超芸術と摩損

さまざまな社会問題について発言していくブログです。

文春図書館 今週の必読Ⅱ 『こどもたちは知っている 永遠の少年少女のための文学案内』 野崎歓 

2009-12-24 06:30:11 | 週刊誌から
文春図書館 今週の必読Ⅱ
ドストエフスキーから谷崎まで――名作の中の童子たち
『こどもたちは知っている 永遠の少年少女のための文学案内』 野崎 歓 春秋社 1700円+税

のざきかん/1959年新潟県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科・文学部仏文科准教授。翻訳家、エッセイスト。06年度講談社エッセイ賞受賞作『赤ちゃん教育』など著書・訳書多数。

評者 五味太郎
 いわゆる中間者としての大人が管理運営することになっている実社会においては、歴史的に子供というやつはいつも老人とともに厄介者であり続けるのだけれど、よせばいいのに例の人文主義的子供観なんてものが派生してしまったあたりから、その厄介者はますます中途半端な厄介者になって、限りなく中間者の大人を悩ませることに至ったあたりで、そんなことならばかつて小さな労働者なんてデッチ上げたこともあるのだから、ついでに小さな消費者などと解釈してみれば、これ結構商売になるんではあるまいかなどと考える輩が出てきて例の教育産業なるものが出現するわけで、厄介者改め児童、学童などとちょっと恰好つけてレイアウトしてはみたものの、残念ながら話はますます混沌として、仕方ないからとりあえず教育を受けることは国民の義務であるぞなどと外堀を埋めておいて、本来は輝く厄介者であったところのガキどもに、あろうことか素直で明るく賢い、かつ未来を託すべき存在として希望に満ち溢れた幼児おさなごであってほしいなどと、もう支離滅裂な子供像というものが一応の定番となった今日このごろですが、さて、この顛末はこの先どうなるのでしょうか、その歴史的道程を一応文学史的に見るなら、ま、こういうことなのですけど、と本書はおだやかに提示しているわけです。つまり文学的にはこんな風に厄介者は取り扱われていました、すさまじいですね、すごいですね、おもしろいですね、ではまた来週ということです。確かにその視点で子ども登場文学を読み込んでみれば、それはまさにすさまじいですね、すごいですねということに関しては間違いありません。そしてやや置いて、やや我に返って、子どもという存在が、輝くとまでは言わないまでも、まあまあ健やかな厄介者としてい続けられる社会というものがはたしてあるのだろうか、ちょっと考え込んでしまったりするわけです。

ごみたろう/1945年東京都生まれ。絵本作家。『きんぎょがにげた』など著作多数。最新作に『四字熟語グラフィティ』がある。

週刊文春2009年12月17日号
コメント
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