おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

離人感

2007-06-28 14:30:03 | Weblog
離人感は、特徴のひとつでもあると言った。
知っている。
そして、今のようになる前からあった。
それは疎外感とも似て、でももっと夢見心地で
他人事で無感情なのだった。


うちにいるとほっとするのは、内側に自分が
戻っているからだと思う。
どういう状態であれ、自分のスペースに自分が
おさまっている。その安心感。
箱の中に閉じこめられているわけではなく、
ちゃんとおさまっているという安心感。


外では自分が流れ出てしまう。
液体のようにかと思ったら、気体のように。
蒸発した後たゆたうように。
境目も見えぬ。


それが休息となる場所へ、私は行きたい。


甘える場所

2007-06-26 12:36:15 | Weblog
甘えられるうちに甘えた方がいいというけど、
むかしむかし先輩に「甘えるのがヘタだ」と
言われたとおり、甘え方が分からない。
「遠慮なく」と思う前に、すでに迷惑をかけて
いるんだから遠慮しなきゃダメだろうとか、
生きているだけでたくさんの人に迷惑をかけて
いるんだから、もうこれ以上寄りかかっちゃ
ダメだろうとか思っているから、甘え方を
知らないままきてしまった。
甘える必要がなかったとずっと思っていたけど、
実は必要があったのかも知れない。
でれでれと自分の原型もとどめないほどとろけて、
みっともないくらいの自分をさらけ出すこと。
醜いと思っていた。卑しいし小賢しい、武器と
して使っていると思っていた。往々にしてあることだ。
ただ。
そういう自分を出せる場所は必要だ。
形すらなくなってしまうほどに身を委ねられる場所。
それは必要なのだ、きっと。
そこにずるがしこく利用しようという魂胆がなく、
ただただ自分を広げ委ね、もう一度立て直すための
力を得るための場所として。


だから今、それを探している。

電車

2007-06-25 17:10:31 | Weblog
見知らぬ人の肘が胸に当たる。
だからその高さはぶつかるんだってば。
といっても、その人が私に触れたのは初めてだろう。


毎度思う。肘を曲げる時どうして気づかないのかと。
当たり前のように曲げているからだろう。まさか
自分の肘が胸に当たっているなんて、男は絶対思わない。


電車でのマナーが最もよかったのはいつの時代だろう。
昭和の初め頃か。高度経済成長の頃か。
東京はとても気配りがあったと聞く。みんなが少しずつ
譲り合い、お互い様だというわきまえがあったのだろう。


発症してはや10ケ月。



ただひたすら

2007-06-22 11:56:11 | Weblog
また、何もしたくない病が顕在化してきた。
ずっとずっと思っているのが、今週はよく顕在化した。
先週多くの人と会った反動に違いないと分かっているが、
もう本当に放っておいてほしい。当分。
何もしたくない。何も。
ただ眠り、ひたすら眠り、そして時々本を読む。
それだけでいたい。


そう思いながら、当たり前のように会社に来る。
そう思いながらの仕事だから、当然気づくと瞑想、迷走
している。そして気づくと、非生産的な日々が続く。


理由はいくらでも。
季節、気候、気温のせい。
薬、病気のせい。
歳のせい。
仕事のせい。
そしてどれのせいでもない。


眠い。ひたすら。
昼夜問わない。慢性化している。


ずっと夢が気になっている

2007-06-19 16:52:08 | Weblog
ほとんど毎日、明け方に夢を見る。
全く同じ夢ではないのに、明らかに同じ場所にいて、
大きな建物か施設の中のロビーやトイレや通路や
お店で、誰かと会っている。
時々、授業も受けている。
忘れ物をして困ったりもしている。
出てくる顔ぶれは固定されていないが、古くから
知っている人々が多いような気がする。
明け方の夢の中に、私のもうひとつの現実が
構築されてきている。
夢は生きられなかった自分の半分とか、夢を見ることは
現実を生きる上でとても重要だから、睡眠をとるのが
大事だとか、いろいろ言うけれど。


そんなことは、ずっと昔からとっくに分かっている。
小さい頃から知っていた。
ただ、どう扱っていいか分からないだけだ。
だんだん、そして確実に構築されていく明け方の夢に、
自分のもうひとつの現実に、ただとまどっているだけだ。

まだ継続中

2007-06-18 12:29:17 | Weblog
逃避願望はまだ止まず、どこかにマンスリーで
マンションを借りてひっそり生活するということを
考え始めた。
候補地は今のところ1ヶ所。
そしてこの場合、場所を優先して宿泊形態をそれに
合わせるべきか、マンスリーで契約できる場所を
見つけることで、場所を合わせるべきかという
新たな選択が。
その場所は、誰もが知っている人気のある場所。
そこにマンスリーマンションがある気配はない。
当たり前か。
もう少しあたってみて、さらなるいいアイディアが
降りてくるのを待ってみるか。

上下に揺れる

2007-06-15 15:00:29 | Weblog
昨日の帰り、電車を降りたら上下に揺れた。
景色が揺れたのか自分が揺れたのか。
ふわふわな足取りのまま、階段を上る。
縦に動くふわふわな景色を、エスカレーターの
せいか?と思う。
定点で見ても、縦の揺れはなんとなく続く。


そして今朝。
また揺れた。上下に。
座ったらぐるぐるした。
始まったか。再び。
大きいのは、これで三度目か。


今回はなんだ。
その答えは分かっている。
でもその答えの解決方法が、まだ見えない。


ひとりごと

2007-06-13 12:29:58 | Weblog
そのくらいのことだったら、私だって知っている。
もっと気の利いたことを期待していたのに。
所詮それは無理か。
芸術家でもクリエイターでもないんだもんな。
身内でも友達でもないんだし。


確かめただけの、ありきたりな返答。
朝っぱらからそれなりにメモして整理した労力は、
それは別にそんなに大したことじゃないけれど、
それでも空振りをした感覚がぬぐえない。


きっと、そんな程度なんだ。自分に限らず。
人はみんなそう。可能性もそう。潜在性もそう。
高いか低いか、顕現するか抱えているか、
気づかないか、それだけの違い。
それだけが実は意外と大差だったりするけれど。


なんだ、慰めでもしてほしかったのか、私は。



また夢を見た。

2007-06-11 11:45:43 | Weblog
「また」なんて言うほどのこともない。
毎日毎日見てるのだから。境目の分からないくらい。


いつも同じ場所。同じ次元。
重なる顔ぶれと以前の延長。
いつからか、私はその夢の完全な住人になっている。


同時にこちらの生活も考えている。
今日は何曜日で何時に起きなくちゃいけないんだったか。
そっちでは日曜日だの水曜日だの言ってるけど、
水曜日が正しいんだったっけ?
目覚ましが鳴って、こちらに戻されて時間を見ると、
月曜日だった。また引っ張られるところだった。


真実とか自分に近いとか、そういう尺度で見れば
どっちが正しいのか、もはや分からない。
本当に。


石は近い?

2007-06-08 12:43:30 | Weblog
かつてどこにどんな国があってどんな人々が
暮らしていて等々、歴史や伝説はさておき。

石は自分に近いかも知れない。

改めてそんなことを思った昨夜。

海派、川派、山派、森派とかいろいろあるけど、
そして自分では海へのあこがれがとても強いと
思っていたけど。
どうも森や土や、そっちの方面みたいだ。
どこか避けていた部分もあったけど。

だから、石は近いかも知れない。
誰にとっても同じ作用があるのだろうけど、
度合いや受け止め方からすると、どうもそんな
気がする。