映画食い倒れ。

~映画は人生のデザートです~

個人的覚え書きのため、たまにネタばれありです。

『Amy』

2016年01月09日 | 映画~あ~
2015年 イギリス映画


2011年に27歳で亡くなった、歌手エイミー・ワインハウスのドキュメンタリーです。

とても評判がよい映画で、いつか絶対に観たいと思っていた作品です。昨日、BAFTA(イギリスアカデミー賞)で2部門にノミネートされたとの発表があったばかりで、同日にテレビでも放送されていたので観てみました。

本当によく出来たドキュメンタリーでした。まず一番驚いたのが、彼女が歌手として成功する前の映像が多数残っていたこと。友人たちと撮ったプライベートの映像で、エイミーはどちらかと言うとシャイな、本当にどこにでもいる「普通の」女の子なのです。ただ普通でないのは、彼女の歌声。16歳、17歳の時に撮られたその映像の中で友人のためにバースデーソングを歌っているのですが、見た目の若さと彼女から発せられる歌声のギャップに一瞬頭が混乱するほど。完全に成熟し、深みを増した歌声なのです。

18歳でレコード契約を結び、本格的に歌手としてのキャリアがスタートします。この時期に撮られたインタビューでは、当然といえば当然ですが、本当にしっかりと自分の意見を話し、音楽へのこれ以上ないほどの純粋な愛が溢れ出ています。私が彼女を目にし始めた2005、2006年あたりにはほぼ完全にいわゆる彼女へのイメージ…大きな髪型、痩せた体、ドラッグ、アルコールの問題にまみれ、ボロボロの格好でロンドンのカムデン地域を歩いている…が確立していたので、普通に話せる彼女を見たのは、もしかしたらこの映画が初めてだったのかもしれません。


「今溢れている音楽は、私にとっては音楽じゃない。…だから私は自分で本当の音楽を見つけてきて、それを聴いてそこから学んでいるの」(意訳)と10代の彼女が答えていたのが印象的でした。彼女が魅せられた音楽というのがジャズで、「ジャズを聴いている私、カッコいい」というセルフイメージのための言葉ではないことは、彼女の歌声を聞けは誰も疑わないでしょう。ジャズが好きになったのは、父親の趣味も大きく影響していたようです。

さらに、「自分が経験したことしか書けないけど、私は私なりに本当の音楽を生み出すための挑戦をしている」とも。確かに彼女の歌の歌詞は、痛々しいほどにどれもリアルで、彼女を知っている人であれば、どの歌で誰との関係を、その時どんな状態だったかが手に取るようにわかるほど、まるで誰かの日記を読んでいるのではと錯覚するほど、包み隠さずに出しきっていることがわかります。これが、彼女の音楽に対する真剣さ、嘘偽りのない本気の愛で真っ向勝負をしていたことの現れでもあり、「私は歌手でない。ジャズシンガーなの」と他のアイドルやポップ歌手とは一括りにするなという強い意志が感じられます。それと同時に、あまりに純粋で強すぎるからこそ、自分の体を守るための鎧さえ身につけず、裸一貫ですべてを音楽に投げ出していった彼女の強さと弱さは、感動するとともに悲しくもあります。


子供の頃から家庭内に問題を抱えていたというバックグラウンドを持つエイミー。特に父親との関係は複雑です。小さいころに母親を捨てて出て行った父親。ほとんど会うこともなかったのに、成功してからは、常に父親をそばにおき、一緒にツアーにも同行されています。しかしこの映画の中でも、その関係の危うさが随所に露見しており、つい先程(2016年1月9日)、その父親が「この映画に描かれていることは全く持って嘘だ」とツイートしたことがニュースになりました。


また、2006年ごろに後の夫となるブレイクとの出会いを機に、それまで問題を抱えながらもなんとか保っていたバランスが完全に崩されます。また、ずっと仲の良かった幼なじみたちとの間にも溝ができ始めたのもこの頃です。


実はわたくし、彼女のステージを見たことがあります。2008年のイギリス、グラストンベリー・フェスティバルで、その時に、一緒に参加した人たちと冗談交じりに「彼女が亡くなる前に見ておかなきゃね」といいながら、彼女のステージに向かった覚えがあります。2008年時には、すでにアルコール、ドラックの問題が取り沙汰されており、「エイミー=クレイジー」というイメージが定着していました。実際、そのステージでも、常にフラフラとしており、立っているのがやっとという状態。そんな彼女をカバーすべく、バックシンガーたちが本来ならばスターの後ろでひっそりとコーラスをするという役割のはずなのに、それはもう必死になって踊り歌い、ステージをなんとか成立させようといった、完全に「普通ではない」状態でした。

ただ、若いがために、そして彼女のどうしようもない程の歌唱力の高さのために、どんなに彼女自身の状態が悪くとも、それなりに声は出てしまう。それが果たして良いことなのか否か。拒食症、そしてドラッグの使用、常に酩酊状態という問題山積みので私生活の失態を晒しても、テレビや舞台にたてば完全でなくとも歌が歌えてしまうからこそ、彼女を完全に休ませることなく、どんな状態でも仕事を続けさせてしまったのではないかと思いました。


このドキュメンタリーを見ながら思い出したのは、ブリトニー・スピアーズ。彼女が元バックダンサーと結婚し二児の母親になり、更に離婚。あの当時のブリトニーは誰から観ても完全におかしく、最終的には頭を剃り上げるまでに。でもそこまで状況が悪化して、それが誰の目にも明らかだったからこそ、少しの間仕事から離れることができたのではないか。逆に、髪の毛が伸び、一件普通に見える状態にまで戻ると、どんなに精神が病んでいても表舞台に立たされてしまう。使い古された言い方だけど、まさに「操り人形」。ブリトニー・スピアーズは商品であって人間でないという扱われ方。『Gimme More』というシングルをリリースした時は、ショウビズ界の恐ろしさを感じたのを覚えています。しかし、現在のカムバックを見ていると、その業界で生き抜いていく強かさが彼女には培われていたのだなと感心します。



彼女が亡くなる数日前、疎遠になっていた幼なじみに電話があり、この時はここ数年では珍しくドラッグも泥酔もしていない状態で話していたとのこと。そしてその内容は、それまで彼女がしてきた無茶により、友人たちを悲しませてしまったことに対する謝罪だったといいます。そして、新しいアルバムの制作に向けて動き出し、最悪の状態からやっと抜けだしたかのように見えた矢先の突然の死。


これまで、どんなに彼女の曲が好きだったとしても(実際、今も聴いていたりしますが)「ドラッグに大量飲酒にやりたい放題やっての結果なのに、どうして彼女を神格化しようとするのか」という意識が少なからずありました。今も彼女が住んでいたロンドンのカムデンには、数あるストリート・アートのなかに彼女の顔をいくつか見つけることもできます。しかし、このドキュメンタリーを見て、彼女がたまたま抜群に音楽のセンスに恵まれた、生まれ持ってのクレイジーなドラックジャンキーという印象から、「音楽が好きで好きでたまらなかった、一人の若い女性」という見方に変わり、そして痛々しいほどに純粋さを持ち続けた彼女を愛おしく感じます。


一番印象的だったのは、アメリカのグラミー賞で彼女のアルバムが年間ベストアルバムにノミネートされ、その発表がされる直前の様子。彼女は別会場におり、モニターから賞の会場の様子を見ています。その舞台上にプレゼンターであるトニー・ベネットが現れた瞬間の彼女の顔。ずっとずっと憧れてきた歌手が、モニターを通じてはいますが目の前に現れ、その時の彼女の純真無垢な、小さな子供のような表情。作ろうと思って作れる表情ではなく、ただ好きで好きで仕方がない、そのあこがれの人への視線が本当に愛おしく、これこそがタブロイド上を賑わせていた泥酔写真からはわからなかった、本当の彼女の素顔の一面だったんだと胸が熱くなりました。


もちろんエイミーへの愛情はこの上ないのですが、彼女を被害者として涙をさそうのではなく、とても中立な立場で作られている作品だと思います。

日本での公開は、2016年の夏頃になるとのこと。音楽ファンの方は必見です!




おすすめ度:☆☆☆☆☆




画像元:http://www.express.co.uk/entertainment/music/578637/Amy-Winehouse-unseen-footage


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