おぼえがき。

日々思ったり感じたりしたことを失念しないためのもの。

ダメでも

2010-03-31 18:08:34 | Weblog
ダメだったか。
ま、しかたがない。



最初から気合いも入っていなかった。
ギリギリに出したぐらいだし。



そんな安易な心構えだといけないだろうけど、
気楽に構えていないと、また内側を削ることになる。




また次がある。
どこまでも次がある。

立て直しは大丈夫

2010-03-30 17:54:26 | Weblog
とりあえずは、立て直した。
内容にもよる。
今日は大丈夫だった。



あとは、自分が摂取するものを
きっちり確保できるかどうかだ。
それはきっと大きいことだ。



へこたれそうになった時に
自分にかける呪を
考えておこう。

月曜欠勤

2010-03-29 18:35:33 | Weblog
今日行けないのは卑怯だ。
逃避だ。
誰もが行きたくないのだから。




それでもどうしても具合が悪かった。
混沌としていた。



だから。
今から立て直しだ。
明日こそ。



そして、当面はこれが目標だ。

小さな同窓会

2010-03-28 14:22:55 | Weblog
久しぶりなのに、変わっていなかった。
変わっていないのに、変わっていた。



物差しという時間を持つ人間であること。
それが感情や気持ちに影響を与える。



なんだか雰囲気に飲み込まれたように
それはそれは賑やかで、そしてお互いが
とても近くて、そんな楽しいひととき。



何時間分、何年分に相当するだろう。

どこが境界線なのか

2010-03-26 23:35:09 | Weblog
社会への適応不適応の境界線は分かる。
常識非常識の境界線は個人差がある。
正常異常の境界線は時代によって変わる。
病気健康の境界線は患部による。



だけど本当の自分はどうなのか。
どこに立ち位置があるのか。
上下左右360℃すべてが自分の居場所であることだけは分かるのだが。

自分にとっての現実

2010-03-25 19:50:26 | Weblog
自分にとっての現実とは、目の前にあって
今できるだけ早くやらなければならないこと。



同時進行で進めていくこと。



どれも気を抜かないこと。
ひとつひとつていねいにやること。



内側だけで考えないようにすること。

友人

2010-03-24 18:49:27 | Weblog
20年来の友人に会った。
立派になっていて、話の半分も理解出来たかどうか。
それでも彼は、こちらの話をちゃんと聞いて
的確なアドバイスをしてくれた。



あの頃。
彼に勉強を教えてもらった。
何も変わっていない。
ますます賢く、余裕のある人になっていた。



友人がそんな風であることがうれしい。
そんな風に誇りに思える友人がいるという
そのこと自体がうれしい。



だから、自分も頑張ろうと思えるのかも知れない。

この場合は

2010-03-21 23:21:36 | Weblog
それでも、やっぱり自分を貫き通すのだとしたら。
問題はそこではない。



では、どこか。



出来ることをやるのではなく、
出来ることを伸ばす。
出来ていることを積み上げる。



それしかない。
今から新たに始めて、間に合うものではない。
今回の場合。



冷静に。

出来ることと出来ないこと

2010-03-20 21:52:11 | Weblog
出来ることと出来ないことがある。
具体的に書き出してみると、それは無残であったり
己の通用する範囲の狭さにがっくりしたりする。



それは、書類の上でのこと。
仕事のスキルの上でのこと。



そのことによって、自分が貶められる訳ではない。



ただ、不利なだけだ。
そこをうまく立ち回る方法を、じっくり考えることだ。

動く

2010-03-19 18:54:54 | Weblog
なにはともあれ、動けたということが大きいのだ。
そして、コツをやっとつかんだことも。



つかんだのではなく、見逃していたのだ。
片隅にあったのに、見えなくしていたのだ。



だから、動けた。
そしてまだまだ動く。
何も心配は要らない。