和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

まひるの月を追いかけて

2010年09月26日 | Weblog
 奈良が舞台となる小説の中でもこれほど奈良の観光地を網羅したものは無いのではないでしょうか?二時間ドラマのような推理小説では後付け感がありすぎて、奈良を舞台にしていてもちっとも嬉しくないのですが、こうも良い待遇をされると本当に奈良でいいんでしょうか?やっぱり京都のほうが・・と卑屈な思考をしてしまいます。

 あらすじはと言うと、突然、行方をくらました殆ど親交の無かった異母兄の敬吾を探す為に、手掛かりを追って奈良の地へ行く羽目になる主人公の静。その静を奈良に誘ったのはこれまで二度しか会った事の無い敬吾の恋人。あくまでも付き添いの脇役として始めた旅の終わりに思わぬ事実に直面する事になる。

 という事で、恩田陸さんの本をいくつか読んだことがある方なら、異母兄妹というシチュエイションにピンと来るはずです。そう、恐らく代表作言って良く、若い人に是非とも読んで欲しい良質のジュブナイル「夜のピクニック」とほぼ同じ設定な訳で、この人はよほど異母兄妹が好きなのかと勘繰ってしまいます。
 「夜の」を読んでみると作家というのはどれ位の割合で虚実を混ぜるものなのかが気になってしまいました。というのも自身が学生時代に二度、オーバーナイトハイクを経験しており文中の高揚感のようなものに共感できる部分が多かったのです。高校では無く、ましてや誰からの強制ではない任意の参加だったにもかかわらず二年連続で参加し、事情が許せば在学中皆勤するくらいに当然参加するだろうと言う雰囲気が皆の間にあり、その奇妙な魅力は一度経験してみないと分からないのかも知れません。物語にアクセントを付けて物語を加速させる役割の「自由歩行」何てのはうちにはありませんでしたけど、単なる想像で作り出せるはずも無いので何かを参考にしているのでしょう、作者自身の経験かテレビのドキュメンタリーで高校のナイトハイクを扱ったものがあったのかもしれません。

 話を戻して、この作品に言える事は、相変わらずこの作者らしく登場人物の細かい心理描写には共感が出来て感嘆させられるのですが、読み手が男性か女性かで感想が変わるかも知れないにしろ、物語の大きなプロットに全く共感が出来なかったということに尽きるのではないでしょうか。
 異母兄の敬吾が本当に愛していたのは誰かという所へ物語が収斂されていくのですが、自分には最後まで分からなかった、と言うより無い筋として頭から除外していた結末でした。読み返してみると幾つもほのめかされている箇所があり意外でもない筋であり、自分がいかにノーマルな思考であるかを感じさせられる結末は、まあそういうのもありかなという印象です。

 奈良を三泊四日で旅行するという物語の設定はかなり贅沢なものですが、実際プランを立てるとコースは限られて来るもので、ガイドブックにある既存のプランに沿ったものがやはり無駄なく各地を回れるものです。作中もほぼ定番と言って良いルートを歩きますがそんな中でも幾つか定番から外れたり特別な場所に立ち寄ります。
 中でも橘寺は都合二度登場する作品の肝になります。古臭いイメージの多い寺の中で「聖徳太子生誕の地」のここは華やいだ暖かなイメージなのかもしれません。物語の最後を飾る場所に選んだ理由も作者の橘寺へのイメージが反映されているのでしょう。ただ、自分は橘寺には東門からしか入山した事が無く、作中に描かれる橘寺が雰囲気も含めて記憶の中のそれと全くダブらない事にかなり戸惑いました。旅行者の抱くイメージとある程度この地に長く暮らしている者との風景の見え方の違いもあるのでしょう、同じものでも人により全く違った見え方をしている事は良くあるものです。
 ただ、東の山塊から西に向かってなだらかに降る地形の飛鳥は、近鉄各駅からアプローチするとほぼ登り勾配の行程になり、橘寺も緩やかな高台に位置するという当たり前のこと、西門が存在していたことを知らなかったのは少しばかり恥ずかしいことでした。