世界「形から入ろう!」協会日本支部支部長代理補佐付臨時秘書見習いのpsy-pubでございまする。
先日も激しく憤りまして(何に?),○○なんてアホウなことを書いてしまいましたが,でも,「形から入るな」と言う人って,何から入ればいいのか,と問われたことないんですかね。などと思ったり思わなかったりどっちやねん。
たぶん,そもそも「形」をめぐる論争(そんなんあんのか知りませんが)は,芸術上の葛藤ではなかろうか,と思うわけであります。ワタシが思うわけってほどでもなく,常識なんすかね,こういうの。要するに,古来――というか江戸時代以降――,日本の芸術は「形」でありましたね。狩野派というだけで偉かったり,その伝統を何百年も受け継いだり。「道」と言ったりするのが,その象徴ではありませぬか。
一方,本来的に一番,自由度が高いのは芸術であります。自由であれという人を殴り殺してでも自由であれ,とニーチェは言い,感情や本能,人間そのものを剥き出しにして何かを作るのが芸術だと(たぶん,そんなことを)岡本太郎は述べたわけです。
で,それがArtつながりってことで,専門職のテクニークや生き様や論文の書き方なんぞに繋がっているわけですね。たぶん,類推するに。
形から入れるものならば→教えられる
形から入れないものだから→教えられない
という今ひとつ不毛な論争がけっこうイマダに続いている気がします。たとえば,「心理療法は教えられない」というようなことが言われるわけですが,「教える」という定義が大きく違うにしろ,「教えられない」わけはないだろう,という気がします。でも,「教えられない」という人は多い。河合隼雄先生の書かれたもので読んだ記憶もあります。
「教えられないもの」をある一定の水準を保ったまま弟子に伝える,というのは非常に難しいと単純に思いますなぁ。ユーザーの立場から言えば,そんなふうに専門職によって大きく違うというのならば,ちょっと困るョっつうのもある肝。
たとえば,
という本があるわけで,ワタシ,びっくらこいたんですが,芸術である写真芸術も,こんなふうに「検定」があるわけです。書道に「段」があるから,それと変わらんのかもしれんですが,いやでも,それでも,なんかオカシイという気がするわけです。だって,芸術は爆発でしょ。最後の聖地みたいな自由であるところの芸術が,なんで,こんなふうに「フォトマスター」なんつう,どうでもいいような資格(?)を作ってどうするわけ? 履歴書に書いたら,「カメタのキタムラ」とかだったら採用してくれるわけですか,と逆ギレですよ,逆ギレ。
とはいえ,冷静に考えると,総合的な知識は,技術の向上に確実に役立つわけですよね。
ま,ある程度の知識の共通化やテクニクの普遍化などはやっぱ必要かもしれません。
もちろん創造性はまた別であります。
それからね,いまある人の技術がいくら向上しても,その下の世代が同じように育っていかないと,専門職として成り立ちません。無形文化財になってしまう。そうならないように,「教育」があるわけですが,問題なのは元からダメな人,でありますね。
ある程度のスキルがあって,知識があって,やる気があったって,そもそもコミュニケーション能力がない人は無理ですよね。耳が聞こえない人に電話相談は残念ながら出来ません。
要するに,適性の問題ですが,こればっかりは「入口」である,高校生や大学生などへの「告知」にすべてがかかっています。専門職で人気のある職業は,正直,「イメージ先行型」ばかりですが,逆に人気のあまりない職業は,イメージを高める必要があります。
たとえば,
なんて感じで。
ま,このマンガ,ほんと,オモロいんで是非読んでちょ。これ,老人介護のマンガです。国策マンガか,とか思ってしまうわけですが,そんなんじゃなく,臨床系の方には身につまされるところがあるマンガでございますよ。ウチの近所の貸し本屋に5巻以降が入らんでヤキモキしておりまして,いや,やっぱ全巻買っておくかとシアン中なんでありますが,全然カンケネ。
そういうわけで,「形から入れる」ような,「イメージのよい」マンガ,ありませんかね。
それよか,専門書編集者に若い世代を入れるような,うんな,マンガのほうがキボンヌでしょうか。
つか,なんか,疲れた。
もう帰ります。(早ッ
先日も激しく憤りまして(何に?),○○なんてアホウなことを書いてしまいましたが,でも,「形から入るな」と言う人って,何から入ればいいのか,と問われたことないんですかね。などと思ったり思わなかったりどっちやねん。
たぶん,そもそも「形」をめぐる論争(そんなんあんのか知りませんが)は,芸術上の葛藤ではなかろうか,と思うわけであります。ワタシが思うわけってほどでもなく,常識なんすかね,こういうの。要するに,古来――というか江戸時代以降――,日本の芸術は「形」でありましたね。狩野派というだけで偉かったり,その伝統を何百年も受け継いだり。「道」と言ったりするのが,その象徴ではありませぬか。
一方,本来的に一番,自由度が高いのは芸術であります。自由であれという人を殴り殺してでも自由であれ,とニーチェは言い,感情や本能,人間そのものを剥き出しにして何かを作るのが芸術だと(たぶん,そんなことを)岡本太郎は述べたわけです。
で,それがArtつながりってことで,専門職のテクニークや生き様や論文の書き方なんぞに繋がっているわけですね。たぶん,類推するに。
形から入れるものならば→教えられる
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という本があるわけで,ワタシ,びっくらこいたんですが,芸術である写真芸術も,こんなふうに「検定」があるわけです。書道に「段」があるから,それと変わらんのかもしれんですが,いやでも,それでも,なんかオカシイという気がするわけです。だって,芸術は爆発でしょ。最後の聖地みたいな自由であるところの芸術が,なんで,こんなふうに「フォトマスター」なんつう,どうでもいいような資格(?)を作ってどうするわけ? 履歴書に書いたら,「カメタのキタムラ」とかだったら採用してくれるわけですか,と逆ギレですよ,逆ギレ。
とはいえ,冷静に考えると,総合的な知識は,技術の向上に確実に役立つわけですよね。
ま,ある程度の知識の共通化やテクニクの普遍化などはやっぱ必要かもしれません。
もちろん創造性はまた別であります。
それからね,いまある人の技術がいくら向上しても,その下の世代が同じように育っていかないと,専門職として成り立ちません。無形文化財になってしまう。そうならないように,「教育」があるわけですが,問題なのは元からダメな人,でありますね。
ある程度のスキルがあって,知識があって,やる気があったって,そもそもコミュニケーション能力がない人は無理ですよね。耳が聞こえない人に電話相談は残念ながら出来ません。
要するに,適性の問題ですが,こればっかりは「入口」である,高校生や大学生などへの「告知」にすべてがかかっています。専門職で人気のある職業は,正直,「イメージ先行型」ばかりですが,逆に人気のあまりない職業は,イメージを高める必要があります。
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なんて感じで。
ま,このマンガ,ほんと,オモロいんで是非読んでちょ。これ,老人介護のマンガです。国策マンガか,とか思ってしまうわけですが,そんなんじゃなく,臨床系の方には身につまされるところがあるマンガでございますよ。ウチの近所の貸し本屋に5巻以降が入らんでヤキモキしておりまして,いや,やっぱ全巻買っておくかとシアン中なんでありますが,全然カンケネ。
そういうわけで,「形から入れる」ような,「イメージのよい」マンガ,ありませんかね。
それよか,専門書編集者に若い世代を入れるような,うんな,マンガのほうがキボンヌでしょうか。
つか,なんか,疲れた。
もう帰ります。(早ッ
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