おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

拮抗する力

2006-08-31 17:46:09 | Weblog
あの石をいつも持ち歩いている。
合間を見ては握りしめている。
とても強いので、握っていると痛くなる。
敵意のある痛さではなく強いが故の痛さのようで、
内側の流れが変わるくらいの威力はあるらしい。
石は私を動かそうとし、私はこのままぬくぬくと
暮らしたいと思う。そこに拮抗する力が発生し、
気づくといつも負けている。そして結局は周囲も
内面も動き出している。

石に全然悪気はない。そしてその天真爛漫さがまた
たまらない。

足の裏

2006-08-31 11:48:12 | Weblog
要らないものを出すときは足の裏から出す。
この間見直しをして、それを思い出した。今さら。
とても初期の頃に教えてもらった本当の基本に、
立ち返って復習する必要があると思った。

出かけた先で、空気が随分よく見えると思った。
帰ってきてからも持続している。
出かけた先では、自分の中を流れる気に、意識が
十分向けられなかった。むしろ呼吸に強く意識を
向けていた。
帰ってきてから、気への意識が戻った。というより
内側を流すよう意識を向けるようにしたせいか、
すぐ滞ってしまうお腹の部分に動きが出てきている。
これをもっと下げていって、足の裏から出せばいい。
そうすれば、嫌な気持ちも不快感も出す術がわかる
ようになるだろう。

基礎に立ち返ること。基礎を繰り返し試して固めること。
今回の教訓。

排出する

2006-08-30 22:29:37 | Weblog
まだぼーっとしている。
早く眠れば大丈夫か。
しばらくの間、この違う流れをつくった体と
疲労の残ったままで、神経過敏な反応を忘れて
いられるようにしようか。
今日もやっぱりイラつくことがあった。
仕事上でのあの存在は、いつも私を不快にさせる。
どうやって対応しようかと、その存在が現れる
たびに思う。無駄にかかわりたくないと思いながら、
不快を感じて動揺する。
そこが問題。どうやって抹殺するか。
抹殺できないなら、足の裏から出せるか。
きっちり出せるのか。

本当に嫌い

2006-08-30 16:25:55 | Weblog
普通の生活の中には、そういえば忘れていたけど
こいつ嫌だとか、そういうこと言うなんて本当に
品性疑うとか、そんなことがあるのを忘れていた。
訓練されている方が、きついけどまだ生産的だ。
少し先を行ったからと、自分の理解の範疇を超えた
だけでその言いぐさ。本当にむかむかする。
目の前から消えてくれと思う。どこか別のところで
生きて下さいと思う。殺意さえもったいない。

帰ってきたここに現実がある

2006-08-30 12:03:58 | Weblog
学んだことはそれはそれ、現実の中で生かすこと。
この、現実の場所や生活に変わりばえがなくても、
自分の中に何かがストックされたことが、外への
はたらきかけを変える。どこから変えよう。

場所の変化に、気持ちが振り回される。
非日常、自分にとって普通でない場所からの刺激は
過度になるとくらくらする。
定点観測のように、じっとそこにとどまって見ている。
風を切って動くときは、ほとんど視界に残らない。

たった2日間の定点観測のような静的状態だった。
それでもやっぱりまだぐるぐる回っている。

自分の中で考えたいことが

2006-08-27 11:35:57 | Weblog
別のものに引っ張られてしまう。
その別のものとは、むしろいつもの私の中に在るもので、
自分では今はそれを考えたいと思っていないのだ。
思考操作でもされているかのように、どうしてそちらに
引っ張られてしまうのか。

そういう風になることになっていたのか。
自分が思ったことを発するとは、そういうことだったのか。

揺り起こしている

2006-08-26 22:34:25 | Weblog
外側に向けて発していたことも方法も、結局は
伝わらない、通じない、届かない、そんな中で
「よさが理解されにくいんだよ。」
と言ってくれた人がいた。
そのこともその人のことも、しまっておいた。
それに依存してこわれるのは明らかだったから。
そしてそれを今、揺り起こしている。
人に発したことで、同時に自分にも揺さぶりが
かかってしまった。
発したことは、必ず自分に返ってくる。
これだけは本当だ。常に。

揺り起こしたものは自分の根元に浸透している
ものなので、この感覚とがっちり向き合いたい
と思う。数年来の試練。

行ってはみたものの

2006-08-26 19:05:14 | Weblog
「動くべし」と言う声の意味が理解できないような。
でも家に閉じこもっていたら、気が滞留して自分の
内側まで滞ってしまっていたからかも知れない。
行ったことで特別何かがあったわけではない。
それできっと、よかったということだ。
電車に揺られながら、たっぷり考え、思い出すことが
できた。何が大事だったか、どう感じていたか。

そういう風に思い、強いものを発すると、引き寄せる
ことができる。今はそうだといいなぁと本気で思う。

外に吐き出してみるか

2006-08-26 11:29:48 | Weblog
行くかどうか迷っている場所がある。
そこは人が造った機械や装置などの人工的なものではない、
人工的なものが、心身を疲弊させる場所でもあるからだ。
そこになんとなく行ってしまうのは、やっぱり興味のある
ところだからだろう。でも、ピンポイントで興味があると
いうのとはまた違う。

本当は数日後の特訓に備えて、1日中だらだらしていたい
と思っていた。でも、それがなんとなく許されないような
気がする。

昨日は心が結構動いたから、その処理を外に吐き出すか。