学部卒で「何となく」精神科を選択。大学病院に勤務の傍ら非常勤で時々来ていた御荘病院が肌に合い、赴任を決めた。
 当時の院長が既に患者の地域移行を志向し、病床削減の計画を立てていたが、長野は「入院は必要だ」と反対だった。
 だが、「家に帰りたい」と言っていた患者が年を取って亡くなり、死亡診断書を書くのはつらかった。「自分がされたくないことを患者にしている自己矛盾」に直面した。
 鍵のかかる部屋に患者を閉じ込める隔離や、身体拘束。おかしいと感じることを徐々になくしていき、「入院ベッドなしでもやれるんじゃないか」と思うようになった。
 33歳で院長に就任し、町のさまざまな役職を引き受けた。患者と一緒に地域の活動に参加し、病院の夏祭りには住民約千人が集まるように。病床削減や地域医療への配置転換には内部の反発もあったが、職員の世代交代や意識の変化を経て、約20年かけ病院の廃止を実現した。
 統合失調症で約10年入院していた60代の男性は今、アパートで1人暮らし。「カラオケに行くのが楽しみ。自由がいい」としみじみと話す。

覚 悟

 精神科医療では、医師が「入院が必要」と診断し、家族らのうち誰かの同意があれば、強制的に患者を入院させることができる。事実上、医師1人の判断で決まると言っていい。
 しかし、愛南町に入院できる病院はもはやない。本当に必要な際は、隣の宇和島市で入院できるが、長野は「なるべく入院させない」。統合失調症で言動が不安定になる患者、ごみ屋敷のような家で暮らす人…。以前なら入院させていたが、今は何かあれば長野や看護師、精神保健福祉士らが24時間駆け付ける。
 すぐに問題を解決しようとはしない。無理に治療しようとすれば、かえって心を閉ざしてしまう。家に引きこもり会ってくれなければ、何年でも通う。「他人から見たらぐちゃぐちゃの生活でも、そこでその人が暮らしていることが大事。すれすれまで地域で粘る」。最後は医師である自分が責任を取る。そう覚悟を決めている。

働 く

 現在、長野が愛南町で携わる活動のうち「医療」はごく一部に過ぎない。むしろ事業家なのかと疑うほどだ。NPO法人の理事を務め、温泉宿泊施設の運営などにも関わる。NPOは障害福祉サービスの事業者でもあるので、精神保健福祉士や作業療法士が患者と一緒にそこで働く。
 背景には、少子高齢化が進む町の厳しい現実がある。人口はここ20年で3分の1減り、2万人を割った。高齢化率は46%。「困っているのは障害者だけじゃないし、働き手が圧倒的に足りない。産業をつくり、みんなが働かないと地域が立ちゆかない」と長野。
 山を切り開き、新たな特産物にしようと、NPOで2009年からアボカド栽培を開始。東京の有名店への出荷までこぎ着けた。かんきつ類やシイタケの栽培、川魚のアマゴの養殖も手がける。
 事業は行政や地元企業の協力がなければ成り立たない。清掃会社社長でNPOの理事長を務める吉田良香(66)は長野と知り合って約20年。「一緒に挑戦も失敗もたくさんした」という盟友のような間柄だ。
 「昔は精神障害者のことは避けていた。偏見があった」。吉田は率直に語る。「たけど、実際に会ってみたらイメージと全然違った。今は誰が障害者とか、もう関係ない」
 長期入院や患者の人権侵害が問題視される日本の精神科医療。改革の必要性が叫ばれながら社会の偏見や、病院団体の反発などが複雑に絡み合い、なかなか変わらない。
 長野は言う。「誰かを悪者にしても何も解決しない。時間がかかっても、私たち一人一人が自分のこととして一歩ずつ進めていくしかないんだと思う」
(敬称略、文・市川亨、写真・藤井保政)

山のわき水を利用したアマゴの養殖。2年ものの出荷のため、1匹ずつ網で慎重に捕獲する
=愛南町

入院26万人 進まぬ退院

 厚生労働省によると、精神障害のある人は2017年時点で全国に約419万人。精神科の入院ベッドは21年6月現在、全国に約31万床あり、約26万人が入院している。うち約6割は1年以上の長期入院。10年以上という患者も約4万6千人いる。
 日本は病床数、入院期間とも国際的に突出し、医療上は必要ない「社会的入院」が10万〜20万人ともいわれる。経営を優先する病院の意向や診療報酬の仕組み、精神障害者が地域で暮らしにくい環境などが背景にある。
 国は20年ほど前から「地域移行」「退院促進」を掲げているが、ベッド数、入院患者とも狙い通りには減っていない。

2022年12月10日
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