超芸術と摩損

さまざまな社会問題について発言していくブログです。

「桜塚やっくんが股間に触れた指を…」もう一つのわいせつ事件

2011-05-21 05:03:17 | 週刊誌から
「いきなり密着してきて触り始めてきたのです。キスを迫られそうになったんで、抵抗しました。でも、Tシャツをたくし上げられてジーンズに手を突っ込んできて……」
 先頃「暴行で書類送検」と報じられたタレントの桜塚やっくん(34)に押し倒された女性は、他にもいた。

 桜塚やっくんといえば、スケバン姿で「がっかりだよ!」の決め台詞を叫ぶ芸で活躍したピン芸人だ。最近は露出も減り、忘れられかけていたところ、三月二十五日付の各紙が「酒に酔って意識がなくなっていた女性に性的暴行をしたとして、準強姦容疑で書類送検されていた」と一斉に報道。
 しかし、やっくん自身はブログで全面否定。女性と飲食したことは認めたものの、「犯罪を犯したという事実は一切無く、今後一切僕が逮捕される事や起訴されることもありません!」、「天地神明に誓って、僕は清廉潔白です!」とつづった。
「書類送検されたのは確かですが、やっくんサイドは警視庁にも『虚偽の情報を流した』と抗議している。書類送検の書類の中に『被害者は処罰を望まない』と付帯されており、示談が成立していたと見られます。捜査も終了し、事件化していないということなのでしょう」(警視庁担当記者)
 示談しでも、「清廉潔白」とは言えないだろう。芸能記者が語る。
「テレビの露出は少なくなりましたが、やっくんはパチンコ屋の営業でかなり稼いでいた。そこに『書類送検』報道が出て、営業が激減。これ以上仕事が減らないように躍起なのではないかと言われています」

 しかし、他にもやっくんの「被害」にあったと証言する人が出てきたのだ。告白者のAさんは、芸能関係の会社で働く二十代のスレンダー美女。彼女とやっくんの間にコトが起きたのは〇五年末だった。
「その少し前まで彼が『あばれヌンチャク』というコンビを組んでいた時に、斎藤さん(桜塚の本名)とは仕事仲間だったんです」
 つまりAさんはやっくんを公私ともに良く知る立場だったわけだ。
「二人で居酒屋で飲んだ帰りに、いきなり『もう一軒行こう』と手を握ってきたのです。私には彼氏がいましたし、斎藤さんもいつも彼女のブロマイドを持ち歩くほどラブラブだった。『それは……』と断ると、じゃあカラオケに行こうと連れていかれたのです」
 ところがカラオケ部屋に入るなり、やっくんの態度が一転して、冒頭のようにAさんは押し倒される。抵抗しても、やっくんは「いいじゃん、いいじゃん」としつこかった。
「彼が私の下半身に触れた自分の指を舐めて、『美味しい』と言ったんです。キモい! 勘弁! と思って、揉み合っているうちに彼がかぶっていたベレー帽が脱げた。すると、彼が普段下ろしている前髪が全部上がってて、凄いハゲてるんですよ。もう心の底から気持ち悪くなって、必死に『次回で、次回で』と説得して。やっと解放してもらいました。なんで? 仕事仲間だったのに……、と嫌な気持ちになりました」
 やっくんはこう弁明する。
「Aさんは知ってるけど、僕には彼女がいたし絶対にない。手くらい握ったかもしれませんが、五年も前のことなので覚えてない。後は弁護士に聞いて下さい」
「俺は一発屋で終わらない」と周囲に話していたというやっくん。でも、女の敵だったなんて「がっかりだよ」!

週刊文春2011年5月5日・12日ゴールデンウィーク特大号

桜塚やっくん 交通事故で死亡
10月5日 23時34分

5日夕方、山口県美祢市の中国自動車道で、ワゴン車が中央分離帯に衝突し、車の外に出た2人が、後ろから来た車にはねられ死亡しました。
このうちの1人は「桜塚やっくん」の芸名で活動しているタレントの男性で、警察が事故の詳しい状況を調べています。

5日午後5時前、山口県美祢市の中国自動車道の下り線で、5人が乗ったワゴン車が中央分離帯のガードレールに衝突しました。
事故のあと、2人が車の外に出たところ、後ろから来たトラックや車に相次いではねられ、死亡しました。
警察によりますと、死亡したのは、「桜塚やっくん」の芸名で活動しているタレントの齋藤恭央さん(37)と、埼玉県所沢市の砂守孝多郎さん(55)で、車に乗っていた3人のうち2人も軽いけがをしたということです。
警察が目撃者などから当時の状況を聴いたところ、現場では、砂守さんが車の外で、ガードレールに衝突したことを携帯電話で警察に通報していたときにトラックにはねられ、そのあと、齋藤さんが車外に出て、乗用車にはねられたということです。
5人はバンドの関係者で、6日にコンサートが行われる熊本県荒尾市に向かっていたということで、警察が関係者から事情を聴くなど、事故の詳しい状況を調べています。
「桜塚やっくん」は、「スケバン恐子(きょうこ)」というキャラクターで、お笑い番組などに登場し、一世をふうびしました。
セーラー服姿に竹刀を持つという不良女子高校生のスタイルで、「がっかりだよ」という決めぜりふで人気となり、7年前の平成18年にはNHKの紅白歌合戦にも応援ゲストとして出演しました。
最近ではバンド活動も行っていたということです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発から3キロ 見捨てられた病院 院長が明かす“真実”

2011-05-20 02:00:10 | 週刊誌から
「オヤジを見つけるまでは、剃らずにおこうと……」
 大震災から三週間余、探し続けた父親は、福島第一原発からわずか三キロの双葉病院(大熊町)で亡くなったまま放置されていた。遺族のやり切れなさの一方で、「患者を捨てて逃げた」と非難を浴びた病院には語られざる真実があった。

 白髪交じりの髭を蓄えた福島県富岡町の佐藤和彦さん(48)は四月七日、父、久吾さん(享年87)の火葬を済ませた。入院していた久吾さんの死亡診断書には、三月十四日午前五時十二分、死因は肺癌と記してあった。
 遺体の放置。それは原発事故が引き起こしたパニックの結果としか言いようのない事態だった――。
 震災当日、双葉病院でスタッフに父の安否を確認した後、佐藤さんは政府の避難指示に従って避難所で一夜を過ごした。翌十二日になると、原発事故は更に深刻化していた。冷却機能を喪失し、一号機が爆発したのだ。避難指示は二十キロ圏内に拡大し、佐藤さんは更なる避難を迫られた。
 安否のわからない父を探して、双葉病院の患者が避難したとされる施設を訪ね歩いたのは、しばらく後になってからだった。
「姉夫婦と自分とで搬送先のいわき光洋高校(いわき市)、伊達ふれあいセンター(伊達市)、あづま総合連動公園(福島市)を回りました。しかし、生存者、死亡者の名簿にも、身元不明の遺体の中にも父はいなかった。系列のいわき開成病院にも情報はなく、私の携帯番号を伝えても連絡もこなかった。二十二日には県の災害対策本部を訪ねましたが、どうやら病院に何体か遺体が放置されているらしい、という不確かな情報しか得られなかった。ようやく四月三日の夜、父の遺体を確認したという連絡が病院側からありました」
 結局、佐藤さんが父の亡骸と対面できたのは四月六日午後五時過ぎ。久吾さんと合わせ、病院には四人の入院患者の遺体が放置されていたのだった。引き渡し場所の福島警察署川俣分庁舎には、双葉病院の鈴木市郎院長も来ていた。
「院長はこちらが疑問をぶつけても『すみません』と繰り返すばかりでした。死因にも納得できないが、なぜこれだけ長期間放置され、探し回っていた私たちに何の連絡もなかったのか」
 その院長も原発事故に翻弄された一人だ。放射能の恐怖が迫り、治療もままならない重篤な老人たちを避難させるため奔走していた。
 当時、双葉病院の入院患者は三百三十九人。うち二百九人を職員が手分けしていわき開成病院に搬送。遺体のまま置かれた四人を除く百二十六人と、併設する介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」の入所者約百人が取り残されていた。
 当の鈴木院長が語る。
「まず三月十二日の午前九時、大熊町役場に酸素吸入器や点滴が外れたら全身衰弱状態になる重い患者さんの救出をお願いしましたが、誰も来ない。連絡手段がないので七キロほど離れた双葉厚生病院に.行けば何か分かるかもと医師を車で行かせたら、救助活動をしていたので『うちも患者さんが死んじまう』と頼んだ。夜十時ごろ、警察と自衛隊が来たけど、『今日は無理だ。明日の朝にしてほしい』と帰ってしまった。
 十三日になっても助けは来ない。双葉厚生病院に行くと警察も自衛隊もいない。私は車で助けを求めに街道を上り、途中、消防車を見つけ、『昨日から頼んでいるのに来てくれない。警察に連絡してください』と言い残して病院に戻りました。でも来ない。また出かけると、パトカーに出くわしたので『何で来てくれないんだ。自衛隊はどこ行ったんだ』と伝えて戻った。すると夕方、双葉警察署の署長さんが来てくれた。私は防護服を着た署長の胸座つかんで『百人ぐらい死んじゃう。何とかしてくれ』と拝み倒した。署長と入れ替わりに副署長が警察官九人をつれてワゴン車二台で来て、一生懸命無線で連絡を取ってくれました。でも『来るとも来ないとも分からない。院長、今日はここで待機だ』と」
 翌十四日の朝、ようやく自衛隊がやってきた。
「久吾さんも含めて三人の方が既に亡くなっていました。重篤な患者さんを廊下まで運び、その先は自衛隊が車に乗せて運び出しました。しかし車が足りず、第一陣は三十五人ぐらい、ドーヴィルの入所者はほぼ全員搬送された。午前十時ごろでした。自衛隊は隊長だけ残り、すぐに来るはずの第二陣に備えて、次の救出方法を打ち合わせました。残った患者は約九十人です。ところが午前十一時ごろ『バーン』と原発が爆発した。それで自衛隊の隊長が上官に指示を仰ぎに出たんです。『十五分ぐらいで戻ってきますから』と」

 しかし、隊長は待てど暮らせど戻ってこなかった。
『夜になっても戻らないので、我々職員四人は病院の事務室で、警官十人はワゴン車で仮眠をとった。すると十五日の午前一時過ぎに『緊急避難だ』と警察のワゴン車に乗せられ、川内村に避難させられた。すぐ解除になって病院に戻ったものの、また『緊急避難』となり、朝の六時ごろにまた爆発があった。副署長は『こういう状況だから院長、自衛隊を呼ぶから川内の役場で待とう』と言うので、役場で待っていましたが、自衛隊は来ません。『車を一台貸してくれ、俺は戻る』と頼みましたが、正午ごろには『こうなった以上、病院には戻れない。危険だ』と制されたんです。あのとき、無理してでも戻っていれば」
 だが、原発パニックの悲劇はこれで終わらなかった。救出された患者二十一人が避難先で死亡していたのだ。
「第一陣の重篤な患者は、県内を何時間もたらい回しにされ、夜中に着いた高校の体育館で十四人もが命を落としたのです。第二陣も七人が亡くなりました。危険な状態の患者ばかりなのに、治療もできない所に行ったとは……」(院長)
 県は自衛隊に救出を要請する際、避難場所は県で確保すると伝えていた。しかし、病院など医療施設は見つからなかった。第一陣を収容した光洋高校も当初は断ったが、県が医療スタッフを派遣することを条件に受け入れたのだ。
 この経緯について県は全容の把握さえできていない。
 県は現場からの救助要請をキャッチできず、十四日未明、何故か国から指示があったという。そして、全員の搬送が完了したのは十六日だ。自衛隊は病院に残された遺体は運び出さず、県や院長にもその事実は長く伝わらなかった。
 ようやく父を弔うことが出来た佐藤さんは言う。
「オヤジには心の中で『遅くなってごめんな』と手を合わせました。二年前に大腸癌で亡くなった母と、どうしても一緒にしてやりたい一心でした」
 認知症になった父のことを最後まで心配していた母。二人が永久の眠りにつくはずの富岡町の墓は、放射能に覆われている。

週刊文春2011年4月28日号
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いまなんつった? 連載143 「気持ちよかっただ」 宮藤官九郎

2011-05-19 03:03:44 | 週刊誌から
 ドイツからファンレターが来ました。事務所に届いていた郵便物の中に一通のエアメールを発見。はじめは海外留学中の日本人かなと思った。日本人でも「工藤」になってたり「官久朗」や「勘九郎」になりがちですが、しっかり『宮藤官九郎さんへ』と書いてある。開封すると、手紙は見たこともない原稿用紙に書いてあった。お世辞にも達筆とは言えない、不安を掻き立てる筆跡。ちょっと危ない系の人かもと身構えました。
「私は何か見つけた。ですか5今この手紙を書いている。ファンレターみたいだ。私には少し変ですけど書きたいんだ」
 独和辞典(?)と首っ引きで書いたんでしょう。その苦労に頭が下がります。「ら」が「5」になってるけど。以下なるべく本文を引用します。彼女(たぶん女性)はドイツのハンブルク在住で、大学の日本学科で学んだそうです。
「二つの日本映画を見た。SHONEN-MERIKENSACKやINSTANT-NUMAと」
 僕の監督作と出演作ですね。ひょっとしたら『インスタント沼』も監督したと思われているかもしれないが違います。三木聡さん。とにかく「冬の寒さのため、私の仕事の忙しさのため、ちょっと疲れる感じがあった」そうですが「見たら気持ちよかっただ」
 よかっただ?
 日本語って難しいんでしょうね。他国の方が書いた文章を読むとつくづく感じる。ドイツ語で思考し日本語で書く。想像を絶します。辞書に載ってるのでしょうが、ちょっと馴染みのない表現がたびたび出て来る。
「俳優たちの役は変だけど人好きのする役だ」
 人好きのする役? 「憎めない」とか「愛すべき」キャラクターというニュアンスなのかな。
「音楽はPUNKROCKだった。素晴らしいだ」
「だ」の使い方が難しいんだな。英語のTHEみたいに捉えているのかも知れない。不要なところにちょいちょい入って来る。そのわりに映画のテーマは意外と伝わっていたりする。
「話は速過ぎて全部の冗談は分からなかったが、好きな事があれば、友達がいれば、生活は素晴らしいことだ。かなー」
 ほぼその通りです!
「ときどき好きな事は馬鹿な事だ。しかし、馬鹿なのに、好きだから成功する」
 そうそう。だいたいそんな感じですよ。
「わからない。ごめんなさい。ぺらぺらだ」
 ぺらぺらだ? そもそもハンブルクで僕の作品をどうやって見るんだろう。
「公的図書館で借りる可能性がある。日本映画祭がある」
 そこで彼女は『GO』や『69』さらにドラマまで見てくれたそうで「大そんけいだ」と。
 嬉しいです。
 返事を書きたいと思うのですが……ドイツ語かあ。ダンケとグーテンモルゲンしか知らないや。
 とりあえずネットで翻訳ページを見つけました。試しに「いま、なんつった?」をドイツ語に訳すと「Mache, wie du nur sagtest?」
 それをさらに日本語に訳すと
「あなたが言うだけだったように、します?」
 うーん。難しいだ。

くどうかんくろう 1970年生まれ。脚本家・構成作家・俳優。「シロウト名鑑」(毎週金曜24:53~、テレビ東京)に出演中。グループ魂ライブ盤CD『実録!グループ魂全国ツアー「客vs俺!どっちがスケベか競争して来たど!15番勝負」』が発売されました。6月には作・演出・出演の舞台、ウーマンリブVOL.12「SAD SONG FOR UGLY DAUGHTER(サッドソング・フォー・アグリードーター)」を上演。

週刊文春2011年4月28日号
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超一流校の「不祥事」「イジメ」「内紛」学校説明会では質問できない「名門中学校」裏事情ガイド

2011-05-18 01:50:26 | 週刊誌から
 間もなく入試の季節。中学受験戦線の頂点に君臨する名門中学でも不祥事は起き、風説となって受験を考える親の不安を煽っている。そこで、学校説明会では聞きにくい名門校の裏事情について、各校に直撃。各校の説明からも、見えない校風が挟り出された。

 開成168人、灘103人、筑波大附属駒場100人、麻布91人、桜蔭67人、聖光学院65人、駒場東邦61人、栄光学園57人……。
 2010年の東大合格者数を高校別に並べると、上位はすべて中高一貫校である。これら名門中学と、ゆとり教育に汚染された公立中学を天秤にかければ、09年も首都圏だけで約6万人、小学6年生の5人に1人が、国私立(最近は公立も)の中高一貫校を受験する理由が、自ずと推し量られよう。
 年が明けると西日本や千葉、埼玉の中学で入試が始まり、2月1日に東京、神奈川でも解禁になる。不況の影響で11年の受験者は、
「前年に比べ、4~5%減ると思われます」
 森上教育研究所の森上展安所長はそう言いつつ、「しかし」と続ける。
「上位校はむしろ受験者が増加するでしょう。東大合格者数が伸びた学校が人気を集め、今年度は駒場東邦や攻玉社、聖光学院などです。高校募集をやめて完全な中高一貫になる海城も人気。女子校も、東大合格者が増えて学費も安い豊島岡女子学園でしょうね」
 また、受験に詳しい精神科医の和田秀樹氏は、
「いい学校に来る勉強ができる子は、親もしっかりしていて、愛情もきちんと注がれていることが多い。だから、進学校では問題が起きる可能性が低い」
 と言い、それは大学進学と並ぶ、親のもうひとつの期待である。が、むろん、名門校とて、問題がまったく起きないわけはない。「不祥事」を耳にして不安を募らせる受験生の親は多く、さりとて、学校説明会ではネガティブな質問はしにくい。そこで、各学校の知られざる“裏事情”について、学校に直接聞くことにした。
 東京の“男子御三家”から始めよう。09年夏、開成高校3年生が自宅に放火、祖母を焼死させる事件が起きたが、その後、学校はどんなケアをしたのだろうか。しかし開成学園は、根橋敏郎教頭名の書面で、
「個人のプライバシーの問題でもあるので、お答えできません。そのつど適切に対応しております」
 と答えるだけである。
 次に、橋本龍太郎、福田康夫の両元首相や自民党の谷垣禎一総裁など、錚々たる顔ぶれが輩出している麻布中学。校則がほとんどない自由な校風で知られ、不祥事もよく聞こえてくる。
 10年1学期に高校生が窃盗で退学になったとの話が伝えられたので、彦坂昌宏校務主任に聞いた。すると、
「退学者が出たのは7、8年ぶりですので、大きなショックに包まれました」
 と認めて、説明する。
「学内で他の生徒の財布から数千円単位でお金が抜かれることが2、3カ月の間に多発したので注意していました。犯人がわかり、本人も認め、話し合いがもたれ、本人も学校には残れないとのことで自主退学の形を取りました。その後、校長が一学期の始業式で、自由には表裏一体で道徳的観念が必要だと改めて指導しました。本校では問題が起きると、必ず保護者と生徒に事態を説明します」
 昨年5月、文化祭の後夜祭で生徒が投げたマイクが女子高生に当たりケガをさせた、という話もあるが、
「事実です。音楽に合わせのて数名の生徒がおもちゃのマイクを手に踊って最後に投げ、1つが女子生徒の顔に当たったのです。補償は生徒の保護者たちと学校によって済んでいますが、今後も綿密に連絡を取り合って、経過を伺っていきたいと考えております」
 情報は包み隠さないという姿勢らしく、良し悪しはともかく、開成とは対照的な校風のようである。
 
 続いては武蔵。
「在校生の保護者から“休講が非常に多い”と聞いて不安になっています」
 と、ある受験生の母親が言うので、学校に問うと、
「保護者からの意見なども随時聞く姿勢をとっておりますので、取材の必要はないかと存じます」
 残念ながら回答者は名前も名乗らない。森上氏は、
「武蔵はプライドが高い」
 と言うけれど……。
 10年の東大合格実績で武蔵の24人を大きく上回った駒場東邦では、10年夏に水泳部で、中学生に液体を飲ませるなどのイジメがあった、との情報がある。河内輝明教頭に尋ねると、
「うちの学校もイジメはありますし、万引きも起こります。そういうときはどこが悪いかなどを、生徒を集めて言い聞かせ、保護者にも事実を伝えます」
 こう前置きして、言う。
「10年の夏休み、水泳部で集団のイジメがあったと発覚しました。苛められた生徒から9月頃、教員に申告があり、調査して事実と判明、間もなく当該クラブの保護者にのみ事情説明しました。ことさらに事を大きくしたくないという判断です。話に尾ひれがつくのが一番怖いのです。一方、生徒には、やったことがよいことか、悪いことか、それだけを考えさせました」
 ちなみに中学受験塾の四谷大塚の偏差値は、開成71、麻布67、武蔵63、駒場東邦65。パラつきは小さいが、学校の対応には、偏差値では測れない差があるようだ。
 続いては神奈川。同偏差値67の聖光学院は、徹底した受験指導で進学実績を急伸させてきたが、
「受験に直結しない理科の実験が少ないらしい」
 と受験生の保護者は不安顔。ネットにもそんな書き込みが多いので、学校に聞いた。すると理科の教員でもある村山郁男教頭は、
「ネット情報にお答えするつもりはありません。理科の実験が少ないかどうかもお答えしません」
 やはり神奈川で、偏差値63の浅野はどうか。09年10月、高校生が校舎から転落死したが、出井善次教頭と前田渉高校部長は、
「子供たちの気持ちを考えて対応し、お父様、お母様にも嘘偽りなく話すという基本姿勢は崩しません」
 と言って、続ける。
「昨年、悲しいことに高校の生徒が1人、事故で亡くなりました。警察の判断は事故とのことです。早い段階で当該学年の生徒に説明し、続いて、他の学年に起こったことを説明し、3~4日、学校を休業にしました。その間にお父様、お母様方への説明集会を午前1回、夜2回行い、日が経ってからPTAや新入生、受験生の保護者にも説明しました。また、当該学年の全生徒と面談を行い、カウンセラーの数を倍にして心のケアを行いました」
 逗子開成は09年、理事長が校長や教頭を解任、前教頭が理事長を提訴したと報じられた。袴田潤一校長は、
「訴訟があったのは事実ですが、お話しすることはありません。事実関係を申しますと、前理事長は09年末までが任期で、理事会評議会で選任されませんでした。前教頭は復職しています」
 古傷に触れられたくないのは、08年2月に中学生がイジメを苦に自殺した多摩地区の桐朋も同様で、
「具体的な内容についてはコメントを控えたい」
 と、荒井嘉夫高校部長名で返答するに止まった。当時、高校生だったOBは、
「なぜ起きたのか僕らに説明はなく、マスコミにも情報を出さないので、隠蔽だと考える生徒が多かった」
 と話すのだが……。

 女子校はどうか。東京の“女子御三家”筆頭、桜蔭では、成績不振者に他校への転出を奨めると言われている。真偽を質すと、マスコミの取材には、原則として答えないのだそうで、
「知りたい人は保護者会にくればいい」
 豊島岡女子学園では、鬱病を理由に解雇された女性教諭が、裁判で解雇の無効を訴えている。学校は、
「係争中で答えられない」
 と言うので、原告である元教諭の支援者に聞くと、
「03年頃、校内で盗難が多発し、保護者から被害届を出したいと相談されて上司に話すと“被害届は出さないでもらえ”。1人で対応させられているうちに、鬱病と診断され、業務多忙でさらに悪化……」
 10年は、東大に24人が合格して話題になったが、そこに至る過程には、いろいろ苦労もあるようだ。
 関西の中高一貫校で不祥事というと、06年に高校1年生が自宅に放火、義母と弟妹を焼死させた東大寺学園を思い出す。東大と京大を合わせて100人以上の合格者を出している名門だが、櫟原聰教頭は、
「問題が起きれば、責任のある地位のものが応対させていただくつもりです。大きな事件以外では、たとえばイジメを受けたら、担任を中心にカウンセリングの場がもたれます。苛めた側は厳しく処分します」
 関西でトップの灘でも窃盗が起きたという。成田雅英教頭に尋ねると、
「本校は中1から高3まで担任団が替わらず、キメ細かに生活指導を行っています。ご指摘の通り10年、生徒による窃盗はありました。その生徒は本校に在籍中なので、詳しいことは教えられませんが、学年集会を開いて保護者への説明も行ったことは述べておきます」
 兵庫で灘に次ぐ甲陽学院では最近、生徒が生徒を刃物で傷つけた、という。
「9月の文化祭の準備期間、仲間うちで言うことを聞く、聞かないという諍いの中で、その生徒が篆刻刀を相手に向けてしまった。不慮の事故に近いと思っていますが、当事者の親を学校に呼んで説明した上で、加害生徒は自宅謹慎にしました。その間、担任が毎日、自宅を訪問、ケアしました」
 大川貴史教頭がそう答えたが、ここも東大と京大を合わせ、100名近く合格している名門校である。
 それにしても、天下の名門校といえども様々な問題を抱え、日夜解決に腐心しているものである。
「不思議なもので、この取材対応の結果は各校の校風や、私たち専門家の間での評判と見事に符合します」
 と、教育評論家の尾木直樹氏が驚いて言う。
「私が“いいな”と思うのは駒場東邦、麻布、浅野の3校。生徒の主体性を大事にする風通しのいい学校で、教師の質も高い。開成や聖光学院、武蔵はどうでしょう。開成や豊島岡女子、逗子開成の“係争中”や“プライバシー”という文句は、その通りですが、もう一歩踏み込んでほしい。桜蔭も残念。甲陽学院と灘は評価していいでしょう」
 そして、こう続ける。
「情報開示は学校選びにおいて、極めて重要なポイントです。人間的な温かさや度量の広さ、良識レベルの高さなどで学校を選ばなければいけません」
 偏差値万能からそろそろ脱すべき、ということか。

週刊新潮2010年12月30日・2011年1月6日新年特大号
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方を潰す「イオン不況」の研究 「岡田幹事長」一族がシャッター商店街を量産している!

2011-05-17 01:46:36 | 週刊誌から
ジャーナリスト 鎌倉三次

 イオングループは、岡田克也・民主党幹事長の実兄、元也氏が社長を務める日本最大手の流通企業だ。社是とする「スクラップ&ビルド」の掛け声の下、強引な出店、撤退を繰り返し、地方にシャッター商店街を量産しているという。弱者を挫く「イオン不況」研究。

 イオングループは関連企業約190社を数え、スーパーやショッピングモールにコンビニを含めると全国に2000もの店舗を展開している。その売り上げは連結決算で6兆円に迫る巨大企業だ。現在、民主党の岡田克也幹事長の実兄が社長を務め、社を挙げて岡田氏の選挙をバックアップしていることでも知られる。
 しかし、紛れもない日本のトップ企業であるこの会社、巷での評判は芳しくない。出店や撤退に関して無茶を繰り返しており、非難の声が後を絶たないのだ。
 明治学院大学準教授で都市計画の専門家、服部圭郎氏は言う。
「アメリカのショッピングモールの進出、撤退で街が壊された事例を研究すれば、イオンで同じことが起きると簡単に予見できたことだと思いますけどね。アメリカの場合、ウォルマートが過剰に郊外に展開した結果、ニューメキシコをはじめ多くの都市の中心部が壊滅的状態になりました。日本はなんでもアメリカから20年遅れて同じ結果になる。イオン=ウォルマートで、同じ轍を踏みつつあります」

 和歌山県海南市のJR海南駅から徒歩で約15分のところに、商店街の残骸がある。栄通り商底街だ。かつては八百屋や米屋や床屋だったであろう看板の文字が散見されるが、シャッター街を通り越してもはやゴーストタウンの様相である。
「もう大昔のことになりますが、30、40年前はこの辺りは海南一の繁華街だったんですよ」
 と話すのは、海南中央商業協同組合(以下、協同組合)の伊織正和代表理事である。
 そこへイオングループのスーパー、ジャスコが進出してきたのは、昭和42年のことだ。
「確か、近畿1号店ってことで、土地を買わないイオンさんが土地を買って、『絶対に撤退しない』ちゅうことで進出してきはったんですわ」(同)
 イオンは、また同時期に協同組合と地代や経費などを折半し、ジャスコそばに商業施設『ショッピングタウンココ』(以下、ココ)をオープンさせた。
「その結果、旧商店街の栄通りの買い物客はみな、駅そばにできたジャスコやココに集中しました。栄通りはあっという間にシャッター商店街になりました」(同)
 ところが、平成13年、先の口約束をあっさりと反故にしてジャスコ海南店は撤退。平成19年にはココからも手を引いた。
 ジャスコの跡地は、病院用地として地元が引き受けたが、ココのイオン側の持ち分は、ファンド会社に売却された。協同組合事務局の小池令也氏が説明する。
「イオンさんは、儲からなくなったので、我々に相談もせず地上権を手放したのです。ところが、そのファンド会社は、地代などを2、3カ月払っただけで、後は知らんぷりです。溜まった地代は7000万円以上に膨らみました」
 協同組合は、仕方なくジャスコが撤退した後に半分のスペースで細々と営業していたが、結局ココは22年5月に全店閉店に追い込まれた。今はその一角に宝くじ売り場が残るだけだ。
その後、協同組合とファンド会社は裁判沙汰になった。前出の伊織代表理事によれば、
「最終的に我々が3000万円でジャスコがファンド会社に売った地上権を引き受けることになりました。しかし、ファンド会社は未納分の地代を払おうとせず、未だに話し合いは続いています。いったん閉めた店を再開するちゅうても簡単なことやない。イオンゆうたら大企業やないですか。なんや得体の知れないファンド会社に売ったら、それでお仕舞いってのはあまりにも無責任やないですか」
 海南市の駅周辺には、ジャスコの大きな跡地があるばかりで、これといったスーパーもない。地元の市会議員によれば、
「ジャスコにかき回された典型的な町ですね。お年寄りや交通弱者は買い物できる場所がない。イオングループの出店、撤退は郵政民営化なんかよりもっと身近で重大な問題でした」
 元々、イオングループは「スクラップ&ビルド」や「大黒柱に車をつけよ」を社是としている。従って、海南市のような不可解なことが起きた例は枚挙に遑がない。
 先の服部准教授が話す。
「私が呆れたのは、高松市のケースです。広島に本社を置く『ゆめタウン』というショッピングモールを挟んで、ジャスコとイオン系のスーパーを作った。しかも、スーパーの方は、明らかに倉庫に転用できる建物でした。ゆめタウンを挟撃して潰した後、その地域を独占するつもりでしょう」

 イオングループは、出店に際して、地元行政とタッグを組んで、結果的に地元住民に多大な負担を強いることも少なくない。
 場所は変わって、大阪府の泉南市である。平成16年秋に、ジャスコを中心に170の専門店を合わせ持つショッピングセンター「イオンモールりんくう泉南」をオープンした。面積は甲子園球場が4個も入る日15㌶の広大さだ。
 このオープンに際して、イオン側が大阪府に求めた条件は、すでに3本ものアタセス道路があるにも拘わらず、新たなアプローチ道路となる市道の「信達樽井線」の延長整備だった。別名、「イオン道路」と呼ばれている。その予算は、ざっと65億円にも上る。当然、議会は紛糾したが、
「大阪府からの圧力もあって、大阪府ではなく市の予算で賄うと市長先導で押し切られてしまった」
 とは、地元の市会議員。
「それでなくても泉南市は500億円以上もの借金を抱えていたんです。イオン道路に予算を回すことで、学校など公共施設の改修や市民病院の建設の見通しが立たなくなりました。市民には保育料の引き上げや住民健診の有料化などという形で跳ね返っています」
 なぜ、イオンは強気に出られるのか。実は大阪府の失政につけこんだ節があるのだ。説明してくれるのは別の市会議員。
「元々、りんくう泉南のある場所は大阪府が企業誘致を狙って6000億円かけて埋め立てた土地です。ですが、バブルの崩壊で、まったくといっていいほど誘致ができませんでじた。そこで困った、当時の府知事の太田房江さんがイオンに泣きついた。道路も作る、賃料も安くするから出店してくれいう構図ですわ」
 さらに気になることもある。大阪市の都市整備局にイオン道路の受注業者の情報開示請求をしてみたところ、3億円以上を受注している橋梁会社があった。この会社には太田府知事時代の大阪府の幹部が、後に泉南市の助役を務めたあとに転身しているのだ。
 こういう経緯もあってか、大阪府は埋め立て地を1坪当たり月500円という信じ難い値でイオンと20年間の借地契約を締結した。ほとんどボランティアみたいな価格である。しかし、イオンは元々不動産業と小売業、クレジットなどの金融業の3本を柱とする企業だけに、このタダみたいな借地代で大儲けする。
 ここに、泉南市の有志が作成した『イオングループのあくどい商法を見る』という文書がある。この文書によれば、イオンのテナントに対する営業保証金は坪当たり100万円で、固定営業料が坪当たり月に1万5000円とある。つまり、500円で借りた土地をテナントにはその30倍で貸していることになる。りんくうタウンの場合、4階建てで、売り場は2階までだ。つまり、1坪500円の賃料が60倍の3万円にまでふくらむのだ。市議が続ける。
「イオンの場合は小売業で儲からなくてもこのテナント料で利益が出るシステムになってるんです。で、いよいよダメとなったらさっさと撤退するために、決して土地は買わないで、専門家から見たら安普請としかいえない建物を作っています」
 その上、
「出店する時は地元の活性化というが、テナントは大手のコーヒーショップやレストラン、ブティックばっかり。泉南も地元優先といっとったけど、地元商店は1軒しか入ってないんちゃうかな。しかも、テナントはレジスターまで指定され、売り上げはいったんイオンが一括管理する。これに三重県近辺のグループだったら、テナントの面積に応じて、岡田幹事長の後援会員も集めなきゃならんやろ。イオンは栄えるけど、町は滅んでいく一方ですわ」
 泉南市の商店主もいう。
「イオンができて、町中の商店はほぼ壊滅です。もともと賑やかな商店街ではなかったけど、とどめを刺されたちゅう感じです。生き残りをかけて、喫茶店なんか、慣れない弁当まで作って売ってますわ」

 こういうイオングループに対して、真っ向から異を唱えた町がある。福島県の伊達町(現・伊達市)だ。平成11年、イオングループは福島市の東隣に当たる伊達町に出店の計画を発表した。店舗面積だけでも7万7000平方㍍、駐車場5300台、売り上げ見込みが250億円という東日本で最大の出店計画だった。
 当然、地元の商工業者は危機感を募らせ、各地のイオン出店地の視察に出掛けた。そのうちの一人で、後に『大型店出店とまちづくりを考える会』の代表となる阿部謙一郎さんの話。
「青森県の下田町や山形県の酒田、鶴岡などイオングループがショッピングセンターを出している周辺町村を歩いたんですが唖然としました。その寂れ方は尋常ではなかった」
 また、山形県東田川郡三川町に出店したジャスコの影響調査を元に試算してみると、伊達町にイオングループが進出してきた場合、約2000店の商店の閉鎖と倒産、解雇を含む4000~15000人の失業を生むという数字が出た。
「それと、ジャスコの出店予定地には多くの農家の土地もありました。純粋に農業を続けたいという人も多かった。いろんな意味で、大型店が出店してもいいことなんてないんだなって」(同)
 阿部さんたちの反対運動は地元の大学教授や議員たちの賛同を得て、大きく広がっていく。平成16年には考える会と学者、議員などで構成する『福島県広域まちづくり検討会』が提言をまとめ、翌年、これが、『商業まちづくりの推進に関する条例』として結実。6000平方㍍以上の大型店の出店はまかりならんということになった。阿部さんと同じ『考える会』のメンバーは、振り返ってこう言う。
「実は福島県の県北地域に大型店の出店が相次いだことがあったんです。この時、従業員が4人以下の小規模店は6年の間で、802店舗、17%も減少していました。イオングループの進出はもっと大型店ですから。その影響を考えると、どうしても阻止しないといけなかったんです」

 条例の制定に尽力した元県議の江田清氏も、
「大型店の進出は地域の活性化という名目ですが、現実は逆の結果が多すぎると思います。福島市内でも何度も大型店が進出しては儲からないとすぐに撤退してます。その度に地域住民は翻弄される。だったら、もう結構ですということ」
 ちなみに、岡田元也社長が平成20年4月に発表した3カ年計画によれば、22年度までに総合スーパーを100店舗閉鎖する予定だ。
「国も1万平方㍍以上の大型店の出店は、ダメだという方向に動いています」
 というのは、福島大学名誉教授で都市計画の専門家、鈴木浩氏だ。
「イオングループや大型店は地方に対して悪さをしすぎたっていうことですよ。地方を活性化するといっても、出店するのは地代の安い郊外ばかりでしょ。町の中心部は空洞化するばかりで、本来の都市計画とは逆行します。それでいて足が軽いので、売り上げが悪いとすぐに撤退する。こんなもん、地方のためには何の役にも立っていません」
 さらに、こう指摘する。
「一番の問題は、イオングループのような大型店が出店すると地域のなかでお金が循環しない.ことです。テナントはチェーン店ばかりじゃないですか。つまり、大型店を経由して地方のお金が東京に集中しているだけです。地方の疲弊、不況は大型店の責任でもあることを忘れてはいけません」
「今後は高松市のケースのようにイオンをはじめ大型店同士の潰し合いが始まる。アメリカの『ゴーストモール』や『デッドモール』と呼ばれる町が日本でも出現するかもしれません」(前出・服部准教授)
 我が世の春を謳歌してきたイオングループだが、借金の総額は少なくない。有利子負債にリース負債を加えると2兆円を遥かに超える。かのダイエー倒産と同じ規模である。イオンの広報は、
「表現の自由があるのでイオンの批判記事を書くなとは言いませんが、物事を一面から見て判断しないでほしい。例えば、福島では住民の熱心な誘致活動もあった。坪500円も当時の状況や環境から適正価格です。有利子負債も現在の会計基準ではリース分は含まないので1兆2000億円程。シャッター街問題は、むしろ後継者難が原因でしょう」
 と釈明するが、岡田氏は政権与党の幹事長として「シャッター商店街」が量産されるこの現状を、どう考えているのであろうか。

週刊新潮2010年12月30日・2011年1月6日新年特大号
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総連関係大学の教授だった仙谷、樽床…「6人の民主議員」

2011-05-16 05:21:21 | 週刊誌から
 北朝鮮および朝鮮総連と密接な関係にあることで知られる大阪経済法科大学。かつてこの大学で客員教授の肩書きを持っていた国会議員がいる。小誌はこの事実を「疑惑の大阪経法大『教授』に国会議員が8人いた!」(九九年十一月十一日号)で指摘した。その中には、現政権の中枢を担う仙谷由人官房長官を筆頭に民主党議員も複数含まれていたのだ。

 七一年に開学した大阪経法大の創立者は、関西の在日商工人の間では知られたソープランド経営者だった。
「創立者亡き後に実権を握ったのが、朝鮮総連傘下の『在日本朝鮮人科学技術協会』、通称『科協』に所属していた呉清達氏でした。彼は常務理事兼副学長に就任し、日本の科学技術情報を集めて北に送ったり、大学の関連施設を通じて多数のパソコンなども本国に提供するよう指示していました。大阪経法大は、総連系の教授を多数抱え、日朝韓三国の研究者が一堂に会した国際学術シンポジウムなども開催。公安当局も参加者の顔写真を撮影したり、情報収集をしていました」(事情を知るジャーナリスト)
 そうした活動の一方で、政界やマスコミ界にもネットワークを広げようとしていたフシがある。
「副学長から、あの識者や政治家に教授として来てもらえないかと依頼されたことがある」(当時の大学関係者)
 大阪経法大の客員教授の職にあった仙谷氏は九九年当時、小誌の取材にこう答えている。
「落選中の平成八年十二月頃に、ある協力者を介して、大学の存在を知りました。翌年から客員教授を引き受けましたが、報酬額は確かに月七万円。毎月、私の弁護士活動の報酬を受ける口座に振り込まれ、すべて正規に申告しています。なんらやましいところはな
い。呉副学長にも一度会っただけだ」
 だが当時、仙谷氏は学生ではなく、父母相手に記念講演をしただけだった。
 その他、民主党では中野寛成氏、樽床伸二氏、齋藤勁氏が客員教授に就任しており、今年自民党顧問とて政界復帰した岩國哲人氏も当時は民主党議員として客員教授に名を連ねていた。
 当時の彼らの反応はまちまちで、岩國氏が「認可した文部省が問題」と開き直れば、樽床氏は「正直言って拙いことをした」と反省を口にしていた。
 そのなかでも、「時機を見計らって辞めようと思っています」といち早く決別宣言をしていたのが中野氏だった。十年以上が過ぎ、大学との関係はどうなっているのか。本人の弁。
「その後も客員教授を続けていますが、月給はもらっていません。年に一回くらい講義に行くだけで、そのときは講演料をもらいます。当時は大学と北朝鮮との関係がそれほど密接ならば、という心情を語ったまでで、今も北朝鮮との関連は分かりません」
 だが、その後の取材で、九七年に韓国に亡命した故黄長・元朝鮮労働党書記は、小誌にこんな証言を残している。
「九三年に来日した際に、大阪経法大側から約二千万円の資金提供を受けた」
 その後は次第に北朝鮮との関係も薄まってきたようだが、民主党には過去の疑惑に無警戒のまま大阪経法大の客員教授についている新人議員もいる。
 熊谷貞俊議員その人だ。
 十一月四日、国会の拉致問題特別委員会――。朝鮮学校の授業料「無償化」の適用などについて、参考人である拉致被害者家族の横田滋氏ら関係者五名への質疑が終わり、散会した直後のことだった。昨年の衆院選で初当選した熊谷議員がツカツカと彼らの前に歩み寄り、こう言い放ったという。
「朝鮮人を差別してはいけない。そんなことを言っているから拉致被害者は帰って来ないんだ」
 現場にいた「救う会」の西岡力会長が振り返る。
「『日本人の民族感情を煽るな』とも言われました。参考人として話を聞きたいと招いておいて、議事録が残らないところで反論してくるなんておかしい」
 一方の熊谷氏は大阪経法大との関係について、「私が大阪府知事選に立候補した際、手伝ってもらった方から紹介を受けた」という。その上で家族会との一件は、「『就学支援金』の問題を政治外交問題と絡めて考えることは好ましくなく、その点家族会の方に意見を申し上げた」と回答。
 謀略国家を相手に、くれぐれもつけこまれないようご注意いただきたい。

週刊文春2010年12月9日号
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする