おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

つながる

2007-12-30 09:15:00 | Weblog
口にして気づくことがある。
頭と心がつながっていないのだと思う。
話す相手がいることで、口にすることができる。
そんなきのう。


言語化された途端、それはくっきりと輪郭をもって
「そうだったのか」と納得するところに戻ってくる。
それは頭。
心ではもっと漠然としていたのだと気づく。


感覚と言語化をつなぐ線が途切れている。
切り離すことばかりしていた結果が、こんな形で出ていた。
全部つながっていること。
忘れると歪みが生じる。


心穏やかな日

2007-12-26 18:21:35 | Weblog
越来のおかげ。
意識することがさらに自分の心と一致させることに。
多分。


悔しくて悲しくて頭に来た三連休だったけど。


きっと今は未来で過去で、連なって重なっている。
自分が中心にいれば。
そのために何らかのツールを使うのであれば。


越来はちょうどいい。
まさに今この瞬間。

表出

2007-12-24 09:46:17 | Weblog
久々の感情表出がマイナスの方だったので驚いた。
マイナスの方が分かりやすいのか強いのか。


それはこれからへのプロセスで、今までの結果では
あるけれど、明日につながるものだと思った。


思えば実現する。
その時を待ち、その時に備える。
その時にプラスに転じて、今度は周囲を驚かせる。


それが来年の目標。
それが居場所の確保。


関係性

2007-12-22 22:06:53 | Weblog
正直、ちょっと期待していた。
声がかかるんじゃないかと。
でも、それはなかった。


それはきっと、そうした方がよかったからだろう。
配慮だ。
あるいは、気まずいからだろう。
共有してないのだから。


こうしてきっと、別の関係性が生まれる。
瞬間瞬間に変わっていく。


話を聞く

2007-12-14 08:22:41 | Weblog
無敵で自信があるのだと思う。
それを自分でどんどん大きくしていると
思っているのだと思う。


それも固定観念なのでは? と思ったが、
その固定観念がうまく作用するならばアリ
ということなのかも知れない。


聞いた話は自慢ともとれるし、そうなんだと
それで流してしまうのもアリだ。


聞き手次第。つまり私次第。
実際、あんまり覚えていないのだ。
引っかかることは、後から気づくものだから。


具体例

2007-12-11 16:57:59 | Weblog
分かる人はそのままで。
分からない人はそれまでで。
ムカつく気持ちまで麻痺して分からない。
それでその場がとりあえず平和ならそれでいい。
どうでもいい。


そんなことを思ったり。
理解してくれとは言わない。
察したり想像したり、そのくらいならできるだろう。
そう思ったのが甘かった。
そこまですらも達していないのだ。
賢いことと想像できることは、往々にして別物なのだ。
そして身近に具体例があったのだ。
蓋をしていたのか。維持するために。


本当にどうでもよくなってきた。
私自身が今の自分の状況を変えられるはずもなし。
とりあえずはこのままでも大丈夫と思ってるのだから。


結局は

2007-12-09 09:16:50 | Weblog
経験しないと分からないこと。
話して理屈で説明したところで、体感しなければ
少なくとも想像力がなければ、絶対に理解されない。


そのことを痛感した昨日。
だからといってその人を否定するわけではない。
そういう人なんだということ。


練習できないことも、どこかで関連している。
全く影響がないとは思っていない。
でもきっと、それすらも言い訳や怠慢に思われる。


そう思うのだったらしかたがない。
そこが理解の限界なのだから。
想像しろとも言わない。
これは自分の問題。


だけど、体験者と想像力のある人がいるから、
私は救われる。
まんざら悪いことばかりでもない。

とりあえずは

2007-12-06 17:49:43 | Weblog
生きているもよう。
調子はどうもだけど。
疲れが出たか。


長い間、「日常」を離れることの心身に対する負担。
年のせいか。心構えのせいか。
継続することの強さを思う。
つながていくことのタフさを思う。
ガラリと変化して日常に舞い戻ることの、二重現実を思う。


画面に向かう気力を、立体と平面の差異を思う。
疲労している、むしろ疲弊している。


必要ない

2007-12-04 17:39:58 | Weblog
どこかびくびくしているけど、本当は必要ない。
普通にしていればいい。
何も誰も脅そうとしていない。

相性もきっと幻想だ。
距離感も。
縛られすぎて、気を取られすぎている。

自分で自分を縛りつけて、びくびくしている。
それは無駄なこと。
そして、縛っている自分も縛られている自分も
幻想。

すべて幻想。
自分が創り出しているだけ。