かくれて咲く花

~凛として~

ことしの桜

2011-04-13 19:19:31 | Weblog


満開の美しい姿を見せてくれた桜も、少しずつはらはらと花びらで街をピンクに彩りながら、葉桜へと姿を変えていく。東京は桜の木が多いので、わざわざ人の多いお花見などに出かけなくても、街を歩けば、いつもの風景のなかにほんのりとしたピンク色が増えているのに気付き、「あらあなた、桜だったのね」という出会いがあって楽しい。

梅が「凛然」なら、桜は「艶然」と表現されるのだそうだ。年に一度、つややかに咲く桜。おひさまに照らされても、夜桜のライトアップにも、どちらの光を受けても「艶」の舞を見せてくれて。そして短い舞台を終えると、花びらを落としてまた街はもとの風景に戻る。豪華絢爛に咲いていたかと思えば、あっという間に姿を消す桜。あんなに美しいのに、一年でその本当の姿をあらわすのはほんのひととき。そしてまた春がめぐりくるまで、自分が桜の木であると知られるのももしかしたら内心いやなのかもしれないと思うくらい、艶然たるピンク色の花はすっと姿を消す。また来年、この国に住む人たちの前に姿を現すまで、忍者が闇に吸い込まれていくがごとく街に同化し、また何事もなかったかのようないつもの風景に戻る。

ああことしも桜がきれいに咲いてくれたと、しみじみと嬉しかった。
「凛然」の梅と違い、「艶然」たる桜は、人の心を揺さぶる魔術があるのか、普段いつも歩いている道がピンク色に染まるなかを通り抜けていると、心がなんともいえない切なさでいっぱいになって。こんなにきれいなのに。こんなにきれいに咲けるのに、それがあなたの本来の美しさなのに、その美しさはどうしてこんなに期間限定なんだろう。咲いているときは皆がその美しさをたたえ、愛でるのに、散ってしまえば、またみんな桜のことを忘れて、日常に戻っていく。だけど1年365日のうち、10日か2週間くらいをのぞいて、ほとんどの日々は日常に溶け込んでいる。絢爛豪華なイメージと違い、本当はむしろ控えめな花なのかもしれない。

まだ寒さきびしきときに、春の訪れがたしかにこの先にあるということを教えてくれる梅の開花。そして、本格的な春到来を高らかに告げるのが桜。急に花開いたように見えても、一年のあいだ、ずっと準備をしている。日常の風景に溶け込みながら、次の春が来るそのときに、その美しい姿を見せることができるように。突然その姿を見せ始めるから、それまでの風景を一瞬忘れるけど、だけど桜の木はずっとそこにいた。なにもないところから、いきなり姿を現すのではない。ずっとそこにあり続けて、そして一瞬だけ、最も華やかな姿で街を彩る。桜並木を歩いていると、まるで異次元に迷い込んだようで。淡いピンクのやさしい色合いに包みこまれると、これまで流れてきた時間を思い、変わりゆくなかで変わらぬ大切なものが次々と鮮やかに浮かび上がってくる。満開の桜は、人の心の奥にある想いを解き放つ力があるのかもしれない。

誰もいないところで、静けさのなかで、桜との再会の喜びをかみしめる。
ことしも変わらずに、美しく咲いてくれた桜が愛しい。


☆写真はスタバの「さくらシフォンケーキ」と「さくらラテ」。シフォンケーキもラテもかわいいピンク色で、うれしくなる。塩漬けのしょっぱさと、控えめな甘さが程よく溶け合っていて、「洋」のものを身体に取り入れていながら、呼び起こされるのは自分のなかの「和魂」。桜は目にも、お口にも幸せを運ぶ


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