おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

聖杯の9(内)

2005-07-18 10:43:45 | Weblog
感情があふれ出ている。泳いでいるのはいるかかくじらか。
それは協力者なのか、そこにただいるだけなのか。満月の夜、
どこからか光が差し込んでいる。ひとりたたずみ、何を思う。
月も泳ぐ生物も視野に入れず、どこか他のところを見ている。
いくつもの滝から気持ちが流れ落ち、海へ注ぎ、そこで生物
は泳ぐ。流れ出た私の気持ちの中で、それは泳ぐ。気づきも
しないで。私の中で泳いでいることに気づきもしないで。

顔つき。

2005-07-17 22:20:02 | Weblog
最近、どうして右目だけ黄金色なんだろう。
未来を見据えてでもいるのか。

第一印象は、意外と正しい。そしてやっぱり正しかった。
顔つきは変わるものかも知れないけど、それでもやっぱり
正しかった。
きついなぁ。

顔つきというのは、自覚している以上に変わるものなのか。
ヒト様が見たら、どんな変化を見出すのだろう。
私は会う度に変わっていっているらしい。友人が言う。
今はそうかも知れないと思っていたら、数年前から始まって
いたらしい。

こわい顔はごめんだ。本当に。

同じはなしを

2005-07-17 21:51:50 | Weblog
違うところから聴く。同じはずなのに一致していないところも
ある。微妙な差。その些細さがかえって大きな違いに感じる。
どちらが主体なのか、自分の想像や直感と照合しようと試みる。
そんな作業を繰り返し、その間にも同じ内容が違うことばで
語られる。
終わらない説明を。
見つからない結論を。
見いだせない解決法を。
あきらめきれない顛末を。

繰り返されることばに私は思う。
もしかしたら私はカウンセラーになれるかも知れない。
セラピストもいけるかも。
ヒーラーもありか。
占い師でもいい。

そして私のコトバは、見えぬ隙間に埋没する。
マタキイテモラエナカッタカ。マタツタワラナカッタネ。
マ、イッカ。イツモノコトダモノ。

疲労と混乱で、軸足をどこに着地させたらいいかが分からない。
過去となった事実を受け止めながら過去に嫉妬する。

視界がぐにゃりと曲がる帰りの電車の中で、私は考える。
裏から表を支えるか。表が裏を生かすための手段なのであれば
裏が本当は生きるにふさわしいあり方かも知れない。
それにしても。

参った。

棒の3(外)

2005-07-17 10:30:12 | Weblog
浜辺にある1本の棒を巡り、争うモノ達。一見じゃれて
いるように見えるのに、本当のところ本気で争っている。
棒から発する光。あたたかい。困っているだろうなぁ。
私だって争いなんかしたくない。無駄に。無意味に。
こんなの、ケンカするようなことじゃない。だから私は
逃げる。かみつかないで距離をとる。コワイ顔されても
まだ切れない。

まだ切れない。

金貨のキング(内)

2005-07-17 10:28:50 | Weblog
豊かさに満足。物質的な豊かさというよりはむしろ、
自分の持つ財産に対して満足。ようやく自分の持って
いるものがどういうものか、受け入れる気になったか。
私の持っているものは私に合っていて、私に必要で、
だから卑下したりする必要はないんだった。そうだった。

人の中に

2005-07-16 23:58:21 | Weblog
行く。雑踏を歩き、信号を待って横断歩道を渡る。
店に入る。物を買う。別の店に入って注文をし、
席を探す。自分だけのスペースを確保しているはず
なのに、落ち着かない。誰がどうということはない。
どこにでも見られるごく普通の光景の中に、自分も
ごく普通に身を置いているだけのはず。
店を出る。ライブに行く。見知った顔。久々の顔。
みんなにあいさつをする。話しかけ、質問をし、
ライブが始まると演奏に耳を傾ける。リズムをとる。
体が揺れる。かけ声や歌声に思わず笑みがこぼれる。
今までも経験しているはずの楽しい空間に、ごく
普通に身を置いているだけのはず。

そう思いながら、気づくとまどろんでいる。
輪郭は溶け出し、ここでの形ではない。黒いもやが
隙間からもれ出ている。ゆったりくつろいで座って
いる姿。どうして右目が黄金色なんだろう。

こんな風に、こんな風に。
絶望は通過して、今は自己認知に心を砕く。
いちまいいちまいをていねいに慈しめるように。

書いててわからなくなった。

2005-07-16 14:42:11 | Weblog
かつてつき合っていた人と別れた話を知人にした時。
あんなにも好きだったのに別れを決めたのは、あなたが
彼を飽きたからだと言われたことがあった。
飽きたって何。一体あなたは私と彼の何を知っている?
正直、むっとした。

でも。
「飽きたんでしょ?彼のことを」と言った彼女の言葉は
どこかあたっていたのかも知れない。だからむっとした
のかも知れないと、その時実は感じていた。

飽きるということが、停滞することと同じなのならば。

安定していたわけではない。常に何かあった。だから
気持ちが飽きるということはなかった。そう信じたい。
でも。
物理的な状況が停滞していた。常に閉塞感。突破できる
のがいつなのか、ふたりとも予測できなかった。

物理的な状況が気持ちの負けを呼んだ。
停滞し打破できないことへの焦燥感が、別の問題を抱えて
弱った心に追い打ちをかけた。

それは本当。
でも本当は本当はどうだったんだろう。

本当は。

大事なものは

2005-07-16 13:43:02 | Weblog
大事だからこそこわれやすい、失いやすいらしい。
大事だからこそ、意識して大事にしなければならないのだと。
それでも大事にしすぎて力を入れてしまって、ひびが入ったり
傷がついたりする。子どもの頃から、新しく買ってもらった
大事なものは、必ず最初にどこか傷をつけていた。
その困ったクセは大人になった今でもしっかり続いていて、
最近では傷がつくことを悲しむのではなく、その傷も含めて
自分にとっては大事と思うようになった。ヘリクツを言える
ようになったのは大人の証拠なのかも知れないけど、それは
それで本心だ。

大事にすることと手放せずにずっと持っていることは違う。
大事でも使わなかったら意味もない。
そんな風にして、私の部屋はものでふくれあがる。

人の場合はどうなんだろう。ものの場合ととてもよく似ている。
大事にしないとこわれるところも、一度傷ついてもまるごと
抱えて大事にするところも、とても似ているような気がする。
でも「新品同様だから、いつか使うこともあるかも知れない」
と、手放せずに持っていてお蔵入りしている人っていうのは
いない。人はナマモノだから。ナマモノは新陳代謝があるから
使い使われ、交流があってなんぼのもんなのだと思う。

つまり何が言いたいかっていうと、あなたがとても大事だよ
ってことです。何もこわさず、ずっと手放さず、大事に大事に
抱きしめて、絶対にお蔵入りにもしなければ処分もしない。
それだけ。

上と下。

2005-07-15 15:12:05 | Weblog
森の木々が川面にうつる。
上と下。
上と下。
並木道の木々が水たまりにうつる。
上と下。
上と下。

上と下。
上と下。

昨日に引き続き

2005-07-15 12:50:31 | Weblog
ぼんやりしている。昨日と同様、それなりに仕事がはかどる。
吐き気と寒気、腰の痛みだけがリアルで、それでも大丈夫だと
分かっている。そのリアルさの分だけ、大丈夫であることを
分かっているのは時に苦痛だ。苦しみにどっぷり浸かることも
なく、きっと明日にはフツウに戻っている。戻っているのが
明日より早かろうと遅かろうと、結局そういうことなのだ。
そしてそれがこれからもきっと繰り返されて、そしてやっぱり
いつも大丈夫だと分かっている。
そして今日は、空が青い。