かくれて咲く花

~凛として~

気持ちをあらわす

2011-07-12 22:25:45 | Weblog


込み入った考えを伝えるほど英語力に自信はないけど、気持ちを素直にあらわすのはやっぱり英語の方が適しているなと思うことは多い。

たとえば「ありがとう」。アメリカでは、日々いちばんよく使うことばだった。ちょっとしたことにも、“thank you”というのはお互いに気持ち良く、“thank you for coming”“thank you for being there for me”とか、ああ、そういうふうに言うんだなあ、素敵だなと思った。来てくれてありがとう。そばにいてくれてありがとう。日本語では、直接的すぎることばも、英語だと「枠」がないというか、アメリカ人の友達からの手紙に“thank you so much for everything you did for me”と書いてあったのを読んで、日本語の世界を越えて伝わってくる、おおらかな友情と感謝の気持ちがうれしく、そして「日本語に訳しきるのが不可能な、だけどとても素敵な言い方」として、私の中で大切にしていることばとなった。日本語では、こういうとき何ていえばいいんだろう。「あなたが私にしてくれたこと、すべて忘れないわ。ありがとう」という感じだろうか。日本人なら、お辞儀して丁寧に「ありがとうございました」というところを、アメリカ人はめいっぱい両手を広げて、ぎゅっとハグして伝えてくれるような、「気持ちのあらわしかた」の違い。どっちがいいというのではなく、日本人の奥ゆかしさも、アメリカ人のオープンさも、時と場合と相手によって、それぞれいいのだと思う。

いまだに日本語にするのが難しい“you mean so much to me”は、ぎゅっと凝縮して「大切な人」というひとことの中に、その人をどんなふうに、どれだけ大事に思っているかという、言外の気持ちがいっぱい詰まった表現。私にとって、あなたはとても大事なの。“I love you”の「愛している」も深くて覚悟を伴うことば。「大事なの」というとき、それはものすごく直球ストレートに伝える想いでありながら、ひとつひとつどんなに大切かをあげていけばきりがないくらい、とってもとっても大事なんだよ、という、ひとことでたくさんの想いをあらわす表現だと思う。“I love you”にあたる日本語はそもそもないので(こちらでも書きましたが)、誰かをとても好きだったり、大事だと思っていることをひとことで言うと、それは英語で言うところの“you mean so much to me”で・・・日英両方を股にかけているというか、もうどっちのことばを使っても表現し切れないくらい大切だという、私にとっては最大級の大切な想いをあらわすことば。

どれくらい大切かというとね、という説明を歌に託したいときは、Everything About Yyouがある(この場合は、恋愛限定ですが)。Notting Hillのサントラに入っている、大好きな歌。Bruno MarsのJust the Way You Areを聴くと、いつもこの両者を比較してしまう。


Bruno Mars---JUST THE WAY YOU ARE

Oh her eyes, her eyes
Make the stars look like they're not shining
Her hair, her hair
Falls perfectly without her trying

She's so beautiful
And I tell her every day

Yeah I know, I know
When I compliment her
She wont believe me
And its so, its so
Sad to think she don't see what I see

But every time she asks me do I look okay
I say

When I see your face
There's not a thing that I would change
Cause you're amazing
Just the way you are
And when you smile,
The whole world stops and stares for awhile
Cause girl you're amazing
Just the way you are

Her lips, her lips
I could kiss them all day if she'd let me
Her laugh, her laugh
She hates but I think its so sexy

She's so beautiful


Steve Poltz---EVERYTHING ABOUT YOU

I love everything about you
I love the way you comb your hair
And I love the way you sachet in the room
Your perfume lingers in the air
I love everything about you
Whoa, about you
Mmm-mmm

I love the way you lick your lips, dear
You got fireworks in your head
And I love the way you bring me water
When I'm thirsty in your bed
I love everything about you
Whoa, about you
Mmm-mmm

You were surely kissed by angels
Look at the freckles on your face
You got the Devil in your eyes
You disappear without a trace

I love sneaking up behind you
When you're looking in the mirror
The way your eyes lock in to mine, dear
Without guilt and without fear
I love everything about you
Whoa, about you
Mmm-mmm


Bruno Marsの歌もいい曲だけど、「うまく言えないけど、とにかく彼女は素晴らしいんだよ」という語彙力不足感のある称賛(アンふうに言えば「崇拝」)という感じで、まあ、若さってこんなもんなんだろうね、というか。Steve Poltzの方は、なんといってもdetailsがいい。「髪をとかすとき」「水を持ってきてくれるとき」「香水が香り立つとき」など、「彼女のすべてが好き」なこと、evety tiny little thingが愛しいことをきちんと言葉にできる大人の歌だと思う(「そばかすや染み」さえ天使のキスだと言うだけではなく)。前者の場合、「この人、なんとなくイメージや思い込みで好き好き言ってるだけなんじゃないか」と疑いの気持ちを持たせるけど、後者の場合、「ああ、私のことをよく見てくれてるんだなあ」と、その気持ちのこまやかさに真実性をみて感動する。この違い。子どもの恋は前者で十分なんだろうけど、大人の恋はやはり、まっすぐその人を見つめていながら、想いをたっぷり「含んでいる」のがいいですね。全部ことばにしちゃ野暮だけど、ことばの端々にあらわれる包容力。勝手なイメージや印象ではなく、自分が接してきたなかで見つけた魅力をことばにして伝えてくれると、これはしびれます。自分もそういうふうに相手に愛や感謝を伝えたいと思うので、気持ちのあらわしかた、表現の仕方、ことばの選び方など、ことのはを紡ぐ作業のなかで、自分のなかに積み上げていけばいくほど表現もコミュニケーションも豊かになっていくのが楽しくて。

だけど最大の至福は、「口に出しては言わないんだけど、お互いにわかりあっている」ということが分かった瞬間。気持ちを「あらわす」のは、ことばだけによるのではない世界。これはやはり日本語の世界なんだと思うけど、めっちゃめちゃ楽しいし、奥深い。口に出さない理由も、お互いに照れくさかったりとか、立場上言えなかったりとか、口にしてしまうと野暮だったりとか、「全部は言わないまでもあとは以心伝心」という間合いがあるのが心地よくて。何気なくポロッと言ったことから、「ああ、すべて見抜かれてる」と思ったり、自分でも言ったことを忘れていたようなひとことを覚えていてくれたり、言わないけど分かっていてくれたり、察してくれたり、直接ではない言い方から真意を汲み取ったり、いちいち確かめるわけじゃないんだけど、ちょっとした行動や気遣いから「通じてる」と感じられるのは、なんともいえない甘やかな信頼関係で。この世界を知ってしまったら、もうちょっとこれまでのようなものでは、満足できない。

とはいえ私なんかじゃ、まだまだ。せいぜいこの「大人」の奥深い世界の入口に差し掛かったばかり、という感じかな。だけど入口でこんなに面白いなら、もっと深く入っていけばどんな深遠な、魂にふれる出来事に出会えるのか、それが知りたくて、ほの暗い日本家屋の敷居をくぐり、粗相がないか緊張しながら、しずしずと奥の間へ続く廊下を歩く日々。

「うめ」らしく?、梅の「うた」を。


       わが屋戸の梅咲きたりと告げやらば 
       来(こ)といふに似たり散りぬともよし
          (『万葉集』巻六1011番:作者不詳)


<うめ訳&解釈>「わが家の梅が咲きました」なんて言うと、「見にいらしてね」と口にしてしまっているようなものだわ。別に散ってしまっても構わないんだけどね(→いちいちそんなことをこちらに言わせずとも、「訪ねて行くよ」と言ってくれればいいのに)。万葉の世界はわりとストレートな表現が多いといわれる万葉集だけど、これは「字面通り」ではない気持ち、複雑な心情を「含んでいる」和歌。口にすることばには、ちょっとした意地っ張り感が見え隠れしながらも、梅の花を見つめて恋しい人を想っている詠み人の心に思いを馳せるのも楽しい。ちょっとため息をついたりしながら、散ってしまっても構わないんだけどねとつぶやきつつ、本心はいま来てくれたら、一緒に梅が見られて嬉しいのにというかわいらしい気持ちと、だけどこっちから誘うようなことを言うのはイヤだというプライドが混在して。人を想うのも気持ちをあらわすのも、そんな「単純な」もんじゃないんですよね


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