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Potter's Diary

私の生活諸々と陶芸作品の紹介(ヒューストンより)

アムステルダム 2

2013-08-17 | 旅行


ザーンセ・スカンス<Zaanse Schans>の風車

毎回、金魚のフンのごとく夫の学会についてまわる私ですが、夫が学会中は、一人で時間をつぶす必要があり、自分で計画をたてて、一人でウロウロするわけです。でも今回の学会では、親切にもそういう人たちのためのツアーがありました。参加するヒト、そんなにたくさんいないだろうなぁ、という私の予想に反して、集合場所に行ってみるとすごい人だかり。結局大型バス2台がいっぱいになってました。けっこう私みたいな便乗組っているんですね。

どこに連れて行ってくれるのかなぁ、と思っていると、バスはアムステルダムを後にしてどんどん北へ。海をわたるトンネルを抜けて行くこと30分。ついたところはなんとものどかな緑のなかに風車がポツン、ポツンと見えます。そこはザーンセ・スカンスという風車がいまだに仕事をしている地域。海抜が低いオランダでは昔、風車を使って水を移動させていたので、全土に9000以上の風車があったそうですが、今は殆ど使われていないそうです。そんな風車を守ろうと、この地域は博物館のような形で地域の物産品なども一緒において、17世紀ころの街並みを再現して観光客に紹介しているようです。


川沿いに並んだ風車


この風車はピーナツを挽いて、ピーナツオイルを作っていました。


チーズ工場

近くにあったチーズ工場では、いろいろなチーズを作っていました。工場の横の店で売っているチーズはとても種類が多くて、買うのにかなり迷ってしまいました。いろいろなハーブを混ぜたもの、ペッパーを入れたもの、牛ばかりじゃなくて、ヤギのチーズ、羊のチーズ、殺菌してないミルクで作ったチーズなどなど... 例の丸いかたいかたまりチーズなのですが、それでもこんなに種類があるのです。いやぁ、ほんと、びっくり。結局私は今まで食べたことがない羊のチーズと、ベイジィルの葉の入ったチーズと殺菌してないミルクで作ったチーズ、三種類を買ってみました。


木靴の工場

昔は手で一つ一つ彫っていたそうですが、今はこういう機械で一個作るのに5分もかからないようです。

 
こんなにステキな木靴もあって、現在でもしっかり利用されているようです。通気性もよく、丈夫なのだとか..

次に訪れたのはこの城。まるでおとぎの国のお城のようでした。


Castle of Muiderslot

13世紀頃に建てられたお城だそうですが、城主が惨殺されるという悲惨な歴史もあるようです。一時は荒れ果てていたようですが、17世紀頃に再建されて、オランダのシェークスピアと言われたPieter Corneliszoon Hooft が40年あまり住んだのだとか_。


キッチン

 
フェルメールの絵のようなダイニングでした。


これが大人用のベットです。まっすぐには寝られません。あの時代は頭に血液が回ると死ぬと考えられていて、まっすぐには寝なかったのだそうです。


天井が高く、なかなかステキですが、冬は寒かっただろうなぁ。


アムステルダムから、車で15分くらいの郊外にあるこの城の近くの街並みはとてもきれいでした。

このツアー、知らないヒトばかりでしたが、みんなそれぞれ知らない同士、それなりに楽しいものです。私のバスのお隣さんは、イギリスのリバプールの近くに住む学校の先生で、お姉さんの学会参加についてきたのだとか。ボストンから来たヒト、シカゴから来たヒト、ノルウェーから来たヒトなど、とてもインターナショナルでした。一人ではとてもこんなツアーには行けなかったので、なかなかよい体験でした。こんなツアー、いつもやってくれるといいのに_。

 

 


アムステルダム 

2013-08-16 | 旅行


ダム広場に面したホテルの窓から見える宮殿(早朝だからだれもいません)

今回で3度目になるアムステルダム。前回来たのは2010年でした。この街は外国人にとても優しくて、大好きです。学会で忙しい夫がいなくても、一人であちらこちらを見て歩くのがとても楽なのです。今回もさっそくアムステルダム国立美術館に行ってみました。2012年にリニューアルされたと聞いていましたが、行ってみてビックリ。全く違う、新しいすばらしい美術館に変わっていました。以前の美術館も重厚でよかったのですが、狭くて、暗い感じで、どこに何があるのかとてもわかりにくい美術館でした。


アムステルダム国立美術館 正面

 
裏側 -以前はかなり荒れたカンジでミュージアム・ショップがポツンとあるだけでした。


入ってすぐが大きなホールになっていて、キャフェテリアもあり、その下がミュージアム・ショップになってました。


とても広々していて、しかもわかりやすい...


レンブラントの「夜警」の前はいつも人だかり_

  
この美術館所蔵のフェルメールの3枚、これを全部一緒にに見たのは3度目にしてはじめてでした。


この図書館、古い建物の時には、どこにあったのかわかりませんでしたが、まるでハリー・ポッターに出てきた図書館みたいです。


街の中は相変わらず花でいっぱい...

 
「5匹の蝿」という妙な名前のレストラン。17世紀からの建物をそのまま使っていて、そのころのデルフトタイルも残っているという歴史あるレストランなのだそうです。

  


ウィーンのグスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、そしてベートーベン

2013-08-16 | 旅行

黄金のドームがのった、分離派のシンボルと言われている"セセッシオン"の建物

ウィーンの街には、世紀末に活躍したアーティストたち、クリムト、エゴン・シーレ、ココシュカらの作品がたくさんあります。初日に行ったレオポルト美術館には、エゴン・シーレのコレクションがありました。

   

 
エゴン・シーレの作品は、自画像や、人物画が多いのですが、私はこういう景色の作品がとても好きです。この写真ではうまく出ていなくてとても残念なのですが、なんとも言えない色づかい、しぶさがとてもいいのです。

撮影禁止だったのか、それとも圧倒されちゃったせいなのか、よくわかりませんが、結局クリムトの写真は一枚もないことにあとで気がつきました。彼の作品は、ほとんどがとても大きくて、展示室に入っただけで圧倒されるような迫力があります。色使いといい、細やかな模様といい、どこをとっても美しいものが壁一面で迫ってくるのです。

どっぷりとクリムトの世界に浸りきることができました。

そして、上のセセッシオンの建物の中には、クリムトの「ベートーベンフリース」というベートーベンの交響曲第9番をテーマにした壁画が展示されていました。部屋全体を覆うクリムトの世界は、流れるように美しくて、その世界の中に酔って溶け込んでしまいそうです。

たった3泊のウィーンの旅、たくさんのことができるわけもなく、なんとかベートーベンゆかりの地、現在では高級住宅地になっているウィーン郊外のハイリゲンシュタットに行ってきました。ベートーベンは、かなりあちこちに住まいを変えたらしく、ベートーベンの家、というのが何軒か残されています。


ここには、「エロイカ」の直筆の楽譜もありましたが、「皇帝ナポレオンに捧ぐ」という部分が黒く塗りつぶされていました。

 
ベートーベンの散歩道とエロイカ通りの交差点

 
ベートーベンが散歩をしながら田園の構想を練ったという小川の流れる小道

この散歩道を歩いてみましたが、今ではすぐそばまで住宅が迫っているし、かつてはウィーンの森の中だったのかもしれませんが、これといってとくに特別っていうカンジの小道ではないのです。この道を歩きながら、あんなすごい曲ができちゃうんだ...と、そちらにカンシン。

 
ここにもベートーベンは住んでいたのだとか... 現在は酒場になっています。

 
中に入ってみると、ブドウのつるがつたう、とても素敵なレストラン。


巨大なシュニツェルをワインと一緒にいただきました。おいしかった!!

ベートーベンってとても遠い世界の偉大な作曲家だと思っていましたが、こうして彼の住んでいた家を訪ね、彼が歩いたであろう道を歩いてみると、「あぁ~意外とフツーの世界に生きていたヒトなんだ...」なんて思えて、「田園」のメロディーを口ずさみながら散歩をしているベートーベンさんに会えそうな気さえしてきてきました。


ウィーンへ 2 

2013-08-16 | 旅行


ドナウ川

2日目は乗り降り自由なツアーバスに乗って、ウィーンの郊外にあるハプスブルグ家のもう一つの宮殿、シェーンブルン宮殿に行きました。


宮殿正面


宮殿裏の広大な庭園

宮殿の中は撮影禁止なので、写真を撮ることはできませんでしたが、贅の限りを尽くした美しい部屋がいくつも続いていました。驚いたのは、エリザベト王妃が、エジソンを呼んで、電気を王宮に取り入れたというハナシ。エジソンはここまで来てたんですねぇ。彼女は今風のバスタブのあるバスルームを作らせり、エクセサイズの道具を取り入れたりと、かなり活発な新しいタイプの女性だったようです。

帰りはまたツアーバスに乗ってベルヴェデーレ宮殿で降り、クリムトの「接吻」を見にいきました。


宮殿からウィーン市内を見下ろすことができる緩やかな斜面の庭園

クリムトの「接吻」は、ほんとうにゴージャスなものでした。ほのぐらい部屋の中に、ふわっと浮かび上がるようにその絵はありました。な~ぁんて表現してよいのかわからない、不思議な、圧倒的な迫力がありました。やはり、「ホンモノ」は見るべし!! 


ウィーンへ

2013-08-15 | 旅行

6月末、アムステルダムでの学会に参加する夫とともにアムステルダムまで行き、学会の前にウィーンに行ってきました。モーツァルト、ベートーベン、マーラー、ブルックナー、ヨハン・シュトラウスなどの名立たる作曲家が過ごした街。そしてクリムト、エゴン・シーレたちも暮らしていた街。ハプスブルグ家が栄え、かの美しいエリザベト王妃がいた街、「ウィーン」

6月末だというのに、雨模様でヒューストンから行った私には、夏とは思えない肌寒さで、ちょっと驚きました。でもあちこちに色とりどりの花が咲き、どこを見ても美しい街並みでした。

 
ホテルの目の前の公園にあった、ヨハン・シュトラウスとブルックナーの記念碑

王宮の横にあったモーツァルトの像


オーストリアの偉大な女帝で、マリー・アントワネットの母、マリア・テレジア

まずは、ハプスブルグ家の王宮見学に行ってみました。入ったすぐが食器のコレクション。どんな食事をしていたのか、想像できませんが、食器類はとにかくゴージャス。質もすばらしいし、その数がまたすごい... 

 

 
パンを入れるための特別な折り方をしたナプキン


パーティーの時は、こ~んなかんじで、お食事...

この旅行に行くに当たって、なんとかあのウィーンフィルのコンサートホールで、コンサートを聴くことができないものかとウェブサイトを探してみたところ、観光客用のコンサートですが、モーツァルト・コンサートなるものがあったので、チケットを予約して行きました。時期はずれのため、もちろん、ウィーン・フィルのコンサートは聴けるわけもないのですが、モーツァルトの時代の扮装で、あの樂友協会の黄金のホールで演奏が聴けるというので、楽しみにでかけました。買ったチケットはVIPチケットとかいうもので、ちょっと高かったのですが、「食事付き、お迎えの馬車付き、演奏の幕間にはシャンペン付きで、オーケストラの団員との歓談付き、におまけでCD付き」というものでした。食事はホテル・ブリストル(この日、このホテルにはポール・マッカートニーが泊まっていました!!)のレストランで、なかなか雰囲気もよく、おいしかったです。そして食事が終わるころにモーツァルトの頃の扮装をしたお兄さんが迎えに来て_。

 
モーツァルトの頃の扮装をしたアゴン。こんな馬車に乗って、街をくるっとまわって学友協会へ。


樂友協会


絢爛豪華な黄金ホール


幕間に楽屋のほうに案内してもらい、指揮者と歌手の方たちと話をすることができました。


有名なモーツァルトの曲やヨハン・シュトラウスのワルツなどの歌や演奏で、予想以上に楽しいコンサートでした。

 


Travel to Japan 3 「築地 」

2013-04-15 | 旅行

マグロの競り

東京二日目の早朝、「マグロの競り」を見ようと4時起きで築地に向かいましたが、残念ながら定員になってしまっていて、入れてもらえませんでした。仕方がないので、早朝の築地をブラブラ。5時前から店はオープンし始めるからビックリ。おすし屋さんにはすでに長蛇の列。

 

 

 

 

 

 

小さな電気運搬車が忙しく行きかい、ちょっと油断すると轢かれそう。この時間からもうここはかき入れ時。あれこれ珍しい野菜や魚介類をながめてこの日は帰ってきました。

そして、この旅行の最終日、成田を発つ朝、今度は3時10分にホテルのロビーで待ち合わせをして、タクシーで市場へ。列に並び、二つのグループに分けられて待つこと1時間半。ようやく競り見学ができました。

 

床に転がっているマグロたちの大きいこと!! しっぽの方がわずかに切れていて、そこにライトを当ててカマで開いて品質を確かめているようです。テーブルの上には切り身のようなものも乗っていました。競り自体は、なにやらものすごい早口で数字を言っているのですが(KG当たりの値段だというのですが...)今一よくわかりません。でも、マグロってこんな流れで食卓の上にのるのか...と、これからは食べるたびにあの床に転がっていたマグロを思い出すことになりそうです。

 競りで買って来たマグロをおろしていました。


Travel to Japan 1 「桜 」

2013-04-07 | 旅行

陶芸の仲間たちと陶芸の旅をしてきました。ラッキーなことに東京も京都も桜が満開。いつもは街路樹の一本としか見えなかった木が、この時ばかりは一年の中で一番おめかしして輝いていました。日本にはこんなにたくさんの桜があったのかと改めて認識。日本の桜はほんとうに美しい...
上の写真は、京都円山公園の巨大な枝垂桜。これは2代目だそうで、220歳で枯れた一代目の種から育てられて、現在約80歳くらいなそうな... 枝を支えられながら、華麗に咲いている様は、ものすごい迫力。清水寺から夜道を歩いて行った甲斐がありました。今回見た桜の中でも圧巻でした。

東京では、はとバスツアーで東京見物。これは東京タワーから見た増上寺周辺。桜の淡いピンク色でふちどられたお寺が、ふわぁ~っと浮いているようでした。

この桜は白金台にある八芳園の濃淡の桜。桜にもいろいろな種類があるようです。江戸時代の大久保彦左衛門の屋敷跡でもあるそうな。ここではお茶室で茶の湯体験ができ、お抹茶をいただきました。

かわいらしい桜の形をしたお干菓子

春は結婚式シーズン。結婚式場としても有名なここ八芳園でも、たくさんのカップルが美しい桜の下で写真を撮っていました。

ランチを食べた椿山荘の、すぐ横を流れる神田川沿いに咲き誇る桜。昔、ここから歩いて10分くらいのところに住んでいたけれど、あの頃からこんなに桜が咲いていたのかなぁ。

皇居のそばにモリモリと咲いていた元気な桜。この後、隅田川遊覧で浅草まで行き、隅田川の千本桜も見ましたが、船内からスカイツリーをながめて見とれているうちに、写真を撮るのをわすれました。さすがにスカイツリーは高かった... 東京タワーの3倍って、やっぱりすごい!!

翌日の早朝、築地のまぐろの競り市を見ようと、4時に起きて行きましたが、競り見学はすでに定員でいっぱい。仕方なく築地のショッピング。

築地にはお皿の桜シリーズがズラリ。

東京を二泊して、京都へ。京都ではまた東京と同じく、観光バスを利用して市内見学。平安神宮の桜が見事でした。

桜の向こうには白無垢の花嫁さんが... 古式ゆかしく平安神宮での結婚式。

そして最後に清水寺へ_。

場所柄のせいか、やはり咲き方にも風情がありました。

 


Seattle "Dale Chihuly Garden and Glass"

2012-09-17 | 旅行

 

シアトルに行って来ました。この季節のシアトルは、雨も少なくて空気が限りなく透きとおっていて、とても爽やかでした。そして、シアトルにはあのガラスで有名なチフリーのMuseumがあります。Chihuly Garden and Glassというのですが、シアトルのシンボル Space Needleのすぐそばにありました。どんな作品がどんなふうに展示されていうるのか…全然想像がつきませんでしたが、まさに「目を開けたまま見ている夢」でした。
 

チフリーが"I want people to be overwhelmed with light and color in a way they have never experienced." と言った通りに、私は今まで体験したことがない色と光の世界の中で、言葉もありませんでした。ここにいくつか撮ってきた写真を載せて紹介しますが、実際はこんなものではありません。からだにズシンとくるような光と色の衝撃です。スケールが違います。心の底から彼の作品が欲しい!!!と思いましたが、たとえ私の手の届くような作品があったとしても、家にもちかえってしまったら、かれのマジックが消えてしまいそうな気がしました。それほどここにある作品たちには、統一感のある存在感があるのです。買うお金があったらまたここに見にこよう、と思いました。何も考えないで、ひたすら美しい色と光の中に浸る、心のスパかなぁ、いやそれにしては刺戟が強いかなぁ。とにかく頭の中味をぐらぐらと揺すぶられたカンジです。

 

 

こんな世界を造ることができるアーティスト、Dale Chihuly。もっともっと面白いものを見せてもらいたいですね。


リバプール ービートルズを探してー

2012-07-08 | 旅行


若きBeatlesが、リバプールで活動を始めた頃によく演奏していたCavern Clubの舞台(The stage used to be in the Cavern Club - The Beatles Story )


このかわいらしい顔の列車で、ロンドンから約2時間ほどでリバプールに到着。リバプールのLime Street Train Stationは、大きくてとてもきれいな駅でした。

ここがビートルズを生み出した街!!

とにかく私の人生の中で、たぶんはじめて出会ったロック、初めて好きになった外国語の曲がビートルズだった気がします。そんな彼らを再発見するチャンスなわけです。夫は学会で忙しそうでしたが、私はインターネットを駆使していろいろと情報を集め、ビートルズの足跡を追ってみたいと思いました。

でも予想通りというか、リバプールはやはりビートルズのリバプールで、ビートルズ・ミュージアムがあり、ビートルズ・ツアーがあり_。ビートルズがいなくても、まだまだビートルズが生きている街なのです。

まずはホテルからすぐのところにあった通り、Mathew Streetへ。

   
 
ここは、まさにビートルズの通り。通りに入る手前のNorth John Streetには「Hard Day's Night」なんていう名前のホテルがあります。通りに入るとすぐにジョン・レノンが、何気なく壁によりかかって立っていて、壁にはヒット曲が描かれてて_、その横にはArthur Dooleyによる、ビートルズの記念碑がありました。右手には彼らがよく演奏していた「Cavern Club」があって、向かいにはJohn Lennon's Barもあり、かれらがよく行って飲んだり食事をしていたという「The Grapes」というパブも当時のまま(内装)で営業しているそうです。そしてビートルズにちなんだ、いろいろなものを売っている「Beatles Shop」もあるわけです。この通りを北に向かって抜けたStanley Streetには、Eleanor Rigbyが寂しそうに一人ベンチに座っていました。

ビートルズ・ツアーというのもいくつかあるようでしたが、「The Beatles' Childhood Homes Tour」というNational Trustというカンパニーがやっているツアーだけがポール・マッカートニーとジョン・レノンの家の中まで見せてくれるというので、さっそく予約して行ってみました。(www.thebeatleshomes@nationaltrust.org.uk/beatles)

 
Paul McCartney's home  ポール・マッカートニーが12才くらいの頃から住んでいた家。15歳の時にジョン・レノンに出会い、この家でたくさんの曲が作られたのだそう... 家の中は撮影禁止だったので、写真は撮れませんでしたが、ポールの部屋や、居間には当時彼らがひいていたピアノ、よく聞いていたラジオなどが残っていました。

  
John Lennon's home  ジョン・レノンが5歳くらいから叔母さん夫婦と暮らした家。窓にステンドグラスがはめ込まれたきれいな家でした。ジョンはなかなか成績優秀な子供だったようで、よく勉強をしていたようです。彼の部屋もありました。ここの居間でもかれらはよく練習していたそうです。
ポールの家も、ジョンの家も両方ともSemi-detuched Houseという2軒が壁でくっついて1軒の家のようになっている、イギリスではよく見かける家です。こんな家の中で彼らは毎日のようにロックをガンガン練習していたわけですから、多分お隣さんは大変だっただろうなぁ... 

このNational Trustのツアーでは、ポールとジョンの家の中を見せてくれるだけで、Penny LaneもStrawberry Fieldも、近くを通ったときにバスの中から運転手さんがチラッと手で教えてくれただけでした。(私には何も見えませんでしたけど...)どうしてもPenny LaneとStrawberry Fieldを見たかった私は、もうちょっと親切なツアー「Magical Mystery Tour」(www.cavernclub.org)を申し込みました。これはビートルズのメンバーそれぞれの家(リンゴーの家は取り壊しが計画されていて、ほぼ廃墟のようで、バスから降りることができず、写真は撮れませんでした)をまわり、Penny Laneを通り、Strawberry Fieldなどリバプールでのビートルズの主な足跡をまわってくれました。


George Harrison's birthplace  ジョージ・ハリスンが生まれた家。
この家は現在も、一般の住宅として使用されているので、観光名所としてこうしてビートルズ・ファンが訪れてくるのはとても迷惑なことだろうと思います。まぁ、ポール・マッカートニーやジョン・レノンの家のご近所さんにしても同じ思いでしょうけれどねぇ。ごめんなさい、ご近所さん。

  
Penny Laneです。これがぁ!? という感じだったのですが、確かに床屋さんもありましたし、銀行、消防署もありました。どこにでもあるようなフツーの景色なのですが、これがジョンにとっての子供時代に見慣れた、耳慣れた景色であり、彼のなつかしい思い出の道なのです。そう思って、曲を思い出しながら、もう一度Penny Laneを眺めてみました。そうか、確かにだれにでもそんな場所ってあるなぁ、と思わず自分の子供の頃の景色も思い出してしまいました。


Strawberry Fieldのいちご色のゲート、もと孤児院だったそうで、ジョンの家のすぐそばです。ここで開かれたお祭りに、ジョンはよく遊びに行ったようです。早くに父親を亡くし、両親と離れて暮らしていた彼にとって、孤児院の子供たちは身近な存在だったのかなぁ... ここも子供時代の楽しかった思い出の地なのね。 

 
この写真、16歳のジョンだそうです。実はこの写真はBeatlesにとってはとても記念すべき貴重な写真なのだそうです。場所はジョンの住んでいたWooltonにあるSt.Peter's Churchの裏庭。ここで夏祭りが開かれ、これはジョンがその頃結成してたバンドで演奏している写真です。そしてこの日、ポール・マッカートニーが友人と現れ、友人を介して初めて二人が会ったのだそうです。ソ、世界的に有名になったシンガーソングライター二人の若き日の出会い、歴史的瞬間だったわけです。こんなにかわいいTeenagerだったのねぇ。

その日以来、彼らは意気投合し、互いの家を行き来して曲を作り始め、毎日のように練習していたそうです。その後、ポールの後輩のジョージ・ハリスンがメンバーに加わり そのほかの2人も加わって、はじめは5人ではじめ、のちにリンゴ・スター、本名Richard Starkey(リンゴ・スターって本名じゃなかったのね)が二人と入れ替わって4人となり正式のBeatlesになったようです。

Beatles Story というミュージアムには彼らの歴史が展示されています。


当時のCavern Clubが再現されています。

実際に夜Cavern Clubに行ってみました。
The Cavern Club on Mathew St. now  本物のCavern Clubの中。壁、天井いたるところにぎっしりと書き込みがありました。

 
金曜日の夜は若い人でいっぱい。ビートルズはいませんが、いまだにビートルズの曲が演奏され、大いに盛り上がっていました。


after 10 pm on Mathew Street  10時過ぎに外に出ると、外はまだ明るくて(リバプールの緯度はかなり高いのです)、ここMathew Streetは昼間以上の人通りでした。

 

今回、夫の学会主催のパーティーは、クラブを借り切ってのビートルズ・パーティ。さすがリバプール!!


Beatles Show at PanAm Bar  かつらをかぶって、服装もBeatles。彼ら、フェイク・ビートルズでうっているらしい。歌も演奏もなかなかで、我々は夜遅くまでビートルズの曲で久々に踊り狂いました。

リバプールでの数日、ビートルズずくしの日々でした。今帰ってきて、新たな気持ちでビートルズの曲を聴いています。なぜかジョン・レノンという人がとてもなつかしく思えます。

 

 


ロンドン ーシャーロックホームズを探してー

2012-07-04 | 旅行

リバプールで学会がある夫に同行してイギリスへ。ロンドン・ヒースロー空港に降り立ち、リバプールに行く前にロンドンに数泊することに決めていました。こういうとき、宿泊するホテルを決めるのは私の仕事。どの辺りに泊まろうかと思ったときに思いついたのがシャーロック・ホームズ。子供の頃、夢中で読みました。大ファンでした。ロンドンに行くことがあったら、いつか会ってみたい(?)と思っていました。たしかシャーロック・ホームズ・ミュージアムなんていうのがあるはず。かのBaker Streetに是非行ってみようと思い、その辺りのホテルを探したら_、ナント「シャーロック・ホームズ ホテル」なんていうのがあるではありませんか!! さっそくそこを予約しました。


もちろんBaker Streetにあります。

  
入り口を入るとすぐにバーがあって、その奥にホテルのカウンターがありました。

古い建物をリノベートしてホテルにしているので、内装はなかなか趣がありました。あちこちにホームズの絵や彼にちなんだ置物があるのです。部屋はちょっとせまかったですが、気持ちのよい部屋で、窓の外はBaker Streetが見えました。

午前中にホテルに到着した私たちは、チェックイン後、すぐに近くのパブでランチを食べ、さっそくシャーロック・ホームズ・ミュージアムへ。

 
<221b Baker Street>シャーロック・ホームズが住んでいた家の住所にそれはあるのです。近くまで行くと_「何の行列??」と思ったら、ここに入るための行列。


ホームズの寝室


ワトソン博士や、依頼人と話をしていた居間

 
机の上や、そこここに、さりげなくホームズの愛用品や、ワトソン博士のドクターズバックなどが置かれ、今にもホームズが帰ってきそうな雰囲気。


トイレもあるのです。

もっと階段を上がっていくと、シャーロック・ホームズが解決した話の場面が出てきます。

  

どんな話だったっけ?? なんて今一度読み返してみたくなりました。


地下鉄Baker Streetの駅前に立つシャーロック・ホームズ

トラファルガー広場の近くにもシャーロック・ホームズという名のレストランがありました。こうしてシャーロック・ホームズをロンドンの街で探してみると、いたるところに彼の影が見えます。「アレ?シャーロック・ホームズって実在の人物だったっけ???」と思わず思ってしまうほど、存在感があるのです。彼は、この街ですごく大切にされ、今でも愛されている重要人物なのです。な~んか、夢の世界が現実になってて...遊び心というか、なんていうのか、ホームズさんとの出会い、多いに楽しむことができました。

ホームズ探しをしたあとは、乗り降り自由なダブルデッカーの観光バスに乗り、ロンドン塔へ。夫も私も昔一度行ったはずなのだけれど、ロンドン塔があんなに見るところがたくさんあって、悲しい話もたくさんあったなんて知りませんでした。


悲しい歴史がたくさん詰まっているロンドン塔

ロンドン塔に向かう途中、タワーブリッジを通ったとき、真上を見ると、

 
オリンピック・マーク!! そうだった、そうだった、もうすぐここでオリンピックが開かれるのよ。トラファルガー広場でカウントダウンしてたっけ。

 
ロンドン最後の夜は、ホテルのバーで、ホームズの胸像を見ながら特製シャーロック・ホームズ・マティーニで乾杯!