PLANET LULU GALAXY!

ルルの日記

その後30年

2020-07-28 16:01:12 | 吾のこと

記憶の断片…、当時20代後半だった教師♂に呼び出されて「この文に、共同幻想って書いてあるけど、吉本隆明の共同幻想論のこと? そうだったら、違うと思う。」的なこと言われて、えー?そうかなーって少し臆病風に吹かれた一瞬があった(自信のなさ、経験のなさ、の自覚で、自分の正しさを一瞬疑った。その後、確認する遍歴のような人生。)けど、30年ほどの時が経ち、読み返してみると、やはり、十代の頃の私は“違くなかった”と思うね(ちゃんと本に書かれていた本質を理解してたと思う


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ヒス&オゾン 1990年→1995年(1999年?)あたりの記憶…

2017-12-11 16:16:14 | 心象風景

オゾン&ヒス、横浜ビブレ店の店長さんTさん💃(1992年→1999年 7年くらいの間にボーイッシュなショートヘア+ハンチング☞ゴージャスなロングウェーブヘア&胸の開いたセクシーな感じに変身)、1992年頃、クラブで逢うと、けっこうベロベロに酔ってて(いつもハードワークだったと思うしね。。 接客業もたいへん。。。)、「ルルちゃーーん」って言いながら、私の肩あたりにバフって顔をうずめたり(身長的にちょうどそんな感じ。。。)してくれたのが、嬉しいような面食らうような。。。(^^;;

 

人形学校人形教室)頑張りたいから・・・ってヒス&オゾン横浜ビブレ店で働くお誘いは断ったのだけど(本当の理由は“臆病風”だったかも。。。〈折角好かれてるのに、一緒に働いてみて、思ったのと違う…ってガッカリされたくない…とか。。??〉 半分半分くらい…)いつも優しかったのがいい思い出(私、22歳頃だった 20歳〈誕生日前だから19歳?〉ころから三年ほど横浜ビブレ店行ってた憶え… Tさんは四つ上くらいかな?? 思い出したけど、20代後半(1999年頃)にもTさんに会いたかったからお店に行った憶え… 逢えたけど相手ビックリしてた… 唐突だったからかな?? 四年もブランクあればそうか。。)(…やりたいことがあるって断ったけど、一緒に働こうって誘ってくれたの、心の底から嬉しかったから… 1年半のひきこもりから復活したから彼女に逢いたかった…)

 

そして、横浜ビブレのヒス&オゾンではもう一つの“縁”があり、1990年頃よくニューエストモデルのライブで顔を合わせてた、“ふうた🎈”(長崎出身🗾 バンド組むために“クリーム”をテープにダビングしてくれたのも彼女 自分貧乏過ぎ〜〜って半分〈オレンジモヒカンと同じ感じの。。🍊〉武勇伝で言ってたら手料理ご馳走になった。。。🙇🙏)の友達の“あきこちゃん”(一個年下)が本当に偶然そこで働いてて、私が客として行って、2年ぶりぐらいに再会した(18歳→20歳頃)

 

あきこちゃん🌼もお堅い家のお嬢様(Kちゃんのお友達の“みどりちゃん”💚もそうだったから、なんか生け花総本家がなんだか…←うろ覚え。。。 そういった類の家出身で音楽にハマって家出する人多い。。。 おいらもお嬢様ではなかったけどそうかも。。←堅い家出身家出パターン)で、手首の部分にブレスレットみたいに蔦と花のタトゥーを入れていた。(ヘアスタイルは顎ラインのフラッパーガールみたいなウェーブヘア)その頃、バンドマンの彼氏と一緒に住んでたらしく、「彼氏、私よりも細くて体重軽いの… ダイエットしなきゃ 今日も豆腐しか食べてないーー 倒れそうーー」みたいな話をえんえん聞いていた憶え(^^;;

 

後で文中リンク(個人的な経験の入り組んだ繋がり)貼りますーーー

 

北村信彦。1962年12月19日、東京生まれ。
上田 美穂
モード学園出版局

 

Tさんからいただいた北村信彦さんの本のデータ、これ👆📘 画像はなかったから探してみるーー🏹

 

追記:👆発見👀📕💫

 


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“希望”も、“臆病風”も深く共感…

2016-09-24 00:52:28 | 事象への想い


山下弘子さんの日記、続き…

そうそう…💫🌟🌈(深く頷く…✊🏻僕ら行く新しき君と

時々“臆病風”に吹かれる所も、共感…✨


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Lulu on the Bridge - Trailer

2014-07-18 18:35:24 | 心象風景

Lulu on the Bridge - Trailer

 

胡蝶の夢のような不思議なはなし・・・

おそらく、つけた当時は野性的な直感みたいなものが働いてたのだろうけど(...理屈の説明はできる... 現代詩手帖のこの文章が、私の魂の祈りでもあったので...)、ハッピーエンドとは言いかねる儚いラストを持つこの映画をハンドルネームの由来にしてしまったこと、少し後悔している。。。(イヤ、後悔してない。必ず、“意味”が繋がるはずだから。 時々臆病風に吹かれるけど、いつも思い直す。)

 

でも、その不吉さを払拭するために、祈りを胸に持ちながら、精一杯のタフネスを発揮し、能動的な意志を持って、全肯定を目指して(シッダールタも辿った道...)生きていこうとも思ってる。 これは自分の人生を使った実験とも言える。 意思の力で少しでも良くなるのなら...(...石のダジャレ。。。)


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3/4 ウォータースライダー再挑戦→P.I.C.グアムとお別れ・・・

2012-03-27 15:15:22 | グアム旅行

昔はあんなに大好きだったスライダー、感覚を忘れてしまったのか、いつのまにか滑るのが怖くなってしまってたのだけど、一瞬の臆病風のせいで一生の心残りにしたくなかったので アドレナリン全開で再度挑戦しました(それが再び爽快に感じられるまで、時間ギリギリまで試してみようと思って チェックアウトは12:00なので、用意する時間を考えて、11:15頃まで、30分ほど、ガンガンチャレンジです

 

あのコントロール不効な感じがスリリングです~~~

 

P.I.C.のスライダーは緩やかで長い方と、激しめで短い方があるのですが、長い方は一回、短い方は4回ぐらい滑りました

 

そこまで滑ったらショック療法で、またスライダー病み付き&大好きに戻りました(完全にスロースターターだね そういう場合あまり深く考えず、脳内のアドレナリンのなすがままになるのが大切ですね。。。勇気を出すためには。。

 

 

スライダー、まだまだ滑りたかったけど、チェックアウトまでギリギリなので、名残惜しみながらP.I.Cのプールとお別れ

 

部屋に帰り、そっこーでシャワー浴びて、朝起きてほぼ荷物のパッキングはしておいたので、濡れた水着や浮き輪をしまい、忘れものはないか、部屋の最終チェックをして、スーツケースをガラガラ引いて、部屋を出ました

 

 

ロビーに出たら、ちょうど、チャモロの創作ダンスを演ってました

 

こちらはハワイアンフラのミックス的な創作ダンス

 

女の子のドレスがヒラヒラで素敵です~~

 

タイミングを合わせてターン ターン ターン

 

 

 

(右奥に見える...)お土産屋さんで魚のスノードームを買いました

 

とても名残惜しいけど、これでP.I.C.グアムとお別れです

スタッフさんの対応も、あらゆる意味でとても良かったので、またP.I.C=パシフィック・アイランド・クラブ・グアム、泊まりたいです

 

 


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