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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】新・代表的日本人

2007年04月26日 20時12分06秒 | 読書記録2007
新・代表的日本人, (編著)佐高信, 小学館文庫 さ-6-1, 1999年
・題名を見てお分かりのとおり、前出『代表的日本人』のパクリ。佐高信が選んだのは以下の10名([]内は執筆者)。
1.伊庭貞剛(実業家)[中野好夫]
2.出口王仁三郎(宗教家)[大宅壮一]
3.幸徳秋水(社会主義者)[飛鳥井雅道]
4.松永安左エ門(電気事業経営者)[草柳大蔵]
5.与謝野晶子(歌人)[馬場あき子]
6.石橋湛山(ジャーナリスト・政治家)[佐高信]
7.尾崎放哉(俳人)[上野千鶴子]
8.嵐寛寿郎(映画俳優)[竹中労]
9.本田宗一郎(技術者・実業家)[梶山季之]
10.佐橋滋(通産官僚)[城山三郎]
・"アンソロジー"と呼べば聞こえはいいが、実際には書き下ろしは一本もない過去の文章の寄せ集め。「つまらない」とまでは言いませんが、100年経って今なお読み継がれる本とは比ぶべくも無く。「へ~え、こんな人がいたんだ~」と軽い暇つぶし程度にはいいかもしれません。
・「なんといっても燦然と光っているのは、「進歩発達に最も害をするものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である」とする一行であろう。」p.25
・「なるほど、それだけのスピードが出れば、百二十巻ぐらいはなんでもないわけだ。毎月八十余の雑誌に寄稿し、四百ページの長篇を三日で書く。これをきいたら、さすがの谷譲次、牧逸馬、林不忘の三位一体のジャーナリズムの神長谷川海太郎も、さぞ眼を白黒させて、ジュピターの前へ出た群神のように光を失ってしまうであろう。」p.47
・「現代の青年にこのような海外雄飛の夢がなくなったのは、日本があまりに棲みよいためか、人物の器が小さくなったためか、そのいずれかであろう。」p.116
・「罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ(『みだれ髪』)」p.154 いくつか抜粋されていた中のお気に入りの一句。
・「否、古来の皮相なる観察者によって、無欲を説けりと誤解せられた幾多の大思想家も実は決して無欲を説いたのではない。彼らはただ大欲を説いたのだ、大欲を満すがために、小欲を棄てよと教えたのだ。」p.179
・「一生に、二生も三生も生きるための仕掛けが日本にはいくつもある。改名や雅号、法名や俳号を名乗るというのも、変身と転身の仕掛けである。日本の人々は、アイデンティティ(自我同一性)などというものに呪縛されてこなかった。」p.198
・「きょう限界まで力を出すと明日には1.1、その翌日には1.2になるんですよ。(佐橋)」p.302
・「私は人間がつくった社会というのは、人間が変えられるという哲学を持っとるんです。(佐橋)」p.308

?いあく【帷幄】 1 帷と幄。たれまく(とばり)と、ひきまく(あげばり)。  2 (昔、陣営にたれまくとひきまくをめぐらしたところから)作戦計画を立てる所。本営。本陣。
?しょくもく【属目・嘱目・矚目】 1 目にふれること。また、ある物に目を向けること。  2 俳諧で、即興的に目に触れたものを吟じること。「嘱目の吟」  3 その人が将来どのように発展するか期待して見守ること。「将来を属目される」
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【本】代表的日本人

2007年04月23日 22時11分57秒 | 読書記録2007
代表的日本人, 内村鑑三 (訳)鈴木範久, 岩波文庫 青119-3, 1995年
(Representative Men of Japan, Kanzo Uchimura, 1908)

・内村鑑三が、西洋世界に日本を紹介するために著した書。原本は英語で書かれ、その後デンマーク語とドイツ語にも訳された。『代表的日本人』として以下の五名を紹介している。西郷隆盛(新日本の創設者)、上杉鷹山(封建領主)、二宮尊徳(農民聖者)、中江藤樹(村の先生)、日蓮上人(仏僧)。
・『異国の人びとに広く我が国を紹介しよう』というその発想の大きさに、まず打たれる。日本人である私が読んでも再発見があるということは悲しむべきことか。少々内容が、子供向け伝記や童話のようにキレイすぎるきらいはありますが、そんなことは気にさせなくなるほどの著者の気概が伝わってきます。名著。
・「青年期に抱いていた、わが国に対する愛着はまったくさめているものの、わが国民の持つ多くの美点に、私は目を閉ざしていることはできません。(中略)わが国民の持つ長所――私どもにありがちな無批判な忠誠心や血なまぐさい愛国心とは別のもの――を外の世界に知らせる一助となることが、おそらく外国語による私の最後の書物となる本書の目的であります。」p.11
・「世界から隔絶していることは、必ずしもその国にとって不幸ではありません。」p.13
・「「天を相手にせよ。すべてを天のためになせ。人をとがめず、ただ自分の誠の不足をかえりみよ」」p.22
・「ある意味で1868年の日本の維新革命は、西郷の革命であったと称してよいと思われます。」p.23
・「必要だったのは、すべてを始動させる原動力であり、運動を作り出し、「天」の全能の法にもとづき運動の方向を定める精神でありました。」p.24
・「「文明とは正義のひろく行われることである、豪壮な邸宅、衣服の華美、外観の壮麗ではない」  これが西郷の文明の定義であります。」p.32
・「不誠実とその肥大児である利己心は、人生の失敗の大きな理由であります。西郷は語ります。  「人の成功は自分に克つにあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、残り二分のところで失敗する人が多いのはなぜか。それは成功が見えるとともに自己愛が生じ、つつしみが消え、楽を望み、仕事を厭うから、失敗するのである」」p.41
・「封建制にも欠陥はありました。その欠陥のために立憲制に代わりました。しかし鼠を追い出そうとして、火が納屋をも焼き払ったのではないかと心配しています。(中略)封建制の長所は、この治める者と治められる者との関係が、人格的な性格をおびている点にあります。その本質は、家族制度の国家への適用であります。」p.53
・「鷹山の倹約はけちではありません。「施して浪費するなかれ」が鷹山のモットーでありました。」p.65
・「東洋思想の一つの美点は、経済と道徳を分けない考え方であります。東洋の思想家たちは、富は常に徳の結果であり、両者は木と実との相互の関係と同じであるとみます。」p.67
・「日本の農業は、世界でもっとも注目すべき農業であると考えます。土の塊の一つ一つがていねいに扱われ、土から生ずる芽の一つ一つが、親の愛情に近い配慮と世話とを与えられます。」p.79
・「尊徳からみて、最良の働き者は、もっとも多くの仕事をする者でなく、もっとも高い動機で働く者でした。」p.89
・「尊徳は夏、ナスを口にして、その年の不作を予言しました。秋ナスのような味が強くしたので、明かに「太陽が、すでにその年の光を使いつくした」しるしであると告げました。」p.94
・「尊徳から親交をえるためには、常にたいへんな努力を要しましたが、いったん与えられると、これほど尊いもの、また永続するものはありません。」p.100
・「学校もあり教師もいたが、それは諸君の大いなる西洋にみられ、今日わが国でも模倣しているような学校教育とは、まったくちがったものである。まず第一に、私どもは、学校を知的修練の売り場とは決して考えなかった。修練を積めば生活費が稼げるようになるとの目的で、学校に行かされたのではなく、真の人間になるためだった。」p.112
・「『大学』(孔子)には、次のように書かれていました。  天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある。」p.116
・「陽明学の形をとった中国文化のお陰で、私どもは、内気で、臆病で、保守的、退歩的な国民になることはなかったのだと考えます。」p.132
・「宗教は人間の最大関心事であります。正確に言うならば、宗教のない人間は考えられません。私どもは、自分の能力をはるかにこえる願いごとをもち、世の与えうるよりも、はるかに多くのものを望むという、妙な存在なのです。この矛盾を取り除くためには、行動はともかく、少なくとも思想の面でなにかをしなければなりません。」p.141
・「きびしい社会差別のあった時代に、宗教の道は、低い身分に生まれた天才が、世に自分の存在を示しうる唯一の道であったのです。」p.149
・「それは「衣法不依人(えほうふえにん)」、真理の教えを信じ人に頼るな、との言葉であります。」p.151
・「その後の日本に蓮長にならぶ僧侶は出ていません。一つの経典と法とのために、自分の生命をとして立ったのは蓮長だけであります。」p.158
・「日蓮の論法は粗雑であり、語調全体も異様です。日蓮はたしかに、一方にのみかたよって突出した、バランスを欠く人物でした。だが、もし日蓮から、その誤った知識、生来の気質、時代と環境とがもたらした多くのものを取り去ったとしましょう。そこに残るのは、しんそこ誠実な人間、もっとも正直な人間、日本人のなかでこのうえなく勇敢な人間であります。」p.171
・「たしかに日蓮の生涯は、マホメットから多妻主義をさしひいた生涯を思わせます。同じように強靭な精神と異常なほどの熱狂性があります。しかし、あわせて、共に目的のための誠実さと、内面には深くてやさしい慈愛の心が、豊かに両者にはあります。ただし、その日本人の経典に対する確信は、あのアラビア人がコーランに対して抱いたものより強く、この点で私は、前者の方が後者よりは偉大であったと信じるものです。」p.175
・「日蓮の大望は、同時代の世界全体を視野に収めていました。仏教は、それまでインドから日本へと東に向かって進んできたが、日蓮以後は改良されて、日本からインドへ、西に向かって進むと日蓮は語っています。」p.176
・「闘争好きを除いた日蓮、これが私どもの理想とする宗教者であります。」p.177
・「武士道は、まだ未完成なもの、現世的なものであります。美点が多くあるにもかかわらず、それは、たとえば世界に無比の富士山のようなものです。世界に無比ではありますが、結局は死せる山にすぎません。」p.182
・以下『解説』より「ところが、日清戦争の終結ころから、内村はその戦争がまったく期待を裏切り「義戦」ではなかったことを知り、本書をはじめとして、おおいに世に「義戦」を訴えたことを激しく恥じた。」p.199
・「私の貴ぶ者は二つのJであります、其一はJesus(イエス)であります、其他の者はJapan(日本)であります、本書は第二のJに対して私の義務の幾分かを尽くした者であります。」p.205
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【本】超ひも理論と「影の世界」

2007年04月19日 20時44分46秒 | 読書記録2007
超ひも理論と「影の世界」 見えない! さわれない! 謎の世界, 広瀬立成, 講談社ブルーバックス B-789, 1989年
・前半4分の3が前置き、残り4分の1が超ひも理論の話という構成。超ひも理論までたどり着くには、素粒子論の基礎知識が必要なため、一筋縄ではいきません。普段あまり耳にしない素粒子名がたくさん出てきてややこしく、じっくり読まないと理解は難しい。クォーク、レプトンはまだいいとして、ゲージ粒子であるグラビトン、フォトン、グルーオン、ウィークボソン、さらにはハドロン、バリオン、メソン、π中間子、μ粒子、τ粒子……などなど。ともかく、本書では数学的な話は一切省き、かなりの簡略化をしてあるようで、本格的に理論を理解するには相当勉強が必要だと思われます。とりあえず『世界は "ひも" でできている(かもしれない)』という程度の理解。全体的な難易度はやや高め。
・「事実、アインシュタイン自身、「想像力は知識よりもっと大切である」とのべている。」p.5
・「影の世界を予言する超ひも理論は、大げさな言いかたをすれば、これまでの物質研究の集大成であり総決算ともいうべきものである。それは、これまでのあらゆる物理の理論を包括し、同時に、あらゆる理論をはるかにしのいでいる。」p.9
・「「物質とは何か」「宇宙とは何か」という問題は、<力>を抜きにして語れない。」p.22
・「超ひも理論は、究極の力として、「原始の力」を予言する。すなわち、ある条件の下で四つの力はすべてもっとも根元的な力としての「原始の力」に一本化されている――というのである。」p.24
・「ところで、電磁波にしろ素粒子にしろそれらを用いて何かを見るためには、かならず、電磁波や素粒子が対象と作用する――これを専門的な表現では「相互作用」という――ということが絶対条件になっている。」p.34
・「だがアインシュタインは、自然界の力――重力と電磁力――がある種の物理法則や対称性によって究極的には統合されなければならないという信念をもっていた。アインシュタインが力の統一を追求したのはまちがいではなかった。しかし、「重力」を「電磁力」と統一しようとした戦略は明らかに的をはずれていた。」p.134
・「超ひも理論はたんに力を統合するというだけに止まらない。それまで物質の素材と考えられてきたクォーク・レプトンが、さらに基本的な要素<ひも>からなると主張する。つまり、わが宇宙には超微少なひもが充満しており、そのひもこそあらゆる物質、あらゆる力を生成する根元的な要素である、というのである。」p.152
・「ひものアイディアは今から20年ほど前、南部によって提案された。」p.165
・「その後の研究では、閉じたひもがもつ独自の対称性――数学の言葉でいえばE8×E'8――が発見され、「ヘテロ(混成)型超ひもモデル」と名づけられた。このモデルがもつ対称性(E'8)は、大統一理論の対称性――これは数学の言葉でSU(5)という――よりも大きく、したがって、大統一理論がもつあらゆる性質をそのまますっぽり超ひも理論の内部にはめこんでしまうことができる。これまでに存在する理論のなかで発散とアノマリーを完全に打ち消し、重力を量子力学的に矛盾なく処理できる理論は超ひも理論以外には発見されていない。」p.192
・「ともかく四つの力がすべて一本化する超ひもの世界と、今日われわれが観測できる世界の間には20桁にもおよぶ大きなへだたりがある。しかも前者が高次の対称性をもつ<美しい世界>であるのに対し、わが現実の世界は対称性が大きく破れた<きたない世界>である。」p.215
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【本】春の雪 豊饒の海(一)

2007年04月14日 22時32分52秒 | 読書記録2007
春の雪 豊饒の海(一), 三島由紀夫, 新潮文庫 み-3-21(2400), 1977年
・三島由紀夫の遺作、長編四部作の第一巻。舞台は大正初期の貴族社会。松枝(まつがえ)侯爵家の清顕と、綾倉伯爵家の聡子との恋物語。セレブ度では『華麗なる一族』を上回る世界。「豪華絢爛」だとか「壮麗」という形容が似合う、ただただ美しい文章に圧倒されます。
・三島由紀夫の作品は外国語にも翻訳されているというが、この作品の表現する所を果たして翻訳しきれるのかどうか、甚だ疑問。これは翻訳について考えたとき、この作品に限った話ではありませんが、特にそんなことを感じる純和風の文章でした。
・「彼は優雅の棘だ。しかも粗雑を忌み、洗煉を喜ぶ彼の心が、実に徒労で、根無し草のようなものであることをも、清顕はよく知っていた。蝕ばもうと思って蝕ばむのではない。犯そうと思って犯すのではない。彼の毒は一族にとって、いかにも毒にはちがいないが、それは全く無益な毒で、その無益さが、いわば自分の生まれてきた意味だ、とこの美少年は考えていた。」p.21
・「「貴様はきっとひどく欲張りなんだ。欲張りは往々悲しげな様子をしているよ。貴様はこれ以上、何が欲しいんだい」  「何か決定的なもの。それが何だかはわからない」」p.25
・「女という女は一切、うそつきの、「みだらな肉を持った小動物」にすぎません。あとはみんな化粧です。あとはみんな衣裳です。」p.67
・「「仕合せなときは、まるで進水式の薬玉から飛び立つ鳩みたいに、言葉がむやみに飛び出してくるものよ、清様。あなたも今におわかりになるわ」」p.98
・「聡子のその静かな、目を閉じた白い顔ほど、難解なものはなかった。」p.113
・「どうしたら若いうちに死ねるだろう、それもなるたけ苦しまずに。卓の上にぞんざいに脱ぎ捨てられた花やかな絹のきものが、しらぬ間に暗い床へずり落ちてしまっているような優雅な死。」p.148
・「こうして一人きりになったとき、清顕ははじめてしみじみと桜をふり仰いだ。  花は黒い簡素な枝にぎっしりと、あたかも岩礁に隙なくはびこった白い貝殻のように咲いていた。夕風が幕をはらませると、まず下枝に風が当り、しなしなと花が呟くように揺れるにつれて、大きくひろげた末の枝々は花もろとも大まかに鷹揚に揺れた。  花は白くて、房なりの蕾だけが仄赤い。しかし花の白さのうちにも、仔細に見ると、芯の部分の星形が茶紅色で、それが釦の中央の縫い糸のように一つ一つ堅固に締って見える。  雲も、夕空の青も、互いに犯し合って、どちらも希薄である。花と花はまじわり合い、空を区切る輪郭はあいまいで、夕空の色に紛れるようである。そして枝々や幹の黒が、ますます濃厚に、どぎつく感じられる。  一秒毎、一秒毎に、そういう夕空と桜とのあまりな親近は深まった。それを見ているうちに、清顕の心は不安に閉ざされた。」p.164
・「彼は孤独が休息だとはじめて知った。」p.204
・「生れ変りとは、ただ、僕らが生の側から死を見るのと反対に、死の側から生を眺めた表現にすぎないのではないだろうか。」p.282
・「罪を犯せば犯すほど、罪から遠ざかってゆくような心地がする。……最後にはすべてが、大がかりな欺瞞で終る。それを思うと彼は慄然とした。」p.315
・「咲いたあとで花弁を引きちぎるためにだけ、丹念に花を育てようとする人間のいることを、清顕は学んだ。」p.428
・「門跡は因陀羅網(いんだらもう)の話をされた。因陀羅は印度の神で、この神がひとたび網を投げると、すべての人間、この世の生あるものは悉く、網にかかって遁れることができない。生きとし行けるものは、因陀羅網に引っかかっている存在なのである。」p.461

?ローブデコルテ (フランスrobe deolletee「襟を大きくあけた服」の意)男子の燕尾服に相当する婦人用礼服の一種。襟ぐりを大きくし、袖無しで、肩口や背・胸の上部があらわになり、すそが床まであるもの。
?かだん【果断】 1 (形動)思い切って物事を行なうさま。決断力のあるさま。  2 仏語。煩悩を断つことを子断(しだん)というのに対して、苦果を離れること。
?ごうとう【豪宕】 気持が大きく物事にこだわらないこと。意気が盛んで思うとおりに行動するさま。豪放。
?きょごう【倨傲】 おごりたかぶるさま。驕傲(きょうごう)。
?きょき【歔欷】 すすり泣くこと。むせび泣くこと。
?ひやく【秘鑰】 1 秘密の鍵。他には使用させない鍵。  2 秘密・謎・本質などを解きあかすかくされた手がかり。解明のための深秘(じんぴ)の手段。
?せっかはんりゅう【折花攀柳】 (花を折り柳によじのぼるの意)花流の巷(ちまた)に遊ぶこと。遊里で芸者や遊女と遊ぶこと。
?しんい【瞋恚・嗔恚】 (連声で「しんに」とも)仏語。三毒(貪毒・瞋毒・痴毒)、十悪などの一つ。自分の心に違うものを怒りうらむこと。一般に、怒りうらむこと。瞋。しんね。
?せいたい【青黛】 1 濃い青色。青黒色。  2 青いまゆずみ。また、それをつけた美女。  3 役者などが、鬘をかぶる時、前額に巻いた羽二重に塗って、月代(さかやき)を青くする顔料。また、顔や顎のひげの剃りあとなどにも用いる。
?ひょうそく【平仄】 1 平声(ひょうしょう)と仄声(そくせい)。また、平字と仄字。また、漢詩において、音律上の調和を目的とした句中の平字と仄字の配列の規定。転じて、漢詩のこと。  2 (漢詩を作るとき規定に合わせて平字・仄字を配するところから転じて)つじつま。筋道。「平仄が合わない」
?ざかん【座棺・坐棺】 死者をすわらせていれるようにつくった棺。
?アペリチフ (フランスaperitif)〈アペリティフ〉西洋料理で、食前に飲む酒。食前酒。
?はくさ【薄紗】 薄く軽い織物。
?おかぼれ【岡惚・傍惚】 (「おか」は傍(そば)、局外の意)親しい交際もない相手や他人の愛人を、傍からひそかに恋い慕うこと。また、その相手。
?たく【柝】 拍子木。また、拍子木を打つこと。
?さんてん【山巓】 山のいただき。山の頂上。山頂。
?こしょう【扈従】 (「扈」はつきそう意、「しょう」は「従」の漢音)貴人につき従うこと。また、その人。こじゅう。こそう。
?ちょうちゃく【打擲】 打ちたたくこと。なぐること。
?わへい【話柄】 話の内容、話のたね。語りぐさ。話題。
?へいこ【炳乎】 きわめて明らかなさま。光り輝くさま。
?とっこ【独鈷・独古】(「どっこ」とも) 1 真言密教の修法に用いる、両端が分かれないでとがっている金剛杵。鉄または銅で作られている。独一の真如法界を表し、また勇猛・摧破などを意味するとされる。とこ。  2 織り模様の名。1の形を多くつらねたもの。帯地などに用いる。
?むつき【襁褓】 1 生まれたばかりの子どもに着せる衣。うぶぎ。「むつきの上から養う」  2 幼児の、大小便を取るために、腰から下に当てるもの。おむつ。おしめ。しめし。  3 ふんどし。とうさぎ。
?とじ【徒爾】 無益であること。無意味なこと。むなしいさま。いたずらなさま。「徒爾に終わる」
?こうき【・気】 天上のすがすがしい大気。
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【本】二重らせん

2007年04月09日 22時25分08秒 | 読書記録2007
二重らせん, ジェームズ・D・ワトソン (訳)江上不二夫 中村桂子, 講談社文庫 わ-10-1, 1986年
(THE DOUBLE HELIX, James D. Watson, 1968)

・ワトソン本人による、1953年のDNAの二重らせん構造発見までの回想録、と言うよりも人間ドラマと言った方がしっくりきそう。一部専門的記述も含まれるが、一般向けに書かれたもの。こんなことまで書いちゃっていいのだろうか、と思うほどざっくばらんな内容。一般世界からは縁遠い『研究者』の生活を垣間見ることができ、専門外の人にも興味深い内容ではないでしょうか。
・一般の人には混同されそうだが、『DNAを発見した』(前の話)わけでもなく『遺伝の仕組みを解明した』(後の話)わけでもなく『DNAは二重らせん構造であることをつきとめた』ことによりノーベル賞を受賞。しかしこの仕事が25歳の時のもの(若い!!)だったとは。今回初めて知りました。
・「彼(フランシス)が物理学を離れて、生物学に関心をもつようになった原因は、主として有名な理論物理学者、アーヴィン・シュレディンガーが著した「生命とは何か」を1946年に読んだことにあった。」p.22
・「今回のようなイタリアの学会のために、わざわざ念入りに準備して講演に来る人がいるとは思われなかった。そういう集りは、決まったように、イタリア語を知らない招待者が少しばかりと、おおぜいのイタリア人がいっしょになって開かれるものだが、来訪者にとって唯一の共通語である英語で早くしゃべられると、ほとんどのイタリア人はついていけなくなってしまうのである。こういう集会は、つまるところ、名勝旧跡への遠出がヤマであって、お座なりの意見以外に、ほとんど得るところがないものである。」p.37
・「私は科学に対して、はっと目を開かれる思いだった。モーリスの話を聞くまでは、遺伝子とはつかみどころがない不規則なものではなかろうかという心配があった。しかし、いま、遺伝子は結晶しうることを知った。つまり、遺伝子とは規則正しい構造をもったものであり、正攻法で解決できるということだ。」p.40
・「コペンハーゲンへ帰ってみると、ポーリングの論文がのっている雑誌がアメリカから届いていた。それに大急ぎで目を通し、すぐ読み返してみたが、むずかしくてほとんどわからず、議論のおおよその印象をつかんだだけだった。」p.44
・「しかし、自然界の与える解答は単純なものであるにちがいない、という私の持論はビリーにはぜんぜん受け入れられず、」p.122
・「若い理論科学者、ジョン・グリフィスと何度か話しているうちに、その規則性は重要なことなのではないかという疑いが、彼(フランシス)の頭のなかでカチリと音をたてた。」p.127
・「明日またグリフィスの部屋へ行ってみようと思ったが、いまは彼の興味がぜんぜん別のところにあることを思い出した。恋人がいるようなときには、科学の未来などどうでもよいのは、わかりきっている。」p.132
・「興奮状態の数時間が過ぎると、その日はもう仕事が何も手につかなかった。フランシスと私はイーグル亭へ出かけて行った。夜の開店と同時に、われわれはそこでポーリングの失敗を祝して完敗していた。(中略)まだわれわれに勝目があったわけではないが、とにかくノーベル賞は、まだポーリングの手に渡ってはいないのだ。」p.162
・「突然、ロージィが私たちのあいだにあった実験台の向こうを回って、私に迫ってきた。私は彼女が逆上して私をなぐるのではないかとこわくなり、ポーリングの論文をわしづかみにするや、大急ぎで開いたままのドアのほうへ身をひいた。」p.165
・「すなわちいちばんの障害物は塩基であった。それらが外側に出ているかぎり問題はないけれども、なかへ押しこめるとなると、不規則な塩基配列をもった二本またはそれ以上の鎖をどうやってきちんと並べるかというぞっとするような問題が生じてくる。」p.176
・「が、結局、彼(フランシス)も簡潔な論文のほうが効果的なことを認め、つぎのような一文に落ち着いた。「われわれが仮定した特異的塩基対は、ただちに遺伝物質の複製の仕方についての、ある可能な機構を示唆するものであることは、むろん、われわれ自身気づいているところである」」p.216
・「「われわれは、デオキシリボ核酸(DNA)の塩の構造を提案したいと思う。この構造は、生物学的にみてすこぶる興味をそそる斬新な特質をそなえている」、という書き出しで始まる900語の論文を彼女(妹)がタイプするあいだ、フランシスと私は、身を乗りだすようにしてのぞきこんでいた。原稿は火曜日にブラッグ卿の部屋へ届けられ、四月二日、水曜日には『ネイチュア』誌の編集部あてに送付された。」p.217
・「自分の不治の病を知りながら泣き言もいわず、その死の数週間前まで高度の研究をつづけているロザリンドの姿をみて、だれもが、その厳しい勇気と誠実さに強く心を打たれたのである。」p.223
・「なにがなんでもDNAと思い込み、何を考えていてもすぐにDNAの方に頭がいってしまった当時の自分を思い出すと、あれが結局は自分が勝利をおさめた理由だと思う。」p.230

?きんかい【欣快】 よろこばしく快いこと。愉快。喜び。「欣快の至りです」

《関連記事》
2006.3.24 【論】Watson&Crick,1953,A Structure for Deoxyribose~
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【本】文豪ナビ 太宰 治

2007年04月05日 22時31分38秒 | 読書記録2007
文豪ナビ 太宰 治, 新潮文庫編, 新潮文庫 (7550)た-2-0, 2004年
・太宰が好きである。しかしマニアというほどでもなく、新潮文庫で出ている分は全部読んだという程度。
・太宰治の解説本。『太宰作品ナビ』、『10分で読む「要約」』、『声に出して読みたい太宰治』、エッセイ、評伝、旅コラムなどなど、執筆陣も多彩。若者の活字離れ、を意識しているようで、やわらかめでとっつきやすい構成になっている。
・「内容に共感できる!」という感想が多いのですが、私の場合はあまりピンときません。内容よりもむしろ『天才』を感じさせる文章そのものに惹かれます。  全て「太宰万歳!!」的内容なので、アンチ太宰の声も聞いてみたいところ。
・「ダザイは、自分の実際の人生を美しい物語に書き上げることに絶えず失敗しつづけた。薬物中毒になったり、酒癖や女癖が悪かったり、社会改革の理想を捨てたり、女性と心中事件を何度も繰り返したり。彼は、まったく出来のよくない人生を生きた。」p.27
・「「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」(『右大臣実朝』)」p.28
・「色で言えば、ダザイに最もふさわしいのは、黒。でも、「黒い」と「暗い」は違う。ダザイの黒は、テカテカ光っている。アカルイ黒だ。黒光りのする黒だ。」p.28
・「彼は「壊す人」、すなわち、ザ・デストラクディブ・マン、ザ・デストロイヤーだった。ダザイは、ダザイらしい作風をも破壊しつづける永遠の冒険者だった。」p.31
・「ダザイの小説は、読者の一人一人の心の中の本当の顔を映し出す「鏡」のようなもの。」p.33
・「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。(中略)自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。(『人間失格』)」p.66
・「太宰治を読もう。  いや、ほんと、太宰治を読もうよ。  ここには、「ぼくたち」がいる。セコくて、自意識過剰で、周囲から浮いてしまうことを警戒しながらも他人とはひと味違う自分でありたくて、なのにそれがうまくいかずに落ち込んだりスネたりしている、そんな「ぼくたち」が、太宰治の小説には満載なのだ。(重松清)」p.70
・「太宰治の魅力は、危うさにある。(齋藤孝)」p.83
・「小説家は、何とも言葉にしにくい感覚を的確に言葉にする職業だ。しかもその微妙な感覚を他人の身体に入り込んだ形で表現する。(齋藤孝)」p.87
・「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。」p.93
・「太宰は私たち皆がかすり傷のように持っている心の傷を、自ら切り開いて血を流してみせる。捨て身で、心の傷と傷をすりあわせようとしてくるのだ。(齋藤孝)」p.97
・「私など文字を連ねることで文章を作っていこうとしてしまう。線路を走る列車のように書いてしまう。太宰は違う。何をどう描きたいのかがはっきりとイメージされていて、そのイデアに向かって言葉を色や音色のように自由に使う。「富嶽百景」など、まさに言葉の絵画だ。(田口ランディ)」p.106
・「魂が濃い。そう思った。太宰のどの作品も込められた魂が濃い。(田口ランディ)」p.106
・「太宰治の作品は、もちろん文章としても素晴らしいけれど、特筆すべきなのは、作品に自分の命を注ぎ込んでいるところである。こんなふうに、作品に自分を投影しつづけたら、空っぽになってしまう。(田口ランディ)」p.112
・「太宰は、自分という人間を破壊したかったのだ。(島内景二)」p.119
・「そう、『走れメロス』や『富嶽百景』などの一時期を例外として、太宰は後味の良くない小説を書くことを恥じなかった。(島内景二)」p.128
・「(中原)中也と太宰は、飲み屋でなぐりあいの喧嘩をしている。中也の挑発のペースに、まんまと太宰がハマってしまったのだろう。(島内景二)」p.130
・「太宰のミジメな人生からしたたり落ちた小説が、なぜか読者の心を癒すのだ。これは、奇蹟だ。(島内景二)」p.132
・「「太宰治」というペンネームを使い始めたのは、昭和八年。二四歳からである。それ以前は、本名の津島修治をもじった「辻島衆ニ」や、いかにも労働者風の「小菅銀吉」「大藤熊太」などを用いていた。「山本周五郎」や「綿谷りさ」方式で、友人知人の名前を借用したこともあった。(中略)おそらくそれほど深い考えもなしに名のった名前だったが、名作を次々と発表し、芥川賞の候補に二度もなったりしたので、その名前で最後まで押し通したのだろう。(島内景二)」p.135
・「なぜなら、太宰の素顔は、ザ・デストラクティブ・マンなのだから。彼の生の声は、おそらく「みんな滅んでしまえ。滅びは楽しいぞ。俺も滅びたい」ではなかったか。(島内景二)」p.145
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【本】ドイル傑作集 I ミステリー編

2007年04月01日 20時34分35秒 | 読書記録2007
ドイル傑作集 I ミステリー編, コナン・ドイル (訳)延原謙, 新潮文庫 (1078)ト-3-11, 1957年
・シャーロック・ホームズでおなじみのドイルの短編集。以下の8編収録。他に海洋奇談編、恐怖編もあり。
1.消えた臨急 (The Lost Special)
2.甲虫採集家 (The Beetle-Hunter)
3.時計だらけの男 (The Man with the Watches)
4.漆器の箱 (The Japanned Box)
5.膚黒医師 (The Black Docter)
6.ユダヤの胸牌 (The Jew's Breastplate)
7.悪夢の部屋 (The Nightmare Room)
8.五十年後 (John Hanford and John Hardy)
・どれもニヤリとさせられる。おもしろい。このおもしろさは翻訳によるところも大きいと思う。お気に入りは『悪夢の部屋』。
・「人間が失敗を恐れるのは、その代償を支払わなければならないからだが、」p.35
・「大宇宙のどこかに存在する渺(びょう)たる一個の遊星であるにすぎないこの地球の表面で、とるにも足りぬきわめて些細なでき事がいろんな結果を生み、それがたがいに交錯し、働らきあって、無数の思いもよらぬ実をむすぶことを考えてみると、じつに不可思議な感にうたれる。」p.171
・以下、訳者解説より「ドイルは生前人の質問に答えて、自分は探偵小説家ではなく、歴史小説家であると、はっきりいっているほどである。」p.204
・「なお、この集のなかの「悪夢の部屋」は、およそドイルの作品らしくないものであり、どの短編集にも見あたらず、いつごろの作であるかも訳者には分からない。」p.206

?おちゃっぴい【御茶っぴい】 1 (「おちゃひき(御茶挽)」が変化した語)働いても金にならない、割のあわないこと。  2 女の子がおしゃべりで出しゃばりなさま。年齢に似合わないでませているさま。また、そういう少女。はねっかえり。*雑俳・川柳評万句合‐宝暦一三「おちゃっぴい鼻の穴からけむをふき」
?がむしゃ‐ら【我武者羅】  一つのことにめちゃくちゃに突き進むこと。むこうみずに打ち込むこと。
(この当て字知らなかった…)
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【本】チャイコフスキー物語

2007年03月28日 20時22分38秒 | 読書記録2007
チャイコフスキー物語, 園部四郎, 岩波新書(青版)18, 1949年
・チャイコフスキー(1840-1893)の伝記。『こどもアニメ名作劇場』を思い起こさせるようなタッチで描かれている。現在からみるとかなり古い本だが、当時としては一般的な文体なのでしょうか。また、手元の本は1965年出版の第17刷で漢字が旧字体。ときどき読めないまたは読むのに時間のかかる字が。
・チャイコフスキーについては知っているようで何にも知りませんでした。若いころは朗らかで人気者タイプだったようで、イメージと違った。また、亡くなったのも53歳と若かったのですね。巻末に主要作品一覧が載っていますが、例えばオペラを挙げると、「近衛兵」、「鍛冶屋ワクーラ」、「チェレヴィチキ」、「エヴゲーニ・オネーギン」、「オルレアンの少女」、「マゼパ」、「チャロディカ」、「スペードの女王」、「ヨランタ」…… エフゲニ~のポロネーズを弾いたことがあるくらいで、他はさっぱりわかりません。こんなにオペラ書いてたんだ。。。
・「チャイコフスキーの時代にはロシヤの国民音楽がみごとに花を咲かせた。ムーソルグスキー、リムスキー・コルサコフ、ボロヂーンなどの天才はグリンカおよびダルゴムィジスキーの遺業を立派に受けついで、ロシヤ音楽を世界の音楽界においてかがやかしい地位を占めるまでに高めたのである。」p.2
・「「チャイコフスキーには何か他の学生とちがった、人の心をひきつけるものがあったにちがいない。善良で、温和で、同情深く、自分自身に対して至ってのん気なところ……」とトルチャニノフの回想のなかに書かれれている。」p.38
・「「私がその一生を音楽に捧げるようになたのはモーツァルトのおかげだ。彼は私の音楽的能力に最初の一撃をあたえ、私をしてこの世の何物よりも音楽を愛するに至らしめた……」  とチャイコフスキーは書いた。」p.41
・「彼には紙を口でかむ変な癖があった。」p.54
・「当時のロシヤではイタリア歌劇が盛んだったので彼はロッシーニ、ドニゼッチ、ヴェルディ等のイタリア・オペラをよく知り、愛好していたが、ベートーヴェンが交響曲をいくつ書いたかは知らなかった。素人の間ではほとんど知られなかったヨハン・セバスチャン・バッハ、ロベルト・シューマンといった作曲家をチャイコフスキーは全く知らなかった。」p.60
・「ラロシはその友の音楽的才能を正しくみとめ、予言した唯一人であった。」p.64
・「ニコライ・ルービンシテインは1860-70年代にチャイコフスキーの作曲した交響曲のほとんど全部の最初の演奏者であった。チャイコフスキーはニコライ・ルービンシテインの音楽的感覚の正確さと音楽の趣味とに強く信頼していたので、ときどき彼の演奏後に新作品のテンポを改訂したほどであった。」p.70
・「交響曲「冬の幻想」によってチャイコフスキーは十九世紀最大のシンフォニストとして音楽史のなかに名をとどめ、そしてベートーヴェンとならび称されるに至った。この曲は清い青春の新鮮さにみち、せん細な詩情にあふれる名曲であった。この作品は彼の最初の交響曲であったが、全く成熟し、完成したものであった。この交響曲は彼の全生涯を通じ最も愛した自作のひとつとなった。」p.80
・「ただ時間がほしい。もっと多くの時間がほしい。  頭のなかでは巣箱のなかの蜜蜂のようにメロディーが表現を求めてひしめきあっている。彼はこのメロディーのうずに巻きこまれて、無我夢中で創作する。」p.110
・「彼の財布は万人の財産であった。  彼には拒絶ということができなかった。彼の名がたかまるとともに請願者の数もました。」p.118
・「指揮棒をふってみたいというのは、チャイコフスキーの久しい宿願であった。ただ生来の内気がそれを抑えていたのである。」p.172
・「彼は二年ほど前、ヴォルガ旅行のときのことを思いだした。彼をチャイコフスキーと知るものはいなかった。その時彼は船室で自分のロマンスを歌うある婦人の伴奏をしたことがあった。この婦人はチャイコフスキーに伴奏上の注意をした。  「チャイコフスキーはこんな風に考えるということですわ。」  とこの女は御本人を前にして説明した。こんなことを思いだして思わず苦笑しながらチャイコフスキーは船室にむかうのであった。」p.182
・「「この交響曲(悲愴)より優れたものを私はこれまで書いたこともないし、これからも書けないだろう。」と深く信じていた。  10月16日、音楽会は開かれた。聴衆は拍手し、作者を舞台によびだしはしたが、やはり管弦楽の人たちと同じようにこの交響曲がわからなかった。  これがチャイコフスキーの指揮した最後の音楽会となった。」p.193
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【本】取材学 探求の技法

2007年03月22日 22時19分30秒 | 読書記録2007
取材学 探求の技法, 加藤秀俊, 中公新書 410, 1975年
・取材≒情報の扱い方について。広義の"取材"がテーマ。良書。
・以前読んだ立花隆の本(書名失念)とかなり内容が被る。
・「じぶんが知りたいと思っていることは、どこかにかならずある。しかし、そのどこかが正確にわからない。だから、われわれは、このおどろくべき情報時代のまっただなかでタメ息をつき、絶望的になってしまう。  この本は、そのどこかがどこであるのかを知るにはどうしたらよいのか、をかんがえるための本である。あるいは、情報ジャングルのなかで効率よく道を発見し、歩いてゆくための一種の技術書である。」p.i
・「みずからすすんで独自の知的好奇心のおもむくままに、なにかを知ろうとする姿勢――それを若い世代の人びとに期待したい、という気持からわたしはこの本を書いてみたのである。」p.ii
・「しかし、その職業のいかんを問わず、経験の深い職人さんとの会話のなかで、かならず出てくる共通したひとつの重要な話題があることに気がついた。それは、材料が悪かったら、どうにもならない、という話である。」p.3
・「取材という行為もまた、いかにしてよい材料を手にいれるか、がキメ手なのである。」p.8
・「いや、学問というものは、そもそも取材からはじまるのである。」p.14
・「こんにちのいわゆる情報化社会では、すべての人間が取材者なのである。いや、すべての人間が取材者であるような社会が情報化社会というものなのであろう。」p.17
・「わたしが、この本で取材と名づけるのは、情報を使うことである。取材の立場とは、積極的、主体的に情報を使う立場のことである。」p.21
・「だいたい、情報というものは洋の東西を問わず、ごく一部のエリートがひそかに独占していたものなのである。だから、情報を使うどころか、あつめることさえむずかしかった。だいたい、ふつうの人間が情報をあつめる、などというのはありえない話であった。」p.22
・「こんにちの教育は情報化時代のなかで主体的に生きるための知恵をいっこうに教えてくれていないのだ。」p.23
・「しかしわたしのかんがえでは、情報を使う立場をきずいてゆくための唯一の手がかりは問題を発見することなのである。」p.24
・「わたしは、この問題だけはなんべんでもくりかえし強調したい。とにかく日本の教育、とりわけ学校教育はそれぞれの個人がもっているすばらしい問題発見能力をおしつぶすことのみに専念しているのである。  その原因は、陳腐なようだが、現行の入試制度にある。」p.27
・「問題さえっはっきりしていれば、それにこたえる情報というのは、あたかも磁石に鉄粉が吸いよせられるように、しぜんにあつまってくるものなのだ。」p.30
・「どうやら、取材というのは、それぞれの個人の問題発見にもとづき、その問題解決のために必要な情報をえらび出すこと、といったふうに定義できるかもしれない。」p.30
・「だいたい、われわれは、識字率の高い日本という国に生れあわせたおかげで、文字というものを軽く扱う習慣がついてしまっているようだ。」p.43
・「くどいようだが、現代社会ではたいていのことは文字や数字になってきちんと整理されているのである。(中略)よき取材者は、リファレンス・ブックスのよき利用者ということと同義なのだ。」p.45
・「大きな全集だの著作集だのにとって、索引というのは絶対に必要だ。索引なしで全何十巻、という本をならべてみても、ほんとうにどこからどう手をつけてよいかわからない。(中略)しかし、日本の出版界では、本に索引をつけることをあまりしていない。」p.53
・「情報の処理はコンピューターにまかせたらよいが、情報をあつめ、分類し、評価するのは人間のしごとだ。」p.78
・「1975年版の『出版年鑑』によれば、その前年度一年間の日本の書籍の出版点数は合計20940点、つまり、一日あたり、およそ57冊の新刊書が出版されている勘定になる。」p.79
・「さいきんの若ものたち、とりわけ学生たちがめったに古本屋に足をはこばないことがわたしには気になる。学生たちの多くにとって、どうやら書物というのは流行歌なみの存在で、古本というのは、なんとなく時代おくれの骨董品、といったような意味しかもっていないようなのだ。(中略)古本屋を歩く、ということは情報の鑑定眼をやしなうためにもたいへんに有効な方法である。」p.82
・「新刊書というのはあたらしいことが書いてあるようで、じつのところ、それほどあたらしいとはかぎらないのである。わたしじしんも、ひとりの著者としてこれまで何冊かの書物を書いてきたのだが、古本屋だの図書館だのでむかしの本に出会い、その著者がわたしの書いたのとおなじことを、わたしよりもはるかにくわしく、じょうずに書いてあるのを発見し、たいへんに恥かしい思いをすることがよくある。」p.84
・「どっちみち、人間のすることというのは、時代がかわり、社会がかわってもたいしてちがったものではありえない。おなじようなことを人間はくりかえしてきているのである。」p.85
・「やや乱暴な言い方かもしれぬが、学者とジャーナリストのちがいは、前者が主として活字を情報源とし、後者がひとの話をおもな情報源としている、という点にあるといってもよいだろう。」p.96
・「つまり、話をきくということは問うということなのである。(中略)ひとをたずねて取材する能力は、べつなことばでいえば問う能力ということにほかならない。」p.101
・「いまの日本人、とりわけ若い学生たちに欠落している能力は、問う能力だ、とわたしは思う。」p.102
・「わたしはこれまでの体験のなかで、大記者、名記者といわれる人たちにたくさん会ったが、そういう人はひとりの例外もなく、柔和で、謙虚な人びとであった。」p.114
・「日本人は会話がへただ、とよくいわれる。たしかに、これだけ同質の単一民族が小さな島国にながいあいだ住みつづけてきていることも手つだって、われわれはあまりしゃべらないし、全般的に話すことがじょうずでない。」p.115
・「山や川は、けっしてことばによって語りかけてはくれない。だが、この、ものいわぬ風景そのものもまたわれわれの感覚器官になにごとかを訴える「情報」であることにかわりはない。」p.125
・「おなじ富士山でも、こうもかわった姿をみせるものか――わたしはこの連作版画をながめるたびに感動する。そして同時に、現地に行き、取材するということもまた、この「富嶽三十六景」に似たところがあるのではないか、と思う。」p.145
・「数あるニュースのなかには誤報もある。何万冊もの書物のすべてが全面的に信用できる、という保証もない。とすると、取材する人間にとってもっとも必要なのは、どの情報が正しいか、という「情報の鑑定学」であろう。」p.156
・「要するに、ぼう大な量の書物をひやかしてみるのである。教科書だの古典だの、きまりきった本にしかなじみのない学生などは、とりわけこうした知的散歩によって、古今東西の人間の知恵のゆれ幅の大きさを知るべきであろう。」p.161
・「わたしが名づける知的散歩というのはそういう無目的な情報行動のことであり、もしもわたしにいわせていただくなら、こうした知的散歩こそ、じつは人生における最大の快楽なのだ。」p.162
・「学芸は長く、人生は短し、という格言は正しいのである。われわれは、未完成品をたくさんのこしながら死んでゆくものなのだ。」p.172
・「まず、われわれとしては、そうした情報あつめを可能にしてくれた情報源、つまり、先人の業績だの、黙々とカタログや索引をつくってくれている人びとだの、あるいは談話取材に応じてくれた人びとだの、そうしたすべての人びとに感謝しなければならないだろう。」p.175
・「取材者の警戒すべき悪徳は独善と尊大である。目標とすべきは、人間的愛情と謙虚さである。そして、ここに使った「取材」ということばは、この書物の文脈からいえば、それを「学習」ということばで置きかえていただいても結構だ。われわれの一生は取材の連続であり、学習の連続なのである。」p.181
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【本】タイムスリップ・コンビナート

2007年03月18日 22時28分18秒 | 読書記録2007
タイムスリップ・コンビナート, 笙野頼子, 文春文庫 し-30-1, 1998年
・『タイムスリップコンビナート』(1994年芥川賞受賞作)、『下落合の向こう』(ある電車内の風景)、『シビレル夢ノ水』(どんどん成長し巨大化する蚤の描写が不気味)の三編収録。同著者の作品は、『なにもしていない』を10年以上前に読んだ記憶があります。内容は全く忘れてしまいましたが、その作品と今回ではかなり作風が変っている印象があります。ずいぶんハジけてます。意味不明系文学。
・本編に登場する『海芝浦駅』。ちょっと行ってみたいかも。
・結局、本編よりも巻末の『あとがきに代わる対話 笙野頼子 ラリイ・マキャフリイ』が一番興味深かった。(なんて書くと皮肉でしょうか)
・書き出し→「去年の夏ごろの話である。マグロと恋愛する夢を見て悩んでいたある日、当のマグロともスーパージェッターとも判らんやつから、いきなり、電話が掛かって来て、ともかくどこかへ出掛けろとしつこく言い、結局海芝浦という駅に行かされる羽目になった。」p.9 小説の内容はこの冒頭三行で全て。
・以下、『あとがきに代わる対話 笙野頼子 ラリイ・マキャフリイ』より
・「最初からこの作品のテーマとして考えていたことは、「恋愛には相手が必要なのか」ということでした。たとえば、「源氏物語」で紫式部は、庭に風が吹いているという描写だけでも恋の雰囲気を伝えることができた。」p.169
・「たいていテーマを先に決めています。長篇か短篇かによって違いますが、作品の三分の一、1、20ページから50ページは即興で書きます。残りはテーマに沿うように意識して書いていきますが、書き出す前に十分に考え抜きます。でも、計画を練るというよりも、自由連想に近いですね。神様が私にインスピレーションを与えてくれるまで待つんです。」p.174
・「40年以上前、私の母は女性で初めて三重大学に合格しました。農学を専攻して、大学ではとても人気があったそうです。抑圧もされたでしょうが、大切にもされたようです。就職活動のとき、前例がまったくなかったので、男性と同じ条件で就職しました。最初は東芝で金属材料の研究をしました。」p.175
・「三島由紀夫の初期のものは好きですね。印象に残るのは「仮面の告白」です。あと、森茉莉も好きです。彼女は、女性の視点からの幻想的な男子同性愛を文学化した最初の作家ですね。」p.176
・「 自分を突き詰めていくと、作品がどんどん非現実的になっていくわけですね。
マキャフリイ それはまったくジェイムズ・ジョイスかないか。
」p.177

?コノテーション 言語記号の潜在的・多層的意味をいう。共示。例えば小学校は、一般的には「義務教育の場」であるが、その共示は、ある人にとっては「懐かしい時代」であり、教育学者にとっては「教育制度の一部」である。
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