超芸術と摩損

さまざまな社会問題について発言していくブログです。

特集 住人33%が中国人になった埼玉県「チャイナ団地」現地報告

2010-03-20 23:35:12 | 週刊誌から
 埼玉県川口市の芝園団地。全2400世帯のうち、3分の1を中国人世帯が占める。文化・習慣の違いから、当然ながら、さまざまな場面で軋轢が生まれている。外国人との共生というが、きれいごとでは済まない現実がここにある。現場からのレポートである。

「ホラ、あのベランダをごらんなさい。洗濯物干しがロープでしょう。中国人の住んでいる部屋だってすぐわかる。もうすぐ春になるとおじさんが上半身裸で、部屋の中やベランダをウロウロするのが見えるよ」
 広場のベンチに座った70代の男性住人は、団地を見渡しながら言う。
「痰や唾を吐くのは中国の空気が乾燥しているからかな、と思っていたら、習慣なんだな。この団地でもよく吐いているよ」
 チャイナタウンといえば、横浜中華街、神戸南京町、長崎新地中華街が有名だが、近ごろ、住人の3分の1が中国人という“チャイナ団地”が、埼玉県南部に出現した。川口市の芝園団地である。
 荒川を隔てて東京に接する川口市は、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』(62年公開)で知られるように、もともとは鋳物工場の煙突が立ち並ぶ工場地帯だった。しかし、近年、鋳物産業の衰退と共に、東京のベッドタウンとしての色合いを濃く持つようになっている。78年に建てられた日本住宅公団(現・UR都市機構)の芝園団地は、15階建ての建物10棟が林立する高層集合賃貸団地だが、まさに首都圏で働くサラリーマンのために建設されたものだった。
 大友克洋の漫画『童夢』(83年発行)の舞台のモデルになったことでも知られる芝園団地は、JR京浜東北線・蕨駅から徒歩23分。その利便性で完成当時から、人気を集めていたが、はじめから中国人が多かったわけではない。85年の統計では、川口市の在留中国人は211人にすぎない。
 川口市に在留中国人が増えるのは、90年代に入ってからである。90年に1364人、93年には2299人と急増する。その波が芝園団地にやってくるのは、それから少し経ってからだった。95年には団地のある芝園町の外国人登録者数は114人だったが、99年に486人に増加する。そのほとんどは芝園団地に住む中国人だった。
「民間の賃貸住宅は外国人になかなか貸してくれませんが、UR都市機構の場合は、家賃の4倍の月収があれば、保証人なし、更新料なし、礼金なしで入居できます。しかも、芝園団地は幼稚園、小学校、中学校が揃っています。最初の中国人はそういう理由で引っ越してきたんです」
 とは、団地内の商店主。
「入居した中国人のほとんどは大学か大学院を卒業しているエリートでした。IT関係の技術者が多かったですね。子供さんが東大に合格して話題になってこともありました」
 2000年代に入ると中国人は増加の一途を辿り、ついに04年には1000人代を突破する。
「家賃は1DKの約5万円から3DKの約11万円までと手頃。中国雑貨を売る店が団地内にできて、増加にますます拍車がかかった」(住人)
 その結果、現在の1874人に至った。2400世帯中800が中国人世帯、実に全体の33%を占める。
 他の団地と比べると、
「機構が管理する76万戸の中で、外国人籍を持つのはそのうちの約2・5%に当たる約1万9000世帯」(UR広報チーム)
 というから、いかに中国人の比率が高いかわかる。そうなれば、好むと好まざるとにかかわらず、日本人は中国人と顔をつきあわさざるを得ない。
「公民館内の体育ホールは2時間セットで貸していますが、中国人のバスケットチームもあれば、日本人との混合チームもあるように、国際交流をやっています」
 と言うのは、芝園公民館の矢作和雄館長である。
「中国人の先生による中国語教室も人気があって、今では22、23人が参加しています。中には熱心な人もいて、“必ず中国語を覚えて上海万博に行く”と張り切っているお年寄りも何人かいるほどです。同じ人間同士、お互いに馴染んでしまうと民族間の違和感はなくなるようですよ」

 和気あいあいと日中交流に励む住人がいるその一方、中国人住人に対し、強い違和感を持つ日本人住人はかなり多い。
「もうお互いに理解しようなんて思わないから、ルールだけは守ってほしい。ここは日本なんだから」
 そんな突き放した言い方をする住人もいるほどだ。何が起きているのか。
「まず、中国人はゴミ出しができませんね」
 というのは、柴園団地自治会の瀬川剛一会長(80)である。
「日本のマナーに同化しようという中国人は少ない。中国も都市化が進んでいるので、ある程度の社会教育を受けていると思うし、ここの中国人はホワイトカラーが多いのに、マナーを守れないのはどういうことなのでしょうか」
 彼らの多くは、分別などお構いなしに、ゴミを捨てる。
「生ゴミでも缶でもビンでも一つにまとめて燃えるゴミとして出してしまう。それを毎日、掃除のおばさん達が袋を開けて仕分けをしているんですよ」
 こう言うのは、団地に住んで25年の男性住人だ。
「踊り場においてあるゴミ箱に生ゴミを捨てちゃうのもいる。“生ゴミを捨てないで”という張り紙があっても捨てる。ゴミ袋の中には中国文字のインスタントラーメンの袋とか、中国食材店で売っている食料品の包み紙とかがあるので彼らが捨てたとわかる。夏場など、ウッとなるほど臭い。勘弁してほしい」
 問題はゴミ分別や置き場所だけではない。
「もっと嫌なのは、自分の部屋の玄関先から廊下にゴミを掃きだすこと。紙屑やホコリに混じって髪の毛なんかが廊下に掃きだしてあると気持ちが悪い」
 とは団地内の掃除を担当する女性だが、粗大ゴミでもルールを守らないという。
「使わなくなったソファや椅子、古自転車、冷蔵庫などを粗大ゴミとして市に引き取ってもらう、というルールを守ろうとしません。市に払う310円のシール代金は他の自治体よりも安いのですが、お金を払ったり、電話をかけて引き取りに来てもらうのが面倒なんでしょう。粗大ゴミを玄関ホールや各階のフリースペース、非常階段の踊り場などに置き去りにしています。私たちがそれを回収して川口市に引き取ってもらっていますが、その代金は居住者たちから集めている管理費から出ているのです。日本人居住者が可哀相になってしまいます」

 だが、ゴミ問題はそれだけでは終わらない。何と、この団地では空からゴミが降ってくるのだ。
「彼らはベランダからゴミを投げ捨てるんですよ。人参の切れ端など生ゴミは当たり前。中には子供のオムツを放り投げた奴もいました。下の階に干していた蒲団に汚物がついたことがありました。もっと酷いのは火のついているタバコを投げ捨てるんです。この前も洗濯物が焦げて問題になりましたよ」(同)
 傍若無人な振る舞いだと日本人なら誰でも思うが、彼らにとっては当たり前のことになのだという。
「中国には“白害”という言葉があります。列車の窓から弁当の包み紙や紙コップ、食べ残しなどをポイ捨てして、ゴミが線路沿いにずっと続く状態を表現しています。現在、中国では立派なマンションが次々に建てられていますが、居住する彼らは窓からゴミをポイポイ捨てるので、建物の周辺にはビルの形に沿って、四角いゴミの山ができているほどです」(中国問題専門家)
 日本人には何とも理解しがたい行為だが、さらに信じられないことがある。
「辺り構わず痰や唾などをぺっぺっと吐くなんてまだ序の口、エレベーターの中や踊り場でオシッコをするんですよ。催すと、家に戻らず、そこらでしちゃうんでしょうね。よくエレベーターの床に水たまりができています」(団地の関係者)
 団地内の公園には噴水があったが、しばしば彼らが立ち小便をするからと撤去されてしまったという。日本人も、だいぶ少なくなったとはいえ、今でも立ち小便をしないわけではない。しかし日本人は団地の踊り場や階段で大便をしたりはしない。ところが、この団地では日常的に大便が発見されているのである。
「毎朝のように水で流していますよ。ホームレスが犯人だという人もいますが、誰が13階や14階まであがってやりますか」
 とは先の掃除担当者だが、30代の男性住人は言う。
「ある時、日本人のおばさんが、中国人女性が階段で用を足しているところを見つけた。注意すると、こう言われたそうです。“トイレで流すのがもったいない”」
 聞いた人は二の句が継げなかったというが、
「日本に来ている中国人でキチンと礼儀を知っているのは少数派。多くの中国人は痰や唾を吐き捨てることを悪いとは思っていません。誰も見ていなければ、植え込みにだってウンチをするでしょう。それが中国式なのですから。そんな連中に注意しても無駄ですよ。うるさいと思えば、“日本語がわからない”と開き直ってしまいます。とくに集団になると仲間意識が働いて、ますます中国式にこだわるようになります」
 というのは、07年、中国から日本に帰化した評論家の石平氏。
 ここの中国人には、郷に入っては郷に従えという考えはないようである。実際、彼らは団地の自治会にも入ろうとしない。
「中国人で年間3000円の自治会費を払っているのは、800世帯のうち1世帯だけですよ。この人はIT関連会社のお偉いさんです。ああいう中国人ばかりだといいのですが、他の中国人は、“3000円払って何のメリットがあるのか”と平気で断ります」(瀬川会長)
 勝手といえば、騒音問題も深刻である。
「団地が古いということもあるけど、上に住む彼らの出す音には困っています。夕食を作るとき彼らは日本人と違ってまな板を中華包丁で叩くんです。それが響く。夜10時ごろにはダダダという足音もするんです」
 とは40代の男性住人だが、商店主はこう言う。
「彼らは夏になると、夜、大勢で公園に集まって大きな声で話すんです。日本人からすると、まるで喧嘩しているように聞える。勘違いされて、警察に通報されることがよくあります。去年だけでも12回パトカーが出動しました。警官は、“静かにしゃべろうね”と注意して帰っていくだけです」

 あまりのうるささにパトカーを呼ぶどころか、自ら中国人の部屋に乗り込んだ人もいる。
「夜中、窓を開けて仲間と騒いでいるので、“うるせえ! 静かにしろ!”と怒鳴り込んだことがあった。彼らは何も反論してこなかった。きっとうしろめたかったからだろうな。彼らは正当性があると思ったら、絶対に主張してくるからね」(70代男性)
 騒音について、20代後半の中国人住人に聞くと、
「“うるさい”といわれたことがあるけど、大目に見て欲しい。みんな電話もないような所からきていますから、自然と声が大きくなってしまうんですよ」
 とのことだが、話はまったくかみ合わない。相互理解にはほど遠い。
「中国人も猜疑心の塊ですよ。クリーニングに出した衣類を取りに来て、その場でチェックする人もいます。1時間も調べるので困り果てた、という話も聞きましたよ。灯油を運んでいけばいったで、全部容器に注いだか、と迫られるとも聞きます。日本に何年もいると、品物やサービスを疑う必要はないと分かるようです。反対に、自分たちの子供が日本に小さい頃から住んでいると、“温室育ち”になり、疑うことを知らなくなり、成長して中国に戻った時、騙されないか心配だ、という中国人の声をよく耳にしますよ」(商店関係者)
 夕方、中国人女性が買い物に出かける。アチコチで中国語が飛び交う。多数派のはずの日本人の影は何とも薄い。
「ここの日本人住人の多くは60代、70代の老人。ここで生まれた子供は出ていって古い団地には戻ってこない。独り暮らしの老人も多く、孤独死が去年だけでも10件以上ありました。寂しい限りです」(瀬川会長)
 日本人は減り続け、中国人は限りなく増殖する。
「公団住宅は戦後、住宅不足を解消するため税金を使って建設したものです。中国人の受け皿にしていいものでしょうか。本来の目的からかけ離れているようで、大いに疑問です」(商店主)
 との声はかなり強い。出現した“チャイナ団地”。様々なことをわれわれに問いかける。

週刊新潮2010年3月18日号
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特別読物 刑務所が「再犯罪者生産工場」と化している!  ノンフィクションライター 窪田順生

2010-03-20 23:34:19 | 週刊誌から
 強姦等を働く鬼畜は、性懲りもなく犯罪を繰り返す。ノンフィクションライターの窪田順生氏が、「再犯罪者生産工場」と化した刑務所の実態に警鐘を鳴らす。

 2015年春、52歳になった「彼」は刑務所を満期釈放され、約15年ぶりに娑婆の空気を吸う。
 手持ちの現金は、刑務作業で得た報奨金数万円のみ。唯一の家族である母親は88歳と高齢なうえ認知症で特別養護老人ホームにいる。高校卒業後、「引きこもり」として20年過ごし、そのまま塀の中へと堕ちた男には友人もいない。
 途方に暮れた「彼」はきっと、いや間違いなく私のもとを訪ねてくるだろう。だが、頼られたところで私にしてやれることはない。期待を裏切られた「彼」は自暴自棄となり、再び暗い夜道で、幼い少女にナイフを突きつける――。
 最近、こんな「悪夢」を見ることがある。
 最新の09年版「犯罪白書」によると、刑務所を満期出所した者が5年以内に再び刑務所に入る再入所率は55・1%。この数字にくわえて、私を不安にさせるのは「彼」からの手紙だ。服役している千葉刑務所を「ゲバ(暴力)刑務所」と呼び、その処遇への不満を綴るのはいつものことだが、今年に入って「再犯」を匂わすかのような内容を認め始めたのだ。
≪ゲバ刑より苛めに苛め続けられて居る此の私が、心ならずも社会へと憎悪の炎を燃やす悪人へと変身したと為ても何等不思議は無く、寧ろ其のストレスから狂人と成るより先に、恐しい悪人へと変質して仕舞うのでは無いかと、其の事に恐怖すら感じて居る毎日です≫(原文ママ、以下同)
「彼」の名は佐藤宣行。00年1月28日、新潟県三条市の小学4年生Aさん(発見当時19歳)を誘拐し、自分の部屋に9年2カ月にわたって閉じ込めていたことが発覚。世間を震撼させた「新潟少女監禁事件」の犯人として懲役14年を宣告され服役中のあの男だ。
≪若し、若しも、窪田様が御迷惑で無かったなら、此の天涯孤独な小生自身の心の友と成って戴きたく≫
 そんな手紙が佐藤から送られてきたのは約2年前。彼の生育環境を取材し、単行本としてまとめた拙著『14階段』を獄中で読み、私に≪大きな魅力を感じ≫たというのだ。以来、彼との「文通」が始まり、その数は現在、便箋で300枚超に達している。
 更正する手助けになればとの善意から私は彼の申し出を受けたが、すぐにその考えが甘かったことを痛感させられた。
 たとえば、Aさんを監禁していた当時、佐藤は同居する母親によく「使い走り」をさせていた。アイドル雑誌やCD、自動車のパンフレット……表紙が少しでも汚れていたら交換に走らせた。その母親の「代理」を私に求めている。大好きな元アイドルの西村知美、菊池桃子、そしてストリップ嬢となったタレントの小向美奈子らの写真、またフェラーリ、ポルシェ、レクサスなど高級車のパンフレットの写真を差し入れて欲しいと頼んでくるのだ。
≪激甚なるストレスを如何処理するのかが、私の精神状態を境界域に維持する鍵とも成って居ります(中略)最も其の治療効果を上げるのは、美しい写真等の品々を閲覧する事なので有ります≫
 馬鹿馬鹿しいと思われるだろうが、≪心の病≫を抱えていると訴える彼自身は真剣そのものだ。
 変わらない彼の「性癖」はそれだけではない。小向美奈子の写真を差し入れた後に面会すると、彼は必死の形相で私に懇願した。
「写真はパウチ(注・ラミネート加工、印刷物の表面にフィルムを貼ること)していただけましたでしょうか。申し訳ないですが、私はパウチじゃないと駄目なんです。なんとかお願いします」
 かつて彼が少女を閉じ込めた「監禁部屋」に足を踏み入れた私は、そこでビデオテープがビニールで梱包され、スポーツカーの写真がラミネート加工されているのを見た。彼は自らが「美しい」と思うものを保存することに強い執着を見せる。そんな「保存癖」が、下校途中に見かけた少女を、「かわいい、一緒にいたい」とナイフをちらつかせて誘拐し、一歩も部屋から外に出さず、トイレや風呂にも入らせないという彼の異常行動の遠因になった、と私は考えている。それが改善されぬまま、5年後、刑務所から送り出された彼はどのような道を歩むのか。

 無責任なことは言えないが、ひとつの「答え」が先の「55・1%」だろう。出所者の2人に1人は再び罪を犯す――。もはや刑務所が「再犯罪者生産工場」と化していることを如実に物語る数字だが、再犯防止の現状に詳しい諸澤英道・常磐大学大学院教授(被害者学)は、「真の再犯率」はもっと高いと指摘する。
「再犯率というと、犯罪者のその後を追跡調査し、再び逮捕された人がどれくらいの割合いるかというものを一般にはイメージするはずです。しかし、実際は入所してきた者のみを対象に過去5年以内に刑務所にいたことがあるかを遡って調べているだけ。たとえば、以前に執行猶予判決を受け、服役経験のない者などは対象外で、その人物が再犯に及んでも、率にはカウントされない。当然この調査では『真の犯罪率』より低い数字が出る。こんないい加減な統計を取っている先進国は日本だけでしょう」
 なんともお粗末な話だが、「犯罪者の更正」という点では、さらに首をかしげたくなる現実がある、と諸澤氏は訴える。
「たとえば現在、特別改善指導の一環として、76の刑務所で被害者視点での教育が行われています。具体的には遺族に手紙を書くといった取り組みがなされているのですが、ほとんど受刑者の『自分の気持ち』は書かれません。モデルになる模範文があって、教官が『これを読み、こんな感じでやってごらん』と書かせる。受刑者は教官からいい点数をもらいたくて、期待される作文を書く。日本の刑務所は減点主義なので、このような『建前』が横行してしまうのです」
 刑務所には、受刑者の処遇を4段階に分ける「累進処遇制度」が存在する。入所時が最も高く、刑務官の評価によりポイントが上がっていき、順次、生活面でも優遇される。最終的に仮釈放も早く受けられる。ゆえに、受刑者は刑務官の前だけでは従順に振舞うのだ。
 以前、少年院を含めて5つの矯正施設の出入所を繰り返した20代の男性に会ったことがある。常に模範囚だった彼は今、交際女性をメッタ刺しにして懲役8年の判決を受け服役している。面会をした時、彼はこんな「本音」を吐き捨てていた。
「ムショでは食器落としても教官の許可がないと拾えない。そんな馬鹿みたいなルールが更正になんか意味あるんでしょうかね」
 こうした「先生の前では優等生」の受刑者たちの実態を、佐藤も自らを棚に上げて手紙に綴っている。
≪反省している者等殆ど無いのが実態で有りまして『何で俺が無期なんだ。たった一人殺した丈じゃ無いか。其れに、たまたま相手の打ち所が悪かった丈じゃん。』とか、『俺が殺った訳じゃ無い。唯、運転手を為てた丈だ。其れで△□年は重過ぎる。』等とか本音を吐露して、人一人が亡く成った事実など、丸で関係無いかの様です。所が、そんな不心得者たちも、被害者供養の行事等が有ると、萎らしく神妙な面持ちで出席するのですから吃驚して仕舞います≫
 しかし、このように猫を被っているだけの受刑者はまだいい。より問題なのは模範囚を演じる裏で、犯罪者同士が互いを刺激し、新たな犯罪が「再生産」されていることだろう。
 02年8月、マブチモーター社長宅に押し入って夫人と娘を殺害し、そのうえ火を放って死刑判決を受けた小田島鉄男(59=事件当時=、以下同)と守田克実(51)。彼らは刑務所で企業情報誌を見て、「東京近郊の企業を狙おう」と話し合っていた。この手の話はよく耳にするが、現に佐藤にも、≪出所したら俺と組んで強盗を遣らないか≫≪一緒にシャブを遣ろうぜ≫などの誘いがあった。
 もちろん、心から罪を悔いて日々を送っている受刑者も大勢いる。そして、刑務官たちのまさに命懸けの指導で、心を入れ替える受刑者も少なくはない。しかし、「2人に1人」という高い「リピーター」率が示すように、もはや現行の「刑務所」というシステムが破綻をきたしているのもまた紛れもない事実なのだ。
「結局、刑務所ではなにもできない。ある期間だけ閉じ込めておき、改善していないまま社会に出すしかないのが現実」(前出・諸澤氏)

 その現実が最悪の形で突きつけられたのが、昨年10月22日、千葉県松戸市で一人暮らしの女子大生・荻野友花里さん(21)が殺害されたうえ、全裸で焼かれた残忍きわまりない事件だ。
 犯人は竪山辰美(48)。その7年半前、やはり一人暮らしの看護師(22)宅に押し入って、ストッキングで首を縛り暴行し、現金などを奪って服役、昨年9月初旬に北海道の刑務所を出所したばかりの男だった。
 娑婆に戻っておとなしくしていたのはわずか1カ月。竪山は千葉県内の民家に押し入り、女性相手に包丁で脅して金品を奪い、さらにレイプしようとするなど、荻野さん殺害前後に計4件、同様に強盗等の事件を繰り返している。20代と30代の頃にも、それぞれ強盗や女性への傷害を働いていた過去が明らかになっている。
 出所直後に犯行に及んだ理由を竪山はこう述べた。
「冷たい世間に放り出された。仕事も金もない」
 甘ったれるなと怒りがこみ上げるが、出所者の多くが似たような言葉を吐き、再び罪を犯すのだ。
 ならば、「再犯罪者生産工場」と化した刑務所に再犯を食い止める能力を期待できない以上、「出所してから」に力を注ぐべきである。だが、それも甚だ心もとない状況にある。
「これまで再犯防止は民間の篤志家に頼りきりでしたが、限界にきています。かつて数万人といわれた出所者を受け入れる協力雇用主は現在、7700人に減少。しかも、昨年この雇用主のもとで400人の出所者が世話になったものの、そのうち3分の2が仕事を投げ出したと聞きました。また、地域で出所者を支援する保護司の平均年齢は63・2歳(09年現在)。若い人が手を挙げないので、引退を引き止めて留まってもらうケースもあります」(前出・諸澤氏)
「再犯罪者生産工場」のツケを押し付けられてきた社会の「善意」も崩壊しつつあるのだ。
 工場が煙突や排水溝になんらかのフィルターをして外部に有害物質が漏れぬようにするのは社会の常識だ。刑務所という「再犯罪者生産工場」だけが、その出口になんの配慮もせず、「悪」を垂れ流していいという道理はない。
「第二・第三の竪山」の出現を食い止めるには、どうすればいいのか。たとえば、「懲役10年、更生保護施設3年」といった社会復帰を見据えた刑の執行ができるような法改正も一案だろう。
 このまま改善案が講じられなければ「悪夢」は現実のものとなりかねないのだ。「工場」で社会への逆恨みを募らせただけの佐藤が「あなた」の街の少女を狙い、自由に徘徊するかもしれない。懐にナイフを忍ばせつつ――。

週刊新潮2010年3月18日号
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新聞は絶対書かない「新聞奨学生」残酷物語

2010-03-20 23:32:37 | 週刊誌から
“給与の額は10万700円なのに、ある月の実際の支払額は2万217円!”
“「クレームがあった」「PR不足」「バイクの貸与」などの理由でどんどん天引きされたからです!”
 3月7日、新宿・歌舞伎町で行われたイベント<新聞が絶対に書けない貧困ビジネス―新聞奨学生制度の実態と「売るヤクザ」からの脱出大作戦!―>では、「新聞奨学生」の知られざる実態が暴露された。
 同制度は、大学生などが、販売店で配達業務等に従事する替わりに、返済不要の奨学金を受けて進学をサポートしてもらうシステム。『読売』『朝日』など各新聞の奨学会や育英会等が運営をしている。仕事に応じた給与の支給や、宿舎の無料提供などがウリで“苦学生”の言わば“命綱”。現在も約7000人が利用していると見られている。
 ところが、である。参加した現・元奨学生、組合関係者などが明らかにした「残酷物語」の一端を、冒頭に続いて紹介すると――。
“かつて読売の新聞奨学生が過労死したことがありました。遺された財布には領収書が入っていた。新聞代の集金も行い、未収分は立て替えていたのでしょう”
“奨学生が女性なのに、部屋には外からしか鍵が掛けられなかった。財布や下着を盗まれても店は何の処置もしてくれませんでした”
“ここ数年、中国などの留学生の奨学生が増えました。彼らは、斡旋したブローカーにも月2万円程、給与を天引きされているのです”
 パネリストの一人、ジャーナリストの黒藪哲哉氏は、
「新聞の発行本社が“押し紙”などで販売店の経営を悪化させている。その皺寄せが、学費の支給を受けている関係上、弱い立場にあり、辞めるのも困難な奨学生に向かっているのです」
 イベントと同じ3月7日、帝国ホテルでは、『朝日』奨学生の卒業記念祝賀パーティーが行われていたという。翌8日、同紙朝刊・東京版はそれを報じた。だが、歌舞伎町でのイベントを字にした新聞は、“貧困問題大好き”の『朝日』を含めて、一紙も存在しなかった――。

週刊新潮2010年3月18日号
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京都府警の元警部補だった亀岡「押し入り放火犯」

2010-03-15 20:03:06 | 週刊誌から
「ドーン」
 2月26日金曜日午後8時前。耳をつんざくような大きな音が響いた。
 木造モルタル2階建ての天井や窓から炎が噴き出し、火事を知らせる近隣住民の怒号が飛び交い――。
 京都市の西隣に位置する亀岡市。市の北東には丹波の山々を望む田園が広がる。
 その長閑な風景からほど近い住宅地の一角で、民家がほぼ全焼、放火した男がその場に居残り焼死するという事件は起こった。
「現場は有名な呉服店。ご主人の西村正人さん(59)と、妻の豊子さん(59)は自力で逃げるも、夫は全身の9割近くを大火傷、妻も顔や喉、下半身に火傷を負い、いずれも重体。長男夫婦と孫2人の6人暮らしで、長男は当日不在でしたが3人は無事でした。火は2時間ほどで収まっています」(社会部記者)
 近隣の男性によれば、
「西村家は古くからの地主さん。その昔は牛も飼っていました。9年前に亡くなった西村さんのお父さんは市議会議員で副議長まで務め、従六位勲五等瑞宝章を受章しているんですよ」
 いわば地元の名士である。保護司でもあった西村さんの一家を襲った男は、
「豊子さんの妹と結婚、婿に入っていた京都府警の元警部補、酒井正夫(63)です。4年ほど前に離婚していますが」(先の記者)
 元警部補がレンタカーの軽ワゴンで乗りつけ西村さんと口論。油を浴びせた上で1階に撒き、自らも被って火をつけた。
 酸鼻を極めるこの事件、どんな背景があったのか。

「覚悟の上の“焼身自殺”だったと思う」
 こう語るのは捜査関係者。
「住んでいた宇治市内のアパートの荷物を処分し契約も解除、直後に乗り込んでいる。動機は、直接的には豊子さんの妹とその実家相手の金銭トラブルと見ている。西村さんが仲裁をしていたので揉めたのだろう」
 奇怪なことに、放火直前、離婚関連資料を西村さん宅に送りつけてもいる。
 いずれにせよ、今後は殺人未遂と現住建造物放火で書類送検の見通しだが、
「あまりに自分勝手」
 と、豊子さんの知人女性が慷慨する。
「彼女は酒井に悩まされ続けていたのです。酒井は妹さんとは10年ほど前から別居状態だったのに5、6年前に実家のお父さんが亡くなると、“自分にも財産分与をしろ”と迫り、実家や義兄の西村さんの地銀の口座を調べて突きつけてきた。で、いざ離婚成立となると、今度は慰謝料などで揉めていたそうです。宇治市に近い久御山町出身の酒井は兄弟も警察官なのに……」
 そんな酒井は01年3月に自己都合で退職。大過なく警察官人生を終えたようだが、こんな“手柄”も。
<警官に飛びげり 公務執行妨害で男を現行犯逮捕>(毎日新聞00年9月9日付)
 酔ったホストが店の客が取り締まられたことに腹を立てたトラブルである。
<駐車違反を取り締まっていた松原署の交通巡視員が7、8人の男に囲まれた。応援要請を受けた同署の酒井正夫警部補()ら5、6人が駆け付けると、男が立ちふさがった。酒井警部補がよけて前に進むと、後ろから首に飛びげりを加えたため、男を公務執行妨害で現行犯逮捕した。酒井警部補にけがはなかった>
 当時、この実名入り記事を同僚にからかわれた彼は、照れて俯いたという。
 9年半後、黒焦げになったこの男の名は、犯罪者として新聞に載った。

週刊新潮2010年3月11日号
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まさる&りえこの週間鳥頭ニュース vol.042 今週の御題…確定申告

2010-03-15 20:02:03 | 週刊誌から
佐藤 優(作家・元外務省主任分析官)
西原理恵子(漫画家)

泥棒が金を盗ってやるから働いて稼いだ分持ってこいって言ってるよー
人はそれを確定申告と言う
しかも盗みに行くのがめんどくさいからインターネットで盗んで下さいと申し込めと言ってるよ
人はそれをe-Taxと言う
税務署員は全員「沈まぬ太陽」を読んで、どんなちんカス野郎に金を撒いているかレポート提出。
逆マネロン きれいな金を汚い奴にやる。
戦争に勝ち負けはない。あるのはどっちがえげつないか。
戦場カメラマン鴨ちゃんの言葉
その最たるのが国で国家の正体は人殺しで泥棒だ。
守るのは家族と仕事だけ。国家に払うのはわずかな賄賂のみ。何度も国家に裏切られた華僑の生き方が僕は一番正しいと思う。
だから地下銀行に金を流していこうよ
めざせ日僑
今週のぼやき
ダライラマ14世が下町の気のいいおっちゃんにしか見えない。現在、全世界で最も見た目威厳のない最高権力者だと思う。
生き仏なのにー寿司屋の大将とかぴったり

 外交官時代に筆者は、『世界』(岩波書店)にコラムを連載していた。原稿料は月3万円だった。あるとき支払調書という書類が送られてきたので、岩波の編集者に尋ねると「確定申告のときに必要な書類です」と言われた。いままで税務署との御縁がまったくなかったので、「そのなんとか申告というのは、しないとまずいんですか」と尋ねたら、岩波の編集者から「年三十数万円だったら、税務署が追いかけてくることはないと思いますが、佐藤さんは公務員ですから、周囲から足を引っぱられることがないようにきちんと申告しておいたほうがいいと思います」と言われた。
 そこで毎年、麻布税務署で確定申告し、税金を払った。所得が変化すると住民税も追徴されるということを知った。
 2002年、鈴木宗男疑惑で逮捕、拘留され、東京拘置所の取調室で、検察官から「君は『世界』に連載しているね。原稿料をもらっているんだろう。確定申告はしているか」と問いつめられた。筆者は「していますよ。国民の義務ですから」と答えた。後で、検察官から、「原稿料の確定申告をしない公務員が多いから、そこからあなたを攻めることができると思っていたんだが、ダメだった。そういう手続き的なことでケチがつけられないようにしているから、あなたは面倒だ」と言われた。「鬼の特捜」(東京地方検察庁捜査部)に狙われる可能性が少しでもある人には、きちんと確定申告することをお勧めする。

週刊新潮2010年3月11日号
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【衝撃事件の核心】病院は死ぬところ…崩壊した「医のモラル」 山本病院事件の真相

2010-03-14 07:48:59 | 新聞から
 専門医が「あり得ない」と口をそろえるずさんな手術の準備や態勢。腫瘍を探し、「これちゃうかな」とつぶやきながら肝臓を切り続けた執刀ぶり。死亡診断書の偽造…。法人理事長で医師の山本文夫被告(52)が業務上過失致死容疑で逮捕、起訴された奈良県大和郡山市の医療法人雄山会「山本病院」(廃止)の男性患者死亡事件では、思わず耳を疑うような手術の状況が奈良県警の捜査で明らかになりつつある。先立って摘発された診療報酬詐取事件でも、偽りまみれの診療実態が判明した山本病院。2つの事件で、「医のモラル」のかけらも感じられない病院の姿が浮かび上がった。(永原慎吾、藤井沙織)

  ■ずさんな手術
 患者死亡事件の起訴状によると、山本被告と山本病院の元勤務医=当時(54)、業務上過失致死容疑で逮捕され勾留中に死亡=は、男性入院患者=当時(51)=の肝臓の腫瘍が、切除手術の必要のない肝血管腫だったと容易に判別できたのにがんと誤診。平成18年6月、ともに肝臓手術の経験や知識がなく、専門医や麻酔医もいない不十分な態勢だったのに手術を行い、肝静脈を損傷させて男性を失血死させたとしている。
 奈良地検や奈良県警は、男性の腫瘍は肝静脈の近くにあったため切除は難しく、麻酔医が血圧や脈拍を管理しながら、肝臓外科の専門医が執刀し、大量出血にすばやく対応するための医師も必要だったとみている。しかし、手術室に入った医師は、山本被告と元勤務医の2人だけだった。
 しかも肝臓専門医によると、血管が無数に集まる肝臓は出血しやすいため、他の消化器と比べると難易度は高い。他の消化器の切除と、肝切除の助手をそれぞれ数十~50例経験したうえで、熟練医の立ち会い指導のもとで初めて執刀するのが通常。山本被告と元勤務医という執刀経験のない2人だけで手術するのは「あり得ない」という。
 山本被告は手術にあたり、専用の糸で血管をしばり、出血を最小限にとどめる「結紮」という措置も取っていなかったとされる。「結紮をしない執刀はあり得ず、非常識すぎる。大量出血したのも当たり前」(医療関係者)。
 さらに仰天させられるのは、執刀ぶりだ。男性の肝臓の腫瘍は1個だけだったのに、山本被告は「これちゃうかな」「(腫瘍と)ちょっと違うな」とつぶやきながら、1センチ程度の肝臓片の切除を“試行錯誤”。結果的に肝静脈を損傷させて大量出血させたとされる。
 その後、山本被告は「飲みに行く」と言って病院から姿を消し、男性が重篤になったため看護師が携帯電話に何度も電話しても出ることはなく、戻ってきたのは男性の死後。
 また、失血死した男性の死亡診断書には、死因が「心筋梗塞」と記されており、元勤務医は県警の調べに、山本被告からの指示で記入したと話したとされる。

 ■疑惑の診断
 山本被告らはなぜ、無謀とも思える手術をしたのだろう。
 県警は、病院に残されていた男性の肝臓のCT(コンピューター断層撮影)画像の鑑定から、腫瘍は良性の肝血管腫だったと断定。肝臓専門医だけでなく、鑑定を依頼した専門外の開業医も全員が肝血管腫と診断したうえ、がんとの判別は「容易で、医学部生でも可能」との証言も入手。山本被告らが肝血管腫と知りながらがんと虚偽診断し、不要な手術を強行した可能性が高いとみて、傷害致死容疑で元勤務医宅などの捜索に踏み切った。
 しかし、山本被告は任意の事情聴取を拒否し、逮捕後も完全否認。逮捕前に「(山本被告から)『肝臓はもうかる。検査してがんにしといて手術したらいい』といわれた」と供述していた元勤務医は、勾留中に死亡。「虚偽診断」の立証はできず、業務上過失致死罪での立件となった。
 死亡した男性の当時の日記には、「手術は嫌だ。薬でお願いしたい」という男性を、「小さながんだから、手術すれば問題ない」「手術は大丈夫。信用してくれ」と押し切った山本被告らの言葉が書かれていた。

 ■エリートからの転落
 山本被告は、心臓外科の名門で、繰り返しテレビドラマ化されてきた小説「白い巨塔」のモデルになった大阪大医学部付属病院旧第1外科にも所属。外科医としてはエリートのはずだった。
 「やまぶん」というあだ名で呼ばれていた山本被告は当時から、ことあるごとに「金、金」と口にし、同級生の男性医師は「とにかく金への執着心が強く、自信家だった。やぼったい、Tシャツにサンダルのような装いで登校しており、友人や恋人がいたという話も聞いたことがない」と振り返る。
 山本被告は旧第1外科の呼吸器外科に所属していたが、助教授や講師との折あいが悪く、教室で大げんかしたことがあり、「そのころから、大学ではあまり見かけなくなった」(男性医師)という。大阪市内の病院などを転々とした後、平成11年、山本病院を開設。専門として掲げたのは、旧第1外科では短期間の研修を行っただけだった心臓外科だった。

 ■貧困ビジネス
 診療報酬詐取事件の検察側冒頭陳述などによると、17年8月ごろ、山本被告は対立していた当時の病院の実質経営者から経営権を取り戻したのに伴い、数億円を借金。このころに目をつけたのが、全額公費負担で“取りはぐれ”のない生活保護受給患者の診療報酬。必要のない心臓カテーテル手術を実施したり、実施したように偽装したりして診療報酬をだまし取る手口を、病院事務長(詐欺罪で有罪確定)らに指示したとされる。
 詐取事件を受けて設置された奈良県の「調査・再発防止検討委員会」の調査では、17~18年に山本病院で心臓カテーテル手術を複数回受けた11人の生活保護受給者のカルテや看護記録には、症状の記載がないにもかかわらず、全員の診療計画書に手術の適応症である「狭心症」の病名が加えられていた。
 また、冠動脈造影検査の画像には、人為的に血管の狭窄を作り上げていたことも確認され、「(心臓に運動時のような負荷をかける)ドブタミンを患者に注射し、心電図異常を偽造していた」という看護師の証言もあった。
 また奈良県の平成20、21年の調査では、山本病院の入院患者の5~6割は生活保護受給者で占められ、その半数が大阪市など県外の受給者。大阪府内などの病院と紹介し合い、積極的に生活保護受給者を受け入れていたことが分かっている。
 肝臓手術で死亡した男性も生活保護受給者で、大阪市内の病院から山本病院に転院していた。

 ■「病院は死ぬところ」
 山本被告は診療報酬約830万円をだまし取った詐欺の罪で、1審の奈良地裁で今年1月13日、懲役2年6月の実刑判決を受けた(控訴中)。捜査関係者によると、「830万円は立件は可能だった金額で、氷山の一角」という。
 判決後の1月18日に保釈された山本被告が患者死亡事件で逮捕されたのは2月6日。奈良県警や奈良地検の取り調べに対して、業務上過失致死の容疑に対して「そんなことはなかった」と否認したうえで、ぽつりとつぶやいたという。
 「病院は人が死ぬところ。死んでしまった患者も、そのような患者を診察した自分も運が悪かった」


産経新聞 2010年03月13日10時52分
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[特集]「貧困患者」を手慰み手術で冥土に運んだ奈良・山本病院「猟奇ドクター」

2010-03-07 22:08:52 | 週刊誌から
 松本清張の小説「わるいやつら」では、病院の赤字を埋めるために「女」が使われる。その役を「貧困患者」に負わせ、ついには手慰みの手術で死亡させたのが、奈良・「山本病院」元理事長の山本文夫(52)である。エリート医師が「猟奇ドクター」に堕ちた、その軌跡。

 山本病院は奈良県の北部、大和郡山市にある。いや、すでに廃院となっているから、あった、というべきか。今では完全に人の出入りが途絶えたその病院は、田園風景の中にぽつんと取り残されたように建っている。
 全80床のこの総合病院には他とは違う大きな特徴があった。在院患者に占める生活保護受給者の割合だ。県の調査では、08年度、その割合は54%にも上った。そのせいか、地域に根ざした医療を目指す、と標榜しながらも、実態はそれとはかけ離れていたようだ。
「前からあの病院には地元の人間は寄り付かへん。ちょっと普通の病院とちゃうな、と見られとったんや」
 こう囁くのは、地元のタクシー運転手である。
「“カバン1つで入院したんや”というような、ドヤにいそうなオッサンが多い。駅前のコンビニに行くという入院患者を乗せたときには、“入院している仲間の分も”と言って缶ビールやワンカップの酒を大量に買い込んどったな」
 そして、その男性患者(51)=当時=もやはり、生活保護受給者であった。2月6日、山本病院理事長の山本文夫と、医師の塚本泰彦(54)が業務上過失致死容疑で奈良県警に逮捕された事件の被害者である。
 男性患者に対する肝臓腫瘍摘出手術が開始されたのは、06年6月16日午前10時過ぎのこと。執刀する山本と塚本を看護師2人が介助する、という態勢だ。
「本当に大丈夫ですか?」
 手術前、看護師の1人が山本に尋ねたのにはワケがある。執刀者の山本と塚本はそれまで肝臓手術を一度も行なったことがなかったが、患者の腫瘍は肝静脈に近接する肝臓の背部にあり、手術には高度な専門性が求められる。しかも、大量出血の危険性を伴うにもかかわらず、輸血用血液も準備せずに執刀しようとしているのである。不安にならないほうがおかしいというものだ。しかし山本は、
「大丈夫や。できるわ」
 と、根拠のない自信を口にしてから、患者の胸部を縦横約15㌢ずつ開き、十分な止血を行なわないまま手術を始めたのだ。案の定というべきか、看護師の不安は見事に適中した。
「これちゃうかな」
「ちょっとちゃうな……」
 そんなことを呟きながら複数の肝臓片を切除していく中で、肝静脈を損傷。手術開始から約3時間が経過した午後1時半頃、患者は大量出血で心肺停止状態に陥った。約2時間後に患者が死亡するまで、塚本と看護師2人は必死に蘇生術を施したが、その場に山本はいなかった。大量出血後、あろうことか、
「酒を飲みに行く」
 と言い残して手術室を後にしていたのである。
「山本は“これはガンや”と決め付けて手術に踏み切りましたが、実は、被害者の腫瘍は良性でした。つまり、山本は実施する必要のない手術を行なって患者を死亡させてしまったのです。手術を行なえば診療報酬が約100万円下りる。それが、不必要な手術をした理由だと見られています」
 とは、捜査関係者。
「今回の事件は通常の医療ミスなどとは性格を異にしたものです。実際、当初は傷害致死での立件を目指して捜査を続けていました。しかしそのためには、手術が“治療行為ではなかった”ことを立証しなければならず、相当ハードルが高い。結局、泣く泣くそれを断念し、業務上過失致死での立件となったわけです」
 県警は男性患者の死亡直後から内偵を行なっていたというから、実に3年半がかりの捜査である。内偵捜査を続ける中で浮き彫りとなったもの。それは、診療報酬の不正請求が常態化した異常きわまる病院運営だった。しかも、それは生活保護を受ける「貧困患者」の犠牲の上に成り立っていた。
 男性患者の死亡事件を最終ターゲットと定めた県警がまずメスを入れたのは、こうした病院の異常な実態である。診療報酬を不正受給したとの詐欺容疑で、山本などが逮捕されたのは、昨年7月。山本はこの事件で今年1月に懲役2年6カ月の実刑判決を下され、控訴。今回、再度逮捕された歳は、保釈中の身であった。

「生活保護受給者の医療費は全額公費で賄われ、カネの取りっぱぐれがない。そうした理由から、山本は生活保護受給者を集めてきて入院させていたのですが」
 と、先の捜査関係者。
「その上、患者に対して必要のない心臓カテーテル手術(心カテ)を次々と実施。心カテでは、血管内にステントと呼ばれる筒状の器具を留置する方法が一般的ですが、山本はそれを留置していない場合も留置したように装って診療報酬を請求していた。その行為を“なんちゃってステント”と呼称していたというのだからふざけた話です。不正受給額は約830万円ですが、これが氷山の一角であることは言うまでもない」
 生活保護、不必要な手術、診療報酬。男性患者が冥土に送られたケースと構図は同じ。死亡事件は、腐り切った病院の日常の中で、起こるべくして起こったのだ。
 山本病院が設立されたのは、99年のこと。設立から7年間は院長、07年からは理事長として病院運営を取り仕切ってきた山本は愛媛県の出身。兵庫県立御影高校で学んだ後、一浪して大阪大学医学部に進んだ。卒業後、呼吸器外科を専門とする山本が半年間勤務したのは、同大付属病院の旧第一外科。山崎豊子氏の小説『白い巨塔』のモデルになったことでも知られる由緒ある医局だ。当時の山本を知る第一外科の関係者は、
「阪大第一外科の出身者で山本のような医師が出たのはおそらく初めてでしょう。当時から指導教官は“第一外科は世間に出して恥ずかしい医者は作らない”と言ってました」
 と、嘆息する。が、当時すでに山本は、後に顕わにする本性の片鱗を垣間見せていたようである。
「医局では、患者さんが回ってくると皆で合議して受け持ちを決めていました。意欲のある人間ほど率先して手を上げ、経験を積もうとするのですが、山本は決して重症の患者さんは取らなかった。憶えているのは、彼が“しんどい目ぇせんと、楽して稼ぎたいわ”と漏らしていたことです」(同)
 第一外科を出た後、近畿、四国地方の病院を転々とした山本は96年、専門外の眼科病院を開業する。が、
「近視治療のレーシック手術でトラブルが多発。山本が受け持った患者の中には両目を失明寸前にさせられた人もいたそうです」(在阪の医療関係者)
 こうした事情により、ほどなくして廃業。その後、廃院になった奈良の病院施設を共同経営者と共に約6億円で購入。山本病院を開設するに至るのだ。

 山本病院の関係者が語る。
「あの病院は明らかに何かが狂っていた。生活保護の患者さんが集まっていることは有名でしたが、あの病院には行き倒れや生活保護受給者を各地で集めることだけを仕事にしている事務員が常時1人いた。そして、入院して1カ月が経過すると診療報酬の点数が下がるので、病院前に放り出したり、最寄の駅前に置き去りにするのです」
 わざわざ生活保護受給者を募るのも、不必要な心臓カテーテル手術を施すのもカネのため。病院開設時に数億円の借金を抱えたという事情もある。が、この病院関係者は、
「こと“心カテ”に関しては、必ずしもカネのためだけというわけではなかったと思います」
 と、こう明かす。
「山本の心カテに対する執着は異常でした。いつも付き添っていた看護師によると、普段はボケーッとしている山本が心カテのときだけは本当に嬉しそうな顔をして、何かに取り憑かれたかのように目を輝かせていたそうです。確かに心カテは、目的の血管にススッと入ると非常に達成感がある。あの感覚が忘れられない、といった、いわば猟奇的な欲望を満たす手段であったと思われるのです」
 手術回数の多さだけで山本病院は数年前、「週刊朝日」の「いい病院・心臓病編」という記事で紹介されたことがある。山本はそれがよほど嬉しかったらしく、記事のコピーを病院の待合室に貼ったり患者に配ったりしていたという。
「山本の餌食になって心カテをやられた患者さんの中には悲惨な例がたくさんあります。例えば、止血作業に失敗して大出血トラブルになったことがあった。血が天井に向かって2㍍くらい噴出してね。でも山本はカテを通して悦に入るだけでそういう後処置には全くタッチしない。他にも、麻酔を強くかけすぎて昏睡状態となり、そのまま亡くなった患者さんもいます」
 そう述懐するのは、例の病院関係者。
「血管が石化してしまっていてカテが先に進めないにもかかわらず、山本が熱中し過ぎて無理やりぐいぐい押し込み、その結果、血管を突き破って心臓に穴があき、患者さんが死亡してしまったこともあるそうです。そうした無謀な手術が原因で死んでしまった患者さんが、少なくとも数人以上はいるといいます」
 まさに狂気の沙汰だが、患者のほとんどは生活保護受給者。心筋梗塞などで死んだことにされ、閉鎖的な病院の中で真実は闇に葬られていった。
 この病院関係者によると、山本が医療について真面目に語る姿は一度として見たことがないという。口をついて出てくるのは、風俗、女、酒など下世話な話題ばかり。病院の近くに構えた豪奢な自宅の敷地内には、ここ数年で購入したハーレーダビッドソンやBMWといった高級大型バイク、新型のフェアレディZやGT-Rなど高級国産車が常時停められていた。
「山本さんの家では、夕方になると、ブォーン、ズボボボボ……とエンジン音が鳴り響く。酒を飲みながらその音を聞き、バイクや車を観賞するのを楽しみにしていたようです。酔っ払った山本さんが倒れたバイクの下敷きになり、“助けてくれ~”と叫んでいたこともありました」(近所の住人)
 患者の犠牲の上に築かれた狂気じみた生活。にもかかわらず昨年、診療報酬詐欺事件の公判で山本側は、
「事件の影響で妻と離婚し、子供も妻のもとへ引き取られ、自宅を失い、病院も閉鎖された。すでに相当の社会的制裁も受けている」
 と、主張したというのだから呆れるほかあるまい。
 さらに今回、業務上過失致死容疑で再び逮捕された山本は、こう嘯いたという。
「病院は死ぬところ。患者も僕も運が悪かった」
 ――<彼は、自分が悪いことをしたとは思っていなかった。ただ、たいへんな損をしたという思いだけだった>(松本清張『わるいやつら』より)

週刊新潮2010年3月4日号
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水の透視画法 49 くぐつとグンタイアリー-15年なにが変わったか 辺見庸

2010-03-07 21:53:08 | 新聞から
 前を歩いていた身なりのよい男が、ゆっくりと輪郭をくずし床にへたりこんだ。けっしてバタリと倒れたのではない。そのように想像しがちだが、バターの棒でもとけるように躰がくずれはじめ、一定の時間をかけてクニャクニャとへたって尻もちをついたのである。叫び声はなかった。音声をオフにしてスローモーション・フィルムを見ている気がした。これも新聞やテレビの報道からは想像しがたいけれども、私が目撃した被害者の顔には微苦笑みたいなあいまいな笑みがうかんでいた。だが、ほんとうは笑いなんかであるわけではなく、神経がやられ筋肉がゆるんでしまったため、いってみれば“なごやかな苦悶”の表情なのだった。その男のうしろを歩いていた若い女性も、のどをおさえて無言でヘナヘナとかがみこんだ。ひどい二日酔いだった私は、意味をはかりかねてなんどもまばたきした。光景にたぐられるように古い日本語が胸にうかんだ。この国の闇の濃さにもかかわる気味のわるいひびきである。くぐつ。

 眼前でおきたことを、通常の遠近法で説明するのはむつかしい。月曜朝のラッシュアワーだった。絶対多数の通勤者群はグンタイアリよろしくわき目もふらず改札口をめざして殺到していたのだ。つまり、視認可能な前景はグンタイアリ一色である。しかし、注目すべきはその背後にあった。であれば、後景の立体を前景のそれより大きく細密にえがいたりする東洋画の逆遠近法をもちいるほうが情景は説明しやすい。グンタイアリの奥には、床に足をだらりとなげだし、背中を壁にあずけた男女が横一列に五人ほどへたばっていたのだ。笑顔にも見える表情とうらはらに、よだれを流したり吐いたりしていた。この段階ではまだパトカーのサイレンも泣き声も怒声もない。一方、勢いよく改札口をめざす通勤者群はじつに一途で器用でもあった。投げ出された幾本もの脚をひょいひょいと跳びこえ、けっして立ちどまろうとはしなかったのだから。グンタイアリの行進は、あれだけの事件なのに、とどこおるということがなかった。

 くぐつという言葉がうかんだのは、神経ガスを吸ってへたりこんだ人びとの姿に、あやつり糸の切れた人形を連想したからだが、それだけではない。うち倒れた人を助けるのではなく、躰をまたいでまで一心に職場へと急ぐ通勤者らも、まだ糸の切れていないくぐつのように私には見えたのだ。くぐつは傀儡と書く。「傀」は怪しいもの、「儡」は人形をさす。なんとも恐ろしい字ではないか。もともとは音曲にあわせて舞わすあやつり人形であり、転じて、陰にいるものにおもいどおりに操作され、利用されている人びとや政権をさすようになった。一体一体のくぐつは、くぐつ師にあやつられているかぎりにおいては生き生きと芸をこなし、忠実このうえない。しかしくぐつ師のいないくぐつには、いかなる主体的意思も魂もなく、くその役にもたたない、でくにすぎない。くぐつ師にたくみにあやつられてこそ、くぐつの幸せはある。もうろうとした頭でしきりにそうおもったのは、長くつとめた会社をそろそろ辞めたくなっていたからであった。

 一九九五年三月二十日早朝、地下鉄日比谷線神谷町駅の現場には、まだ正式事件名が冠されてはいなかった。おどろおどろしい命名の瞬間まで、人びとは日常のイナーシア(慣性)にしばられる。ごくごく少数の「個」ある人格をのぞき、思考もふるまいも日々の集団的イナーシアを脱することができないのだ。神経ガス被害者の一人を右肩でささえ地価構内からやっとのことで地上にでた私は、警察の黄色い規制線の外側に、ふたたび群れなすアリを見た。テレビと新聞の記者たちである。開いた口がふさがらなかった。マスコミ・グンタイアリたちはわいわい勢いづき、まだ駅構内に入りもせず現場をろくに見てもいないのに、「パニック」だの「衝撃」だの「恐怖」だのとわけしり顔で報じていたのだから。しかして、私の視圏にあったグンタイアリはただの一匹としてサリン被害者を自社報道車両にのせて病院に運ぼうとはしていなかった。救急車が足りず被害者が多数地べたに横たわっていたのだが。
 せんだって地下鉄が神谷町駅を通りすぎたときに、暗がりで突如のどになにかを詰められたような恐怖におそわれた。事件のフラッシュバックではない。脳裏に明滅する光のなかで、あることにおもいあたったのだ。無差別サリン・テロにくわわった青年たちも、じつは、くぐつでありグンタイアリだった。さて、大本のくぐつ師の正体は明かされたのか。グンタイアリはいまむしろ増えている。(作家)

共同通信社 2010年3月5日
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