おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

ここで考える

2008-12-30 12:59:56 | Weblog
何が本当はいいんだろうと、ここにいると考える。
ゆっくりできること、安心できること、人がいること。
このことの意味を深く感じる。
それでもやっぱり、いつもの生活があることも
同時に考える。



いつかどちらかに絞らなければならない時が来るかも
知れない。その時になったらやむを得ず考えるのか。
今だから、こうやって迷ったりのんびり考えたり
できるのかも知れないと思う。

安らぎのちがい

2008-12-25 18:40:57 | Weblog
いよいよ明日。
安らげる。


ここでもそこでも安らげるけれど、
そこでは子どもでいられるから。
そんな贅沢なことは、
いつかは失っていくものだから。



大事にしよう。それを。
忘れないでおこう。そのことを。

そういうこともあるのだと

2008-12-24 18:20:10 | Weblog
やっぱり何かあるから引き留めるのであって、
あんなに必死に引き留めていたのを改めて思い出す。
それでもやっぱり決意は変わらず、その世界を捨てて
しまったと思ったら。


この世界でもダメだったか。



引き留められて戻っても格好悪いことじゃない。
最後に決めるのは自分。


そう、最後に決めるのは自分。

2つの自分

2008-12-23 11:11:34 | Weblog
新しいつながりが形成されていく過程は、なかなか面白い。
普通よりも外側から中心を見ながら、自分の後ろに立って
自分を動かしている、そんな感じ。


操られる方の自分がいつもの自分で、操る方の自分は
いつもはすましている自分。


分割されているように見えて、実はちゃんとひとつの
自分であって、役割を振り分けているところが面白い。


この状態をしばらく楽しもう。

分かりやすい

2008-12-22 18:17:20 | Weblog
やっぱり嫌なんだ。
消極的に嫌なのかと思っていたら、実はどうも
能動的な部分もあるらしい。
この後に及んで。


例のやつで取っ払ってしまおう。
思った以上に効いてびっくりしたから。


大らかであること

2008-12-21 11:02:02 | Weblog
結局、昨日のうちに片づけてしまった。
それはそれでこたえだったのだと思う。


その後の反応がどう出るのかは、時間をかけて知るだけだ。


意に沿うかどうかは、感情抜きでは受け取れない。
感情が波立たないためには、どこか大らかでなければと思う。


どういうことになっても、そういうことだと受け止める
大らかさが、きっと大事なんだと思う。

その日のうちに

2008-12-20 23:12:34 | Weblog
そうした方がいい、そうしてみたらと言われたことは、
その日のうちにやってしまうのがよいのだろうか。
言われた内容にもよるが、長年放っておいたことを
掘り出して何らかの行動を起こすのであれば、1日くらい
違ったところでどうということもない。
いや、実はそうではなくまさに「今このタイミングで」
ということなのだとしたら。


今、それの判別がつかないでいる。
今何かしたからと言って、後悔することはないだろう。
明日以降にしたからと言って、やっぱり後悔しないだろう。
そこの線引きのあいまいさ。


そのあいまいさと掘り起こされた問題の重要度は
正比例するものなのだろうか。

一段階ずつ

2008-12-18 18:19:19 | Weblog
とりあえずまた一段階終わった。また来週だ。
年明けを憂いながら過ごす結果にならないように、
ただそれだけだ。


心身は一体だというけれど、本当に似ているのかも知れない。
表立って出て来ないモノに、自分の陰や痛みを重ねている。
かわいそうに。
そのモノがかわいそうだ。


どういう結果が出るかは分からないけど、いたわる方法は
きっとあるのだろう。それができていたらこんなことには
ならなかったのだろうけど。


そっと様子を見ていよう。

安心した。

2008-12-17 13:14:45 | Weblog
ちょっと、いや随分安心した。
てつの威力は大きい。



何がどうなのか、それがどうなのか、
確かめはするつもりだけど。



それでも心配することはないと言ってくれる
その存在はとても大きい。



てつに幸あれ。