goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】すべてがFになる THE PERFECT INSIDER

2007年02月08日 22時06分51秒 | 読書記録2007
すべてがFになる THE PERFECT INSIDER, 森博嗣, 講談社文庫 も-28-1, 1998年
・『某国立大学の工学部助教授』の肩書きをもつ売れっ子作家による、犀川助教授・西之園萌絵のS&Mシリーズ第一作。その名をよく目にしていましたが、今回初めてその作品を読みました。副業として書かれた、理系の要素を取り入れてちょっと目新しい感じのする推理小説か、という程度の認識でしたが、予想は大きく裏切られ嬉しい誤算。こりゃやられた。解くのは絶対無理!と思えるような問題を鮮やかに解いていく、推理小説の醍醐味を久々に堪能しました。随所にちりばめられた著者自身の研究者としての哲学というか思想が興味深い。多少マンガチックな部分が鼻につく。
・『真賀田四季』という登場人物について、天才的な頭脳を持つことと自分を完璧にコントロールすることとは根本的に別な話で、これを難なく両立してしまっている点にひっかかり(違和感)を感じます。でも魅力的なキャラクター。他にも気になる点があるが、ネタバレになってしまうので略。
・英題の『INSIDER』という単語。和英辞典では『内部の人、会員、消息通』などとあっさりした訳のみですが、英英辞典を引いてみると『a person who knows a lot about a group or an organization, because they are part of it』と、本書を読み終わってみるとゾゾっとするような語句解説が。
・『犀川』『西之園』『真賀田』等々凝った登場人物の名前が多いけど、何か意味があるのかな?
・遅いのか早いのかわかりませんが、397ページで犯人がわかりました。私の場合。
・「それでは、なぜ人間は交換をするのであろう。その理由は脳にある。脳は情報を交換する器官だからである。まったく異なるものを交換し、等値化できるアナロジーを有する。記号や言語は、見ることも聴くこともできる。すなわち、電磁波と音波が脳の中で等値変換されて、私たちのシンボル活動が生じている。「金の匂いがする」とは、食物と金が交換され、代替できなければ成り立たない。アナロジーを利用して、対象世界をシミュレートするということは、実のところ人間の大きくなって余剰になった脳に由来するのである。一つの信号に対する一つの反応の回路が余分にあるために、喩えるものと、喩えられるものとが生まれ、代替が起こり、シミュレートを試みる。かくして、この余剰が比喩となり、抽象化を生み、オブジェクト指向の考え方になったのである。 (青木淳/『オブジェクト指向システム分析設計入門』)」p.7
・「それが、人間の思考の切れ味というものなの。貴女、今、急にそれを思いついたでしょう? 素晴らしいわ……。それが機械にはできません。」p.14
・「(大学に委員会がなかったら、たぶん、研究は倍の速度で進むだろう)」p.26
・「相手の言葉を繰り返す場合は、認識に時間がかかっている証拠であり、ほとんどの場合、思考が停止していると見て良い。」p.44
・「木陰はかなり涼しく、意識して聞くと蝉の声がホワイトノイズのように一定だった。」p.70
・「自然を見て美しいなと思うこと自体が、不自然なんだよね。汚れた生活をしている証拠だ。」p.78
・「人間が作った道具の中で、コンピュータが最も人間的だし、自然に近い」p.79
・「僕ら研究者は、何も生産していない、無責任さだけが取り柄だからね。でも、百年、二百年さきのことを考えられるのは、僕らだけなんだよ」p.81
・「コックピットというのは棺桶という意味です」p.193
・「どこにいるのかは問題ではありません。会いたいか、会いたくないか。それが距離を決めるのよ」p.279
・「思い出と記憶って、どこが違うか知っている?(中略)思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ」p.289
・「地球の最初の生命はどうして誕生したのか? どんな説にしたって、そんな奇跡的なことが何故起こったのか、と問われるんですよ。一番、可能性のあるものを取るしかない。それを信じるしかないのです。」p.300
・「Time is moneyなんて言葉があるが、それは、時間を甘く見た言い方である。金よりも時間の方が何千倍も貴重だし、時間の価値は、つまり生命に限りなく等しいのである。」p.308
・「情報が不足しているわけじゃないよ。考えが及ばないだけだ」p.310
・「人間ほど歴史を後生大事にする生き物はいない」p.357
・「元来、人間はそれを目指してきた。仕事をしないために、頑張ってきたんじゃないのかな?(中略)仕事をすることが人間の本質ではない。ぶらぶらしている方が、ずっと創造的だ。それが文化だとおもうよ、僕は」p.359
・「「変数の定義部分は?」と犀川の厳しい声。  またリストが流れる。  「グローバルの……、えっと、スタティックですね。インティジャだわ」島田が答えた。  「ロング?」犀川は質問する。  「いえ、ショート」と島田。「アンサインド・ショート」  「これは……、インティジャは2バイトだね?」島田が答え終わらないうちに、犀川が質問する。  「2バイトです」島田は答えた。  「西之園君」犀川は振り向いて萌絵を見た。こんなにてきぱきとものを言う最川を、萌絵は今までに見たことがなかった。「256と256のかけ算をして」  「65536」萌絵は即答した。」p.415 いかにも理系・・・というか情報系な会話。しかし、256×256=2の16乗=65536くらい普通頭に入ってそうなもんですが。
・「つまり、日本は、液体の社会で、欧米は固体の社会なんですよ。日本人って、個人がリキッドなのです。流動的で、渾然一体になりたいという欲求を社会本能的に持っている。欧米では、個人はソリッドだから、けっして混ざりません。どんなに集まっても、必ずパーツとして独立している……。ちょうど、土壁の日本建築と、煉瓦の西洋建築のようです」p.430
・「僕の個人的な意見として、人間って、単一人格者の方が少ないと思っている(中略)日本人って、個人の中の沢山の人格を、液体のようにミックスして撹拌してしまうのです。欧米の思想はそうではない。やっぱり固体なのです。日本もこれから、だんだんソリッドになっていくのでしょうか?」p.463
・「死を恐れている人はいません。死にいたる生を恐れているのよ」p.495
・「意識がなくなることが、正常だからではないですか? 眠っているのを起こされるのって不快ではありませんか? 覚醒は本能的に不快なものです。誕生だって同じこと……。生まれてくる赤ちゃんだって、だから、みんな泣いているのですね。生れたくなかったって……」p.496
・「自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?」p.497
・以下、解説(瀬名秀明)より「太田忠司や辻真先がすでに指摘していることだが、とくに性格の書き分けや台詞の選択が絶妙だ。」p.514 この言葉には同意しかねる。
・「では森博嗣の本質はどこにあるのか。何が森博嗣の小説を「理系」たらしめているのか。  それは認識やリアリティに対するアプローチの仕方なのである。」p.516
・「この意味で私は森博嗣と京極夏彦の強い類似性を感じる。小説の中に謎は存在しない。読者のリアリティの中にこそ謎が存在する。このことを自覚的に私たちに提示したのが森博嗣であり京極夏彦なのだ。彼らが決定的に新しい理由はここにある。」p.517

?おきあがり‐こぼし【起上小法師・不倒翁】 (「おきあがりこぼうし」とも)達磨(だるま)などの人形で、底におもりのついたおもちゃ。倒しても、おもりのせいですぐに起きあがるようにしたもの。おきゃがりこぼし。
※これまで「おきあがりこ<ぶ>し」と思ってきたが「こぼし」が一般的なのか。しかも「」って・・・知らなかった・・・
?ミナレット(英minaret) イスラム教の寺院(モスク)に設ける細長い尖塔(せんとう)。古くは一寺院に一基であったが、後代には六基まで建てる。一般に一ないし数個の節状のバルコニーをもつ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】芸術のパトロンたち

2007年02月05日 22時25分48秒 | 読書記録2007
芸術のパトロンたち, 高階秀爾, 岩波新書(新赤版)490, 1997年
・ルネッサンス期から現代までのヨーロッパにおける、主に画家とそのパトロンの関係の歴史的変遷について。作曲家や演奏家の音楽に関する芸術の話題も扱われていることを期待して手にとった本ですが、完全に当てが外れた。浅く広く、ではなく深く狭く、というどちらかというと専門書寄りの構成。いろいろな画家やその作品名が話題にのぼりますが、私のような門外漢にとって、ついていくのはちょっとつらい内容でした。
・「他のあらゆる分野におけると同じように、ルネッサンスとは美術においても、個人の力量が大きく問題にされるようになった時代であり、その意味で人間中心主義の時代であった。」p.7
・「ここで言う「パトロン」とは、単に芸術作品の経済的、物質的担い手というだけではなく、芸術家を理解し、作品を評価して、芸術家に支援を与える人びとのことである。」p.8
・「1401年、ちょうど15世紀の明けそめた年、花の都フィレンツェにおいて、大聖堂付属洗礼堂入口のブロンズ扉制作のため、コンクールが行われたことは、美術史上有名である。コンクールは、扉の制作者を決めるためのものであった。」p.10
・「かつては二百年ないしは三百年に及ぶ長い栄光の時代と考えられていた「ルネッサンス」も、今では「ゴシック」と「マニエリスム」に前後からいわばはさみうちにされて、著しく短縮させられる傾向を見せているのである。」p.41
・「国王ですら芸術家に敬意を払うということは、芸術家が地上の権力者よりもさらに優れた存在になったということである。」p.55
・「宗教画や歴史画のような大構図作品では、値段はしばしば、描かれる人物の人数によって決められた。このような計算の仕方は、日本でも江戸時代の障屏画などにその例が見られるが、多くの画家は、全身像の登場人物一人についていくらという値段を決めていた。」p.82
・「もともと、誰でもが容易に訪れることのできる美術館という思想は、博物館や『百科全書』の理念と同様に、知識の拡大と普及を目指した啓蒙主義の産物であるが、それが今日まで続くようなかたちで実現されたのは、フランス革命以後のことである。」p.110
・「芸術作品を受け入れる社会的な場がそれだけ変わったのである。今や画家たちは、壮麗な教会の天井や宮殿の大広間を飾るためではなく、普通の市民たちの居間に受け入れられる作品を描かなければならなくなった。」p.125
・「これほどまで現実志向の強かった19世紀において、機械的な手段によって目に見える世界を正確に再現することのできる写真の登場は、当然のことながら、画家たちに大きな衝撃を与えた。みずから優れた現実再現の描写力をそなえていたポール・ドラロッシュは、1839年にダゲールによって発明された銀版写真を見て、「今日から絵画は死んだ」と語ったという。」p.134
・「少なくとも、19世紀の末以降、絵画が現実的表現を離れて自律的造形表現の世界に向かっていく背景のひとつには、写真の登場という事件があったのである。」p.136
・「無名の新人にとっては、創作よりも批評の方が世間に受け入れられやすかったという事情があった。そのことは、音楽の分野において、ベルリオーズが本業の作曲活動では充分に稼ぐことができず、音楽批評によって生活の資を得ていたという事情とよく似ている。」p.163
・「スペインからパリに出てきて、モンマルトルの洗濯船と呼ばれるアトリエに住みついた無名時代のピカソも、つかのまの暖をとるために、自分のデッサンをストーヴで燃やしたというエピソードを残している。」p.173
・「それでいて肖似性という点から言えば、一番写実的に見えるルノワールの肖像[写真]が必ずしもヴォラール本人に似ていないと当時から言われていたのに対し、ピカソの作品を見たある少年が直ちに「ヴォラールおじさんがいる」と叫んだという面白いエピソードが伝えられている。」p.191
・「ヴォラールは毎回三時間半も、不安定な台の上に置かれた椅子の上で身動きひとつせずにポーズするという苦行を強いられたと彼自身が、回想録『セザンヌを聴く』のなかで語っている。ある時、睡魔に襲われて思わず居眠りしたためひっくり返ったら、激怒したセザンヌから「林檎と同じようにしていなければいけない。林檎が動くか」とどなられたという。それほどまで苦労して、150回もポーズを続けたところで、セザンヌが南フランスに帰らなければならなくなったので、制作は中断された。その時セザンヌは、全体のできばえになお不満で、「シャツの胸のところだけは何とかできた」と言ったそうである。」p.192
・「文化大臣のマルローは、オペラ座に20世紀芸術の記念を残すため、あらためてシャガールに天井画制作を依頼した(1964年完成)。したがって現在オペラ座の観客となって天井を見上げると、モーツァルト(「魔笛」)からストラヴィンスキー(「火の鳥」)にいたる14人の作曲家の作品をテーマとしたシャガールの明るい画面が眼に入る。」p.200
・「今日フランスや日本でよく使われるようになった「メセナ」という言葉は、ローマのアウグストゥス帝の時代にヴェルギリウスやホラティウスなどの詩人、芸術家に厚遇を与えた名門の貴族カイウス・マエケナスの名前に由来するもので、それゆえに「芸術保護」という意味をもつようになったのだが、アメリカでは今でも、企業の芸術支援活動に対して、「メセナ」よりももっと広い「フィランソロピー」(公益事業、社会奉仕)という言葉をあてることが多い。」p.211
・「また1982年には、ニューヨーク市が「美術のためのパーセント法」を定めて、学校、病院、消防署、警察、裁判所などの市の建物を建設、または改築する場合、その費用の一パーセントまで(ただし、総工費が2000万ドルをこえる場合は0.5パーセントまで)を美術作品のために使わなければならないとした。」p.220
・「パトロンや美術市場に関する研究は、近年西欧諸国においてもきわめて活発になってきて、あるかぎられた時代や特定の芸術家についてはずいぶん詳細な研究が報告されるようになってきた。しかし、ルネッサンス期から現代まで、社会の変動を背景としてパトロンと芸術表現との微妙なからみ合いのあとをたどったものは、まだないように思われる。きわめて不十分なものではあるが、本書がその欠を補うものとなれば幸いである。」p.232

?へきがん【壁龕】 西洋建築で、彫像などを置くため壁面につくられたくぼみ。ニッチ。
?ネポティズム[nepotism] 身内・縁者びいき。同族登用。
?ひゃっか-せいほう【百花斉放】 (種々の花が一斉に咲きそろう意)科学・文化・芸術活動が自由・活発に行われること。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】英語の辞書を使いこなす

2007年02月01日 22時26分21秒 | 読書記録2007
英語の辞書を使いこなす, 笠島準一, 講談社現代新書 810, 1986年
・良書。もっと早い時期に読んでおきたかった。辞書を開くと訳語のほかに、ゴチャゴチャいろいろな記号が入っていますが、これらには全て意味がある! その他、奥の深い辞書使用のノウハウを、さすがに全部は解説しきれないので基本の部分について、分かりやすい例を挙げながら紹介しています。
・結局使いこなすためには"努力"が必要なわけで、このちょっとした努力を実行できるかどうかが鍵。現在、電子辞書を愛用中ですが、まだまだ『使いこなしている』とは言えない状態です。どれ、ちょっと説明書読んでみるか。。。
・「本書は次の三つのことを具体的に示すことにより、英語の辞書の実用的な使いこなし方をお伝えするものである。
 (1)各学習者の語学レベルと目的に応じた最適の辞書がある。
 (2)辞書のしくみを知ることにより、誤解のない、効果的な辞書の使い方が身につく。
 (3)英和・英英・和英辞典を「連係プレー」させることが可能であり、それによって英語辞書の効力が倍増する。
」p.7
・「辞書との出会い、かかわりを振り返ってみて、私は一つの意外な発見をした。それは、英語学習が進むにつれて、語彙数の少ない辞書を使うようになったことである。」p.19
・「最も有益な辞書とは、適当な難度の語について、解説や用例を詳しく示してある辞書である。」p.20
・「どのような場合にどのような辞書を使えば最も効果的か? ――このような辞書の「使い分け感覚」をみがけば、これまでわからなかったことが面白いようにわかってくる。これが現在私がつくづく感じていることであり、また本書を書いている理由でもある。」p.23
・「何よりもまず、「語義」と「訳語」の区別をはっきりさせることから話を切り出そう。この差を知らなければ辞書を使いこなすことはできない。」p.29
・「同じ語義の中でも多少の差がある場合にはセミコロンを用いるのが多くの辞書での慣例である。」p.42
・「いわば発音記号は大まかな、しかし重要な、発音の方向を示す道路地図のようなものであり、実際の道路状態、つまり発音の方法までは示していない。」p.52
・「英和辞典などみじめなもので、すでに高校程度の段階から、本当の英語力をつけるためには「英和よりも英英を使え」とたたき込まれる。小遣いをはたいて英英辞典に投資したものの利益は一向に上がらず、赤字倒産する例が少なくない。  しかし、はっきり言って、英和辞典はわかりやすい。うしろめたさは一切感じないで、必要に応じてどんどん引くべきである。」p.67 ハーイ!
・「私が学習辞典を引くときは、学生の英文をチェックしているとき、あるいは自分で英文を書いているときで、[C][U]を確認するときが最も多い。」p.85
・「失敗の原因は二つある。一つはどのようなときに、どのようにして英英辞典を使えばよいのかをはっきり理解していなかったこと。(中略)二つ目の原因は、(中略)英英辞典には英語のネイティブ・スピーカー用のものと、外国人学習者用(中略)のものがあることを知らなかった。」p.103
・「私がすすめる英英辞典活用の大原則は、「英和でピンとこないときに引け」である。」p.107
・「期待に胸をふくらませ、英英辞典を買ったものの現実の風に当って夢しぼみ、むかしの英和にUターンする人の共通点は、すべてを英英だけで料理しようとする「気負い」である。」p.115
・「英和・英英・和英辞典の中で、最も使いにくく、また最も注意が必要なのは和英辞典である。」p.132
・「私が10年以上前にどこかの本で読み、今でも忘れられない「迷文」がある。
 Father Mother Asakusa go, eat ox ten men before.
 何の意味かおわかりだろうか。「お父さんとお母さんが浅草へ行って牛丼を十人前食べた」を英語に直した文である。「十人前」を ten men before と訳したところは「迷人芸」の極みである。
」p.135 なんだかとっても語呂がいい。
・「(もっとも、前置詞で文を終えるのはよくないという人がいる。その人たちは A preposition is a bad word to end a sentence with. と主張しているとか)」p.143 Ha!ha!ha!
・「そこで私の辞書離れを促進するための教訓はこうである。第一に自分の知っている分野・内容のものを読むこと。第二に、たとえ途中でもわからないところがあっても、最後まで辞書を使わずに読み切ること。」p.164
・「本当に宝の価値に気づいているかどうかを調べる簡単なテストがある。自分が持っている辞書の価格を見て、それが安いと思うか、高いと思うか自問してみればよい。安いと思う人ほど辞書の価値を知っている人である。(中略)もし辞書の本当の価格はいくらだろうと尋ねられたら、迷わず私は "Priceless." と答えるだろう。」p.172
・「『英語の辞書を使いこなす』は実用的な面を展開させたが、本書に底流する理論上のバックボーンは「辞書学」と称せられるものである。この分野での最新の成果を、全く予備知識を持たない人にも理解してもらえる形で書いてみた。」p.175 そんな学問があるとは知りませんでした。

?パラフレーズ(英paraphrase) 1 (―する)意味内容を変えずに、難解な表現を平易に言いなおすこと。  2 ある楽曲を原曲として、他の楽器で演奏できるよう変形・編曲したもの。敷衍曲(ふえんきょく)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】白夜の旅

2007年01月28日 17時54分32秒 | 読書記録2007
白夜の旅, 東山魁夷, 新潮文庫 [草]232=1, 1980年
・日本画家である著者の1962年の北欧旅行記。デンマーク→スウェーデン→ノルウェー→フィンランド→デンマークの順に時系列で記述。口絵カラー8点、本文中カット11点挿入。
・読み始め、画家が余技で書いたとは思えぬ文章にゴーストライターの存在を疑いましたが、最後まで読んでみるとやっぱり自分で書いているようです。かなり詳細な日記をつけているのか、よっぽど記憶力がいいのか、よくこれだけ旅の様子を細かく書けるものだと感心します。40年以上も前の話ですが、不思議と古さはそう感じません。
・普段から旅行にはあまり関心がありません。特にヨーロッパなんて・・・遠すぎる、金かかる、言葉通じない。。。しかし、ノルウェーのフィヨルドの記述には興味を惹かれました。これは是非とも行ってみたい! 将来もしフィヨルドを訪れるようなことがあれば、この本がきっかけということになりますね。旅行の様子を淡々と伝えているだけではあるけれど、『人生を変えた一冊』となる可能性を秘めた本。
・東山魁夷といえば、昔、札幌の道立近代美術館での展覧会を見に行ったことがあります。そこで見た『青響』という作品の前に立ったときの衝撃は今でもはっきり覚えているほど強烈なものでした。
・「スカンディナヴィア三国を廻った人は、コペンハーゲンにきて、その人間的体臭にほっと一息つくというが、日本からはじめてデンマークへ着いた場合は、まず、この国の清潔好きに驚く。」p.21
・「私はデンマークでの旅をアンダンテにたとえたが、それならばスウェーデンの旅はアダジオといえるだろう。しかし、ノルウェーのフィヨルドではアレグロ、それも全楽器を総動員して、ティムパニーとドラムを打ち続けるクライマックスをもってしても、あの岩と水の力強い景観を表現することは不可能であると思う。」p.71
・「フィンランドの夏――いったい私達の夏というものが、この国にあるのだろうか。空は晴れて、明るい砂地の道に松林の影が濃い。しかし、空気は冷たく澄んで、勿論、蝉の声など聞こえない。春の夏と、秋の夏があって、本当の夏を知らない国。」p.93
・「どこまで行っても、湖、森、湖の国だと思う。フィンランドの人はその国をスオミ(湖の国)、と呼んでいる。六万の湖と、国土の大半を蔽う森。」p.94
・「翌朝、新聞紙には、私達の写真が載り、長文の記事が出ていた。もっとも、私達にはなんと書いてあるのか、ぜんぜん読めないのだが、とにかく、三面記事の材料がなくて新聞記者が困るという、この、のんびりした国の有様をまのあたり見て、うらやましい気持ちもした。」p.103
・「私が求めている生の表象、それは、あの火のように現在の瞬間だけに見えるものである。若い頃の私に、それが見えなかったのは、私がその火のすぐそばにいて、輪舞の群れの中に、我を忘れていたためであろうか。距離が必要だったのである。あの火の反対の極を、身近に感じるだけの距離が。」p.113
・「「あなたはどちらからですか。」と主婦が聞くので、  「日本から。」と答えると、  「ああ、あなた方は世界で一番美しい国からこられたのですね。」と言われて、私は嬉しいようなはずかしいような、妙な気持ちであった。」p.129
・「デンマークは小さな国ですが、バランスのとれた生活を出来るだけ多くの人々が持つことを念願としているのです。」p.146
・「しかし、たとえば、月を描くのに、裏側の暗黒の面まで描かなければならないかということもないと思われるのである。月は私達が見ている面だけで、美しく、充分である。ことに、画家である私にとっては。」p.148
・「デンマーク人は七度礼を言うとされている。まず、招待状を貰った時、次に招待してくれている人に、どこかで会った時に、さて招かれた家に入った時に、食事を終えた時、別れる時、翌日手紙で礼状を出す時、その後にはじめた逢った時といった具合である。西洋では珍しい風習である。」p.157
・「美しい風景を見ることは、こんどの北欧旅行の最初からの目的であったが、人々の美しい生活を見たことは、思いがけない喜びであった。」p.162
・「私が伝えたいと思うのは、今度の旅を通じて、この遠い北の国々で得た、もの静かで、清らかな人間的な感動である……」p.164
・「私は、ずっと以前から北欧の森と湖が、私を呼んでいた気がする。その遠くからの声に誘われて、自然に私の足が、北へ向って歩み寄って行ったのに違いない。」p.165
・「私にも妻にも、空路による海外への旅は初めてであった。また、当時は北極経由の航路が開かれてから、かなり早い時期でもあった。」p.167

?ハイマート(ドイツHeimat) 生まれ故郷。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】プロ家庭教師の技

2007年01月26日 20時12分50秒 | 読書記録2007
プロ家庭教師の技, 丸谷馨, 講談社現代新書 1678, 2003年
・これまで家庭教師の世話になったことも無く、家庭教師のアルバイトをしたこともなく、家庭教師とは無縁の人生です(強いて言えば大学生のころ母親の看護学校受験時に数学を教えたが・・・)。今から思うと、学生時代にやっておきたかったですね。
・家庭教師稼業はもっとのんびりほのぼのしたイメージでしたが、本書で紹介される事例は大変そうなものばかり。やはり記事にするのだから平凡な事例を載せてもつまらない、ということと、首都圏と田舎(北海道)の受験に対する温度差もあるようです。
・著者の肩書きはノンフィクション作家で、もともと家庭教師業界とは無縁の人物。インタビューが豊富で、広く足を使った取材をしたことが伺え、ルポだとかノンフィクションとよばれる読み物として、いい仕事していると思います。
・「男子より女子に対してのほうが繊細な部分に気を遣い、励まし方一つとっても10人いたら10通りの、その子に合った言葉を選び指導法リストを作成する。」p.15
・「生徒とは音楽のCDの貸し借りを積極的にし、流行にも敏感に対応することで意思疎通をはかり、合格後は必ず生徒が望む場所で食事会をする。」p.19
・「一歩ずつでも理解させ、分かれば点がとれて、学校生活も楽しくなるという好循環へ導くことができるかどうか。家庭の協力が不可欠ですね。プロの家庭教師には高い授業料を払っているという意識が心の根底にあって、それがイコール即効果が現れると思われがちなのが、この仕事のつらいところです」p.21
・「推薦するのは演習が基本の『チャート式』(数研出版)。受験直前には各大学入試の過去問題集の新年度版。経験上、数研出版がイチオシで、教師用のプリント作成ソフトのダウンロードサービスも活用したりする。」p.28
・「生徒の学力を推し量るには模擬試験等の結果を参考にしたり、細かなところでは生徒の学校のノートや教科書を見て、落書きをしている子は授業に集中していないとか、文字の書き方、ノートのとり方などから状況、性格まで判断する。」p.29
・「つまずきの共通項として、幼いころから本に親しんでいないために、すべての教科において読解力がないことを挙げる。」p.29
・「斎藤さんはそういった不登校の生徒を担当してから、心理学、カウンセリングについての本などをもとに学び得た結論が、「これといった解決法はない」ということだった。」p.41
・「表現を変えれば、学校の教師に見捨てられ、塾や予備校教師にも見捨てられた子の行く先は、家庭教師以外にないという現実がある。」p.54
・「家庭教師もまた、どんな環境下にある生徒でも根気よくつき合いながら、よい点を引き出して褒めるといった手法が成果をあげている実例が多い。」p.55
・「自助努力と責任感を養うため、まずは規則正しい生活習慣をつけさせるのが一番の近道と、神田さんは生徒に学習記録帳を持たせ、生活面での立て直しをはかる。」p.59
・「経験上成績が芳しくない生徒は、共通して勉強をする習慣ができていない。また、生徒本人がなんのために学習しているのか、将来の目標すら人任せで、人生に対する自己責任がともなっていない点をあげた。」p.61
・「梅原一郎君(同21)は三浪していて、半ノイローゼ気味。しかも、時々家庭内で暴力をふるっていた。「家庭教師代は高いけど、一郎は一人息子なので、ウチにあるお金をぜんぶつぎ込みますから、なんとか……」と両親は床に額をつけ懇願した。  だが、「もし、これで合格できなければ一家心中します」とまでいわれ、さすがの大山さんも腰が引けた。」p.75
・「生徒がつまずく箇所を、瞬時に無駄なく、どこまで遡れば理解できるかを見極められることが、すぐれた家庭教師の資質であり、一つのことを理解させるのに五時間かける家庭教師と、一時間ですむ家庭教師とでは授業料にも影響する。」p.80
・「受験勉強は記憶を中心に左脳に偏りすぎています。疲労をともなわない身体運動や音楽を採り入れて、アートを掌る右脳とのバランスのよい使い方をして、直観力、冴え、集中力を高めることができたら理想ですね」p.86
・「たとえば10個の漢字を10日間でおぼえるとするなら次にどの方法を選んだらよいだろうか?
 A:一つの漢字を、一日10回書いて10日続ける
 B:一日に10個の漢字を、一回書いて10日続ける
 実は多くの実験データからすると、AよりBのほうが効果があるとされる。
」p.99
・「前出の大山輝彦さんの時給は一万円。年収はおよそ1500万円と、日本の家庭教師の中ではトップクラスであり、派遣会社の看板教師といったところだ。」p.104
・「独学が可能だった時代でもありますが、冷静に分析すれば無駄と遠回りをしていました。仮に家庭教師に指導してもらえたなら、どこが重要な箇所か、要領やコツがよくつかめて効率は断然違っていたでしょう。」p.121
・「もともとできない子はいないと思う。ちょっとしたきっかけでサボってしまい、だんだんついていけなくなり、その先を簡単にあきらめてしまって、できないと思い込んでしまうんです。」p.125
・「足し算と引き算ができて、九九の掛け算が自在になり、割り算ができて文章問題もこなせるようになれば、算数が得意科目となり勉強嫌いが解消できるといっても過言ではない。」p.137
・「すべてのつまずきの根底には、人生に疑問を持たない幼児性がある。人生とは何だろう、といった漠とした疑問をもつことは決してマイナスではない。」p.144
・「参考書や問題集を購入する際は、基本的に本の奥付の日付が新しいものを選ぶ。」p.159
・「自分をコントロールできる子どもは家庭教師は必要としないだろう。家庭教師を必要とするのは、放っておくとサボる子である。」p.175
・「派遣会社はトラブルの際の保険機能を備えるほか、教材の無料配布等の各種サービス、あるいは進学に関する最新情報を得られるなどの利点があり、近年は直接交渉による家庭教師の数は激減している。」p.184
・「ちなみに右の問題の正解は②。中立性を保ちながら長期的視野で生徒、家庭に接するバランスある態度が求められるとの理由からである。」p.186
・「ただし、家庭教師だけのマンツーマン教育にも、競争心、つまりやる気が起きないという弱点のあることを古川氏は認めている。」p.187
・「無論、怠惰な学習姿勢はたしなめなくてはならない場合もあるが、一週間に数回、二時間程度の指導をしたところで、現実には急激な成果は期待できない。ポイントは指導時間以外の次回指導時までに、どれだけ生徒本人に自主的に勉強させるか、どれだけ学習に興味を持たせられるかといった技量が家庭教師に問われている。」p.207
・「学習に対する意欲がない子は、家庭に何らかの問題を抱えている。」p.210
・「特殊な学習法、教材などは一切いらない。(親が)ただ一緒に付き合うだけでいい。  それだけで子どもはつまずかないのである。」p.211
・「責任を他人に転嫁せず、教材もなるべく家庭にあるものを使う。その結果、子どもの学習意欲が芽生え、指導日が待ち遠しいといった姿勢が見られるようになれば、その家庭教師はよい家庭教師である。」p.215
・「ある英語の家庭教師がパソコン以外に、実際の指導に欠かせない七つ道具をあげた。  ①電子辞書・事典  ②画像撮影機能付き携帯電話  ③ICレコーダー  ④ストップウォッチ&タイマー  ⑤生徒の学習記録ノート  ⑥英字新聞・英字雑誌  ⑦DVDプレーヤー」p.217
・「子どもにとっての家庭教師は社会との接点であり、親とは違った第三者である。  どんなに信頼感があり親密さが増しても第三者であることに変わりはない。その人に見つめられていることが大事なのである。人間が人間を思いやり、教え、教えられ、触れ合うことが家庭教師のみならず、教育者の原点である。」p.223
・「彼らが信仰するユダヤ教は宗教であると同時に生活規範でもある。子どもの頃から聖書(旧約)、タルムード(律法)の学習、記憶が日常生活の一部としてあり、13歳の時に受ける成人式ではラビ(坊さん)の前で膨大な量のタルムードを暗唱しなければならない。大人になる頃には聖書を隅々まで暗記している人も珍しくない。こうして成長期に負荷をかけることで暗記する術を身につけ、脳に巨大な記憶スペースができる。」p.224
・「善悪はともかく、日本の受験体験はある種の優秀な獲得形質を生むのではないだろうか。」p.225
・「普段から「勉強しなさい」とは口うるさくいうが、感情が先に立ち子どもと共に学習できない親の姿勢が根本問題にある。」p.225

?ことてん【事典】 (「事典(じてん)」を「辞典(じてん)」と区別するために言い出した語)百科事典などのように、ことがらの説明を中心とした辞書。
?ことばてん【辞典・言葉典】 (「辞典(じてん)」を「事典(じてん)」と区別するために言い出した語)国語辞典や漢和辞典のように、ことばの意味や用法などの説明を中心にした辞典。事典と区別していう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】バイオフィードバックの驚異

2007年01月23日 20時26分43秒 | 読書記録2007
バイオフィードバックの驚異 心は血圧までコントロールできる, エルマー・グリーン/アリス・グリーン(著)、上出洋介/上出鴻子(訳)、角田忠信(監修), 講談社ブルーバックス B-821, 1990年
(BEYOND BIOFEEDBACK by Elmer and Alyce Green, 1977)

・予知や透視などのESP、地球外生命体、ガンの自然治癒などなど怪しげな話題が盛りだくさんですが、『トンデモ本』の一言では片づけられない、著者の豊富な経験からくる"重み"のある内容になっています。まだまだ現代科学では手の届かない領域の話なので、ブルーバックスの編集部もこの内容で出版するのを迷ったのではないでしょうか。
・今では「バイオフィードバック」というと世間ではそこそこ認知されているのでしょうか(よくわからん)。どうも日本には1980年前後に入ってきて今は下火になっているようです。調べてみると、こんな小物も売られているのですね。
GSR2 (バイオフィードバック)
http://lbpml.blog32.fc2.com/blog-entry-6.html

なんて怪しい・・・同様のものを自作すれば千円ほどで出来てしまうのではないか、と思えるようなチャチな雰囲気。しかし、この本を読んだ後では「ちょっと試してみようかな・・・」という気分になってしまいます。980円なら買ってもいいかなぁ。。。
・内容の正否について決着がつくのはまだまだ先の話になりそうですが、人間の体について、その構造についてはかなり細かい部分まで解明されているのに対して、それらがどのように協調して働いて生命活動を維持しているかという部分については、依然わからない事の方が多いのだな、と人体の不思議を感じる一冊でした。
・「こうして研究を続けているうちに、私たちは、人間にとって最も重要な問題は、心―体の古典的な問題(心が非物理的な力をもつかどうか)ではなくて、心を支配する"意志(volition)"と呼ばれるものがあるかどうかだ、ということがわかった。」p.27
・「医学書によれば、自律神経系を自分の意志でコントロールすることは不可能である、と書かれている。しかし、フィードバックを通して、自分の考えでコントロールすることがなぜ不可能なのか。不可能は理由は全くない。実際ヨガでは、ある程度コントロールできているではないか。」p.37
・「長期間にわたって自律訓練をおこなうと生理的に体がよくなり、さらに体や心の障害を克服する大きな力ともなる。不眠症、頭痛、喘息、慢性便秘の60から90%の治療に有意な効果があり、さらに発育不全、夜尿症、恐怖症などにも有効であることが臨床的に示されている。」p.39
・「バイオフィードバックの基本は、心臓、体温、脳波、血圧、そして筋緊張度など、体のプロセスや状況についての今の情報を得ることである。その情報はふつう、記録、光や音によって本人に与えられる。バイオフィードバックの訓練とは、これらの情報を使って、その測られている状態を意識的に変えようとすることである。」p.40
・「ふつうの自律訓練と異なる点は、自律訓練にはフィードバック(閉回路)はないということである。」p.54
・「この原則は人間の機能の基本原則である。すなわち、どんな体の生理的変化でも心の状態の変化を伴い、逆に心の変化はすべて、意識状態、無意識状態を問わず、必ず対応する体の変化を伴う、というものである。」p.55
・「心が体を含むというこの思想は、いわゆる行動主義者の立場と全く逆である。(中略)今こそ、人間がロボットであるという考えから、もっと全体的な見方に変えるときである。」p.61
・「ある日、彼女は「バイオフィードバックは私の感情と体を変えただけでなく、心まで変えましたわ」と、次のような話をしてくれた。」p.76
・「奇妙な言い方ではあるが、"家族の許可なく"病気から回復した患者は、健康を保持できないものである。家族は、大きな有機体のように働き、免疫作用をする。」p.86
・「自己訓練法で大事なことは、一日に一回でいいから、リラックスした気持ちで自分の無意識の領域に自分の望むことを告げる時間をつくることを忘れてはならないことである。」p.91
・「ときどき、バイオフィードバックの研究者はガマの油売りに似ているという冗談を聞くことがある。(中略)一見、万能薬のように見えるのは、実はバイオフィードバックのせいではない。人間が体の中にもっている自己コントロール、自己治癒、自己バランスという能力を、バイオフィードバックという方法がひき出す役をしているだけなのである。」p.96
・「創造性は生まれつきのものとは限らず、シータ波トレーニング、つまり、注意の的を特定の方法でコントロールするトレーニングによって身につけることができるものなのである。」p.104
・「バイオフィードバック訓練の目的は、場から独立できるようになることである。」p.141
・「ホメオスタシスの使い方のよい例は、バイオリニスト、J・ハイフェッツによって熱っぽく語られている。むずかしいバイオリン協奏曲を一年練習していなくても、わずか一週間の練習でうまく弾けるようになる。一番初めに正しく勉強すること――これが秘訣である。」p.148
・「私たち自身に変化をもたらそうと決心すると、自分自身の中に反逆者を見てしまう。同様に、会社でも、街でも、国でも、世界でも、私たちは無意識のうちにいろいろな抵抗に遭っている。変化が正しく働くと、問題は解決し、病気は回復する。」p.149
・「第一段階の環境依存性は、右に述べたウィトキンの研究結果によるふつうにいう環境を指している。第二段階の環境からの超越というのは、全自律神経系から独立することである。」p.154
・「仏教の心理学は、自己同定の問題を問うている。私たちが知っているもの、あるいは、考えうるすべてのものをとり去ったあとに残るものは、空(void)である。この空は、無(nothing)とは違う。しかし、この残ったものを表現する言葉がないという意味で空である。――言語は、人間の心の散漫な形態である。空というのは、少なくとも28種類の経験を含んでいる。したがって、空には時間を超えた新しい次元が必要であろう。」p.156
・「私たち人間が、もし体のみであったならば、体が体をコントロールすることはできない。私たちが心のみであったら、心が心をコントロールできない、同じように、思考は思考をコントロールできない。したがって、自己をコントロールするものは、思考でも情緒でも、もちろん行動でもなく、何か超心理学的なものであると仮定するのが妥当である。」p.158
・「一般的なもうけ主義の心の訓練法のほとんどは、催眠術を使っている。」p.176
・「新しい心理物理学を心の科学の一部として加え、心と物質の相互作用を研究していくことは、科学の発展に新しい次元を拓くことでもある。これはトレミーからコペルニクス、あるいはニュートンからアインシュタインへの変化に匹敵するほどの大イベントであろう。」p.190
・「もし、心の減少が光のスピードによって制御を受けなければ、宇宙の生命と私たちの交流に新しい可能性が出てくる。」p.191
・「バイオフィードバック訓練の中でもとくに本書で強調しておきたいことは、シータ(θ)脳波が私たちの創造性を高めるために重要な意味をもつようになってきているということであります。」p.196
・「ということは、多くの電極からのデータをいかにうまく組み合わせて複雑な計算をしても、脳の意識領域をより正しく映し出すことはできないということです。」p.198
・「しかし、どれにしても、シータ波状態での夢想ほどには効率よく、パーソナリティや自己の障壁を超えることはできません。シータ波訓練により、グループの調和が計られ、人間関係が改善し、創造的可能性をもつことができるのです。」p.204
・以下、訳者あとがきより
・「この本は、1977年にアメリカで出版され、1989年再版された、グリーン夫妻による名著"Beyond Biofeedback"の約65パーセントの日本語訳です。」p.206
・「心の状態が体の変化に影響を与えることは、私たちがごく日常的に経験していることです。(中略)これは、超能力でも何でもありませんから、訓練を積むことにより、意志の力で体をコントロールすることができるようになるはずです。」p.208
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】西の魔女が死んだ

2007年01月18日 22時49分36秒 | 読書記録2007
西の魔女が死んだ, 梨木香歩, 新潮文庫 な-37-2, 2001年
・女優の小西真奈美さんが某新聞紙上でオススメの本として挙げていた中の一冊です。 (*ノノ)キャッ
・表題作とそのエピローグ的短編『渡りの一日』収録。
・読んでいると、その情景というか空気感が宮崎アニメと非常にダブります。半人前の女の子(まい)が魔女修行を通して大人になっていく過程を描くという部分で、特に『魔女の宅急便』に。そして、おばあちゃんとその家のビジュアル面については『ターシャ・テューダー』の写真集。更には、おばあちゃんの説教内容には『神との対話』。というように「これ、どっかで見たような…」と感じる部分が多々あります。どんな作品でも、作者が見聞きした物事の再合成品といえますが、この場合、生の素材があまりにそのまま顔を出しているような気がして、どうも釈然としません。
・「悪魔を防ぐためにも、魔女になるためにも、いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。」p.70
・「どうやら魔女になるための必須条件とは、「自分で決める」ことに尽きるらしかった。」p.95
・「死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。きっとどんなにか楽になれてうれしいんじゃないかしら」p.116
・「魂は身体をもつことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。ですから、この世に生を受けるっていうのは魂にとっては願ってもないビッグチャンスというわけです。成長の機会があたえられたわけですから」p.119
・「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」p.162
・以下、解説(早川司寿乃、カバー装画[写真])より
・「おばあちゃんは、答えを示すのではなく、厳しさと優しさをもって、まいが、自分で考え自分で決めるのを見守る姿勢をとり続けます。」p.223
・「私は、この物語には、人によって形は異なりはしても、私たちが実際にしあわせに生きるためのヒントが幾つも書かれていると思います。」p.224

?キッシュ [quiche《フランス》] 《料理》パイ料理の1つ。卵に生クリーム、ベーコンなどを加え、パイ生地に流して焼き上げたもの。*キーシュとも。
?みずや【水屋】 食器類を入れておく箪笥様の戸棚。茶箪笥。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】新年の挨拶

2007年01月12日 22時26分16秒 | 読書記録2007
新年の挨拶, 大江健三郎, 岩波現代文庫 文芸23, 2000年
・エッセイ20編+あとがきを収録。
・"辞書"は使い方によって想像以上の働きをする。
・「僕は隣町の高校に入ったところだった。仕事で松山に出た兄が、古書店で見つけたといって、僕にとっては初めての洋書を買ってきてくれた。本の外観こそ古びているけれど、本文をめくってみると使われた形迹のない "The Concise Oxford Dictionary"。それを手渡されての昂奮は、辞書の紙の手ざわりや印刷の匂いとともに、鮮明に思い出すことができる。」p.7
・「容姿がテレヴィ向きとも思わぬし、悪意ある雑文においてのみならず話し方の下手さ・発音の不明瞭をいわれることはよくあるのに、僕は時どきテレヴィに出る。その端的な理由は、かぎられた小説の読者層よりほかのところから多様な反応がえられることである。そしていかにも幸いな場合には、新しい小説の読み手が得られることもあるからである。」p.35
・「小説家というものは、きわめて健康な幾人かをのぞけば、どうもある種の心の病気と一緒に生きているのではないか? 僕はそのようにあらためて考えたのでした。」p.51
・「河合(隼雄)さんは次のように書いていられます。  《心理療法とは、悩みや問題の解決のために来談した人に対して、専門的な訓練を受けた者が、主として心理的な接近法によって、可能な限り来談者の全存在に対する配慮をもちつつ、来談者が人生の過程を発見的に歩むのを援助すること、である。》」p.55
・「端的に、僕は誰に対しても、権威ある強い者のやり方で命令することができない。サルトルが、自分は笑いながらでしか命令することができないといっている、あれです。」p.88
・「しかし距離をおいて樹木をあおぎつつしだいに納得したのは、「雨の木(レイン・ツリー)」をめぐる小説を書き終って時がたち、かつては危険なほどの喚起力を持っていた「雨の木(レイン・ツリー)」の暗喩(メタファー)が自分のなかで色褪せてきていることだった。」p.142
・「彼女(ナディン・ゴーディマ)は書いている。《なぜなら人が書くすべてのものは、全体の物語の部分なのだ。いかなる個人の作家であれ、混沌からかれ独自の知覚(パーセプション)のかたちを築こうと試みるのであるかぎり。人生を理解することの物語。長編、短編、本ものでない書き出し、半分しか完成しなかったもの、放棄されたもの、それらすべてが意味のある場所を持つような、その物語は、人が死ぬか、想像力が萎縮するかする前に書かれる、最後の文章によって完成されるだろう。》」p.187
・「私の魂がなにごとかをするということはなくて、どこか外側から訪れるものが魂を鳴り響かせるのであって、私の魂はただそれを記憶するだけだと知って、失望したと……」p.208
・フランス文学者渡辺一夫の言葉「そこで三年間、ひとりの文学者、思想家に的をしぼって読む、ということになさい。ほぼどういう輪郭の相手かということは、三年読めばわかってくるでしょう。それは専門研究とはまた違いますが……  この方法によって、僕はこれまでの生の難所をいかにしのぐことができたことだろう!」p.226

?そうろう【蹌踉】 足もとのたしかでないさま。ふらふらとよろめくさま。蹌々踉々。

《チェック本》 小林登『こどもは未来である』岩波同時代ライブラリー 155
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】私の脳科学講義

2007年01月07日 21時36分56秒 | 読書記録2007
私の脳科学講義, 利根川進, 岩波新書(新赤版)755, 2001年
・ノーベル賞をとった遺伝子関連分野の研究は一段落し、次に脳関連研究にテーマを変えた著者の、小文・対談集。五編収録。
・やはりノーベル賞受賞者の『生の声』は迫力があります。
・「後にノーベル賞をいただいたとき、新聞記者が京都大学に行って、利根川はいったい学部のとき何をしていたんだろうといろいろ探したそうですが、何も見つからなかったそうです。わたしは卒業研究はしていないのですから、見つからないのはとうぜんです。」p.7
・「分子生物学は、分子レベルで生命現象の根幹にかかわる原理を解明していく学問です。」p.14
・ダルベッコ研究室では、「ひじょうにレベルの高い研究しかしない。それ以外の研究には見向きもしない。そういう彼らの心意気を、身をもって経験したと思っています。」p.16
・「そのテーマは、免疫学の世界では何十年もミステリーとして解けなかった問題です。ひょっとしたらそれを、わたしがすでに取得していた研究方法、いわゆる遺伝子組換え法を中心にした方法で、解けるのではないか、というアイディアがわたしの頭に浮かんだのです。この一連の研究で、のちにノーベル賞をいただくことになりました。」p.25
・「それにしても、100億と3万、これでは明らかに数の上でジレンマがあります。最大数万種類の遺伝子から100億種類の抗体がなぜつくれるのか。これが、免疫学者のメルビン・コーンが「Generation of Diversity(多様性発現)のミステリー」と名づけたジレンマでした。頭文字をとるとGODですから、「ゴッドのミステリー」(神の秘密)と名づけられた免疫学上の最大のジレンマだったのです。」p.29
・「遺伝子のランダムな多様化と環境による変異株の選択、これがダーウィンの進化論の二大原理、進化論のエッセンスになるのです。」p.32
・「遺伝子は進化の長い過程においてのみしか変わらない、というのが生命科学の常識だったのです。それに対して、免疫系の抗体遺伝子についてはそのドグマがあてはまらない、ということがこの研究で明らかにされたわけです。つまり、それまでの生命科学の常識をくつがえす発見になったのです。」p.35
・「20世紀には自然科学がひじょうに発展しました。前半は物理学の黄金期であり、後半は分子生物学を中心にして生物学がひじょうに発達したのです。そもそも生物学の究極の目的は、生物とは何か、とくに進化の頂点にあるわたしたち人間はいったい何者なのかを知ることであるといってもいいでしょう。」p.39
・「人間の脳がどのようにはたらいているかを研究することは、すなわち、「人間らしさ」といわれるものをはじめ、人間のもっとも進化した特徴を研究することにもなるのです。これはつまり、人間はいったい何者かということを明らかにすることにもなります。」p.47
・「それに対して精神機能に関する生物学は、ひじょうに遅れをとっています。21世紀においては、この精神の生物学、つまり脳の研究が大発展を遂げるであろうと、わたしたちは考えています。」p.49
・「そして、これまでお話してきた感覚とか言語の能力をさらに超えて、知性とよばれる人間の能力についても、視覚系や言語の発達と同じように、やはり臨界期というのがあるのではないかと考えられるのです。」p.62
・「脳において、知性をあつかっている場所と感性をあつかっている場所は、分かれています。」p.64
・「すなわち、可塑性の高いシナプスをもつ反回路性経路で頻繁につながっているニューロンからなるCA3野は、パターンコンプリケーション能力を通じて、連想記憶(assosiative memory)の想起に重要な働きをしているという結論が導かれたのです。」p.112
・「わたしは古典的な生物学については、ほとんど何も知らなかったし、興味があったわけじゃありません。子どものころにペットを飼ったこともないし、生物に対する親近感はあまりなかったのです。」p.121
・「面接試験で渡辺(格)先生が「君はどうしてウイルス研へ来たいんだ?」と聞かれたのです。それで、わたしが「ほかに行くところがないのです」と正直に言ったら、みんなが大笑いしたのを覚えています。」p.123
・「だいたいわたしは、しんどい思いをしたことは忘れる性格なんです。いいことだけを、覚えているというところがある。(中略)だから、わたしはよく言うことなんだけど、ひじょうに楽観的な人がサイエンスに向いていると思うのです。いろいろむずかしいことがあってもかんたんに滅入らない人、あきらめない人。それから、プライオリティ(優先事項)がしっかりしていること。これは重要です。」p.125
・「どういうことをすれば、ひじょうに創造性が高いのかは、創造性の高い研究を成し遂げた人のそばにいて、本人にしかるべきアンテナがあれば、だんだんわかってくるのです。」p.127
・「かならずしも科学者だけの話ではなくて、わたしは、どうしてみんなあんなにいろんなことを同時にやりたがるんだろうと、不思議でしょうがないんです。  あることを為し遂げるためには、いろんなほかのことを切り捨てないとだめなんですよ。ところが人間は、なかなか切り捨てる決心ができない。」p.129
・「自分にとって何がほんとうに重要かということを、どこのほんとうのおもしろみがあるかということをしっかりと認識して、それにもとづいて人生を設計していく。わたしはそういう人が成功するのだと思います。」p.130
・「100年後にしか解けないとみんなが思っていることを、10年後に解くのがオリジナリティのミソなのです。」p.136
・「わたしの大きな夢は、わたしの研究室か、少なくともCLMからノーベル賞受賞者を出すことです。  親友のある学者が、わたしがノーベル賞をもらったときに、「ノーベル賞をもらうのはたいへんむずかしく、すばらしいことだけど、もっとむずかしいことがある」と言うのです。何かというと、それは「自分の弟子がノーベル賞をもらうことだ」と言うのです。」p.138
・「内容のない人間とつきあっているのは、その人自身の能力のなさをしめしているというのがわたしの考えです。」p.146
・「もし自分の実力で、他人に評価してもらいたいと思うなら、サイエンスをやるのがいい。やはりネイチャー(自然)は嘘をつかないから。成果をあげれば、かならず誰かが評価してくれる。そういう意味で、わたし自身は科学の道を選びました。」p.146
・「脳をいくら研究したって、人間の心はわからないと思っているのが一般の人の大勢でしょう。(中略)いま人間が、世界はこうだ、人間とはこういうものだと思っている通念のようなものが、大きく変わると思います。」p.149
・「遺伝子そのものの数は、期待したより少なかったんですが、いずれにしても遺伝子の半分くらいは脳で使われていますから、脳はやはり人間の精神的な機能において大きな役割を果たしていると思っています。」p.153
・「池田(理代子) 10年ほど前にリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という本が注目されました。私は、竹内久美子さんという動物行動学を専門にされている女性の方が書かれた本を読んで知ったんですが、」p.158 ノーベル賞受賞者に対してトンデモ本を引き合いに出して話を進めるインタビュアー。。。なんというチャレンジャー。
・「私は、科学するということは、それこそ人間の脳の本質的な属性だと思うんです。脳というのは知らないことがあったときに、知らないとがまんできない、そのこと自体が脳に備わった重要な性質なんです。(中略)私は、人間が存在する限り科学は存在すると思っています。」p.160
・「私もずっとサイエンスをやってきましたが、じつは40歳過ぎてから建築家になりたいと思ったことがあるんです。」p.164
・「がんばって研究していれば、いつかは大きな発見ができるぞと思い込んで、自分の心理をコントロールできるっていうことはひじょうに重要で、これは受験で成績がいいという能力とはあまり関係がないんですね。」p.165
・「たとえば、「脳死」という問題ひとつをとっても、日本では脳が死んだときに、移植のために臓器を取り出していいかということが切実な問題になるわけです。日本では、脳が死んでもまだ生きているという考え方を持っている人が多いと思います。私の個人的な意見では、脳が死んでしまったら、その人間の死を意味するという割り切った考え方をしてしまいますね。」p.174 問題の捉え方が根本的に間違っているような。立花隆氏との対談本を出していたり、そもそも脳研究の専門家であってもこの程度の認識なのか。
・フランスの分子生物学者モノーの言葉「「地球上にはさまざまな種が発生して、滅びていった。もちろん人間もそのうちの一つの種であるが、この地球上の長い進化の過程で、唯一自分自身の種の進化を自分自身である程度決めていくことができる能力をもった最初の種である」」p.180
・バレリーナのマーゴット・フォンテーンの言葉「「バレエというのはひじょうに悲しい芸術である。バレエのすばらしさを理解し、人生が何かということも理解し、芸術の意味もやっと理解した頃には、体がいうことをきかなくなっている」」p.184
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】カザルスへの旅

2007年01月03日 22時34分29秒 | 読書記録2007
カザルスへの旅, 伊勢英子, 中公文庫 い-76-2, 1997年
・ただただ『カザルス』の文字にひかれて手にした本。著者は絵本作家で、札幌出身の趣味にチェロを弾く人物。カザルスの足跡をたずねてのヨーロッパ旅行、学生時代のパリ留学、宮沢賢治にひかれての東北旅行などの旅行記。
・「カザルスは13歳の時、バルセロナの古楽器店でバッハの無伴奏セロ組曲の楽譜を発見し、12年かかってそれを生きたバッハに変えた。(中略)カザルスはバッハを再創造したのだ。」p.38
・「カザルスは愛の人だった。そして無欲な人だった。愛は何よりも強い――その信念が、全ての行動、演奏、栄誉、歴史につながっていった人だと思う。」p.39
・「父親が病気でオルガンを弾けなかったある日、代理に弾いて教会を出た7歳の少年カザルスに、いつも教会の扉の外で、その父親のオルガンを聞いている靴屋のおじさんが「パウ、今日のおとうさんはよく弾けたね」と言ったという。」p.42
・「Francesco Bissolotti:Association Cremonaise Luthiers Artisans Professionnels (略A.C.L.A.P)――クレモナ楽器制作芸術協会、とでも訳するのだろうか、そこの会長だったのだ。」p.69
・「小学校四年生の時に、お金がなくてケンカしている両親の様子を詩に書いて、文集にのせられた。六年生の時には、おじいちゃんの泣く姿を詩に書いた――私には人間のみにくいできごとが生そのものであった。反面、高潔な魂にふれるとおののき、身震いし、ひれ伏したい衝動にかられた。いつも自分はみにくいと思っていた。」p.110
・「たまたま、セロが上達するまでの形で語られているけれど、これは、芸術のための「修練」や「克服」をどのようにやったかということを、子供にわかりやすく描いた物語なのではない。己れの修羅を昇華して、今在る以上に精神を少しでも高めたくて血をはく思いで努力している途上の賢治自身の告白ではないのか。」p.197
・「きっと大曲でも名曲でもないエキセントリックな、演奏会に適さない曲を(私はポッパーのハンガリア狂詩曲を想いおこした)」p.202 なんでこんなところでこんな曲名が。不思議な符合。
・「人は悲しいかな、「その時」が去った時に、完璧に表現し得るというパラドックスを持っているのではないか。」p.205
・「絵描きなら誰もが一度は描いてみたい世界をもっている数々の童話、私も何度絵本化、具象化を試みたことだろう――しかし、全ての絵は徒労に終わっている。何故か? 賢治はことばとリズムでもって全ての色彩を語り尽くしているからだ。それもかなりのリアリズムを持って。」p.205
・「東京の宿で一ヶ月間童話を書きつづけたいた時、その間に三千枚もの原稿用紙を文字で埋めつくしたという。しまいには文学が紙面から飛び出してきて私にむかっておじぎをするのでしたといった賢治。ああ、やはり彼は一生けん命やりすぎて、幻覚が現実そのものであった。」p.209
・「「賢治のセロは鈴木製の、時代のいい時のものなんです。いいセロです」 と清六さんはおっしゃって、 「f字孔から賢治が筆をいれて、M K、1926とサインしてあるんです。記念館に行ったらのぞいてごらんなさい」」p.210
・「ゴーシュとはフランス語で左という意味であるが、へたくそという意味でもある。数ヵ国の語学にたんのうだった賢治のこの涙のでそうなほどに悲しいユーモアを、今私はじっと心の中でうけとめている。」p.212 ヘェー

?エスキース - Esquisse(仏、英) 美術用語。 作品の構想を固める時、多くのスケッチやクロッキーをもとにして、全体の構図、配列、配色などの研究を目的につくる試し描き。

《チェック本》柳田国男『遠野物語』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする