
時系列では パラオ 御宿およびその近辺数か所 沖縄 モルディブ(掲載済)です。
本編はその翌年の話となります。
ダイビングフェスティバル
平成六年(1994年)二月五日(土)午前十時 みなとみらい横浜 パシフィコ横浜展示会場
突然背を叩かれた。振り返ると沖縄のHダイバーズのS氏だった。
「来るとは思っていたけれどこんなに早い時間にいるとは思わなかったなぁ」
「遠いですからね。昨夜は千葉市の妹の処に泊まって、今朝八時過ぎに出たんですよ。少々早く着き過ぎましたね」
「◎◎◎◎ツアーのブースに居りますから後で寄ってください」
「分かりました」
私の興味の対象は主に水中撮影機材。
まずはS&Sのブース。新発売のオリジナルブランドカメラ SX1000TTL そしてそれ用のレンズとハウジング。
手に取ってファインダーを覗いてみた。
この場合、眼をぴったりと押し付けない。水中眼鏡の使用が前提である。2cmほど離した。
どうにか視野枠が視えるがあまりにも暗い。
「自社生産?」
「そうです」
なんのノウハウも無いのにいきなり一眼レフが作れるとは思えないが・・・?。
「オート。マニュアル?」
「全てマニュアルです」
「ファインダーが暗いね」
「アイポイントを延ばしてありますのでどうしても多少は暗くなります」
その所為だけでは無さそうだ。開放絞り値がF4前後であるのにどう見てもf16くらいにしか思えない。ピントの山は全くつかめない。
「自動絞りは採用していないのかな?」
「・・・・・・?」
「レンズマウントは?」
「Kマウントです」
「ペンタックスとリコーの玉(レンズ)も使えるな」
「・・・・・・?」
素人だ。質問は止めてアパチュアギアを廻して再度ファインダーを覗く。変化無し。
もう一台のドームポート付きの方は支障が無い。たぶんセッティングミス。
カメラのカタログスペックはAF機能が無いことを除けばそれなりの性能を満たしている。
だがF4を使っている身には不要のものであった。
「スピードフラッシュのカタログは無いの?」
「そちらはすべて受付に」
カタログを貰って開いた。
「おっ、今年はまともになったな。去年のはスペックが全く載っていなかったからな」
「・・・・・・・」
※ S&S 1000TTL
帰宅していろいろ調べてみた。Kマウントを使用しているところから検討をつけて旭光学とリコーのカタログをチェック。
1000TTLの正体はリコーのXR10Mであった。何が自社生産だ。
もちろんそのままではなくアイポイントを延長。水中フラッシュのターミナルを増設してあった。
しかしこの改造もリコーが行ったに違いない。
ボディの定価はプラス¥19.200 標準ズームもプラス¥24,000。欲しい器材では無い。
お次はアンティスのブース。私の愛用しているF4ハウジング、ネクサスのメーカーである。
半年使用して感じたいくつかの不都合について質問した。だがここも商品知識が乏しい。
ニコンブースでは水中フラッシュSB104と水中で脱着できるシンクロコードについて突っ込んだ質問。だが、やはり・・・。
この種の催しもの会場に来て、いつも不満に思うことはユーザーである我々の問いに満足に答えられる者が殆どいないことである。
水着のオネーサン達は居なくてもいいから(居てもいいが)もう少しメカニズムに明るい者を置いて欲しいものである。
なお、よく「ユーザーの声をお聞きしたい」などと言っているが本当にその心算があるのだろうか?。
話に耳を傾けることがあってもそれをメモすることはまず無い。
ただ「御説、ごもっとも」と聞き流しているだけのようにしか受け取れない。
※まだパソコンが普及する以前、ネットもまだこれからの時代のことです。
旅行社のブース。
まずはパラオとモルディブで利用したアイ******ション、
お決まりのアンケート調査。
下の余白に『パラオのアン****の若いガイドは最低だった』と記した。
「どういう事でしょう?」とそれを視たブースの男が訊いた。
昨年の一件を話した。
「ああいうやり方をしていると、いまに取り返しのつかない事故をおこすよ」と最後に言い添えて離れた。
(丁度この頃、当のパラオでは例の事故が発生していたのだ)
◎◎◎◎ツアーのブース。当然S氏がいた。お茶のひとつでも出て来るかとは思ったがそれは無かった。
「パラオツアーの件はどうなりましたか?」(Hダイバーズ主催のツアー計画があった)
「あれはホテルが取れなくて中止しました」
「そうですか。楽しみにしていた者が何人かいたのですが」
「また沖縄に来てくださいよ」
「その心算ですが・・・冬は去年で懲りたから・・・やはり秋ですね」
「スクールの方も送ってくださいね」
***器材のブース。白井が新発売のダイブコンピューターの説明をしていた。
それが終るのを待ってモルディブ土産(Tシャツ)を手渡した。
妹グループが合流。妹の友人Kの為にBCを品定め。
「ぽーさーん」私を呼ぶ声。振り返ると見覚えのある顔。昨年の沖縄で逢った神主だ。隣にいるのはその奥方?。こちらは記憶にない。
「よく名前まで憶えてましたね」(私は名乗った憶えはない)
「それは・・・ぽーさんは・・・」
沖縄で金属製の立派な名刺を渡された。(かなり大きな神社名。権禰宜とあった)
「ごんねぎ・・・ですかー」
「えっー!。一般の人で読めたひと、初めてです」そんな経緯があったからだろう。
「いずれまた何処かで」と再会を約束して会場を後にした。
ベラウ共和国の事故 二月六日(日)
フェスティバルの翌日。テレビを視ていた。
ニュース番組。ベラウ共和国で日本人ダイバー五名が行方不明。
二月五日(土)午前十一時半頃(ベラウと日本では時差は無い) ベラウ共和国(パラオ)ペリリュー島付近でダイビングをしていた五人の日本人ダイバーと現地指導員が行方不明。
ボートのエンジンが故障。修理をしている十五分間の間にその姿を見失った。
当日はその海域は風波ともに強く時折激しい雨が降っていた。
・・・・・・
電話!。フィジーからだった。
「ねぇ知ってる・」
「パラオの一件か?」
「そう、私あれを視てゾッーとしちゃった。私もシオちゃん(丸ポチャ)とペリリュー島へ連れていかれたんだよね。初心者なのに」
「五人と現地指導員が行方不明・・・サービスは何処だろう?」
「アン****だよ」
「そうなのか!」
「そっちでは出なかったの?。NHKのニュースで最後に店名が出ていたよ」
「民放を視ていた」
「母親なんか『もうやめなさい』って言ってる」
「その方がいいかもしれない」
「意地悪ね・・・でも貴方が言ったとおりになってしまったね。やっぱりあの店、危ないわ」
「まったくの初心者の君たちをいきなりペリリュー島へ連れて行くくらいだからな」
「そう、怖かったよ『前日に初心者だから無理です』って断ったら『今日ついて来れたんだから大丈夫』と言われて強引に連れて行かれちゃった」
「・・・・・・」
「それで三本でしょう。流石に私は断ったけど。でもその間、一人で島に置き去りでしょう。私にダイビングを勧めた人も『それは無責任だ』と言ってた」
「何があるか分からないところに女一人を放置するくらいだからな」
二月七日(月)
TVのニュースでは捜索は日本の海上保安庁、グアムの沿岸警備隊、現地のダイビングサービスにより広範囲に渡って行われていると伝えていた。
しかし、現場での進展は全くなかった。
・・・・・・
「生きているよね」
「難しいな。水と食料がまず無い。晴れれば炎天下だ。海に漂っていると船酔い(と同じ症状)になる。漂流中の体力消耗の一番の原因が船酔いだ」
「そうなの・・・」
「著しく体力を消耗していると思う。もし近くの島にでも辿り着いていれば生き延びられるだろうが漂流していれば二三日だろうな」
「そんなに簡単に死んじゃうの?前にヨットの遭難があったときは一ヶ月も漂流して助かったじゃない」
「あれはライフラフト(膨張式救命筏)に乗っていたからだ。多少の水や食料もあっただろう。今回とは条件が違う」
ヨットの漂流の時もそうであったが、この種の事故が起きると、とにかく電話が絶えない。
私が水難事故に詳しいことがそうさせるのだろう。そして仲間も『いつか自分の身に』と想像すると不安なのであろう。
二月八日(火)
朝のニュース。特別な進展なし。
昼過ぎ、元御宿町観光協会会長より電話。
「おい、生きていたかい」
「パラオ・・・ですか?」
パラオの一件について一通り話した。
午後のニュース。サービスのジェネラルマネージャーが記者会見に応じた。
その主な内容は・・・下記のとおりである。
〇現地指導員はダイビング経験は豊富なものの無資格者である。
〇ボートのオペレーターは臨時アルバイト
〇予備エンジンは無し
??????
ダイビングのガイドが無資格者とはどいう事なのか?
インストラクターでは無いと言うことか?。それともCカードさえも持っていないのか?
いずれにしろ保険適用は・・・かけていればだがちょっと厄介だろう。
アルバイトのオペレーターとは?。また十五分で直せる故障とは?。予備エンジン無し?。私が乗った艇はツインエンジンであった。
コロールからより遠いペリリュー島へシングルエンジンで行ったことの不思議?。
まだまだ、何か出て来そうだ。
夕刻のニュース。水中カメラ発見。ダイビングジャケット(BCジャケットのことと思う)発見。
・・・・・・私は捜索隊の立場でこの一連の報道を視ていることに気づいた。
フィジーからまた電話があった。
「やっぱりあそこは儲け第一主義の店なんだよ。
あの客はね、『ペリリュー島に行きたい』と言ったら『海の状態が悪いから』と他店に断られていたんだって。
それで唯一引き受けたのがあそこなんだって」
「ニュースでそう言ったのか?」
「視なかった?。A新聞に載ってたよ」
「視て無い。A新聞はとってない。・・・まあ全くのビギナーの君たちをいきなりペリリュー島へ連れて行くくらいだからなぁ」
「そうだよね、でもどうして私たちを連れて行ったのだろう?」
「あの時、初日はビギナーコースだった。二日目に例のオバサン軍団が来た。したがって二名ほどを他の船に廻す必要があった。
君たち二人、私と辰也、そして女の子二人、SASとピンクだ。総本数はその二人が一番多かった。辰也は一本だけ。君はそれ以下で丸ポチャもほぼ同様。
だからビギナーコースから外すならSASとピンクの二人。あるいは体力的に考えて私と辰也であるべきだ」
「そうすべきだよね」
「ではどうしてそうしなかったのか?」
「分からない」
「我々はダイビングフィは三日分を先払いだった。おそらくSAS&ピンクもそうだったのだろう。だが君たちは初日以外はオプションにしていた」
「うん」
「ペリリュー島は遠方故に割り増し料金を取りたいわけだ。だが我々から追加料金は取りにくい。トラブルこともあるからな。したがってオプションにした君たちが・・・」
「そいうことか」
「たぶんね」
E君がやって来た。(モルディブ編に登場した)
「生きていると思いますよ」
「俺はそれには否定的だな」
「BCとカメラが見つかったんですよ。島に上陸して流したんですよ」
「いや、そうとは思えない。あの周辺の島は虱潰しに捜索している。上陸していればすでに見つかっているはずだ。それに俺だったら生存の可能性があったら絶対にカメラを手から離さない。
どんなカメラか分からないが自分と同じ水中フラッシュだったら夜間信号灯にもなるし」
その後、無人島でのサバイバルの話になった。
食料を得る方法。淡水を得る方法を少しばかり伝授。
これからはサバイバル方法も身に着ける必要があるね」とE君。
(余談ですが、バラエティ放送の 「アイアム冒険少年」 この当時の自分で出演してみたい気が)
四月九日(水)
午前十一時二十分 ニュース速報
海上自衛隊の捜索機がベラウの西海岸で漂流者を発見。生死の程は不明。
アンガウル島 西16km 仰向けで浮かんでいる。捜索船が急航中。生死の程は不明。
正午のニュース。男性遺体収容。
そしてその後のニュース。女性遺体二名を収容されたとの報道。
一体は腕に損傷があったとのこと。・・・鮫か?。
一体はペリリュー島から30kmほど離れた海域。水中ノートにメモがあり最終記入は七日であった。
それには飛行機が視えたとの記入有。
事故原因は杜撰なダイビングサービスの運営にあると私は言いきる。
ペリリュー島でのダイビングがそれを強引にリクエストした男性ダイバーの為だとしてもである。
(ちなみにPPRに宿泊していた女性ダイバーは当日乗船するまでペリリュー島へ行くことは知らされていなかった可能性もある。
このサービスではPPRは車によるピックアップはせずに直接ボートで乗り付けていた)
布良沖の事故もそうであったがこの事故もダイバーの技量が劣っていたことが原因ではない。
どちらも浮上してきたダイバーを再び乗船させる艇側に問題があったことは明らかである。
ビーチエントリーは別としてダイビングにボートは不可欠である。
だがそのボートに関してはダイバーに選択の余地は無い。操船者にしても同様である。
豪華な艇は望まない。がメンテナンス不良によるエンジントラブルはもってのほかだし操船の技量の劣る操縦士は願い下げである。
また専属のボートスタッフを乗船させる余裕のない小型艇では「ダイビングスタッフは優秀なボートスタッフでもあるべきだ」と思うが
実状はロープ一本満足に扱うことの出来ない者(パラオでの我々についたガイドも)が殆どである。
スタッフの教育も怠って欲しくないものである。
この章はテレビニュースを視ながらリアルタイムで記していた。
しかしこの後、新たな展開は無く一週間もするとテレビ・新聞共に取り沙汰され無くなっていた。
後はダイビング雑誌の発売を持って追記することにする。
※布良沖の事故
平成五年(1993年)一月
千葉県の布良沖でボートダイビングを決行。
エントリー後に海が荒れ始め操縦士(初心者、あるいは無資格者と報道された記憶がある)が不安を覚えダイバーの浮上を待たずに救援を求め帰港した。
浮上後、ダイバーは漂流を余儀なくされた。
近くを通りかかったテレビ局の取材船がこれを発見し救助に努めた。
波に煽られた取材船とダイバーの一人が接触。意識を失って死に至った。
この事故は関わった船がテレビの取材船であったことにより生々しい映像が全国に流れた。
・・・・・・
昨年の秋、沖縄へ同行しCカードを取った女子大生が卒業旅行にパラオへ飛んだ。
旅行計画をしたのは一月のことであったから事故以前である。
「もう少し経験を積んでからにしたらどうか」と言ったのだが・・・。
「どうしても行きたい」と強硬。
旅行社の紹介をし、ダイビングサービスの選択にも一役かった。(業界のコネを使わせていただいて)
「そこが駄目ならどこがいいですか?」
「そこまでは判らないが外れを引く可能性は低いだろう」
・・・・・・
「どうだ、周囲の反応は・」
「うーん、あんまり芳しくない。でもこういう時だからあっちも相当注意を払うでしょう。だからかえって安全じゃないですか?」
これが現代の女子大生気質なのだろうな。(1994年の話です)
三月十日 ダイビング雑誌の発売日である。本屋に走った。
ある程度の予測はしていたがその内容はあまりにも情けなかった。
まずダイビングサービスへの非難は一切なかった。
それどころか、もしTV・新聞などからの情報がなっかたら読者は「事故原因のすべてがペリリュー島行きを希望したダイバーによるものである」と錯覚するだろう。
詳しい内容は省くがいずれにしても失望の念を禁じえなかった。
丸ポチャとK美(丸ポチャの知人)がパラオへ飛んだ。
帰国してから電話が来た。
「どうだった?」
「ブルーマーリンが出た」
「女子大生はマンタで君たちはマーリンか}
「マーリンってカジキですよね」
「そう。和名はクロカワカジキ。で、ブルーマーリンって言うのは釣りあげると、死ぬ直前に体表に青い色が走るらしい。そこから来たらしいよ。そしてやがて黒くなる」
「へー」
「で。例の一件は・」
「あの話はタブーみたいです。お店では話したがらないんです」
「明日は我が身と言うことで、口を閉ざしているのかな?」
「でも来月には営業を再開するらしいです」
「いい度胸だね」
「それから船の故障ですが、あっちでは『居眠りをしていたのだろう』と噂になってます」
「私はガス欠かとも思ったがそう言うこともあり得るな。いずれにしても十五分で直る故障は不自然だ」
「それで、そちらは何処かに行かないんですか?」
「うん、来月にグアムへ飛ぼうかと」
「私たちがパラオに行ってる間に決めたんですか?」
「そう言うわけでは無いのだが・・・・・・」
パラオの件は情報が途絶えているので雑誌の発売を待って続きを記すことにする。
※ドリフトダイビング 潮流に乗って水中を移動するダイビングのこと。
ドリフトダイビングは 通常のダイビングより回遊魚などとの遭遇率が高まる。
流れに乗っての移動なので体力の消耗を抑えられる。
しかし、流れの速い場所では漂流の危険もある。
ドリフトダイビングでは 潜行地点と浮上地点が異なる。
ボートはダイバーの排気泡などを頼りに追跡をしたり予め浮上地点を予測して回収する。ダイバーは浮上後、目印のフロートなどを揚げる。
※ボート上からダイバーの排気泡を追うと言われてますが、これは殆ど不可能です。
かって、流れの無い港の中・水深5m・知人三人を潜行させてボートから視ていたが殆ど分りませんでした。
波のある海面では絶対と言っていいほど無理です。
奥縄で懇意になったダイビングボートのオーナーに訊いたことがあります。
「排気泡なんてまず視えないよ。でも勝って知ったる海なので浮上地点は大丈夫。ガイドと打ち合わせもしているしね」
慶良間のことです。仮にボートを見失っても(ボートが見失っても)外洋に出ることはまずありませんし、周囲には他店のボートがかなりの数存在します。
外洋でのドリフトは?潮流の完璧な予想とボートのオペレーターの能力にかかってます。
波立つ海面では10mの深さにいるダイバーは排気泡を含めて視えません。何処にいるかは『勘』に頼るしかありません。
海面の流れと10mの深さの流れが異なることは、しごく当たり前にあります。経験の少ないオペレーターに委ねるのは無謀と言うものです。
つ づ く
※掲載順位がランダムなのでダイビング記事の目次を作りました。
年代順となってます。
ダイビング編目次