おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

嫌なこと

2008-02-27 11:04:02 | Weblog
思ったら本当にそうなる。
直観してもそれが自分に心地よくなかったら、
それを変えればいい。
直観から得たものをシフトする。



その方法を模索中。

書く、出す、売れる。

2008-02-25 16:56:53 | Weblog
「何か書けば?」
友人達が言う。
「うん、それ考えてるんだけどね」
私は答える。
そしていつか本当にそうなると分かっている。


売れるものがいいものとは限らない。
いいものが売れるとも限らない。


少数のロットでならば、いつか自腹を切って
出すこともできなくはないかも知れない。
自腹を切らずにいいものだと言ってもらえるものは、
普遍性か極端なまでの個性、斬新さを求める。


たぶん、そんな気がする。
そして、だから躊躇する。



杞憂

2008-02-23 00:03:32 | Weblog
奥底の次の層が不安でできているので、少しでも気にかかると
勝手に膨張する。
大丈夫だと、奥底の自分が安定してることを知っているのに、
現実により近い深い層が不安を増長するように妄想する。
考え過ぎだと言われるのはそこなのだ。
分かっていてこの層を除去できない。


そして蓋を開けてみたら杞憂だったことが、今までに
いくらでもある。いくらでも。


その層を除去するための薬なのか。
それともその層はやっぱり必要で、それは社会で生きる際の
自分を守る術なのか。

かんけつ

2008-02-19 11:35:02 | Weblog
疲労とともに毒素も抜け去った。
いいことだ。
熱にうかれてうなされて、内側だけで暴走するより、
動いてみて確かめて、醒めた心で受け止めて、
そんな作業を経験するための場所。


迷いはない。
結論はすでに出ていた。
あの時点で。
どの時点で?


決めたように動くだけだ。
いい指針を手に入れた。
+αが、むしろ大きかった。


サンフランシスコもそうだったっけ。
そのために行ったようなものだ。


強運だ。

落としどころ

2008-02-18 11:07:04 | Weblog
疲労が抜けて落ち着いた。
平常心。
ゆっくり見られることがやっとできるように。


そういうもんだと思っていれば、何とも思わない。
そういうもんだと思っていたから、腹も立たない。


自分の一線を保つ術であるにも関わらず、思いがけず
輪郭からにじみ出る弱さ。
そんなものを引っかけてしまうアンテナ。


それは自分が負うものではない。
それは私の課題ではない。
課題ではなく、ヒントだ。


そんな落としどころ。

塊のように

2008-02-12 20:48:28 | Weblog
いろいろなことや思いや考えや気持ちや記憶や全部全部、
あの白くそして少し土で汚れた道の脇の雪の塊のように。
密度がぎっしりなようで、指でつついたら難なくすっと
穴が開いて。


まだまだ道のりは遠い。
あの雪道のように、少しずつ歩いていくのか。
それとも違う場所へ向かって、歩いていくのか。
今は分からない。
疲れていることを、事実と言い訳の両方として使っている。
今は考えようとしなくても考えているから。


本を媒介にして、心の別の部屋でしばらく休んでいよう。
今すぐに何かできるわけではないから。



いよいよ

2008-02-08 13:01:33 | Weblog
明日。何かが動き出す。いやすでに動き出している。
行動となって表出するのが明日というだけで。


「どんなものでも、とりあえず食ってみる」と
比喩した友人。
今は、少しだけその意味が分かる。
自分にとっていいか悪いかは、とりあえず食べてから
考えてみる。好き嫌いもあるかも知れない。
そんな物差しすら要らなくて、ただ受け止めて
帰って来てから考えるのでもいい。


一瞬が永遠とも思えるような、そんな贅沢な力を
ゆったりとした気持ちの内から出せるといいと思う。

鉄板

2008-02-05 14:34:29 | Weblog
鉄板を投げつけるように言葉を返される。
その衝撃と痛みは、今まで経験したことがない。
なぜそうされるのかは分からないが、
「自分のテリトリーにこれ以上仕事以外で近づくな」
というメッセージを、毎回受け取る。
仕事の内容を話している時でさえ、瑣末なことになると
鉄板の言葉が目の前の通路を閉ざす。


今でも多少あるが、そんなに私が嫌いですか?と
憤って問い返したくなる。
そんなことで動じるような相手ではないことは、
毎日見ていれば重々分かる。
とにかく何かが彼女の勘にさわるらしい。


これは平常心を保つための修行なのか。
言葉に気をつけるとはどういうことなのかを、
彼女を通じて学ぶということなのか。

変わっていく

2008-02-04 10:52:14 | Weblog
昨日、いやおとといあたりから変わってきたか。
切った指も笛の音も平らかさも10ヶ月ぶりの決心も。


ひとつずつがとても晴れやかで、幸せで、なんだかもう
これ以上何が必要なんだというような、そんな満ち足り方。
現実問題の金銭管理だけは課題だけど。
それすらも、課題があることは改善ができるということ。
予定していてできなかったことがあり、
予定していなかったのにできたことがあり。


課題は思いがけない時に解消されるものかと思う。
ふと気づくと、そこに目が向いている。
そういうこともまた、変わってきていることの証かと思う。


自己満足でも、発する気配が広がればいい。
満ち足りた気配が、周囲を覆っていけばいい。

静寂

2008-02-01 12:29:44 | Weblog
静かだ。そしてとても平和だ。
人の気配の重圧が、周辺から取り除かれている。


やむを得ない状況とはいえ、誰もが感じているであろう
そういう重圧であるとはいえ、心が平らかになるのがいい。
さざ波ひとつ立たない湖面のように。


目まぐるしく入れ替わり立ち替わり動き回る人の中から
楽しい声だけの聞こえる静寂へ。
そしてそれは、もしかしたら内側を外側に展開した姿
なのかもしれない。


この静寂に。