おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

対話する。

2005-07-31 22:16:43 | Weblog
人からはね返ってきた自分と向き合う。
すぐに疲れてしまうので、惰眠を貪りながらの対峙。
全身に向けて話しかけてくる自分に、内側から返答をする。
繰り返す。混濁する。そのうち眠りにおちる。
再び起きて、また同じことを繰り返す。何度も。
そんな贅沢な、そしてしんどい時間。

きつく、とがった感情を削ぎ落とす。
むしろ感情があるかどうかも分からないほどに
平かな状態になっていく。
それの良し悪しも是非も、好き嫌いももはやない。
そうやって偏りを矯正し、いつか独自性がなくなる
のか、気持ちがどこにあるのかすら見えなくなる時が
くるのかと、どこかで怯えている。
その怯えすらも残してはいけないのかと、自問する。

こうしてヒトから遠ざかっていく。

相変わらず自分のことは分からない。

2005-07-31 15:33:35 | Weblog
人を経由して自分を知るのにも猜疑心がはたらく。
本当に納得するのに時間も手間もかかる。
うちで一人、自分のために自分に向けて練習して
いたことが外でも通用するのか、やってみて
初めて分かったり。

人を経由して知るからといって、その人と自分を
比べているつもりはないのだが、実は比べている
のだろうか。


それにしても嫉妬の念は恐ろしい。

両極?

2005-07-30 22:21:16 | Weblog
浅い深い。子ども大人。未開拓に原石。潜在性の高さ。
守りの堅さと思いがけない隙。

対応のコツを忘れて無駄に疲労。

なごりはあるけど

2005-07-29 23:28:16 | Weblog
抜けた。
毒素が抜けた。

自分だけの問題や課題だったはずのことを、自分自身だけで
解決できず、他の人に代わりに実演(!)してもらって、
そこから何かを連想したり感じたりすることで自分への
フィードバックをしたのかも知れない。
自分の中心から毒素を抜くのは、なかなか大変な作業だ。

もちろんフィードバックだけじゃないけどね。

間違いなくつながってたから。
私が最も苦手とする部分と。
私が最も目を背けたい醜い部分と。

だから、その部分に「身代わりさんきゅ。」と感謝する。

でも、もういい。

ドロドロ湿った毒が吐き出されたので、しばらくはさらさら
流れるだろう。もしまた毒が溜まったら、同じような現象が
起こるのだろうか。

そしてまた、パパは刺激を楽しむんだろうか。

突き抜けるような青空

2005-07-28 12:02:34 | Weblog
昨日も今日もそんな空。

ぐるぐるはそろそろ終焉をむかえそう。
突き抜けるのは、突き抜けたのは、きっと私。
どの部分がとかどんな方法でとか、今は考えたくない。
突き抜けてほっとしているから。

渦中より今の方が、仕業の理由が見える。その理由を
ゆっくりと受け止めながら、またいつものように「して
やられた」と思う。そう思う私の気持ちも今の状態も、
すべて見越されている。そしてきっと、空気が霧散する
ような大声を立てて笑ってるに違いない。


今回はかなりの荒療治だったよ、パパ。

音楽にすれば

2005-07-28 01:17:09 | Weblog
すべてが美しい。憎しみも嫉妬も軽蔑も、どんなに醜い
おぞましい感情でも、それを音楽で表現すればそれは
芸術だから。だから音楽はどんな時でも味方なんだ。
武器なんだ。心変わりしない。浮気もしない。いなく
なったり死んだりしない。

最近読んだ本で納得した言葉。
でも以前にこうやって抜粋してどこかに載せた感覚が。
同じような内容のことをどこかで聞いて書き留めた
記憶が。

あと

2005-07-27 17:58:43 | Weblog
もうひと息、いやふた息か。
しっぽで舵取りの練習をしているのかも。

がんばれ、ふたりとも。
がんばれ。

遅々として

2005-07-26 12:39:57 | Weblog
進まず、カメの歩み。
ぐるぐるが復活。何かにあらがうというよりはむしろ、
バランスを取るために、どこかの軸を基点として反対に
回転している感覚あり。あちらが左に回るならこちらは
右に。止まらず止まれず、戻ることもない。
断続的なそれに休息する間もなく、幸運にもやってきた
休息の間には自らの在る場所を見失った焦りに穏やかで
いられず。
それを何度も何度も繰り返し、飽きる云々の問題でなく
延々と続き、全体的には遅々として進まず。


何を望む。

来たところが違うと

2005-07-25 14:44:22 | Weblog
いろんなことが違うんだなぁ、と初めて知ったのは3歳の時。
あれから何十年。
「違う」自分にOKをはっきり出せていれば、こんな風には
ならなかったのに。

人知れず朽ちる可能性

2005-07-24 12:00:13 | Weblog
いつものように寝坊し、普通に起きた。
普通がありがたいというよりは、自分にとっての
普通とはこういうものなのかと。

考えたら、そんな可能性は今回に限ることもなく。
何をしてもそうなのであって、非日常な場合には
そうであるが故に目立ってしまう。それだけのこと。