新しく、「赤毛のアンから辿る聖書の話」というカテゴリーを立てさせていただきます。
以前からこのような題材の本は出ていましたし、2013年にNHKのテレビ小説「花子とアン」が放映された後に、キリスト教徒の著者による同じテーマの本が出版されていますから、こういった内容は少しも目新しいものではありません。それでも、このカテゴリーを始めることにした理由をお話ししておきたいと思います。
最初は「ルーシー・M・モンゴメリの作品から辿る聖書の話」にしたいと思っていましたが、それは誰だ?と思われる人もいるのではないかと思い、一般的によく知られている「赤毛のアン」という言葉を用いることにしました。
私がモンゴメリの作品に関心を持つようになったのは、大学の時でした。比較文学の授業で、夏の間に一つどんな文学作品でも構わないから一冊読んでレポートを書くようにという指示が有りました。大学の最寄の駅の手前に有った書店に入って、外国の著者による作品が並んでる棚から無造作に何冊か取り出した中に、「銀の森のパット」が有りました。自然描写の美しさに心が惹かれましたので、その本に決めました。その時は、その物語に下巻が有ることや、著者のモンゴメリが「赤毛のアン」を書いた人だということも全く知りませんでした。
課題のために購入した「銀の森のパット」を読むと、聖書的な理解を示す言葉が比較的多く目に留まりました。私自身がキリスト教徒の両親のもとに生まれ、ミッション系の大学で学んだものですから、そういう表現には敏感であったと思います。私の在籍したコースでは卒業論文は必須ではありませんでしたが、モンゴメリの作品と聖書を基礎に、当時の教育観を探るというテーマは面白いのではないかと思い、履修登録をしました。
そこから「アン・シリーズ」「エミリー・シリーズ」「パット・シリーズ」だけでなく、書簡集や詩なども購入したのですが、本に赤線を引いてカードで整理するような時代でしたし、思ったより冊数が多く、一応苦学生であった私には時間が足りなくなり、ついに音を上げてしまいました。担当教授に謝罪しましたら、そういうテーマを持てるようになったのだから、これからでも研究はできると言ってくださいました。
しかし、就職してもそのようなことにかける時間はなかなか作れず、集めたものは本棚の肥やしになっていました。英語教師をしていましたので、英語文化理解という選択授業で聖書的引用の例を二つほど「アンの青春」から取り上げることができましたが、留学する時に全部古本屋で処分してしまいました。
モンゴメリは、長老教会の牧師と結婚しました。私は、それまではどちらかというとメソジストの背景を持った教会と大学に籍を置いていましたが、留学先で長老教会で奉仕をするようになり、牧師の試験を受けて合格しました。それで、モンゴメリがもう一度身近な感じがしてきました。そして、オーストラリアの長老教会に所属するようになった今、もう一度、赤毛のアンと聖書という部分を掘り起こしてみたいと思うようになりました。しかし、やはり時間を作ることは難しいと思っていましたところ、IT関連の会社でお勤めの方から、人を集めてそういう読書会をしなくても、教会のブログに掲載すれば、関心の有る人に届くでしょうというアドバイスをいただきました。それで、力を抜いてゆっくり取り組んでみようという気持ちになりました。
投稿は不定期です。学術論文ではありませんから、思いのままに綴ってみようと考えています。「赤毛のアン」」が入り口で、メインは「聖書の話」ということです。背景と思われる聖書の話がわかることで、モンゴメリの描写や感情がもう少しリアルに感じられる場合が有ると思います。中には、それは無理やりな関連付けではないかとか、穿ち過ぎではないかとか思われる方も出てくるかもしれませんが、寛容をもってお読みいただければと思います。
以前からこのような題材の本は出ていましたし、2013年にNHKのテレビ小説「花子とアン」が放映された後に、キリスト教徒の著者による同じテーマの本が出版されていますから、こういった内容は少しも目新しいものではありません。それでも、このカテゴリーを始めることにした理由をお話ししておきたいと思います。
最初は「ルーシー・M・モンゴメリの作品から辿る聖書の話」にしたいと思っていましたが、それは誰だ?と思われる人もいるのではないかと思い、一般的によく知られている「赤毛のアン」という言葉を用いることにしました。
私がモンゴメリの作品に関心を持つようになったのは、大学の時でした。比較文学の授業で、夏の間に一つどんな文学作品でも構わないから一冊読んでレポートを書くようにという指示が有りました。大学の最寄の駅の手前に有った書店に入って、外国の著者による作品が並んでる棚から無造作に何冊か取り出した中に、「銀の森のパット」が有りました。自然描写の美しさに心が惹かれましたので、その本に決めました。その時は、その物語に下巻が有ることや、著者のモンゴメリが「赤毛のアン」を書いた人だということも全く知りませんでした。
課題のために購入した「銀の森のパット」を読むと、聖書的な理解を示す言葉が比較的多く目に留まりました。私自身がキリスト教徒の両親のもとに生まれ、ミッション系の大学で学んだものですから、そういう表現には敏感であったと思います。私の在籍したコースでは卒業論文は必須ではありませんでしたが、モンゴメリの作品と聖書を基礎に、当時の教育観を探るというテーマは面白いのではないかと思い、履修登録をしました。
そこから「アン・シリーズ」「エミリー・シリーズ」「パット・シリーズ」だけでなく、書簡集や詩なども購入したのですが、本に赤線を引いてカードで整理するような時代でしたし、思ったより冊数が多く、一応苦学生であった私には時間が足りなくなり、ついに音を上げてしまいました。担当教授に謝罪しましたら、そういうテーマを持てるようになったのだから、これからでも研究はできると言ってくださいました。
しかし、就職してもそのようなことにかける時間はなかなか作れず、集めたものは本棚の肥やしになっていました。英語教師をしていましたので、英語文化理解という選択授業で聖書的引用の例を二つほど「アンの青春」から取り上げることができましたが、留学する時に全部古本屋で処分してしまいました。
モンゴメリは、長老教会の牧師と結婚しました。私は、それまではどちらかというとメソジストの背景を持った教会と大学に籍を置いていましたが、留学先で長老教会で奉仕をするようになり、牧師の試験を受けて合格しました。それで、モンゴメリがもう一度身近な感じがしてきました。そして、オーストラリアの長老教会に所属するようになった今、もう一度、赤毛のアンと聖書という部分を掘り起こしてみたいと思うようになりました。しかし、やはり時間を作ることは難しいと思っていましたところ、IT関連の会社でお勤めの方から、人を集めてそういう読書会をしなくても、教会のブログに掲載すれば、関心の有る人に届くでしょうというアドバイスをいただきました。それで、力を抜いてゆっくり取り組んでみようという気持ちになりました。
投稿は不定期です。学術論文ではありませんから、思いのままに綴ってみようと考えています。「赤毛のアン」」が入り口で、メインは「聖書の話」ということです。背景と思われる聖書の話がわかることで、モンゴメリの描写や感情がもう少しリアルに感じられる場合が有ると思います。中には、それは無理やりな関連付けではないかとか、穿ち過ぎではないかとか思われる方も出てくるかもしれませんが、寛容をもってお読みいただければと思います。