おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

自分にとっての現実を

2005-07-08 23:22:56 | Weblog
たしかめる。あちらとこちらを往来しながら。
昼夜のどこかに交叉する場所があるのか。光と闇の配分が
変わると、私の中の占有率も変わる。様々な要因が複合し
それでもやはり光と闇の影響は他の要因より大きいなぁと
ぼんやりたゆたいながら、今日もゆらゆらと自分の現実を
ゆらめいている。

閾値が下がる

2005-07-08 17:09:36 | Weblog
感度が上がるのと閾値が下がるのは同じことなのか。
単なる言葉のアヤなのか、最近は微妙に違うような気がする。
人の声が遠い。でも感度が落ちたとは思えない。閾値は逆に
上がってると思えるような鈍さ。
到達するのに時間のかかる会話。でも感度は落ちていないはず。
話している内容はちゃんと分かっている。それでも明らかに
閾値は上がっている。
なにかがどこかで鈍っている。膜をはったようでダイレクトな
感覚がつかめない。
色も形も性質も把握しているはず。多分把握しているはず。
でも実はそこに焦点が合っていない。そこでない別のどこかに
心奪われ、気持ちが揺さぶられる。好奇心を刺激される。
だから閾値は上がったまま。感度は上がったままなのに。

渦を巻いて

2005-07-08 13:54:49 | Weblog
展開する事象や思考に、絶対置き去りにされるもんかと必死に
しがみつくよりも、渦にのまれ流れてそれに自分の身を委ねる
方がきっと楽だろう。ただし、コツをつかむのに時間がいると
思う。渦の怖さ、水の怖さ、呼吸を妨げられ制限されること、
そういうものとどう向き合うか。それはそのまま自分との対峙
につながっていくもので、必死にしがみつくのはもしかすると
むしろ弱さや逃げだったりするのかも知れない。
そんなことしなくても大丈夫だと、向き合った自分に語りかけ
安心させられたら。

あちらとこちらが

2005-07-08 11:49:45 | Weblog
昼と夜で交差する。相手によってどちらが表出するかが変わる。
混じり合って出現することも交互に出現することも。
自覚の有無もその都度変わる。

今日はこちらが強いか。

途方に暮れる者に耳を傾けなにかを発し、自らの非力さを
相変わらずだと、いつものように小さく絶望する。

あちらの力が応用できればいいのに。いや、それは自分次第か。

占有率が変わる

2005-07-08 01:15:23 | Weblog
根本的な要素としては半々で構成されているはず。
全体、すべて、なにもかも含めて。
時間と状況と周辺に存在する人々によってそれの
表出のしかたが変化する。どちらかの割合が高く
なることもあれば、半々のこともある。その時の
意識状態がどちらにあるかにもよる。自分自身で
分かる時もある。分からないこともある。それは
どちらも自分だから。
どちらの割合が高く表出されているのか、知って
おいた方が無難なのか。彷徨う視線と漠然とした
意識は、どちらか一方への変遷を表すのだろう。

そんな自分をまるごと愛おしいと言い切れたら。