思いつくまま

思いついたことを書いています。

長友佑都著『日本男児』(ポプラ社)を読む。

2011年12月15日 22時55分55秒 | 読書
サッカー日本代表でインテル所属の長友選手が書いた本。

長友がまだ小学3年生だった頃に、両親が離婚して、母親が1人で姉と長友と弟の3人を苦労しながら育てたことや、中学生の頃にゲームセンターに入り浸りになっていたところ、サッカー部の熱血先生が引き戻して熱血指導をしてくれたことなど、長友が非常に良い人たちに支えられて育ってきた、そして本人もそれに応えるように頑張ってきたことがよくわかる内容だった。

寝不足になりながらもサッカーと勉強の両立を果たした東福岡高校から明治大学へ、そしてFC東京のJリーガーとしてデビュー。
自分は、この頃ようやく長友の存在を知り、FC東京にすごい走力のあるサイドバックがいるなぁと期待して見ていた。

そして、岡田監督率いる日本代表に長友が初招集され、豊田スタジアムで行われたコートジボワール戦を間近で見たことを思い出して、すごく懐かしくなった。
http://blog.goo.ne.jp/ms1229jp/e/ee9cda9ec4911f80391115e1eef36787
あの頃はまだ代表デビューしたばかりで、あまり特徴を活かしきれていなかった。

その後、U22日本代表として北京五輪予選を勝ち抜き、北京五輪本大会、グループリーグのアメリカ戦では全く振るわなかったし、結局3戦全敗だった。

それでも長友はどんどん成長して、日本代表に定着して、ワールドカップ南アフリカ大会のレギュラーとして、日本代表がホーム以外で行われた大会で初の決勝トーナメント進出に貢献した。
昨年の夏にイタリアの弱小チームのチェゼーナへ移籍、そこでローマと引き分けたりACミランに勝ったりして、長友効果抜群だった。
今年1月のアジアカップで優勝したと思ったら、強豪チームのインテルに電撃移籍。

すぐにチームに溶け込み、あのお辞儀のポーズ。鹿島でプレーしたレオナルドが監督だったことも幸いだった。インテルのスーパースター達は練習から全く手を抜かずにしっかりやっていることも、人間性の良さもすごくよくわかった。

成功街道まっしぐらな感じの長友だが、実は腰にはヘルニアを抱えており、その痛みに負けそうな時もあったが、それを非常に前向きな精神力と体幹強化で乗り切ってきて、今に至っている。

東日本大震災の時には、遠くイタリアから日本人を元気づけるために何ができるかを考え、やはりサッカーで頑張るしかないと試合に集中してきた。

ともかく何事にも前向きに頑張ってきた長友。
「世界一のサイドバック」目指して頑張れ長友
コメント
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