実は、先日(3ヶ月ほど前❓)それまで津島佑子さんの著作“本の中の少女たち”(表記、本のなかの少女たちが正しかった🙏)で津島さんの語った春琴という少女(春琴抄に出てくる盲目のヒロイン)、津島さんの書く文章✍️により伝え聞く春琴像しか知らなかったのだけど(春琴抄自体は未読だった。。)、春琴に焦がれ、寄り添う男、佐助が、物語も深まった頃(春琴は既に中年女性になった頃)敢えて、自ら、春琴と同じく盲目になる(自ら眼球👁に針を刺す)シーンがあることを知り(100分de名著にて、◯十年越しで… 解説は島田雅彦さん)、愕然、及び、魂が揺さぶられてた。。。
春琴抄は、佐助による、女主人・春琴と過ごした日々の回想録という形をとっている(これがメタフィクションというもの❓ 物語の中の物語🔲🔳)ので、佐助は、事故によりこうなった…と綴っている✍️のだけど、実は自ら、自分の眼👁🗨に針を刺したの。。。(それが物語の中でほのめかされるの… あぁ、そうなんだな…と、読者に察させる手法) 愛する春琴と同じ世界を感じたいがために…🌐
人それぞれの幸福とは…なんだろう(様々なカタチがあるのだ🔹🔶🟩
ということはたしか) と 想いを巡らせる💭(佐助にとっての幸せのカタチはとことん春琴に仕えること、寄り添い抜くことであった。 こう、言葉にしてしまうと野暮だけども、それでも言葉にしてしまうのがこれまたあたしの業。。。🙏 語らないと“はじまらない”こともあるし…)