先週の週末、この夏に赤ちゃんが生まれる友人のBaby Showerを我が家でやりました。Baby Showerというのは、ここアメリカでよく行われるパーティーの一つなのですが、赤ちゃんが生まれる女性のために、友人たち(女性だけ)が集まって赤ちゃんに必要なものをプレゼントするパーティーなのです。
この習慣、私はとってもステキだと思います。とくにプレゼントのレジストリーというシステム。プレゼントをもらう人が自分の好きなお店に自分の欲しいものを登録しておくシステムなのですが、プレゼントをあげる側は、そのお店を聞いておいて、そこに行き、彼女の登録したリストを見せてもらって、自分の予算に合った品物をプレゼントするわけです(最近はウェブサイトでそのリストを見て、オーダーすることもできます)。これを始めて聞いたとき、私は「な~んて合理的な!!!」とひたすら感心したものでした。だって、お祝いに欲しくもないものをいただくことってあるじゃないですか。運よく希望を聞いてもらったとしても、色が違っていたり... でもこうすれば、自分が欲しいそのものズバリがいただけちゃうのです。他に結婚する女性のためのWedding Showerというのもあります。
で、今回のShowerのプレゼントでとってもステキだったもの。ダイパー・ケーキ。
私ははじめてみたのですが、ダイパー(おしめ)で作ったケーキなのです。おもちゃなどがケーキの飾りになって、かわいいこと!いったい何枚の紙おむつが使われているのかわかりませんが、当分おむつは買わなくてすみそう。
最後にピアニストの可奈さんが赤ちゃんのために心をこめて「愛の夢」を演奏してくれました。
無事、元気な赤ちゃんが生まれますように_。
ベルリンの壁が崩壊されたのは1989年、21年まえです。ちょうど我が家がはじめてアメリカに来たのもこの年で、ベルリンフィルのカラヤンが亡くなり、代わってアバドが就任した年でもあり、我が家にとっても、歴史的にもとても印象的な年でした。
戦後ドイツが東西に分割され、ベルリンも東西に分割され、東から西へと亡命する人を防ぐための壁ができました。自由を求めてその壁を越えようと命を落とした人がどれだけいたことか... 21年前まで、ベルリンはしっかりとあの戦争をひきずって、ずーっと傷ついたままだったのねぇ。日本では戦後、自由を謳歌し、戦争、敗戦自体を忘れよう、忘れようとして、戦争という話題そのものさえできるだけさけられてきたというのに、同じ敗戦国のこの街の人たちは40年以上もずーっと向き合って来ていたんだ...。もしかしたら、もしかしたら、日本にだってこの壁は存在したのかもしれないのヨね...
西側の壁に描かれたアートたち
爆撃によって破壊された教会がそのまま街の中に残っていました。塔の上の時計の一つだけが今でも正確な時間を告げています。
カイロ滞在の後、フランクフルト経由で帰る途中、フランクフルトからベルリンに向かいました。そして夫の長年の夢であった、ベルリンフィルハーモニーをベルリンのコンサートホールで聴いてきました。
上の写真の黄色の建物がシンフォニーフォールです。1969年に建ったというカラヤン・サーカスと呼ばれたこの建物はかなりモダンな建物で、街の景観にはあまり溶け込んでいないように見えます。今でもそうなのですから、建った当時はきっと際立って目立ったことでしょう。でもその外見とは異なって、音響効果はすばらしかったです。
シンフォニーホールの前の通りの名前はHebert von Karajan 通り。そして私たちが泊まったホテルの前の通りはHans von Bulow通り。これらの通りに立っただけで夫はもう大感激。
コンサートはバルトーク、グリエール、スクリャービンと私にとってはあまりなじみのない曲ばかりでしたが、さすがにベルリン・フィル、昼間の観光で疲れて朦朧としそうな私をしっかり覚醒させてくれるような演奏でした。とくにグリエールのホルン・コンチエルトはとてもメロディアスで美しく、ホルンってこんなにソフトで軽やかな音だったかしら、と驚くばかりでした。天才的なホルン奏者Radek Baborakのなせる技だったのでしょうけれど、本当にすばらしい演奏でした。あの音は今でも耳に残ってはなれません。翌日も同じ曲目のコンサートがあったのですが、なぜもう一度行かなかったのか、今ものすごく後悔しているところです。