おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

あともう少しで終わるというのに

2006-02-28 20:41:49 | Weblog
やっぱりつまらないものはつまらない。
そして、知れば知るほどつまらなくなる。
深入りすればするほど嫌になる。
関わりたくなくなる。面倒くさくなる。
ひとりでいる時空間を尊重してほしいと
強制したくなる。

終わりが見えてきつつあるときほど、耐性が
下がってしまうのかも知れない。あるいは次の
ものが見え始めていて、それが面倒くさいと
思ってしまっていたり。

せっかく休んだ週末も、ゆっくりと時間が流れて
いるのを実感した空間も、日常は一気に引き戻す。
もはやそれも残酷だとは思わない。
着地点がわかっているのにそこに向かう術をまだ
体得していないから、きっとこんな風なんだろう。
術を得て着地できてしまったら、またつまらなく
なってしまうかも知れないけど。




流れを止めないでほしい。
というか止めさせない。絶対に。

妨げられること

2006-02-28 14:11:12 | Weblog
会話で横やりを入れられるのも、作業を中断されるのも、
会話に割り込まれるのも、目の前を人が横切るのも、
本当に嫌いだ。殺意さえ感じる。

仕事だからやむを得ないと自分を納得させるけれど、
もしそれが仕事外で身近な人間だったら、本当に縁を
切る。些細なことかも知れないけれど、無駄に殺気立つ
ような思いをするのはかなわない。

仕事でもやむを得ないと納得させられないこともある。
あからさまに態度に出しても、やっぱり伝わらない。
もしかしたら自分も同じようなことをやっているかも
知れないのだからと、相手を極力責めないようにする。
我慢をしているのか傲慢な自分を消しているのか、
もはや分からなくなってくる。

実は無力なのかも知れない。
自分で思っている以上に。

それぞれの事情

2006-02-27 16:36:00 | Weblog
時間は一応共通の物差しで、誰にでも平等に流れている
ということになっている。そしてそれぞれに使い方も
価値のおく場所も違う。
自分の価値を押しつける気はないので、その部分には口を
閉ざす。共有している時間に対してすら、自分の物差しで
モノ申すことはない。ただ沈黙する。

自分に何かを言い聞かせることは、本当に疲れる。
自分の意にそわないことを何らかの形で納得させるための
作業のひとつ。方法としては1番手っ取り早いが、しこりや
不満が残りやすい作業。
持続するしこりや不満を跡形もなく消滅させるのも、また
技術なのだろうか。



事情を受け取る際の偏見や表面化しない情報が、持続に更に
拍車をかける。

仕事をすっきり忘れて

2006-02-27 12:05:33 | Weblog
過ごすはずの週末だったが、やはり心の隅には引っかかっており。
〆切や最終提出が迫ってきているので、しかたがない。
かかわる人達すべてを受け入れることはできないので、
受け止める工夫だけをするしかない。

それでも、会社とは完全に切り離して過ごした。
数カ所回り、何人かと会い、久々に散財してみたり。
他の部分が楽しく平和だったせいか、常にあるものへの不満が
突出してみたり。あえてそれをあからさまに出してみたり。
思い出すとまたムカムカしてくる。狭量だと言われようと、
ダメなものは治らない。

不快感と面白さ、安心感と疲労を強く印象づけられるように
経験した週末だった。それぞれ無関係で、時々ぽろぽろと
思い出す。



そんなのも,いつかは忘れていってしまうのかも知れないと思う。
あれはいつのことだったかと、思い出せなくなってしまうかも知れないと思う。

あげあしをとる

2006-02-24 16:39:48 | Weblog
相手が弱いと認識するからなのか。
自分の不安をかき消すためなのか。
他でためたストレスのはけ口なのか。

どれだか知らないけど。

自らの姿を、鏡で映してみるといいのに。
良くも悪くもいろいろなものが見えるのに。

その醜さにありがとう。
鏡を見ずに済んだから。



でも。



私は絶対そんなものの言い方はしない。

闇の質

2006-02-24 10:44:25 | Weblog
同じ闇でも質が違うことを、やっと正面から認識した。
一度それを経験していたのだが、その時は闇が自分と
合わないものというより、邪悪で、強い力をもつもの
という認識でしかなく、それを手放すべきであること
ははっきりしていた。
今回は、強烈に引き寄せられ重く息詰まる気を感じ、
邪悪さはないもののあまりよくないもの、それでも
強い力で引きつけられてしまうものとして認識した。
手放すべきだとの判断は速かったのに、手放す決心を
するのに時間がかかったのは、引きつける力の強さ
だったのだと思う。



きっと、引き寄せられる闇のバリエーションは今後
もっと広がり、引き寄せる力はもっと強くなっていく。

何日も

2006-02-23 16:57:50 | Weblog
たった気がする。
絶対的な時間の長さなんて、本とのところないのでは
ないだろうか。そんなことを考える。
「時間」「時」への意識が強いのはなぜだろう。
一生を終えて死を待ちわびるでもなし、未来に期待が
あるわけでなし、目の前のことをなぎ倒すためだけに
しか「今」がないと思っているのに、振り返った時
視界に入る過去の「時」に対する長短や速い遅いは
気になる。



決まったことを繰り返して過ごすのが、嫌でたまらない。
たまらないはずなのに、繰り返している。
そのしんどさを思うと気が遠くなるのに。



何日もたった気がするのは、時間配分がちょっと変わった
からだろう。刹那のことではあるが。
そんなことが、1日を短くしたり5分を引き延ばしたりする。
そこに普遍の絶対はなく、自分の内側にだけ存在する絶対
があるだけだ。それを知ったことで、現実生活で起こす
些細な行動に思いがけない意味があったりすることにも
気づいた。欠落しているのが常識的普遍的な部分であるから
こそ、平凡さが削ぎ落とされた刺激を受けることができる
のかも知れない。




そしてすぐに今日の継ぎ目がやってくる。
昨日の継ぎ目がやってきたように。

2006-02-23 13:51:47 | Weblog
急に耳が聞こえるようになった。
詰まって圧されていた状態が急に。
最近は何事も突然に起こるので、心の準備とか予想とか
そういうものは無駄なうえに、突然が普通になってきて
いるので驚きも動揺もない。
現実生活の方が、よっぽどぐらぐらだ。

しかし今回は長かったな。耳が遠い期間。
カゼもあったけど、閉じ込めておかなければならない
自分が内側にあったんだろう。あるいは吐き出さなければ
ならない自分が出てきたのか。
あの子と話すことが習慣づけられるまで、外界とのある種
隔絶が必要だったのか。

どちらの側にもつかない

2006-02-22 18:24:12 | Weblog
身近でごたごたともめているのを、当事者でなく
遠巻きにながめる立場として、ここに在る。
善悪や好みを言えば、どちらかに寄るのは当然。
したいことを貫けば犠牲になるものが出るのは当然。
その嗜好までも含めてどちらかに寄るなんて、そんな
面倒くさくかつ自分にメリットのひとつもないような
ことをする気はまるでない。
どちらの側にもつかないことで発生する面倒くささに
巻き込まれるようであれば、そもそも論としてもはや
彼らに関わることをやめる。
冷たい冷たくない、そういう問題とも違う。
自分自身が最優先で、彼らを自分と同じくらい大事に
思うかどうかの話だ。それほどのものではない。
刹那に関わり、私の歴史の中に足跡を残しすれ違って
行く人々。大したことではない。



よくある話だ。

日々のこと

2006-02-22 13:49:28 | Weblog
子どもの頃なにげなく交わされていた会話が実はとても
重要だったのだと、昨日やっと気づいた。
その重要さの度合いが高いほど、悲しい度合いも上がる。
発する言葉のひとつひとつが、なんだか違う響きをもって
伝えようとしているなぁと、自分を顧みる。
些細な日々のことを話しているけれど、きっとそれの蓄積は
私を救うのだろう。私の発する言葉は私という壁を出て
外の気を取り込み、相手に伝わって再び私へ戻る。
そのプロセスを杜撰にすることがあまりにももったいないと
そう思えるようになっただけで、その簡単な方法は、つらさ
だけではないものをすでに私に与えてくれている。
結果を出したくて始めたことが、プロセスのひとつひとつの
重きに目を向けさせることになるとは思わなかった。




始める前に覚悟を決めておいてよかった。
まだまだ足りないくらいだけど。