おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

聖杯の4(外)

2005-07-20 11:03:42 | Weblog
小さいドラゴンが4匹。カップが1つ倒れて水がこぼれ
出ている。目を閉じる女性は何を考え、感じているのか。
後ろの闇に、影のような大きなドラゴンが2匹。
こぼれた水の上にいる小さいドラゴンは、女性を眺める。
事の顛末を確かめたいのか。
背後のドラゴンはいつでも用意ができている。
いつでも。

聖杯のエース(内)

2005-07-20 11:03:01 | Weblog
手には分身と球。満月の夜。光が照らす。たっぷりと
いうことではないが、ほどよく満ちて、安定している。
必要なもの、望むものを自らの手に自らの手で。
とりあえずひと区切り。波はあるけどひと区切り。

こころのありようを

2005-07-20 00:32:16 | Weblog
言葉におとすのは本当に難しい。
自分の意見としておとす場合、人に伝えるものとして
自分のコトバではなく普遍的な言葉に変換するという
作業が、以前にも増して必要になってきた。そして
その作業はますます困難を極めるようになっている。

考え方の違い、感じ方の違い、思想の違い、意識の
方向の違い。こころのありように直結するトピックを
扱う時、普遍的な言葉におとそうとすると、自分の
コトバが邪魔をし、自分のエネルギーが練り込まれ、
時として言語以上の理解や誤解が生じる。
気をつけなければいけないのは実のところ、この部分
なのかもしれない。
そしてその部分の肥大化や誤解を極力抑えるために
普遍的な言葉を使うという作業をきっちりすべきで、
だからこそその作業に骨が折れるというパラドックス
が発生するのかも知れない。

少しは

2005-07-19 16:32:04 | Weblog
伝わったのか。

やっとか・・・。

でも、分かったことは既知だった。
私のコトバは伝わりにくい。
私の声は届きにくい。
私の気持ちは忘れられやすい。
私の思いはかきけされやすい。

だから本当に伝えたい時は。
整理整頓してていねいに、
根気よく繰り返し、
同じことでも違うコトバで、
あきらめずに。



本当に伝えたい時は。

くらくらが続く。

2005-07-19 11:19:10 | Weblog
暑さのせいにも偏食のせいにもできるか。そんなゴマカシが
きくなんて、はなから思っていない。
おかしいのは今に始まったことではないし、小康状態も知って
いるのだから、これがプロセスであることは分かっている。
自分で決心すること。
多分これがくらくらの提示する課題。

今までの経緯から周知の事実となっているが。
決心したら、もう元には戻れない。戻らない。

私は戻らない。
そう決めたから。それが自分を受け容れるということだから。


黄金色の両眼がそう言うから。
血走った右目がそう言うから。

聖杯の10(外)

2005-07-19 10:14:00 | Weblog
やっぱり見守るのか。家族を、人々を。そこにひっそりたたずんで
お互いの領域を侵すでもなく、共存する術を。そのスタイルは?

棒のページ(内)

2005-07-19 10:13:28 | Weblog
学問、知識を身につける時機かも知れない。遙か太古の叡智を
洗い出し、再確認し、組み直す。自分に合ったやり方を模索し、
自分にしか出来ないやり方を創り上げ。
月が見ている。

本当は

2005-07-19 00:15:20 | Weblog
もう嫌なのだ。
反面教師なんて。

学びや気づきがあることは知っている。
歯止めになることも知っている。

でも。
そのことで不安と恐怖が増幅することも
増幅することが戒めにつながることも

嫌なのだ。

だって。

もう分かってるんだもん。
毎回毎回感じなくても。

それに。
あんな風にはなりたくない。
あんな風にはなれない。

見えるところだけをすべてだなんて
そんな素直な捉え方、できるわけがない。

自分の気持ちや声が届かなくても
責任の所在を相手に置いたり、できるわけがない。

ここでは異端なのに
ただでさえ異端なのに。

察してあげようとする気持ちさえあったら
自然と耳を傾けるようになると思うのに。

だから。
本当はもう嫌なのだ。


さあどうする?

もう違うのだから

2005-07-19 00:05:27 | Weblog
人に会っても演奏を聴いても話をしても、心地よい疲労感
だけを持ち帰ることは出来なくなった。「楽しかった」な
充実感だけで済むことは、もうない。
それをふまえた上でスケジューリングしないといけないと、
この三連休は反省。

おとといの疲労を昨日に持ち越してしまった。昨日の予定
を消化すれば、おとといの重さもイライラもとりあえずは
霧散させられるだろうと思っていたのが甘かった。
集団、多くの人の思考、感情、意識の流れ。
そんな中に身を置いていたら、霧散できるわけがなかった。
コントロールする術も身につけていないのに、そんなムシ
のいい話があるわけがない。
大変だ。

めまいのようなぐるぐるに襲われて休憩しながらの帰り道、
本来の姿を想像する。自分の中での一致をみることで、
どうにか家までたどり着く。でもぐるぐるはおさまらない。
呼吸が苦しい。酸素が入らない。目は回るのに意識はなにも
働かない。

大変だ。本当になにか術を見つけないと。

棒の3(外)

2005-07-18 10:49:53 | Weblog
昨日の名残か。そうだとしたら、私の中でそれとの
関係性に決着がついていないのだ。まだ切れていない。
浜辺の棒はあまりにも美しい。あまりにも影響が大きい。
言葉を変え表現を変えても、感情が常に剥き出しにされ、
独占欲がさらけ出され、私はとまどう。それらを真正面
から受け止めるにはあまりにも強すぎ、かわし続ければ
関係性は切れず。そして己の醜さも垣間見ることになり。
必要なのか。まだ。