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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】奔馬 豊饒の海(二)

2010年09月07日 19時35分08秒 | 読書記録
奔馬 豊饒の海(二), 三島由紀夫, 新潮文庫 み-3-22(2417), 1977年
・三島由紀夫、最後の大作『豊饒の海』シリーズ全四部のうちの第二部。舞台は第一部より約20年後とのことですが、その第一部『春の雪』を読んだのが3年以上も前のことで、その話の筋など全くどこかへ霧散してしまいました。しかし、そんな状態でも読み進むうちに著者の巧みな話術によりおぼろげながらその内容を思い出し、特に不自由を感じず読み通すことができます。また第一部だけを見ると、単なる悲恋話にしか思えませんでしたが、第二部を読んでみると意外な方向に話が進み、初めて著者が描かんとする全体像が見えた気になります。「う~~ん、そうきたか……」と作中の "本多" と一緒に、読み手のこちらまでもが戦慄。
・「三十八歳とは何たる奇異な年齢だろう!  遠い昔に青春が終わってしまって、その終ったあとから今までの記憶が何一つ鮮明な影を宿さず、そのために却っていつも、青春と壁一重隣合せに暮らしているような気がしつづけている。隣の物音はたえず詳さにきこえてくる。しかし、もはや壁には通路はないのである。」p.8
・「人は共通の思い出について、一時間がほどは、熱狂的に話し合うことができる。しかしそれは会話ではない。孤立していた懐旧の情が、自分を頒つことのできる相手を見出して、永い間夢みていた独白をはじめるのだ。おのがじし独白がつづけられて、しばらくすると、急にいまの自分たちは語り合うべき何ものも持たぬことに気づく。二人は橋を絶たれた断崖の両岸にいるのである。」p.61
・「それにしても、本多は何と巧みに、歴史から時間を抜き取ってそれを静止させ、すべてを一枚の地図に変えてしまったことだろう。それが裁判官というものであろうか。彼が「全体像」といううときの一時代の歴史は、すでに一枚の地図、一巻の絵巻物、一個の死物にすぎぬではないか。『この人は、日本人の血ということも、道統ということも、志ということも、何もわかりはしないんだ』と少年は思った。」p.123
・「いつも死を考えているので、その考えが彼を透明にして空中に泛ばせ、世間から宙吊りにして歩かせ、この世の事物への嫌悪と憎しみをすら、どこかで稀薄にさせているように思われた。それを勲は怖れた。獄の壁のしみ、血痕、尿臭などが、もしかした、そんな稀薄さを癒やしてくれるかもしれない。自分には獄が必要なのかもしれない。……」p.138
・「死ねばすべては清められますが、生きているかぎり、右すれば罪、左すれば罪、どのみち罪を犯していることに変りはありません」p.196
・「紙芝居屋は拍子木を叩きながら、勲をちらと見た。勲は自分が、今温めたばかりの柔らかい初心な牛乳の皮みたいに見られているのを感じた。」p.229
・「勲は以前、剣道部の熱心な部員であったころ、たまたま道場を訪れた名高い剣道家の福地八段に稽古をつけてもらって、その水のような構えに圧せられて、しゃにむに撃ちかかったところを外されて、思わず退いた瞬間に、面金の奥から静かな嗄れ声で、こう言われたことがあったのを思い出した。  「引いてはいかん。そこに何か 仕事 があるでしょう。」」p.294
・「そのときから酔いがはじまった。酔いは或る一点から、突然、奔馬のように軛を切った。女を抱く腕に、狂おしい力が加わった。抱き合って、檣のように揺れている自分達を勲は感じた。」p.315
・「万人が愚かだと思う決断を自分に下したあとの、この心身の爽快、この胸裡の温もりを何にたとえよう。それも分別ざかりの今日になって!」p.327
・「このレコードは久しく聴かれなかった。そこで愉しい音楽を聴こうと思われた宮は、冒頭に弱音のホルンで吹かれるティルの主題を耳にされるや否や、自分はレコードの選び方をまちがえた、今自分が聞きたいと思った音楽はこれではない、という感じを即座に持たれた。それは陽気な悪戯気たっぷりなティルではなくて、フルトヴェングラーが拵えた、淋しい、孤独な、意識の底まで水晶のように透いて見えるティルだったからである。」p.338
・「権力はどんな腐敗よりも純粋を怖れる性質があった。野蛮人が病気よりも医薬を怖れるように。」p.353
・「勲はとうとう避けとおしてきた言葉に行き当たった。『血盟自体が裏切りを呼ぶのだろうか』  ……これは最もぞっとする考えだった。」p.353
・「「それはいつのことです」  「それを今考えていたのでございますが、二十年あまり前に来たことがあるような気がします」  「二十年前に、飯沼が、女連れでですか」  と検事が思わず言ったので、傍聴席には失笑が起った。  老人はこんな反応には少しもかまわず、執拗に繰り返した。  「はい。左様です。どうも二十年あまり前に……」  この証人の証言能力の有無はもはや明らかだった。人々は北崎の耄碌を嗤っていた。本多もはじめはその一人だったが、老人が「二十年あまり前」という言葉を、ふたたび生真面目に口にしたとき、今までの嘲り笑いが突然戦慄に代わったのである。」p.395
・「彼は被告と証人の間に、この戦いを提起することを望んだのである。すなわち、勲の考える純粋透明な志の密室を、思いつめた女の感情の夕映えの紅で染めなすこと。相手の世界をお互いに否定しさるほかはないほど、相互のもっとも真実な刃で戦わせること。この種の戦いこそ、勲が今までの二十年の半生に、想像だにせず、夢見ることさえなく、しかも或る「生の必要」から必ず知らねばならないところの戦いだった。  勲は自分の世界を信じすぎていた。それを壊してやらねばならぬ。なぜならそれはもっとも危険な確信であり、彼の生を危うくするものだからである。」p.407
●以下、解説(村松剛)より
・「『豊饒の海』の着想は『浜松中納言物語』によると、三島氏はのちにみずから書いている。四部作をつらぬいている軸は、まさに「確乎不動の現実に自足」しようとする考え方への、夢のがわからの挑戦である、といってよい。」p.448
・「勝利を収めたのは勲だった。夢こそが現実に先行するのであり、実在とは身命を賭けた詩であると、作者はこの一行に託していっているように見えるのである。」p.454

?しんい【瞋恚・嗔恚】(連声で「しんに」とも)仏語。三毒(貪毒・瞋毒・痴毒)、十悪などの一つ。自分の心に違うものを怒りうらむこと。一般に、怒りうらむこと。瞋。しんね。
?しっぴ【櫛比】 すきまなく並んでいる、くしの歯。また、くしの歯のように、すきまなく並ぶこと。
?いしゃ【慰藉】 苦しみなどを慰めいたわること。
?どうとう【道統】 儒学を伝える系統、学派。

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【本】春の雪 豊饒の海(一)(2007.4.14)
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【本】人間的魅力の研究

2010年09月01日 19時05分30秒 | 読書記録
人間的魅力の研究, 伊藤肇, 新潮文庫 い-35-1(4263), 1989年
・幅広い人脈を持つ著者の、それまでの経験から学んだ『人間的魅力』についてまとめた書。人の持つ「深沈厚重」「磊落豪雄」「聡明才弁」の三つの気質について、三部構成で論じている。
・読むことで何となく、自分がエラくなったかのように、しばらく錯覚させてくれる本。本書の内容が基で何らかの行動を起こす気になる、という意味での実用性は低い。
・「文章でも、絵でも、他人を感動させようとするなら、まず、自らが感動しなければならない。書く人間自身の魂をゆり動かさないような作品は、いかに巧みに組み立てられ、いかに華麗な言辞を弄していても、決して生命はない。」p.4
・「「人間的魅力」もまた、好きか、嫌いかの二者択一である。「その基準をどこに置くのか」を問われるなら、筆者は次のように答える。  「人間である以上、なくて七くせ、といわれるほど欠点は多い。だが、同じ欠点でも、許せる欠点と許せない欠点とがある。許せない欠点とは、それは人間が卑しいということだ。品性下劣な人間、これは容赦なく嫌いな人間のほうへ分類する。何故ならば、人間と動物との違いは、尊敬する気持ちと恥を知ることの違いである。特に廉恥心を失うのは人間としての一の資格を喪失することだからだ。」」p.6
・「たとえ、そいつが悪党とわかっていても、魅力があればどこまでもついていくし、反対に善人でどんなに立派なことをいっても、魅力がなければ、論理とか、イデオロギーだけではついていかない。それが人間である。だから、友を選ぶ場合には、何よりも気質、性格が合うことを第一として、主義主張の合う、合わないは第二にすべきであろう。」p.18
・「人間の面白味はどこにあるのか。それは性格である。性格によって言葉つきも違えば、考え方も違う。いいかえれば、性格がその人の運命である。そして、人間に興味をもつということはその人の性格に興味をもつということである。」p.19
・「以上、「魅力」について、いろいろと述べてきたが、「では、魅力とは何か」と開き直られてみると、「いわく、言い難し」と答える以外に適当な言葉がない。「魅力」とはことほどさように説明しにくいものである。」p.38
・「「急迫ハ事ヲ敗ル。寧耐ハ事ヲ成ス。」  せいては事を仕損じる。人間ができていないと、ギリギリ決着の場で、うろたえて軽率な裁断を下し、臍を噛む。そういう時こそかえって沈着に構え、熟考断行すべきである。」p.55
・「本来、知識などというものは、うすっぺらな大脳皮質の作用だけで得られるもので、学校へいって講義をきくだけでも、あるいは参考書を読むだけでも身につけられる。しかし、それだけでは、人間の信念とか、行動力にはならない。もっと根本的なもの、もっと権威あるものが加わらぬと役に立たない。それは何かというと見識である。(中略)その人物の見識が高ければ高いほど、低俗な連中は理解できないから反対する。その反対、妨害を断固として排除し、実践する力を胆識という。つまり、決断力や実行力の伴った知識や見識が胆識ということになる。」p.73
・「Poison of Power (権力の毒)というくらい、権力は人間をまひさせ、堕落させるものである。しかも「驕慢」という毒に侵され、塩水のように飲めば飲むほど、渇いてくる。権力を得れば得るほど、安らぎが去り、不安と焦燥が後から後から押しよせてくるのだ。」p.89
・「民衆から褒められたりたてられたりするうちはまだダメで、いるのか、いないのかがわからないが、その人がいればそれだけで皆が安らぐ、問題が起きない、それこそが「至れる人」なのである。」p.94
・「「他人の中傷に対して、どこまで弁解せずにおられるか、これを試してみるのも人間修練の一方法である」  宰相、吉田茂の指南番であった古島一雄の一言だが、これほど難しいものはない。  特にインテリの最も悪いくせは、自分の行動を合理化することである。」p.100
・「行為するものにとって、行為せざるものは最も過酷な批判者である。」p.100 これは痛切に感じる言葉。
・「実際の話が、人に親切にされて、一年ぐらいたってから「はて、あれは親切であったのか」と気がつくようだったら、これこそホンモノの親切である。」p.127
・「世の中に「ホンモノ」と「ニセモノ」という言葉があるが、その区別はどこにあるか、といえば、「ホンモノ」は、いつもひかえめで内容が充実しているのに対して、「ニセモノ」は常に大げさで、ハッタリやスタンドプレーが目につくということであろう。」p.128
・「とにかく60点の仕事をやれ。60点以下の仕事はやるな。なぜなら、はじめから100点満点をめざすと、どうしても時間がかかり、弾力性がなくなり、下手にまごつくと、責任回避となるからだ。60点を持続し、それにだんだん味をもたせるようにするのがプロのプロなるゆえんである。経営というのは、タイミングよく、今やれば成功するが、明日に延ばしたら失敗するという例が多い>」p.175 土光敏夫の言葉。
・「曹操は、人間を「才能」で評価した。人間的に欠陥があっても、才能さえあればよい、という考え方である。」p.220
・「人生とは、つきつめれば「邂逅」と「別離」の思い出に他ならない。そして、師でも、先輩でも、愛人でもいい、とにかく一筋の光明を与えてくれた思い出が人間を形成する。」p.233
・「人間的魅力の基本ともいうべき「深沈厚重」「磊落豪雄」「聡明才弁」の三つのパターンについて、書き綴ってきたが、ただ、ここで見落としてならないのは、最初から「深沈厚重」の魅力をもった人間がいるわけではないということである。やはり「聡明才弁」「磊落豪雄」の順序を踏んで、はじめて「深沈厚重」に到達するのである。」p.272
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【本】呼吸法の極意 ゆっくり吐くこと

2010年08月27日 19時01分38秒 | 読書記録
呼吸法の極意 ゆっくり吐くこと, 成瀬雅春, BABジャパン, 2005年
・ヨーガ行者である著者による、ヨーガに基づいた呼吸法の入門書。巻末に女優・高木沙耶との特別対談が付属。
・健康法としての呼吸法に興味を持ち購入。内容を要約すると最後の書き抜きの「まずは、自分の呼吸に意識を向ける。それができたら吐くのをゆっくりにする。」、この一文に尽きます。そしてなんと、「神の領域に迫る」呼吸法に至るまで懇切丁寧に書かれていますが、その文章だけを頼りにその呼吸法を体得できる人間は皆無であると言っていいでしょう。その記述の端々からは少々『トンデモ』的香りも漂います。今回は直接中身を見ずに、書評のみを頼りに買ってみたところ、期待とは異なる本をつかんでしまい、失敗。内容を初級編に絞って訓練の段階を細分化し、図解を増やして実用度を高めればかなりマシになるのではと思うのですが。
・表紙の岩の上で瞑想する仙人のような人物は一体何者なのだろう、と思ったら、それが著者でした。
・「本書で私が示す呼吸法は、そういったイメージ法ではなく、呼吸の確かなテクニックを身に付けるためのものである。そのために「吐く前の喉の状態」「舌の位置」「呼吸の強さ」「呼吸の長さ」「呼吸の音質」「腹部の使い方」「胸部の使い方」「呼吸の回数」などを細かく指定して、決められたテクニックの呼吸になあるように練習するのである。そうやって身に付けることで、正しい「呼吸法」を自分のものにできる。」p.1
・「このようにヨーガ修行も本格的になると、命懸けで取り組まなければならなくなる。私の「空中浮掲(ママ)」「心臓の鼓動を止める呼吸法」なども命懸けの修行法である。私は独学で心臓の鼓動を止めることができるようになったが、劇薬の致命的な影響を中和する力といい、空中浮揚といい、ヨーガの呼吸法で得られる能力には計り知れないものがある。」p.3
・「それほどアヒンサーというのは深い内容の修行だから大変なのである。アヒンサー(非暴力)を実践したことで有名なマハトマ・ガンジーも、テロリストに殺されてしまったのだから、厳しい見方をすればアヒンサーには成功しなかったことになる。もしアヒンサーに成功していれば、テロリストの意識から、マハトマ・ガンジーを殺そうという気持ちが消えてしまい、暗殺行為は起こせなかっただろう。  ヨーガに熟達した行者は、森の中でもライオンや毒蛇に襲われることがない、というのもこのアヒンサーのためなのである。」p.22
・「一頭のシカが犠牲になったことで九九頭のシカが助かっているし、犠牲になったシカは群れの中では体力も弱く、ライオンの襲撃から逃れるだけの力がなかった。このように力の弱いものが犠牲になることで、シカの種族としての全体の能力を向上させることにもなるのである。」p.47 類似の議論は「獲得形質の遺伝」のよくある勘違いとして有名のような。
・「私は基本的にお腹が空いて食べたくなったときに食べるので、食事時間はでたらめだし、体の奥の方で拒否しているものは、どんなにもったいなくても食べない。そのために、一緒に食事をしたのに、私だけ食あたりしないで済んだというようなことはある。  しかし、健康のために食べるわけではないので、栄養のバランスなどはほとんど考えない。自分の好みに合ったものを、食べたいときに食べているのだから、感心してもらうほどのことはない。だから私の食事は一般的に通用している「自然食」とはいえない。(中略)牛は一種類の草を食べ続けて生きていけるし、その他のいろいろな動物も、一種類の食べものだけで生きているケースが多い。当然人間も一種類だけを食べて生き続けられる可能性はある。」p.51 一見突飛なことを言っているようにも感じるが、エスキモーがほとんど生肉しか食べていなかったことを考えると、納得出来る。
・「インドのギリバラという女性の行者は、五十年以上も飲まず食わずで元気に活動していたそうである。ギリバラは「或る種のマントラの使用と、普通の人にはできないような難しい呼吸の実修から成っております。薬や魔術は全然用いません」といっている」p.54
・「この「思考を停止させるテクニック」も、ヨーガ経典の記述を超える呼吸法の極意といえるものである。」p.62
・「完全呼吸法のような呼吸法のテクニックを練習する以前に、呼吸法を身に付けるための根本的な原則がある。それは「呼吸に意識を向ける」ということと、「ゆっくりと息を吐く」という二つである。  呼吸は生まれて以来休むことなく続けられているので、ふだんは意識していない。その自分の呼吸に意識を向けることが第一の原則である。意識を向けた瞬間から、呼吸はゆっくりし出す。一日のうち、呼吸に意識を向けることが多くなるほど、ゆっくりした呼吸をしている時間が多くなる。それがすでに呼吸法の重要な基本を身に付けたことになる。  そして第二の原則の「ゆっくりと息を吐く」ということを心がければ、ヨーガ呼吸法の「深い呼吸をする」という重要な基礎訓練をしていることになる。一般的な深呼吸では息を吸ってから吐いているが、それでは本当に深い呼吸にはならない。」p.83
・「吸う12秒、止める48秒、吐く24秒を、当面の目標にして練習すればよい。」p.89
・「ヨーガの完全呼吸法を知り、それを実際に練習し出してから、私には疑問が生じた。それは、果たしてこれが完全呼吸法と呼べるものなのだろうか、という疑問である。つまり、どんなに上達しても一回毎に違いがあり、それを毎回全く同じ状態にすることなど不可能なことだというのを知って「完全呼吸法」という名称に疑問をもったのだった。  「完全な呼吸なんて神様でもなければできるわけがない」というのが、私の素直な意見だった。(中略)そこで私は逆に「完全呼吸法」の重要さに気づいた。完全な呼吸はおそらく「神」でなければできないだろうが、完全な呼吸に限りなく近づくことはできる。とすれば「完全呼吸法」に熟達すればするほど、限りなく「神」に近い存在になれることになる。」p.99
・「病気にはいろいろな種類があるが、その多くは血液の汚れが原因である。血液の循環がよくなり、血液の質がよくなれば、大半の病気は治ってしまう可能性がある。」p.106
・「《行法》
①半内的完全呼吸法でゆっくり息を吸い込んでから、自然に一~二秒ほど止める。
②ゆっくりと鼻から息を吐いていくが、そのとき鼻腔の奥に息を当て、独特の摩擦音を出しながら吐くようにする。
③①~②を繰り返す。
」p.112 呼吸法の伝授は延々とこの調子で続く。
・「この説明だけでもマスターするのは大変だろう。そこで、できれば一人で練習するのではなく、二人以上でお互いにチェックし合いながら練習することをお勧めする。」p.130
・「呼吸法も繊細さが増してくるにつれて、チャクラの存在がクローズアップされてくる。そもそもチャクラとは何なのかというと、人体内の霊的エネルギーセンターだと解釈すれば、ほぼ間違いがない。ただしチャクラは肉体内に存在するのではなく、アストラル体(霊体)の領域に存在するのである。」p.132
・「私のところにはいろいろな手紙が来るが、中でも超能力や霊能力に関するものが結構ある。「突然チャクラが開いてしまったのですが、どうしたらよいのでしょうか」「私は悟りを開きました」「解脱してしまったのですが、これからどうしたらよいかアドバイスしてください」など、ただ手紙を見ている分には笑い転げてしまうようなものがかなりある。」p.151
・「「悟りを開いた」とか「解脱した」というのも、本人がいっているとしたら、観察能力がないだけのことである。悟ったとか解脱したという主張をする部分のエゴが消え去ってからでないと、本当の悟りは得られない。本当に悟りを得たら、自分から悟ったなどとはいわなくなるくらいのことは、細かな観察能力があればわかることである。」p.164
・「伝統的なヨーガ呼吸法に隠された「神の領域に迫る」テクニックを可能な限り活字にしてみる、という大胆な試みに正面から取り組んでみた。」p.200
・「これは余談だが、楽器演奏のテクニックに「吐きながら吸う」というのがある。私が専門にしていたサキソフォンやトランペットの演奏者の中に、時々このテクニックを使う人がいる。ロングトーンといって一つの音を長く出し続けるのだが、常識では考えられないぐらい長く出せるのだ。」p.204 おそらく筆者は "循環呼吸" のことを言いたいのではないかと。。。
・「たとえば自分の家の前で倒れてしまったサンニャーシンがいたら、むろん医者に見せることもするが、余命いくばくもないとなったら、庭先にベッドを用意して毎日の食事の世話をしながら、死ぬまで面倒を見るという習慣がある。だからどこで行き倒れになっても心配がないのである。」p.210
・「ヨーガの聖者は輪廻の最終段階の人生で、自分の役割をすべて終えると、自らの意思によって死ぬことが(自殺ではなく)できるとされている。」p.232
・「私の空中浮揚写真を見て、「このときの意識状態はどんなですか」とか、「呼吸はしているのですか」などという質問を受けることがある。たしかに「地上1メートルを超える空中浮揚」の写真を見れば、いろいろな疑問が沸き起こるのだろうと思う。」p.245
・「最近は「解脱」という言葉が流行のように使われるようになった。新興宗教の教祖で「私は解脱した」という人もいるようだ。解脱した人には何の執着もないので、自分から「解脱した」ということはありえない。  しかしヨーガの話の中にはジーヴァンムクタ(生前解脱)という、生きていて解脱した人の例が出てくる。その話があるので「私は解脱した」というのだろうが、これは勘違いなのである。  ジーヴァンムクタというのは、本人がいうことではなくて、周囲の人たちが「あの人は解脱している」と感じるものなのである。」p.247
・「呼吸は生まれてから、ずっとしているのが当然なことだから、普段は意識されていないんですよね。  けれども、意識を向ける。すると、呼吸がゆっくりし始める。それから、ゆっくりと息を吐くようにする。肺にある汚れた空気を吐き出してから、新鮮な空気を吸うんです。息を吸ってから吐くというのが深呼吸と言われていますが。」p.266
・「結局、ヨーガでもフリーダイビングでも自分自身を見つめることだと思います。すると、自分の中から一番よい方法というのがおのずと見つかるんですよね。  自分の中から出てくる答えに間違いはないんです。」p.270
・「けれども、自分が空腹を感じて、本当に食べたいと思うのは、一日三回ではないと思います。もともと人間は二食なのです。三食というのは近代になってから。本当にお腹が空いてから食べようとしたら、朝食を取って、十二時に食べるなんてことはない。本当はまだお腹は空いていないはず。」p.274 犬は一日何食か? 猫は一日何食か? などと考え出すと「もともと何食?」という議論はあまり意味が無いような。
・「まずは、自分の呼吸に意識を向ける。それができたら吐くのをゆっくりにする。面白いと思ってきたら、呼吸法をすればいいと思います。  最初は呼吸に意識を向けること次は吐くことに意識を向けること。それに気づいた人は、宝物を手に入れたようなものですね。」p.278
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【本】日本人のイメージ構造

2010年08月25日 19時00分24秒 | 読書記録
日本人のイメージ構造, 岡田晋, 中公新書 281, 1972年
・"イメージ" をテーマとした日本と、主に西洋との比較文化論的内容の書。写真を撮る際の何か参考になるかと手に取ってみたが、所々興味をひかれる記述はあるものの、そういう点で直接的に参考になる部分は無かった。
・「「人間とは、道具作りである以前に、先ずイメージをつくる者であり、言語製作者であった……」と、ルイス・マンフォードは書いている。」p.ii
・「そして私はさらに、インターナショナルなコミュニケーション媒体として世界をおおい、世界を均等化しているように見える映像文化が、実はおのおの固有な文化を育てた固有なイメージのなかで、独自な屈折と独自な展開を示し、日本においても特有なあり方をつくり出しているのではないか、という新しい問題意識に発展しつつある。たぶんそれは、今後さらに網の目をちぢめ、宇宙をも包容するであろう映像ネットワークの、対人間的、対文化的意味を示唆する問題であろう。」p.iii
・「日本の文化遺産には、奇妙なほどヨコ型のものが多い。絵巻物などはその最たる例であろう。(中略)ヨーロッパ的思考では、基本的にタテ・ヨコで対立する時間・空間概念が、ここでは一つにダブり、<面>としてひろがっていくのである。だから、ヨーロッパ絵画のフレイム、遠近法も、絵巻物にはない。」p.6
・「ヨーロッパの文化をあらわす代表的なイメージは、<塔>のイメージだといってもいいほどである。」p.7
・「だが、<イメージ>とは、ずいぶんあいまいな言葉である。<イメージ>は具体的なものとして、写真や映画やテレビや、人間の視覚に訴える伝達媒体をさす――と同時に、人間の意識がつくり出す想像、心象、幻想を包括する広い概念である。」p.11
・「要するに<イメージ>は、客観的なものであれ、世界と人間、環境と意識を結ぶ関係の仕方なのである。」p.12
・「私はイメージを、意識の生きて活動するかたちだと考える。逆にいえば、人間はイメージを持つがゆえに、意識から文化をつくりうるのである。」p.14
・「日本映画はテンポがおそいとよくいわれる。たしかにおそい、と私も思う。だが、そのおそさは、たんに演出やカメラ・ワーク、つくり方の技術的問題ではない。テンポは映画をつくり出した日本人の、意識の底によこたわる心の風土からくる。いわば、日本人の体質のなかにあるいのちのテンポが、そのまま媒体としてのイメージを決定しているのだろう。おそい、はやいではなく、日本映画のテンポそのものが、外国人にはわからないのである。」p.18
・「理屈ではなく、私達の歴史は、<面>の上につくられた歴史なのだ。  この<面>が、日本人のイメージ構造に、一つの性格を与えたとしても不思議はない。」p.25
・「「フロシキ」ほど、<面>の論理、<面>のイメージを機能化した道具は、世界的にめずらしい。ひろげれば一枚の布(面)である。しかし、それは自由におりたたむことができる。結ぶことによって、さまざまな品物を入れることができる。(中略)「トランク」と「フロシキ」は、ヨーロッパ的意識と日本的意識のイメージにおける違いを示す、もっとも典型的な例である。」p.30
・「黒沢明が『生きる』において描いた日本人の意識、無関心にはじまって「すまない」に終わる渡辺の生涯は、日本的ドラマの一つの典型ではあるまいか。それはたんに、ドラマの問題ではない。私たちの日常行動が、すべて無関心と「すまない」のくりかえしではないか。無関心と「すまない」の行動規範は、日本人の<生と死>、<神>のあり方から生まれる根源的な意識であり、これが日本的イメージの、<面>的構造を支配しているように思われる。」p.78
・「コミュニケーションは人間と人間の関係であり、人間関係は意識の質を決定する。また、コミュニケーションはイメージの交換であり、イメージの構造はコミュニケーションのかたちからつくられる場合が多い。」p.80
・「私たちは天の岩屋戸のシーンに、広く未開社会に行きわたる集団舞踏の形態と、日本の<まつり>が今日まで伝えるすべての要素を、同時にみることができるのである。」p.84
・「ヨーロッパ人は、道を広場に行くための過程と考える。広場が目的地であって、道は目的地に達する手段にすぎない。ところが、日本の<みち>は<みち>として独立している。<みち>を歩くことそれ自体が、一つの目的となる。だから日本の<みち>は、<ひろば>をつなぐ機能的な線ではなく、人間が歩くという行為の延長上に、いわば身体的機能の拡張したものとして発達した。」p.95
・「ヨーロッパにおける<ひろば>の思想と<であい>のコミュニケーション、日本における<みち>の思想と<ふれあい>のコミュニケーション、そこにある人間関係の異質性――私は両者のあいだに、ごく素朴な<ひろば>と<みち>のイメージをみるのである。あの、凱旋門広場と、東海道松並木の違いである。」p.106
・「ヨーロッパの絵画は叫びである。日本の絵画は、むしろ沈黙を選ぶ。」p.117
・「妖怪は、恐怖心の対象化したものとして、人間が未知なるものに与えた人間自身のイメージであり、意識の投影にほかならない。いいかえれば、未知の<鏡>にうつった自分自身のこころなのだ。」p.146
・「映像媒体には、このような点で、今日に生きる私たちの意識から、妖怪を再生させる機能が秘められている。映像を見る楽しさは、妖怪に再会する楽しさかもしれない。そして写真、映画、テレビなどのコミュニケーション媒体が、一面世界の真実を伝えると同時に、ゆがんだメッセージを大衆に与え、大衆をヒステリー状態におとし込もうとする要素もつねにもっていることを、忘れてはならない。」p.163
・「約二千年を通じてでき上がった日本文化は、このような外来技術の、複雑なからみあいの上につくられてものである。(中略)だが、私たちがとり入れ、使っているのは、あくまで技術なのである。文化のかたちとしては中国風、ヨーロッパ風、アメリカ風かもしれないが、かたちの内容――すなわち私たち自身は、どんな時代においても、あくまで日本人であった。  これは思想的状況においても同じである。」p.167
・「文化的には雑種だが、民族的には単一な日本人、民族的には雑種だが、文化的には単一なヨーロッパ人――これは非常にきわだったコントラストである。文化と民族の単一性をを強く主張しあい、そのための紛争が歴史的にたえまなくくりかえされてきた中央ユーラシア大陸の文化圏、文化と民族の完全な雑種性の上に成り立つアメリカ文化圏とも、日本人はいささか違うのである。  この二重性――文化と民族の矛盾した二重構造をとおしてみないと、私たちは私たち自身を理解することができない。」p.168
・「要するに日本人には、主体性がないのではなく、技術なり思想なりを、主体から切り離して見る強固な意識が身についているのである。すべてが手段である。手段は状況に応じて、つぎつぎととり変えればよい。日本人の主体性には、一種の身のこなしのようなものがある。(中略)少々飛躍した言い方をすれば、日本人は生まれながらのファッション人間である。(中略)日本人は意外にしぶとい日本的主体性をもっていて、どんな技術・文明・思想をもち込まれても驚かない。新しいものにいのちを賭けようとする真剣さもなければ、古いものをいのちがけで守ろうとする情熱もない。新しいもの、古いものは自分のいのちではなく、自分はすでに日本人として明白に生きている、あらためていのちを問いなおす必要はない。これが日本人の心の底に定着している行き方であろう。」p.172
・「すなわち、日本人の原点は、技術でも思想でも文化でもなく、ごく単純な事実、自分はなによりも日本人であり、日本人以外の何ものでもない、という点であろう。どんなに足をふみはずしても、右から左へ、左から右へ急転回しても、日本人であることへの、ある種の安定感がある。」p.172
・「日本人の原点は日本人であることだ――たぶん、このような結論は、結論にならないであろう。しかし、それを承知でもう少しつけ加えるなら、日本人の原点は、日本人の体質のなかに、体質を形成している意識のなかに、意識を具体的に示すイメージの展開にみられるのではあるまいか。私はこの角度から、もっとも一般的な日本の歴史と文化をながめ、私たちの周囲に受けつがれているもの、生きているものをとおして、原点としてのイメージ、さまざまな矛盾を内包する日本人、日本人であることの意味を考えてきた。」p.173
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【本】パワースポット 神社 voice style vol.2

2010年07月29日 19時01分24秒 | 読書記録
パワースポット 神社 voice style vol.2, (編)voice style 編集部, VOICE, 2006年
・日本全国から選りすぐりの約40社の神社の写真付きガイド。その他、世界のパワースポット、インドの伝承医学アーユルヴェーダ、健康食品などの情報も。若月佑輝郎なる人物が主催する少々怪しげな "スピリチュアル系" 団体の作製による本で、怪しい香りも漂う。
・普段から神社の写真を撮って回っているため、「プロの写真家はどういう視点で神社を撮るか」参考にしようと手に取ってみたが、載っている写真は、表紙のみが多少マトモなほかは一般旅行者が観光がてらフルオートのコンパクトデジカメで撮ったような素人写真ばかりで、完全にアテが外れた形になった。若月氏は『プロ写真家』の肩書きをも持つのにこれはいったいどういうことなのか。本文も主観的な情報が目立ち、参拝ガイドとしての実用性も今一歩。
・「左という音の「ひ」は「火の気」を、右の「み」は「水の気」を、もともとあわらしていました。「拍手をうつ」という両手を合わせる動作は、陰陽の和合、自分自身と森羅万象がひとつになるということを意味しています。」p.28
・「御神籤は、神様からの声であり、対話するためのツールです。単に吉凶を占うものではなく、内容を理解し、今後の生き方の指針とすることが、真の活用法となるでしょう。」p.80
・「「御神籤を引くのは1回だけ」という決まりごとはありませんので、内容を読み解けなかった場合、今の自分の状況にそぐわないと感じた時は、再度引いてみるのもひとつの方法。別の角度から、新しい応えが返ってくるかも知れません。そして、納得できる内容と出会えたのなら、その真意を汲み取り、実生活の中で役立てていきましょう。」p.80
・「引いた御神籤は持ち帰るのが基本です。しかし、どうしても持ち帰りたくない場合は、境内の御神籤結び所に感謝の気持ちを込めて、置いてきましょう。持ち帰ったものは、必要な時にメッセージを見直せるよう、お財布などの、常に身につけ、持ち歩くものの中で保管するのがおすすめです。」p.80
・「同様に、場に流れるエネルギーの気質を見極め、的確に社殿を配置すれば、そこからはより大きな力が生まれ、新たなエネルギーが流れ始めます。気の流れが強かったり、集中する場所、あるいは、その力をより活用できる場所に造られ、歴史を紡いできたのが「神社」という神域なのではないでしょうか。」p.93
・「「レイライン(LEYLINE)」という言葉をご存知だろうか? 一見アトランダムに散在している、古くからの聖地や遺跡が、地図で辿ると、いくつも数珠をなして1直線につながる場合がある。その直線を指してレイラインと呼ぶ。意図的に築かれたとすれば、どうして古代の人々に、空から地を眺め下ろすような芸当が可能だったのだろうか? その答えは案外簡単だ。大地をなめるレイラインは、特定の日に地上に射した太陽光の道筋を辿ったものだったのである。では、何のために? その真意を探ると、有史以前の太古の文明の存在が見え隠れする。」p.108
・「現在は日本国内のエステサロンでもアーユルヴェーダを導入している店舗も多いが、単なるエステの枠にとどまらない本格的なアーユルヴェーダは、まだまだ本場インドでしか体験できないのも実情。」p.115
・「サンスクリット語で "生命の科学" を意味するアーユルヴェーダは、5千年も前に世界最古ともいわれる経典『ヴェーダ』に記されたインドの伝承医学のこと。人間が生まれて死に至るまでの一生の "命" のためのサイエンス、つまり、人間が心身ともに幸せであり、健康的な一生を送るための叡智と哲学のことを意味している。」p.116
・「スリナラヤナン先生からのアドバイスは、「とにかく、全ての基本である食事・睡眠をはじめとする1日のルーティンを人間らしく元に戻すこと。そうすれば冷え性などの不調は自然と解消するはず」とのこと。」p.119
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【本】カナダ=エスキモー

2010年06月11日 18時16分15秒 | 読書記録
カナダ=エスキモー, 本多勝一, 朝日文庫 ほ1-3, 1981年
・日本におけるルポルタージュの "古典" とでも言うべき本。本文中で語られているような『エスキモー』という人びとの存在は知っていても、その生活については全く知らない一般人としては驚きの連続だった。単に「酷寒の地で生活する民族」というイメージぐらいしかなかったところ、そこに描かれる生活様式はまさに想像を絶する世界。特に「時間感覚の希薄さ」や「食事の概念が無い」などという記述には衝撃を受けた。またその内容だけでなく、「自分の体験を第三者に伝える」というその姿勢や方法のお手本になるという意味でも価値のある一冊。約50年前の取材活動とは思えぬほどその様子が生き生きと伝わってくる。本書は『ニューギニア高地人』、『アラビア遊牧民』と併せた三部作であり、残りの二冊もこれから読むのが楽しみだ。尚、書名の『カナダ=』は北極圏の各地に分散し、いくつかのグループに分けられるエスキモーを区別するための名称である。
・「「エスキモー」とは「生肉を食う連中」の意味だ。アメリカ先住民(いわゆるインディアン)のひとつクリー族がつけた渾名である。」p.19
・「未開人の国を訪ねて、目にみえる範囲でその未開ぶりを大げさに書くという方法は、こけおどしにしかならない。新聞のルポとしても、もはや古い時代のものだと思う。また広い地域をやたらと歩きまわる方法は、皮相的観察しかできない。そこに住む人々の心をつかむこと。「非人間性」をあばくのとは反対に「人間」を発見すること。そのためには一ヶ所に定住して、彼らと生活のすべてを共にすること。これは、学生時代のカラコラムやヒンズークシ探検の経験で、私が強く感じた点のひとつだった。その後私は北海道の開拓で、短期間ながら「住みこみ」をやる機会があり、いっそうこの考えを強めたように思う。」p.22
・「日本の庶民の家は、冷血動物(変温動物)のように外の温度に支配される。日本の冬は、もちろん北極よりも暖かい。だが、家の中は、北海道を除けば、北極より寒い。(中略)生活環境としての温度を考えるとき、日本の冬の寒さは世界に類がない。中国北部もソ連もヒマラヤも、家の中は日本よりはるかに暖かい。生活環境としての北極は、日本の、とくに長野県と東北地方である。しかも、その寒さを我慢するのが美徳だと思っている。」p.34
・「エスキモーにとっては、こうした意味の「食事」は存在しない。食事とは、ただ「食うこと」。腹がへったとき、食い物を胃袋につめこむだけだ。一家そろって食べるときもなければ、食事時間もない。腹がへる。だから食べる。」p.34
・「彼らのエスキモー服、アティギとアノガジェは、世界最高の防寒服だ。カリブーの毛皮を、主婦がかんでなめし、やはりカリブーからとった腱の糸でぬって、アノラック型に仕立てた服。アノラックという言葉自体、エスキモー語のアノガジェ(あるいはアヌラック)からきている。アノラックは、エスキモー文化が世界に貢献した最大のものだろう。  アティギが毛を内側にして仕立てるのに対し、アノガジェは毛を外側に出して作る。普通はアティギの方が温かく、実用的だが、しめっぽい雪や雨のときはアノガジェの方がよい。」p.38
・「この「かむ」という作業。これこそ、主婦たちの最大の仕事だ。料理というものは存在しないから、食事のために時間をとるということはほとんどない。かわりに、一家の着物づくりと手入れが大変だ。」p.41
・「以後私たちは、犬に対してエスキモーと同じ態度をとった。一声でもほえつこうものなら、なぐり、蹴とばし、雪を投げつけ、徹底的にこらしめる。ムーシシたちは、私たちの態度の変化を喜んで加勢する。それをくりかえすうちに、私たちに反抗する犬はついにいなくなった。」p.72
・「酷寒の大自然とのたたかいは、感傷が命取りになります。犬を甘やかしてはなりません。そして、いざ大飢饉となれば犬が食料の対象になります。これはなにもエスキモーばかりではなく、アムンゼンなどの大探検家たちも、いざというときのとめに、ソリ犬を非常用食料として計算するのは常識でした。  また、エスキモー犬は労働犬であることも認識しなければなりません。スピッツやチワワのような愛玩犬と違うのです。ロバやラバと、エスキモー犬とは、全く同じ目的で飼われています。」p.81
・「エスキモーにとって、一年が三六五日あるということは、まるっきり無意味である。一年は、極論すれば二日間だ。夜の半年と昼の半年と。(中略)とくにカナダの中部北極圏は山らしい山もないから、いっそう単調な地形がどこまでも続く。時間的にも空間的にも、エスキモーは世界一単調な世界に生きる民族である。  このような自然が、彼らの性格・生活・倫理・世界観に影響しないはずはない。」p.110
・「生肉をたべるのも、単に燃料がないためではない。野菜や果物が皆無の生活では、生肉こそ、ビタミンC補給の唯一の手段なのだ。煮たり、焼いたりすれば、ビタミンは破壊されてしまう。エスキモーにはだから壊血病がほとんどない。」p.114
・「プライバシーのない文化が、もし高度に発達したらどんな世界ができるか、興味のある問題だ。エスキモーの場合、この "非プライバシー文化" の体系化が、あるていど進みかけていたのではないか。日本にプライバシーの伝統がなかったといっても、エスキモーからみたらプライバシーだらけだ。自分の二四時間が、他人に見られることを気にかけるような "思想" は、北極では発達しない。」p.115
・「私たちはエスキモーといっしょに生活して、一度も「野蛮人」や「原始人」と感じたことはなかった。単に物質文明に恵まれないだけで、精神的にも、感情的にも、きわめて人間的な、ある面では私たち以上に人間的な人々であった。  だが「数の概念」の欠如を知ったとき、大きなカベを感じた。「野蛮人」では決してないが、深い所にかくされていた「未開人」の残像をのぞき見たように思われた。このことは単に「数」そのものの問題にとどまらない。いる意味で、エスキモーの全生活を支配しているのだ。」p.124
・「エスキモーは、毒でなくて、とくにまずくないかぎり、食べられるものはたいてい食べてしまう。うまいか、まずいかなどは、問題にならないようにみえる。そこで私たちは、いろんな生肉を並べ、カヤグナに味の順位を作らせてみた。おもな主食について、うまいもの順にならべると次のようになる。  ①カリブー(トナカイの一種)②ホッキョクノウサギ③サケ科の魚④カモ⑤アザラシ(ネッツェルク)⑥ライチョウ⑦ウジュック(大型のアザラシ)⑧ホッキョクグマ(白クマ)⑨セイウチ」p.148
・「私たちは、確かにエスキモーと起居をともにした。が、いま反省してみると、やはり完全に「ともにした」とは言いがたい。なぜ私たちは、彼らのように素っぱだかで寝なかったのだろう。なぜ家の中で空き罐に用をたさなかったのだろう。そこまでいっしょにすれば、もっと深く彼らの心の中へ食い入ることができたに違いない。」p.154
・「永久凍土帯は、いまでもいぜんとしてエスキモーの天下である。他の狩猟民族のように、土地を侵略されてほろびる心配は、まずない。今後の可能性として地下資源の開発があるが、これも「点」か「線」だけで、「面」になる見込みはうすい。」p.236
●以下『あとがき』より
・「1963年の5月から6月にかけて、藤木高嶺氏(朝日新聞大阪本社写真部員・現在編集委員)と私はカナダ北極圏のエスキモーをたずね、そこに住みこんで彼らと生活を共にしました。その結果は同年7月11日から9月6日まで、『朝日新聞』の夕刊(地方は朝刊)に連載されました。」p.267
・「クロウ氏がこの調査を実施した翌年(1966年)あたりから、イグルーリック=エスキモーの社会は急速に変容し、もう本書のような伝統的狩猟社会は消滅してしまいました。この舞台を私たちが去ってからすでに18年。カナダ全体、いやエスキモー全体からもこうした生活は消滅したようです。その意味でも、私たちの訪問は貴重な時期だったことになりますが、しかしこの変容は、エスキモー自身にとって幸福な方向にではなく、残念ながら本書の中で憂えていたような方向で進んだようです。」p.273
●以下『解説』(梅棹忠夫)より
・「のちのかれの術懐によると、かれは、わたしから、文章の「文体から、仕事の方法から、処世術にいたるまで」、実質的にもっともふかい影響をうけたという。  本多勝一がわたしの "弟子" だというのは、このような意味においてである。」p.277
・「この『カナダ=エスキモー』というルポルタージュは、ルポルタージュの方法としては画期的なものであったとわたしはおもっている。それまで、この種の海外取材によるルポルタージュというのは、大都市に駐在する特派員による世相報道記事などは別として、未開地などの取材は、つねに何かの「機会」に従属しておこなわれているのである。(中略)本多勝一のエスキモーは、そういうのとは本質的にちがうのだ。かれのもってきた案をみて、わたしはこれはおもしろいとおもった。かれは、かれのために、かれのルポルタージュのために、エスキモーのにはいるというのだ。これは、すくなくとも日本においては、ルポルタージュそのもののための取材としては最初のものではないか。企画の最初から、自分で対象をえらび、方法をねり、取材におもむくというのである。」p.279
・「ルポルタージュをかくためには、文章がかけるだけではどうにもならない。苛酷な自然のなかで生活し、現地の人たちと強調してゆけるだけの体力、知力、精神力が必要である。こういう全人間的な力量は、にわか仕立てでは身につくものではない。本多勝一にはその力がある。むしろ逆に、そういう力量、経験の蓄積をもっとも有効に生かす仕事として、かれは海外取材によるルポルタージュというものをえらんだのではないか。」p.282
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【本】地図 初期作品集

2010年06月04日 18時03分23秒 | 読書記録
地図 初期作品集, 太宰治, 新潮文庫 た-2-18, 2009年
・「数十年ぶりに太宰治の新潮文庫の新刊が出る」そんな話を聞きつけ、新潮文庫の太宰作品は全巻(ブックオフで)買い揃えている自分としては買わないわけにはいきません。それからしばらく時間をおいてから最寄の書店へ行ってみると、書店の棚の一番目立つ場所に平積みにされて飛ぶように売れている図を想像していたところ、そのような気配は全く無く、それどころか一冊も見つからず。後日、書店より「一冊だけ入荷していたのが本棚から見つかりました!」との連絡があってようやく手に入れました。小説を新刊で買うなど一体いつ以来のことやら。それにしても『太宰の新刊』だというのに何とも不本意な扱い。世間の認知度はもっと高いと思っていたのですが、今の人はあまり興味が無いようです。
・太宰治の主にデビュー前の短編を28編収録。詳しくは下記の『解説』書き抜きを参照。
・久しぶりに味わう太宰の文章。「初期作品」とはいっても、"らしさ" は既に十分に感じられます。中でも印象に残ったのは『断崖の錯覚』。
●『虚勢』
・「盲(めくら)でも眠って居る時だけは盲も目あきもちがっては居ない。  せめて眠って居る時だけでも安楽に眠らせたいもの。」p.18
・「盲(めくら)でも夢を見るものかナア。まっくらな夢だろう、ハハハハハ。」p.21
・「そして僕が眼が見えるようになるとキットその美しい神々しいたくさんの物を見ることが出来るだろうと一寸愉快に思いました。併し僕はあの僕の母だと云って居るあの女だけはいつまでも見たくなかった。なぜならば、僕はあの女だけは美しい神々しいものだとは信じ切れなかったのです。そして眼が見えてあの女というものを見た時にもしも醜い穢いものであったならば。ああ、僕は決して眼をあいてはならない、そしてあの女を美しい尊いものであると考えるように努めねばならないと思ったのです。」p.28
●『地図』
・「地図にさえ出てない小さな島を五年もかかって、やっと占領した自分の力のふがいなさにはもう呆れ返って居た。謝源は人が自分の力に全く愛想をつかした時程淋しいことはあるものでないと考えた。」p.58
●『負けぎらいト敗北ト』
・「喧嘩をするのは同等の人間だ」と誰だか言って居た。」p.71
●『股をくぐる』
・「疥癬(ひぜん)にむくんだ彼の手の甲から、ぷすぷすわいて出る、膿みのように黄いろく濁った汗を、彼は手の輪郭がぼうっと成る迄じいと見詰めて居た。腐った肉の底に澱んで居るなまぬるい膿が、幽かに白く透き通って見える小さな貝殻のような物は、彼の指の股から手頸にかけて、無数にべたべた食っ附いて居た。若し彼の手の厚い皮をげろりと剥いだならば、きっと扁虱(だに)に似た、血太ってごろごろして居る虫が、ぎっしりうようよ詰まって居るのが見えるに違い無いと、彼は何時も考えて居た。彼は左手の甲の殊に大きく張れ上って居る紫色の貝殻を、右手の人差指で思い切り強くふっと押しつけた。血の交じった膿がどろりと出て汗と一緒になり、もぞりもぞり手の甲を這い流れ始めた。太い尻のギリギラ光って居る糞蝿が、二三匹どこから共無く飛んで来て、ブーンと唸っては彼の手の甲を廻り出した。彼は、其の膿からゆらゆら昇るじっとりした湯気にむしむしした支那大陸の酷暑を感じた。そして彼は、彼のあの快い眠りを暴慢にも妨げて置きながら、尚その上、此の狂おしい暑さの中に彼を今投り込んで了った無礼者に対して、泣き度く成る程の憎悪を覚えてきた。  「気を附けろい! 俺あ眠ってるんだぜ」」p.175
●『断崖の錯覚』
・「大作家になるには、筆の修行よりも、人間としての修行をまずして置かなくてはかなうまい、と私は考えた。恋愛はもとより、ひとの細君を盗むことや、一夜で百円もの遊びをすることや、牢屋へはいることや、それから株を買って千円もうけたり、一万円損したりすることや、人を殺すことや、すべてどんな経験でもひととおりはして置かねばいい作家になれぬものと信じていた。けれども生れつき臆病ではにかみやの私は、そのような経験をなにひとつ持たなかった。」p.284
・「「どうなすったの? 私、判るわ。いやになったのねえ。あなたの花物語という小説に、こんな言葉があったのねえ。一目見て死ぬほど惚れて、二度目には顔を見るさえいやになる、そんな情熱こそはほんとうに高雅な情熱だって書かれていたわねえ。判ったわよ。」」p.308
●『洋之助の気焔』
・「いそがしいというのは嘘でなかった。私は何もしていなかったけれど、心はいつでもいそがしかった。無駄な時間というものを知らなかった。諦念や無為の世界のあることを私はしらなかったのである。」p.352
・「杉林のなかに霧が立ちこめ、木立の隙間をもれる鈍い月光が刷毛描きの縞模様となって霧に宿り、拡がりのある杉林いっぱいにその縞の交錯が充ちていた。」p.362
・「いまにして私は思うのであるが、私の生涯を通じて、私のえらさを認めることの辛うじてできた女は、シンの他にはいないようである。外国の文学史を見ても、およそ天才は、世に容れられなかった。けれども誰かひとり、その天才をひそかにあがめているあでやかな女性があるものである。私は、その森のなかの一夜の経験によって、天才としての重要な一つの条件を獲得した。」p.364
●解説 曾根博義
・「太宰治(本名・津島修治)は天成の小説家のように見えて、決してそうではない。小説家太宰治が誕生するためには長い習作期間が必要だった。」p.369
・「本書に収めた作品は、これまで「習作」とか「初期作品」とか呼ばれてきた太宰治誕生以前の作品のうち、未完の長篇「無間奈落」「地主一代」「学生群」を除いたすべての短篇と戯曲二十二篇(大正十四年~昭和四年)のほか、昭和九年に太宰治以外の筆名で発表されていた「断崖の錯覚」「洋之助の気焔」の二篇、それ以後に太宰治名で発表されながらこれまで本文庫には収められていなかった四篇の計二十八篇である。」p.370
・「小説というものは、ふつう、自分を他人の立場から眺めることと、他人を他人の立場に立って考えるという、二つの要件の上に成り立っている。太宰治は、主として前者、つまり自分を他人の立場から見るために小説を書きはじめたように思われる。」p.374
・「このように、これらの初期作品において、菊池、芥川流のテーマの面白さから、目の前の相手に話しかけるようなな流暢な文体や形式そのものの力に心をひかれて行った津島修治が、やがて自分自身をその語り手に重ね合わせるようにして作中に登場させ、自分の旧作や有名無名の他人の作品を引用し、つなぎ合わせながら、いま書きつつあるその作品の作者を演じることによって「太宰治」になって行くプロセスが見えてくるだろう。それは、自分を他人の立場から眺めることへの関心を、他人が自分を眺め、自分の話に身を乗り出してくることへの関心へと切り換えてゆく、独自の新しい小説形式の模索と発見の過程でもあった。」p.378
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【本】空間が人をつくる 人が空間をつくる 空間学のすすめ

2010年05月25日 18時07分47秒 | 読書記録
空間が人をつくる 人が空間をつくる 空間学のすすめ, 穐山貞登, 講談社ブルーバックス B-427, 1980年
・人と空間との関係を考える『空間学』入門の書。予想と異なり、哲学的・観念的な言い回しが多く、本書を参考に「よし、部屋の模様替えをしよう!」とはとてもならない、実用性の乏しい内容でした。後から著者略歴の『教育学博士』、『社会心理学』の文字を見て納得。
・「一人ひとりが空間をつくっていること、つくろうとしていること、つくることができることに気づくことからはじまって、人間の生活のあり方を、より明らかにすることが、この本で述べようとする関心の焦点である。物理的空間が、わたしたちの気づかないところで、いかに大きな働きかけをわたしたちの行動にしているか、また、わたしたちの行動が、その置かれた生活空間によって、いかに規制され、形成されているかについて明らかにしていくつもりである。」p.7
・「小さな個室が数多くあっても、どれもが同じようなものであっては意味がなく、変化に富んだ空間があることが住居の本質であるといってよい。」p.19
・「今日の都市生活の欠陥は、ただ人数が多過ぎることにあるのではなくて、多様な空間を知ろうとする態度を失った自己満足にあるといってもよい。」p.20
・「二人が手を伸ばしあって、触れるか触れないかといった距離が、二人の間の親しさを分ける境目になる。  その境目となる距離はおよそ二メートルである。これより近くなると、頼まれごとをされたり、断りにくい気分になったりする。また、これより遠くなると、対話をしにくくなり、相手にあらたまった言葉遣いで大声でいわないと通じない。この二メートル足らずの距離を、二人の適当な距離と呼んでおきたい。」p.52
・「個人空間は、ふつう自分の身の回り一メートルくらいのものである。「自分の手の届くところは自分でしなさい」と、子どもがしつけられる空間である。」p.54
・「はっきりいえば、定着した個人空間、たとえば個人用の机の周囲よりも、通路のほうが広くあるべきだ。これが逆になってしまうのは、通路はごく一時的に使われるだけなので、身体が通り抜けられればよいと考えられるからである。通路は大ぜいの人びとが使いはするが、通り抜けるだけでしかないところに、通路を切りつめてしまうきっかけがある。」p.73
・「キャンパスは大ぜいがぞろぞろと移動するためでしかなく、食堂は食事のためでしかなく、ロビーのような空間は申しわけ程度であり、授業時間は誰もがどこかの教室に入っているスケジュールになっているから、空間的にも時間的にも、機会的コミュニケーションの余地はないといってよいくらいである。それがあるとすれば、教室内での私語である。」p.89
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【本】図解 知っているようで意外と知らない 神社入門

2010年05月18日 18時08分04秒 | 読書記録
図解 知っているようで意外と知らない 神社入門, 渋谷申博・森村宗冬・竹内孝夫, 洋泉社 新書y230, 2010年
・神社の入門書。「鳥居があるのはどうして?」、「拍手を打つのは何のため?」など、一問一答の3~5ページの読み切り形式で読みやすい構成になっている。軽く読める文章ながら、意外に「なるほど」と思うような記述も所々に見られるものの、内容の密度は薄く、やや物足りない部分も。あくまでも神社の表面をサッと撫でるだけの読み物。巻末に索引が欲しかったところ。
・「ご神体を納める本殿のない神社はあるけれども、鳥居のない神社はまずない。それほど鳥居は重要なのである。」p.12
・「一対を阿吽の組み合わせにするのは日本独特の形式で、仁王像の影響とされる。「阿吽」とはインドの古語であるサンスクリット語の最初と最後の言葉で、ものごとの最初と終わりを象徴している。」p.25
・「一方、神道はむしろ闇を大切にする宗教であった。「くらやみ祭」といった名前が残るように、祭の最重要な儀礼は、深夜の浄闇のなかでおこなわれることが多かった。(中略)しかし、神仏の習合が進み、神社にも仏教的な建物が建てられたり、仏教的な儀礼が行なわれるようになると、神社の境内にも燈籠が採り入れられるようになった。やがて氏子や信者による寄進も増えていき、神社の境内にも数多くの石燈籠が並ぶようになったのである。」p.28
・「神さまが鎮座されている建物が本殿(正殿)で、参拝のための建物が拝殿である。  神さまのための建物である本殿は、畏れ多いために人は立ち入ることはできない。宮司(神社の最高責任者)といえども、みだりに足を踏み入れないものである。このために、神を拝んだり、神事をおこなう拝殿が置かれているのだ。」p.39
・「しかし、現在ではこの分類法は用いられていない。一般的には社の規模が比較的大きいものを摂社、小さなものを末社と呼ぶが、この大小についても特別な基準があるわけではない。」p.46
・「まだまだ日本には驚くべきご神体が、社殿の奥深くで眠っているに違いない。」p.60
・「こうして考えてくると、「三」は神道の隠された聖数ということができるかもしれない。」p.75
・「このようにお寺に神社があるのは、仏教が外来の宗教だということに由来している。すなわち、日本の国土は神さまによって管理されているのであって、お寺はそれを借りて伽藍を建てているといえる。いわば神さまは地主であり、仏さまは借地人というわけである。」p.81
・「神仏習合の一つの到達点が七福神である。インド・中国・日本の神(仏)が一つの船に乗って歓楽する姿は、神道の懐の広さを示すものといえるだろう。」p.85
・「祭神を別の神社にも分けることを分霊といい、分霊を祀る社を分祠・分社という。また、祭神をお迎えすることを勧請という。」p.116
・「しかし、ここで取り上げるのは、そうした一般的な祟りのことではなく、非業の最期を遂げるといった理由から強力な祟り神となった人間である。こうした祟り神のことを御霊という。」p.135
・「ただし、そのご利益は、神さまによって得手、不得手の分野がある。なにしろ八百万の神がいる日本では、神々はそれぞれに専門特化していて、万能の神ではない。」p.159
・「さて、正しい神社参拝の仕方について、順に見てみよう。まず、参拝する日だが、これは毎月一日、もしくは十五日におこなうのが古くからのしきたりである。神社に着いたら、鳥居の前で一礼すること。鳥居は、神域と人の暮らす俗界を区別するための標識だ。神さまへの敬意と、「これからご領域に足を踏み入れされていただきます」との気持ちを込めて一礼しよう。帽子は必ず取ること。厳寒のときは別だが、できたら外套も取ろう。  また、参拝が終わって引き上げる際にも、鳥居を出たところで、神さまへの感謝と「失礼いたしました」という意味を込めて、社殿の方に向かって一礼するようにしたい。」p.170
・「お願いごとは、二拍手のあとに合掌したまま心の中で唱える。「人類の平和」云々より、「明日の英語検定に合格しますように」というように具体的な方がよい。お願いごとがすんだら一拝。このとき「祓いたまえ、清めたまえ、神ながら、守りたまえ、幸いたまえ」という清めの詞を唱えたい。なお、神社によっては清めの詞を掲示しているところもある。その際には、掲示の詞を唱えよう。」p.173
・「なお、喪中(身内が亡くなってから一年間)は、参拝を差し控えるのが古来からのしきたりである。初詣も慎みたい。」p.174
・「神さまと出会えたことを喜び、神さまに敬意を表する意味でなされるのが、「拍手を打つ」という行為なのである。」p.175
・「つまり本地垂迹説とは、仏教のなかの垂迹身という考え方によって、神道と仏教を融合させたものといってよかろう。端的にいえば、「仏たちは、日本の人々を救済するため、八百万の神々に姿を変えて現われた」となる。仏=本来の姿、八百万の神々=仏の化身とし、神仏同体としたのである。」p.182
・「「まつり」という語には「たてまつる」の意。高貴な存在に奉仕することをいう。だから、神社でおこなわれる祭とは、高貴な存在=神さまを迎えてご奉仕する営みと考えてよかろう。  したがって、たとえ神識ひとりでも、神さまへのご奉仕という行為がともなえば、立派なお祭りである。」p.210
・「神道の神さまは、日本列島全土を守る神さまと、一定の地域を守る神さまの二通りに分けられる。前者は天之御中主神、天照大神、須佐之男命など古代神話に登場する神々、後者は産土神・鎮守・氏神である。」p.217
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【本】もの食う人びと

2010年03月19日 19時07分04秒 | 読書記録
もの食う人びと, 辺見庸, 角川文庫 へ3-1(10373), 1997年
・「世界グルメ旅行」などという言葉の響きからはほど遠い、『食』をテーマとした苛酷な旅の記録。訪れるのはバングラデシュ、フィリピン、ベトナム、ポーランド、クロアチア、ロシア、ソマリア、ウガンダ、韓国など。そこに浮かび上がるのは『食』そのものではなく、それを通して見える各地の光の射さない暗部。著者は時には執拗とも思える態度で次々とそれらを暴き出していく。
・このような "ルポルタージュ" と分類される本を、これまで手に取ることは少なかったが、本書でその面白さに目覚めた。
・「はっきりした旅程はない。これといった決心もない。ただ一つだけ、私は自身に課した。噛み、しゃぶる音をたぐり、もの食う風景に分け入って、人びとと同じものを、できるだけいっしょに食べ、かつ飲むこと。」p.7
・「野太くうなるコーランの祈りがスピーカーから街中にながれている。肉を食らう子供の背後のゴミ捨て場では、別の男の子と野犬とカラスがいがみあってゴミをあさっている。食べ残すということが罪であるとしたら、この子たちがその罪をあがなっているのだった。」p.19
・「残留兵たちには銃も弾薬もあった。タンパク質がほしかったら動物だけを撃てばよかったではないか。動物がだめなら、栄養豊富なガビ(里芋)だけでも相当生きられるのに。あれを、しかも数十人も食ってしまうなんて……。  それがいまでもどうしても謎だというのだ。  戦争とそれに伴う極限状況が人類最大のタブーを破らせた。」p.48
・「49年の戦争犯罪裁判(マニラ)の証言者でもある農民のカルメリノ・マハヤオが、村人の声をまとめた。46年から47年はじめにかけて、この村とその周辺だけで38人が残留日本兵に殺され、その多くが食べられた。頭部など残骸や食事現場の目撃証言で事実は明白になっている。しかし日本側は一度として調査団を派遣してきたこともない。(中略)現代史ではきわめてまれな兵士による「組織的食人行為」として、連合軍司法関係者を仰天させたこの事件の全貌は、日本ではほとんど明らかにされていない。」p.53
・「日本の猫缶輸入量(推定、年間4万数千トン)のほぼすべてをまかなうバンコク周辺の缶詰工場を見学したら、猫ともども足をタイ方面に向けては寝られない気がした。(中略)貴重な水産資源を捕るだけ捕り、安い労働力で加工させ、日本のペットはただそれを食うだけという、人と動物がひっくり返った生産、消費構造。そのことへの反省論がささやかながら日本の一部で出はじめていることに、タイのペットフード関連企業全体がいま、かなり神経質になっている。」p.56
・「ギネスブックが「世界一大きいレストラン」と認定した、タイはバンコク郊外の「ロイヤル・ドラゴン・レストラン」。」p.62
・「人類は頭ではだめでも、胃袋で連帯できるのかもしれない。すくなくとも、食っているあいだぐらいは。もの食う人びとの大群のただなかにいると、そう思えてくるのである。  五千人が同時に食事できるこの店で、民族、宗教問題緊急国際会議を開いたらどうであろうか。」p.65
・「食べるというのは、それぞれの民族が、祖先や文化の記憶を味になぞることでもあるから、「食」にかかわる差別は深く心を傷つける、と私は思う。」p.105
・「こうして旅をしていると、世の中にはたしかにいろいろおいしい食べものがあると思う。「これは死ぬほどうまい!」と世界中に叫びたくなるほどのものは、しかし、そうはない。  その、めったにないことに、今回ついにめぐりあえた。ほっぺたが落ちる、あごが落ちるどころでない。おいしさに体が震えた。舌が踊り、胃袋が歌いだした。生きてあり、もの食うことの幸せをしみじみ噛みしめた。    それは、一杯の熱いスープだった。    それに出会うまでの道のりの、いやもう、長かったこと。ポーランドはワルシャワの南三百キロの炭鉱の町カトウィツェまで私は旅した。」p.110
・「観覧車が好きなのだが、なぜ好きかわからない。  たぶん、低速、無為にして、中天に遊び地にまた戻るくりかえしの、かいのなさがいいのだと思う。あの果てない縦の円軌道。輪廻というか、超えようとしてなお窮まりない人の業を感じさせてそぞろに切ない。」p.173
・「お試しになるといい。コーヒーに塩味はよく合う。後口がじつにさわやかだ。砂糖みたいにコーヒーそのものの香りを消すことがない。」p.213
・「記憶というものを、私たちはなめてかかっていると思う。五十年前とは、かなり多くの人びとにとって、昨日なのだ。」p.335
・「彷徨にも似た、奇妙な旅が終わった。  いまはまだ虚脱の海にいるのだが、胃袋にはこの旅で口にした異境の食いもののかけらたちが、未消化のまま張りついていて、甘いにせよ辛いにせよ苦いにせよ、おりふし、したたかな味を主張しては、私に長かった旅路をふり帰らせるのである。」p.346
・「この漠然とした認識のもとに「もの食う人びと」という、丈が低く、形而下的で、そぞろに切ない、人間の主題を私は見つけた。高邁に世界を語るのでなく、五感を頼りに「食う」という人間の絶対必要圏に潜りこんだら、いったいどんな眺望が開けてくるのか。それをスケッチしたのが、この本なのだと思う。」p.348
・「世界とはいつも新聞記事のたかだか数十行、数百行のなかで解釈可能な対象なのであり、データベースに入力できない情勢も風景もありえないという建前のなかで私は働いていた。世界とはまた、私という解釈者によってただ解釈されるにのみある、時差表つきの紙一枚の地図のようななにかなのであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。なんという思い上がり! 私は通信社の外信部デスクの職務にあり、溢れるほどの記号的情報をもとに、怒りの色も悲しみの色も交えない賢し顔で、世界のありようを冷静に手短かに分析してみせるのを常の業としていたのだ。情勢のいちいちの変化に声を震わせ気色立てていたら、仕事が進まないという事情もあったけれども、私はいつか腐食した安物のブリキ板みたいに倦み疲れていた。その果ての離人症である。」p.351
・「私は旅の徒次にしばしば次の言葉を思い出した。  「見えない像を見なさい。聞こえない音を聞きなさい」」p.353
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