誤解って、嫌よね。。。
Fahrenheit 451 1966 , TRANCOIS TRUFFAUT
100分de名著で語られてた、ラストに納得がいかなくて、独自の解釈を加えて創られた映画版華氏451って、1966年に撮られた🎞フランソワ・トリュフォー版のことだったかも。。。
(その後2018年にも別の監督の解釈により撮られ、ひとつのモチーフを基に更新されていく、物語💭)
本が禁止された未来。社会はどうなる?映画「華氏451(2018年版)」あらすじ解説
その前は100分de名著の華氏451度についてのsequence🧬⛓の最終話を見てた
動画は映画版(2018年版)
監督がレイ・ブラッドベリの描いたラストに、不満足、疑問を感じて(いわば、心を揺さぶられた結果)、独自のラストを描いたらしい
進化していく想いと物語
実は、先日(3ヶ月ほど前❓)それまで津島佑子さんの著作“本の中の少女たち”(表記、本のなかの少女たちが正しかった🙏)で津島さんの語った春琴という少女(春琴抄に出てくる盲目のヒロイン)、津島さんの書く文章✍️により伝え聞く春琴像しか知らなかったのだけど(春琴抄自体は未読だった。。)、春琴に焦がれ、寄り添う男、佐助が、物語も深まった頃(春琴は既に中年女性になった頃)敢えて、自ら、春琴と同じく盲目になる(自ら眼球👁に針を刺す)シーンがあることを知り(100分de名著にて、◯十年越しで… 解説は島田雅彦さん)、愕然、及び、魂が揺さぶられてた。。。
春琴抄は、佐助による、女主人・春琴と過ごした日々の回想録という形をとっている(これがメタフィクションというもの❓ 物語の中の物語🔲🔳)ので、佐助は、事故によりこうなった…と綴っている✍️のだけど、実は自ら、自分の眼👁🗨に針を刺したの。。。(それが物語の中でほのめかされるの… あぁ、そうなんだな…と、読者に察させる手法) 愛する春琴と同じ世界を感じたいがために…🌐
人それぞれの幸福とは…なんだろう(様々なカタチがあるのだ🔹🔶🟩ということはたしか) と 想いを巡らせる💭(佐助にとっての幸せのカタチはとことん春琴に仕えること、寄り添い抜くことであった。 こう、言葉にしてしまうと野暮だけども、それでも言葉にしてしまうのがこれまたあたしの業。。。🙏 語らないと“はじまらない”こともあるし…)
昨日の夜、旅先のニセコのホテルにてEテレで、100分 de 名著のノートルダム・ド・パリの最終章を見てたら(物語にぐいぐい引き込まれて毎週見てたの。。。)、ディズニー版とはラストが全然違くて、(蜘蛛の糸のようにうっすら残る“愛の中の救い”“トゥルーラブ”を極限の中に描きながらも…。 トゥルーラブを貫徹できたのは、“ほとんど人間”“大体人間”という意味の名前を持つカジモドだった… 私は、ほとんど女 大体女 半分女…かな??)悲劇的なラストで、だいぶ鬱になってしまった。。。 そして、心を揺さぶられて、脳が冴えてしまったみたい。。。(眠剤飲んだのに、しばし眠れなかった。。。 今日は昼寝を自分に許そう。。。💤)
ノートルダムのせむし男 FRT-033 [DVD] | |
チャールズ・ロートン,モーリン・オハラ | |
ファーストトレーディング |
この映像を使ってました(100分で名著 ノートルダム・ド・パリ)
NHK 100分 de 名著 ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』 2018年 2月 [雑誌] (NHKテキスト) | |
NHK出版 日本放送協会 | |
NHK出版 |
100分 de 名著テキスト
こういう時(心が鬱な時)は、素敵なことが起こってもフィルターかかりがち(例えば可愛い子と話せたのに、自分のコミュ障っぷりにしょんぼりとか。。。)だから気をつけよう。。。
今部屋に戻ってきて、日記を書いてます_φ(・_・