赤毛のアンで最初に登場する名前は、レイチェル・リンドです。前のエントリーに出てきたトーマス・リンドの妻です。面倒見が良くて、勤勉な近所の奥さんなのですが、率直にものを言ってしまう人物です。アンと最初に会った時に、アンの容姿をあからさまに形容してアンを激怒させます。アンのことを、やせっぽちでみっともない、そばかすがひどくて髪がニンジンのように赤いと言ってしまったのです。英語の表現では、”terrible skinny and homely” “such freckles” “hair as red as carrots” です。Homely という表現は、私の大学の教授は、ありていに言えば器量が悪い、ブスだという説明をしていました。しかし、アンを最も怒らせたのは、彼女の赤毛への言及であったと思います。アンはレイチェル・リンドの前で地団駄踏んで、彼女に言い返してしまいます。
さて、この婦人のレイチェル(Rachel)という名前は、聖書的な名前です。聖書に登場するレイチェルは、日本語の聖書ではラケルと表記されるます。聖書に登場するレイチェルはどんな人物なのかを確認してみたいと思います。少し長くなりますが、お付き合いください。
レイチェルは二人姉妹の妹でした。彼女が最初に登場した時は、父親の羊の世話をして共同の井戸に連れてくるところでした。そこで、彼女は後に夫となり、イスラエル12部族の始祖となる、アブラハムの孫であり、彼女の従兄弟にあたるヤコブに出会います。女性がそういう仕事をする記録は他にも有りますが、通常は男性の羊飼いがする仕事だと思われますし、男性たちに順番を取られたりすることもあったようですので、それなりに芯の強い女性であったと思われます。
ヤコブはこのレイチェルに、心を奪われます。ヤコブはレイチェルの父親であり自分の伯父であるラバン(Laban:レイバン)の家で一月ほど働きました。ラバンは親類だからと言ってただ働きさせるわけにいかないので、どんな報酬が欲しいかと聞きます。そこでヤコブは、レイチェルと結婚させて欲しいと願い出て、七年間働くという条件付きで、聞き入れられるのです。創世記29章17節には、「ラケルは姿も顔だちも美しかった。」と述べられています。姉のレア(Leah:リア)については、目が弱々しかったと断り書きがしてあります。中東の人にしては目が小さかったり細かったりしたのかもしれません。"Leah was tender eyed; but Rachel was beautiful and well favoured." (King James Version)
レイチェルはこのようにして将来の夫と出会うのですが、私の印象ではその生涯はあまり幸せではなかったように思います。いくつかのエピソードをご紹介しましょう。
レイチェルの夫となるヤコブは、母親も祖母も美人であったことが聖書に記されています。ですから、ヤコブも美男子であったろうと思われます。近縁で信頼がおける上に外見も整ったヤコブとの結婚を、レイチェルもそれなりに期待して約束の七年間を過ごしたのではないかと思います。ところが、彼女の父親のラバンは酷い男で、結婚の日の夜、レイチェルを止めて、姉のレアを送り込んだのです。いくら父親の権限が大変強かった時代と地方とは言え、これはレイチェルにとっても耐え難いものであったと思われます。(レイチェルは父親を恨んでいたと思います。後にヤコブが故郷に引っ越す時に、父親の家の守り神の像を盗んでいます。)当然、翌朝になれば露見することです。ヤコブも抗議しましたが、ラバンは妹が姉より先に嫁ぐ習慣は無いからと、言い捨て、直ぐにレイチェルをやるからもう七年働けと言いました。姉のレアは自分が選ばれなかったことを悔しく思っていたかもしれませんが、ヤコブの妻になれたことは喜んでいたようです。こうして、この姉妹は生涯のライバルになるのです。
レイチェルにとって次に辛かったことは、姉のレアには子供が生まれるのに、自分には子供ができないことでした。当時は子宝に恵まれることが結婚した女性の幸せでしたから、感情が抑えきれずに夫のヤコブにも子供を授けてくれるようにと怒りをぶつけています。ヤコブにも辛いことであったと思います。ようやくレイチェルが妊娠したのは、レアが七人子供を産んだ後でした。
レイチェルにようやく生まれた子供はJoseph, ヨセフです。彼の物語はJoseph: King of Dreamというタイトルでディズニー映画(アニメ)にもなっています。ヤコブにとって、本命であったレイチェルから生まれた息子ということで、大変可愛がられて、兄達には与えられない綺麗な上着を着せられていたりしたことから、兄達の反感を買い、ヨセフは外国に売り飛ばされてしまいます。兄達は、彼が野獣に食い殺されたことにしていました。ヤコブがたいそう悲しんだことは記録されていますが、レイチェルへの言及は有りません。しかし、レイチェルの悲しみも当然相当なものであったはずです。
レイチェルの不幸はここで終わりません。次の子供を妊娠するのですが、お産が重くて命を落としてしまうのです。この悲劇の女性としてのイメージが、イエス・キリスト誕生の時にヘロデ大王がベツレヘム近辺の二歳以下の男の子を殺すように命じることの預言となるエレミヤ31章15節で比喩的に彼女の名前が出てくる所に重なっています。
さて、赤毛のアンのレイチェル・リンドに話を戻しましょう。聖書のレイチェルは美しい女性として描写されていますが、こちらのレイチェルは太って豪快ながら面倒見の良い婦人という設定になっています。モンゴメリは、マシュー・カスパートの時と同様に、聖書の人物像とはほぼ反対のキャラクター設定をしてその対比を楽しんでいたのかもしれません。
第9話では、先に述べたように、彼女はアンを激怒させてしまいます。彼女を引き取ったマリラ・カスパートはレイチェルに対して「口が過ぎたと思う」と意見します。そこで彼女が「子供を十人育て上げ、二人亡くした」(”I’ve brought up ten children and buried two”)者として厳しく育てた方が良いと思うという助言をして帰っていきます。つまり、彼女は子沢山であったことになります。この部分も聖書のレイチェルとは反対の状況になっています。彼女の言葉は、多分、十人は育って独り立ちさせたが、二人はその前に亡くしたということでしょうから、全部で十二人産んだことになるということだと思います。モンゴメリは、イスラエル十二部族を連想させる十二人の子供を産んだ女性に、辛い境遇で二人の息子しか産めなかったレイチェルの名前を与えることで、その無念のイメージをを少しでも軽くしてあげたいと思ったのかもしれません。
ちなみに、聖書のレイチェルのもう一人の息子は Benjamin、ベンジャミン と言います。日本語の聖書ではベニヤミンという表記になります。 聖書的な意義としては、ヤコブとその家族が、ラバンの酷い仕打ち、家族の不和、不幸の中でも神の守りが有ってイスラエル十二部族が成立したという部分に有ります。
さて、この婦人のレイチェル(Rachel)という名前は、聖書的な名前です。聖書に登場するレイチェルは、日本語の聖書ではラケルと表記されるます。聖書に登場するレイチェルはどんな人物なのかを確認してみたいと思います。少し長くなりますが、お付き合いください。
レイチェルは二人姉妹の妹でした。彼女が最初に登場した時は、父親の羊の世話をして共同の井戸に連れてくるところでした。そこで、彼女は後に夫となり、イスラエル12部族の始祖となる、アブラハムの孫であり、彼女の従兄弟にあたるヤコブに出会います。女性がそういう仕事をする記録は他にも有りますが、通常は男性の羊飼いがする仕事だと思われますし、男性たちに順番を取られたりすることもあったようですので、それなりに芯の強い女性であったと思われます。
ヤコブはこのレイチェルに、心を奪われます。ヤコブはレイチェルの父親であり自分の伯父であるラバン(Laban:レイバン)の家で一月ほど働きました。ラバンは親類だからと言ってただ働きさせるわけにいかないので、どんな報酬が欲しいかと聞きます。そこでヤコブは、レイチェルと結婚させて欲しいと願い出て、七年間働くという条件付きで、聞き入れられるのです。創世記29章17節には、「ラケルは姿も顔だちも美しかった。」と述べられています。姉のレア(Leah:リア)については、目が弱々しかったと断り書きがしてあります。中東の人にしては目が小さかったり細かったりしたのかもしれません。"Leah was tender eyed; but Rachel was beautiful and well favoured." (King James Version)
レイチェルはこのようにして将来の夫と出会うのですが、私の印象ではその生涯はあまり幸せではなかったように思います。いくつかのエピソードをご紹介しましょう。
レイチェルの夫となるヤコブは、母親も祖母も美人であったことが聖書に記されています。ですから、ヤコブも美男子であったろうと思われます。近縁で信頼がおける上に外見も整ったヤコブとの結婚を、レイチェルもそれなりに期待して約束の七年間を過ごしたのではないかと思います。ところが、彼女の父親のラバンは酷い男で、結婚の日の夜、レイチェルを止めて、姉のレアを送り込んだのです。いくら父親の権限が大変強かった時代と地方とは言え、これはレイチェルにとっても耐え難いものであったと思われます。(レイチェルは父親を恨んでいたと思います。後にヤコブが故郷に引っ越す時に、父親の家の守り神の像を盗んでいます。)当然、翌朝になれば露見することです。ヤコブも抗議しましたが、ラバンは妹が姉より先に嫁ぐ習慣は無いからと、言い捨て、直ぐにレイチェルをやるからもう七年働けと言いました。姉のレアは自分が選ばれなかったことを悔しく思っていたかもしれませんが、ヤコブの妻になれたことは喜んでいたようです。こうして、この姉妹は生涯のライバルになるのです。
レイチェルにとって次に辛かったことは、姉のレアには子供が生まれるのに、自分には子供ができないことでした。当時は子宝に恵まれることが結婚した女性の幸せでしたから、感情が抑えきれずに夫のヤコブにも子供を授けてくれるようにと怒りをぶつけています。ヤコブにも辛いことであったと思います。ようやくレイチェルが妊娠したのは、レアが七人子供を産んだ後でした。
レイチェルにようやく生まれた子供はJoseph, ヨセフです。彼の物語はJoseph: King of Dreamというタイトルでディズニー映画(アニメ)にもなっています。ヤコブにとって、本命であったレイチェルから生まれた息子ということで、大変可愛がられて、兄達には与えられない綺麗な上着を着せられていたりしたことから、兄達の反感を買い、ヨセフは外国に売り飛ばされてしまいます。兄達は、彼が野獣に食い殺されたことにしていました。ヤコブがたいそう悲しんだことは記録されていますが、レイチェルへの言及は有りません。しかし、レイチェルの悲しみも当然相当なものであったはずです。
レイチェルの不幸はここで終わりません。次の子供を妊娠するのですが、お産が重くて命を落としてしまうのです。この悲劇の女性としてのイメージが、イエス・キリスト誕生の時にヘロデ大王がベツレヘム近辺の二歳以下の男の子を殺すように命じることの預言となるエレミヤ31章15節で比喩的に彼女の名前が出てくる所に重なっています。
さて、赤毛のアンのレイチェル・リンドに話を戻しましょう。聖書のレイチェルは美しい女性として描写されていますが、こちらのレイチェルは太って豪快ながら面倒見の良い婦人という設定になっています。モンゴメリは、マシュー・カスパートの時と同様に、聖書の人物像とはほぼ反対のキャラクター設定をしてその対比を楽しんでいたのかもしれません。
第9話では、先に述べたように、彼女はアンを激怒させてしまいます。彼女を引き取ったマリラ・カスパートはレイチェルに対して「口が過ぎたと思う」と意見します。そこで彼女が「子供を十人育て上げ、二人亡くした」(”I’ve brought up ten children and buried two”)者として厳しく育てた方が良いと思うという助言をして帰っていきます。つまり、彼女は子沢山であったことになります。この部分も聖書のレイチェルとは反対の状況になっています。彼女の言葉は、多分、十人は育って独り立ちさせたが、二人はその前に亡くしたということでしょうから、全部で十二人産んだことになるということだと思います。モンゴメリは、イスラエル十二部族を連想させる十二人の子供を産んだ女性に、辛い境遇で二人の息子しか産めなかったレイチェルの名前を与えることで、その無念のイメージをを少しでも軽くしてあげたいと思ったのかもしれません。
ちなみに、聖書のレイチェルのもう一人の息子は Benjamin、ベンジャミン と言います。日本語の聖書ではベニヤミンという表記になります。 聖書的な意義としては、ヤコブとその家族が、ラバンの酷い仕打ち、家族の不和、不幸の中でも神の守りが有ってイスラエル十二部族が成立したという部分に有ります。