と言ったのは,河合隼雄である。
正確には,「臨床心理学は科学か?」と詩人の谷川俊太郎さんに聞かれて,「科学とアートの間にあるものだ」と答えたのだそうである。
あちこちにこの逸話は書かれているので,引用する人は多いようである。この話がそもそもの始まりなのか,それとも,他にも同じようなことを書いた者があるのか不明だけれども,臨床心理学=アート論なり,心理療法=アート論なりが確実にこの世界にはある。
以前,ある心理療法家にいかに心理療法がアートなのか,延々と説かれたことがある。当然,内容は忘れたが,その人は,アンチ河合先生の学派の人だったので,ひとり笑ってしまったのを覚えている。
Artという言葉は,芸術という意味もあるが,技術という意味もある。人工という意味もあるが,ま,河合先生の言う,アートは「芸術」のことだそうである。
芸術ねぇ。
確かに,芸術という言葉が,ものすごく力を持った時代があった。それは本当に確かにあって,アーティストの篠原勝之(クマさんね)が「ゲージツ家」と名乗ったのもその反動であろう。芸術というものがだれにも手が届かないほど輝いていて,なおかつ,今のインターネットみたいにだれにも開かれている,そんな幻想に酔えたこともあったのである。芸術は熱かったのだ。
だが,今は芸術と言われても,片腹痛い,そんな感じがする。
芸術家を気取ったセラピストに診られるくらいならば,科学者を気取ったセラピストに診られたい。横尾忠則や岡本太郎に人生相談はしたくないって思いません? いや,岡本太郎なら話してみたいが……。
もちろん,芸術=傲慢=芸術家ではないのだけれど。
科学者にだって,マッドサイエンティストいるし。って,会ったことないけど。
ちなみに,「ポストモダニズム」の最高の教科書は,岡本太郎の「青春ピカソ」である。いい本だ。絶対読め。損はない。
「青春ピカソ」ってタイトルもなかなかいいな,と思う。
もっとちなみに言えば,テレビで見る石田衣良氏は,「青春ゾンビ」って感じである。嫌いではない。本読んだことないが……。
閑話休題。
臨床心理学はアートか?
これは高慢な問いではないかと思う。
だれかがやっていることをアートだとかアートではないだとか,そういうふうに見ることなどだれにできるのだろうか。
できるとしたら,クライエントさんだけである。
確かに,臨床心理学はクリエィティブな作業が欠かせないが,そういう作業も他の学問にないわけではない。というか,そもそも人生を楽しく生きるのにはクリティヴさは欠かせない。
アート=個人的資質としたら,臨床心理学は半分「学問」ではないことになるし,大学教育で教えられるものでもなくなる。その論で行けば,国家資格の意味もなくなる。
というわけで,臨床心理学はアートではない方が健康だと思う。
でも,これはアートだと思う。
錯視だ。
ホームページもすごいのでぜひ見てください。
北岡明佳先生,頑張ってください。
というか,この北岡先生を紹介したかったのね,私は。
長い前ふり,かたじけなし。
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