超芸術と摩損

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聖カタリナ学園高野球部暴行問題 夢と引き換え「人権侵害」 加害元部員も被害 閉鎖環境 弁護士指摘

2023-12-31 03:22:58 | 新聞から
 聖カタリナ学園高校(松山市)の野球部寮で集団暴行が相次いで発覚し、被害者と加害者双方の元部員がそれぞれ学校法人などを訴える異例の事態となっている。2022年5月の集団暴行の加害者として自主退学を余儀なくされた元1年生部員7人の代理人弁護士と保護者の1人は「学校は暴力がまん延する事態を把握しながら、誠実に向き合わなかった」と批判。弁護士は問題の背景に、甲子園という夢を追いかける若者が閉鎖的で特殊な環境にいたことがあるとし、ジャニーズ事務所の性加害や宝塚歌劇団の俳優急死との共通点を指摘する。(戸田丘人)

 聖カタリナ学園高校野球部寮の暴行問題 2022年5月に寮則違反した1年生を1、2年生が集団暴行し、学校側は6月に9人を退学勧告処分とし、第三者委員会を設置。同年11月にいじめ防止対策推進法の「重大事態」として県に報告し、ほかにも21年11月にも1、2年生4人から1年生に対する別の集団暴行があったと明らかにした。9人から暴行を受けた元生徒は22年12月、適切な対応を取らず安全配慮義務を怠ったとして学校法人や指導者らを相手に損害賠償を求め松山地裁に提訴した。今年7月には、加害者側の元生徒7人も調査や処分内容に問題があるとして学校法人を提訴。10月には別の1年生も2年生から22年5月に暴行や嫌がらせを受けていたことが発覚し、保護者が「学校側が内容や経緯を矮小(わいしょう)化した」と法的処分を検討する意向を明らかにした。

 代理人の弁護士は、22年5月の集団暴行で加害者とされた元1年生部員のうち6人も日常的に上級生から暴行を受け、別の元1年生部員も一緒に耐えていたとし「暴力を容認し正当化せざるをえない環境に、より苦しめられていた」と心情を察する。
 訴状などによると、7人は入部間もなくトップチームに入るなどし、上級生と親しくなった。当初は軽くこづかれる程度だったが、暴行は次第にエスカレート。目撃したほかの部員やわが子の体のあざに気付いた保護者も「甲子園のため」と口外しなかったとされる。
 高校野球では、部員が違法行為などをした際、日本学生野球協会から出場停止などの処分が下されるケースがある。21、22年の集団暴行などを調査した学校第三者委員会は報告で、部内ではこうした連帯責任を回避しようと「ルール違反させないため、また外部に発覚しないよう口止めするため暴行を加えることもあった」と認定。弁護士は原告らも部内で立場を失うことを恐れ、3年生や親に迷惑や心配をかけたくない思いがあり、被害を訴えることをためらったとみる。
 21年の事案発覚後約半年間でまた部員間の暴行が起きたことに「十分な調査や対策をしていれば防げた」と学校側の姿勢を疑問視。22年6月上旬に学校が行った原告らへの聞き取りにも不審点があるとする。
 ある聞き取りでは保護者も出席し、学校側と双方が録音し記録を残すことで合意した。音声データではコーチがほかの部員の目撃情報として、原告に「グラウンド整備を忘れて、3年生2名から寮の部屋の方でバットのグリップエンドでたたかれた。覚えているかな?」と確認。ほかの1年生から「僕らの中でも叱られ役で、上級生から何かあるときに怒られたり暴力を受けたりするような立場だった」と証言があったとも説明した。
 学年主任の教諭も「周りのみんなも日常的に殴られる光景は見ている?」と質問し、原告は「はい。部屋とかではなく廊下とか食堂で(受けていた)」と答えている。弁護士は、学校側が関係する1、2年生の名前を必ず確認するのに、加害者に含まれるとされる3年生の名前には触れていないと指摘。特定を避け3年生を約1カ月後に迫った夏の県大会に出場させる思惑だった疑いががあるとし「被害を詳細に知っていたのは明らかだ」と強調する。
 加害者として自主退学を迫られた原告らは、学校側に自分たちの被害も再調査するよう求めたが「被害事実は認められない」と回答され、提訴に踏み切った。弁護士は提訴前、原告や保護者に「加害者のくせにどの口が言うのかと批判される可能性もある」などとリスクを説明。実際にインターネットのニュースサイトに掲載された記事に「退学処分は当然だ」といった批判的なコメントも投稿されていたという。
 弁護士は、上級生からの暴力は野球部寮に入り2日目に始まり、1年生同士の暴力は1カ月半後に起きたとし「わずかな期間で、普段仲のいい同学年の部員への暴力になぜ加わらざるをえなかったのか。当時の部の雰囲気や被害の重大さを明らかにしたい」とする。
 上下関係や労働実態などの問題が表面化した宝塚歌劇団でも、幼い頃から舞台に立つことを夢見てきた俳優が10代で寮生活を送っていた。弁護士はジャニーズ事務所の性加害問題も踏まえ「団体の目標達成のために規律を重んじることで、個人の人格が傷つけられても夢と引き換えに容認してしまう。野球部員も甲子園の夢を失うのを恐れ、当初は正確に被害申告できなかった」と類似性を指摘。「学校は未熟な生徒の心理に配慮し、暴力をなくすため十分な聞き取りや対策を講じるべきだった」と強調した。

聖カタリナ学園高校を集団暴行で自主退学した後、転校して野球を続ける生徒=11月中旬

暴力まん延 学校向き合わず 保護者憤り

 2022年5月にあった暴行の加害者として自主退学を余儀なくされたある元部員の父親は、息子自身も上級生から日常的に暴力を受けていたのに学校側は向き合わず、幕引きを図ったと訴える。「臭い物にふただ。子どもを犠牲にして何を守りたかったのか、教育機関として人の人生をどう考えているのか」と不信感を隠さない。
 父親は息子から、2年生の命令を拒否すると自分に危害が及ぶと感じて被害者の太ももを1回蹴ったが、2年生から「お前の蹴りは弱いから代われ」と言われ、後は手を出さなかったと聞いたという。親子で何度も話し合い「脅されていても、1回手を出したら加害者だ」と伝えたとし「親として言い訳せず、隠さず認めたい。被害者に謝りたい」と吐露する。
 一方で21年にあった別の集団暴行は、より悪質な行為だったが加害者の処分は停学にとどまっていた。学校で正式に自主退学を勧告された際、父親は不公平さや息子自身の被害を訴え、学校側も再審議に応じたが結論は変わらなかった。
 父親は学校からの被害聞き取りについて「部に残れた場合のことを考え、説明を思いとどまった部分がある」と明かす。学校側は息子を暴行した3年生の名前を確認しようとせず、父親も調査を求めなかった。学校はその後間もなく、3年生のみで全国高校野球選手権愛媛大会に出場すると決定。父親は「都合よく利用された」と疑念を抱く。
 問題発覚から1カ月以上たち、実家に戻り一歩も外に出ない生活を送っていた息子は「高校に行きたくない。野球もやめて働こうかな」とつぶやいた。「無気力な表情で、毎日スマートフォンを見て寝るだけ。入学式の希望に満ちた顔はなかった」と父親。そんな中で同様に退学を勧告された友人が「野球もう一回頑張るぞ」と救いの手を差し伸べてくれた。転校先で野球を楽しむ姿に「表情が生き生きして、高校生らしい生活を送っている」と安堵(あんど)している。
 学校での聞き取りの際、父親は初めて被害の深刻さを知り「私も体育会系で多少の暴力はあると考えていたが、ショックで泣いてしまった」と振り返る。一方で息子は「僕の中ではかわいがってもらっているっていうぐらいだった。ちょっと感覚がバグっていた」と説明。父親はその後「ほかの1年生の身代わりで暴力を受けていた際も周囲は笑って見ていた」とも聞いた。
 転校先で暴力はなく、息子は「(一緒に転校した)友達と『これが普通なんだな』と言い合っている。以前が異常だったと気付いた」と話しているという。父親は「暴力がまん延しても誰も止めない、おかしな雰囲気だったんだと思う」と推し量り「15歳の子どもにとって二度とない大事な時間を返して」と、学校への憤りをあらわにした。

愛媛新聞 2023年11月26日
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患者を生きる 4601 - 4605 知らぬ間に薬に依存

2023-12-26 22:26:51 | 新聞から
1 耳鳴り 何とかしたくて

 不快な耳鳴りが続いていた。家に帰って、ほっとひと息つくと「ピー」。布団に潜り込むと「ピー」。
 そういえば、姉はずいぶんと長く耳鳴りに苦しんでいた。「早めに診てもらって、悪くならないうちに治そう」
 耳鳴り治療の「名医」をネットで探して、都内の耳鼻科の診療所を受診した。聴力や鼓膜の検査を受けたが、異常はなかった。
 診察した医師からは「気にしない方がいい」と言われ、血流をよくするビタミン剤と漢方を処方された。
 だが、耳鳴りは一向におさまらない。
 「一生治らないのかも」。不安が膨らむと、無機質な響きが余計に気になる。眠れない、眠れない……。
 2週間後、再び受診して「何とかして欲しい」と頼んだ。すると、「一日中効いて、耳鳴りが気にならなくなりますよ」と言われ、抗不安薬を処方された。眠れないときに使う睡眠導入薬も出してくれた。
 睡眠薬? 少しどきっとした。「睡眠導入薬だから大丈夫」。医師がそう言うのを聞いて、安心した。ようやくこれで何とかなる。
 東京都の50代の女性は、10年ほど前のこの出来事をときどき思い返す。
 「気分が安定する」「リラックスができますよ」。医師はこんな説明をしたが、あのとき知っておきたかったのは、もっと違うことだった。
 処方された抗不安薬は「メイラックス(一般名ロフラゼプ酸エチル)」、睡眠導入薬は「レンドルミン(同ブロチゾラム)」。どちらも「ベンゾジアゼピン系」と呼ばれる向精神薬だ。脳のベンゾジアゼピン受容体に作用し、不安を抑え、眠気をもたらす。ただ、使い続けると、薬物依存の状態になり、薬をやめた際に不快な症状が現れる「離脱」が生じうる。
 女性は耳鳴りがおさまった後も、この薬を使い続けた。やめられなかった、と言うほうが正確かもしれない。いつの間にか「薬をやめられない体」になっていた。(阿部彰芳)

女性が使っていたベンゾジアゼピン系の睡眠導入薬


2 服用やめたとたん 眠れず

 10年ほど前、耳鳴りが続いた東京都の50代女性は、耳鼻科の診療所で、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠導入薬を処方された。
 半年ほどたって受診した際に、「薬はずっと飲んでいていいんですか?」と医師に尋ねたことがあった。
 薬を使うと、不快な音は気にならなくなった。月に数回使っていた睡眠導入薬もよく効いた。ただ、同じ薬を長く飲み続けたことがなく、気になった。「これは全然大丈夫。眠れなかったり、不安になったりする方が体によくないから」と言われた。
 最初に受診した耳鼻科は遠かったため、近所の耳鼻科で同じ薬を出してもらった。特に何も聞かれなかった。耳に問題はないこともあり、その後、かかりつけを近くの心療内科の診療所に変えた。
 薬を使い始めて4年ほど。耳鳴りはいつの間に消えていた。一方で、薬のせいか、昼間に眠くなり、習っていたダンスの振り付けもなかなか覚えられないことがあった。
 「抗不安薬はやめよう」と思った。心療内科の医師は「気になるなら、やめたらいい」とうなずいた。
 だが、やめたとたん、眠れなくなった。眠くて布団に入ったはずなのに目がさえてくる。1、2時間たってようやく眠りに入っても、30分ほどで目が覚め、眠るまでにまた1、2時間かかる。
 一晩で合わせて1、2時間しか眠れない日もざらだった。睡眠不足なのに昼間は眠くならない。頭が痛くなるばかりだ。結局、たまに使っていた睡眠導入薬を毎日飲むようになった。
 医師に相談すると、「その睡眠導入薬を飲めばいい」と説明された。だが、薬を飲み続けることに不安があったから抗不安薬をやめたのに、睡眠導入薬を毎日飲み続けることになるならば、「元も子もない」と思った。
 医師に頼み、ベンゾジアゼピン系ではない別のタイプの睡眠薬を処方してもらった。しかし、全く効かない。
 結局、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬を再開することになった。(阿部彰芳)

女性は今、ベンゾジアゼピン系薬の影響とみられる強いまぶしさに苦しみ、横の光も遮るサングラスが手放せなくなっている


3 眼瞼けいれん 原因は

 10年ほど前に耳鳴りでベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠導入薬を処方された東京の50代女性は何度か薬をやめようとした。だが、やめるたびに激しい不眠に襲われ、やめられなかった。
 2022年9月、目がゴロゴロする異物感が現れた。「最近、パソコンを使いすぎていたからかな」。だが、目を休ませても、よくならない。むしろ、同じものを見続けると目の奥だけでなく、頭まで痛くなってくる。
 目をかわきにくくするドライアイの治療を受け、少し楽になった気がしたが、それもつかの間。朝はまだ楽だが、光がどんどん入ってくると、目の表面、目の奥、頭という順に痛みが増す。「光がジワジワと脳にしみこむような不快さ」だった。
 ネットで「これだ」と思う情報を見つけた。「薬剤性眼瞼(がんけん)けいれん」。眼瞼けいれんは、まぶたがなめらかに動かなくなる運動障害や、まぶしさや痛みといった目の感覚過敏が生じる。ベンゾジアゼピン系薬が原因になりうることがあるという。
 この薬による薬剤性眼瞼けいれんは、東京・お茶の水の井上眼科病院の名誉院長、若倉雅登さん(74)が最初に提唱した。眼瞼けいれんの診療の中で、ベンゾジアゼピン系薬を使っている患者が少なくないことに気づき、調査研究を専門誌で発表してきた。
 23年1月、女性は若倉さんの診察を受けた。若倉さんは眼瞼けいれんと診断し、「ベンゾジアゼピン系薬に問題がある」と伝えた。これまでのデータから、薬の使用期間が長いほど、目の症状も治りにくい傾向があった。眼瞼けいれんの根治治療は今のところない。悪化を抑えるには、薬はやめた方がいいと考えた。
 「主治医と相談して、自分に合ったペースでやめてみてはどうでしょうか」
 女性はまず、睡眠導入薬からやめた。かかりつけの心療内科医は、ベンゾジアゼピン系ではない不眠症治療薬を処方してくれたが、やはり効かない。それでも、元の薬に戻るわけにはいかない、と思った。(阿部彰芳)

東京・お茶の水にある井上眼科病院


4 徐々に飲むのをやめると

 ベンゾジアゼピン系薬の抗不安薬と睡眠導入薬を使っていた東京都の50代女性は昨秋から、光がまぶしいと強く感じるようになり、帽子と色の濃いサングラスが手放せなくなった。「眼瞼(がんけん)けいれん」と診断されていた。
 今年2月、駅のエレベーターで居合わせた20代ぐらい(ママ)女性が、「ぎゃー」と叫んだ。「びっくりさせてすみません」と謝った。この日はマスクもつけていた。怖がられても無理はない。それ以来、外出が怖くなった。
 特に照明のような人工的な光がきつい。スーパーでは、賞味期限や分量も確認せず、ササッと買って出る。家族の夕食をつくると、自分だけ先に食べて2階の暗い部屋にこもる。「明るいところにいられないことはこんなにも孤独なのか」とがくぜんとした。
 睡眠導入薬をやめることにしたが、眠れずに苦しんだ。受診した心療内科では、「これは悪い薬じゃない。何で嫌がるの」と言われた。精神科医にも相談したが「薬を最初に処方した医師が対応するべきです」と突き放された。
 眠れない日があっても仕方ない。次は抗不安薬。夜に眠れるように早起きして体を動かすことを心がけ、徐々に飲む量と頻度を減らした。最後は1錠を8等分に切り、ひとかけらを3日に1度ほど。5カ月かかった。
 まぶしさで目を明けていられない不自由さやまぶたの動かしづらさは続く。薬が原因だという確証はないが、「もし、耳鳴りがおさまった段階で薬をやめていたら」という思いに駆られることがある。
 薬をやめて症状は少し落ち着いた。幼少時に習っていたピアノを弾くようになった。指はちゃんと覚えていた。もしかしたら、家族と食事を分ける必要はないのかも。工夫次第でできることはたくさんあるのかもしれない。
 10月末、眼瞼けいれんの患者会に初めて参加した。言葉を交わした人はみな、症状だけでなく、周囲から理解されない孤独感に苦しんでいた。「私も同じだ」。今の自分は「つながり」が一番必要だと感じている。(阿部彰芳)

女性の自宅にあるピアノ=本人提供


5 情報編 使い始めで「出口」考える

 神経の興奮を抑える「ベンゾジアゼピン系薬(BZ薬)」は、抗不安薬や睡眠薬として非常によく使われてきた。抗不安薬、睡眠薬は医療機関を受診した患者の数%に処方されているとの推計もある。
 だが、長く使うとやめづらくなる危険もある。大きな原因が依存だ。依存には薬を使いたいと強く感じる精神依存と、身体依存があり、BZ薬では後者が主に問題になる。身体依存の状態になると、薬を減量や中止した際、薬を飲む前よりも強い不安や不眠に襲われたり、けいれんや発汗、吐き気といった症状があらわれたりすることがある。
 記事で紹介した50代女性も、身体依存によって薬をやめられなかった。使い始めて4年ほどたって、抗不安薬をやめようとしたが、強い不眠に苦しみ、断念した。
 昨秋以降は強いまぶしさや光への不快感に苦しみ、「眼瞼(がんけん)けいれん」と診断された。原因がわかっているわけではないが、この女性を診た井上眼科病院名誉院長の若倉雅登さんは「BZ薬が原因の可能性がある」と指摘する。
 女性がいま疑問に思うことは、若倉医師の診療を受けるまで、女性を診た医師の誰もが身体依存のリスクを説明してくれなかったことだ。
 1980年代にはすでに、治療で使う量でも長く使えば身体依存が生じうると報告されていた。だが、厚生労働省が製薬会社に「薬物依存を生じることがあるので、漫然とした継続投与による長期使用を避けること」と添付文書に書くよう求めたのは2017年のことだ。BZ薬はそれ以前の薬よりも安全でよく効き、患者の満足度が高かったことなどが背景にある。
 BZ薬の適正使用に詳しい高江洲義和・琉球大准教授(睡眠医学)は「問題があるとわかっている薬を医療者が使いこなせていないところに問題がある」と指摘。大切なのは「入り口から始める出口戦略」だという。「使い始めの段階で医療者と患者が薬をやめる『出口』を話し合っておけば、後になってやめられないと慌てることは少ない」と話す。(阿部彰芳)

睡眠薬・抗不安薬の減薬・中止を試みた際の困りごと

患者が減薬・中止を嫌がるためできなかった 82%
症状が再燃・悪化したためできなかった 52
離脱症状のためできなかった 15
特に困ったことはない 3

2021年度厚生労働省研究班の報告書から。
総合診療を担うプライマリ・ケア医251人が回答(複数回答)

朝日新聞 2023年11月24日、27日-30日
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