映画食い倒れ。

~映画は人生のデザートです~

個人的覚え書きのため、たまにネタばれありです。

「マッチポイント ~Match Point~」

2009年01月30日 | 映画~ま~
2005年  イギリス映画


ウッディー・アレン監督、スカーレット・ヨハンソン主演のサスペンス。ウッディー・アレンの映画って、たぶんまともに見たことあるのって「アニーホール」のみ。主演のダイアン・キートンがキャラクターもファッションもとても魅力的で、男女が出会って別れるまでを描いた物語なんだけど、その表現法も面白くて楽しめた覚えがあります。

でもそれ以外のアレン・フィルム『ハンナとその姉妹』『世界中ガアイラブユー』は苦手で何度か手を出したけど(5年以上前)途中でギブアップだったり。アレン独特の単調なテンポに飽きてしまうのよね。好きな人は好きなんだろうけど。


で、なぜか見ることになったマッチ・ポイント。スカーレット・ヨハンソンが好きなので、彼女がアレン映画の中でどう撮られているか興味があった。映画は、まさしく「アレン映画」でスロースタート。全然テンポが上がらない。たぶんひとりで見てたらまた途中で止めてたと思います。もちろんそのゆっくりなテンポの中でだって物語は進んでいくし、いろいろな展開があるのだけど、間延び?たぶんこれがアレンのリズムなんだけど、私が楽しめるリズムではないのね。映画館で見てたら、確実に寝てた。断言できるわ。


これだけ、展開が遅いとか間延びとか言ってるけど、忘れちゃいけない。これ、サスペンスなのよ。こんなに緊張感のないサスペンスも珍しいと思うんだけど、でもサスペンスなの。私的に物語が動き始めたのは、最後の30分(遅っ)。


ああ、なんだか今になってはスカーレット・ヨハンソンの色っぽさしか覚えてないわ。クラシカルな洋服、女性らしいファッションがものすごく似合うのね、この人。若いんだけど、艶があって落ち着きがあって。そらこんな人が身近にいたら、私が男だったらメロメロになるわ。この映画の魅惑の女性としてぴったりなのね。

あ、そうそう、全然内容について触れてなかったけど、彼女の存在が男性を惑わし、彼の立場を危うくさせてしまうのね。彼女が物語の核なわけ。たまに映画の中ですごく納得のいかない「魅惑の女性(もしくは男性)」がいるんだけど、彼女はまさに!なのよ。え?具体例??ええっと、『トロイ』の中でオーランド・ブルームの彼女?運命の女?役の人。この人がいたがためにトロイの中で彼らは国を捨てて逃げることになるんだけど、まぁ納得のいかない「運命の女」なわけよ。見た目がね。いや、美人なんだけど・・・魅惑的には映っていないのよ。もう、いいんだけど。


ということで、この映画の私的見所はスカーレット・ヨハンソンの魅惑オーラでございます。若いのにすごいわ、あの人。


この映画、アメリカ映画だと思い込んでたら、イギリス映画なのね。へ~。




おすすめ度:☆


「ウォーリー ~WALL-E~」

2009年01月29日 | 映画~あ~
2008年 アメリカ映画


昨年の12月に帰国した際、日本の本屋の店頭でこの『ウォーリー』のコマーシャル映像が何度も何度も流れていたのね。「700年間ずっとひとりで掃除をし続けていたお掃除ロボット」(←記憶あいまい)みたいなフレーズが頭を駆け巡るわけ。もう、そのフレーズ聞いただけで泣きそうになったわよ。700年間って。もうさ、可哀想すぎて、映画の中とはいえそういう設定にしたアニメーター?監督?製作者??とにかく作った人に「人でなし!」と敵意を持ちそうになるほど。いじめだわよ、こんなの。酷すぎるわよ。ということで、帰りの飛行機の中で見ました。


映画の中ではなんでウォーリーだけが地球に残されていて、一人で黙々と掃除を続けなきゃ行けないのかは描かれていなくて、状況説明がちょっと足りないような気がしました(←仲間はみな壊れてしまったらしい)。映画は、うーん、なんか『モンスターズ・インク』のモンスターがキティーを連れて逃げ惑うシーンみたいな感じ。あのシーンが1つの映画になったような。それなりに楽しめるんだけど、満足度が低いのよ。

人間たちはゴミだらけの地球を捨てて、宇宙船で生活しているのね。仕事は全部ロボットの任せて、人間はリクライニングチェアに座ってるだけ。暇つぶしのテレビやゲーム、スカイプみたいなテレビ電話。その椅子からは降りることも離れることもなく、テレビ電話以外直接誰かと話をすることがないのね。食べ物も飲み物の、呼べばロボットが持ってきてくれる。異常な空間。でも、思ったわ。「映画の中の話」、「アニメ」と割り切ってみていられないから、「異常」だと言う感情が生まれるのよね。そう、なんかそのうちそういう社会が出来上がるんじゃないか、という不安を煽られたのよ。人間が「ただ」生きているだけの状態。この間の『ディファイアンス』と対極なわけよ。生き方が。動かないから、皆丸々太って骨も退化。現代社会へのアンチテーゼなのかしら。ロボット云々よりも、こっちのほうが気になって仕方なかったわ。船長がヒーローになり、人々の歓喜喝采を受け地球に戻ろうとするところは、とっても「アメリカ」。ここにもヒーローがほしかったのね。


ウォーリーが探して大切にしてきた植物の芽。『サンシャイン』を思い出しました。こちらはあまり好きではなかったけど。



この映画、残念だったのは、描こうとしているテーマはいくつかあるのだけど、どれもなんか中途半端に終わっていてどれも描ききれてないのね。子供向けだけどきちんと問題提起ができ、しかも面白く、大人が見ても楽しめる映画ってたくさんあるけど、これは表面だけをなぞらえた感じ。まぁ、問題提起をしようなんてさらさら思っていないのかもしれないけど。


ただね、ウォーリーは文句なくかわいいのよ。ロボットを「かわいい」と言うのはちょっと自分の事ながら許せないんだけど、それでもかわいいわけ。ウォーリーが悲しそうな表情をすると、胸が締め付けられるほど。だって、700年も一人で働いてきたのよ?もうこれ以上かわいそうな思いさせないでよ!と。あ、なんか私、設定に泣かされてるわね。実際機内で涙したもの(まじ)。


大人にはちょっと物足りないような気がします。子供向きかな。



おすすめ度:☆☆★

『バベル ~Babel~』

2009年01月25日 | 映画~は~
2006年 アメリカ映画


どこでこの映画の感想を読んだのか聞いたのか、その情報の出所は覚えていないけど、「絶望的な気分になる」と言っていたのがとても印象に残っていた。そういう映画の場合、あくまで私個人の場合だが、「見るタイミング」を誤ると、その後自分が落ち込んでなかなか回復できなくなったり大変なことになる。シリアスな映画や考えさせられる映画の場合、自分がすでにちょっと元気がないときだったりするともう大変。その後の生活に影響を及ぼすほど落ち込んだりする。大袈裟じゃなくて、これ、本当に。

だから、「絶望的な気分になる」という感想を聞いて、「これは気をつけねばいけない作品だ」と警戒していた。世界中で起こった、一見何の関係もないような出来事が、本人たちも気づかぬところで繋がっているという内容の映画。その中で東京も描かれていて、役所こうじと菊池凛子の演技の評判が良いとも聞く。ものすごく見たい。でも結局「うまいタイミング」が見つけられず、映画館には行かなかった。



そして先日、やっといいと思えるタイミングがめぐってきた。2年間蓄積された期待を裏切らないすばらしい映画だった。そして少なくとも「絶望的な気分になる」映画ではなかった。いくつかの物語が同時進行で進められ、皆がどこかで繋がっているという作りは『ラブ・アクチュアリー』『クラッシュ』などと同じ手法なのだけど、『バベル』ではそのつながりをお互いに認識していない。日々のちょっとした出来事が、別の国での大きな出来事に繋がっているのだけど、そのつながりが本人たちには見えていない、と言うのがものすごく皮肉で同時にものすごく現実的。


出演している俳優陣はものすごく豪華で皆主役級なのだけど、話がそれぞれに独立しているからかお互いの個性を殺しあうことなく1つの映画の中で共存しています。やっぱりお気になるのは菊池凛子さん。演じた女の子の役柄の過激さも当然あるのだけど、台詞が少ないのにどんどん彼女の世界に引き込まれていきます。10代の女の子の飾り気の無い素直な感情が、台詞が無くとも表情から存分に伝わってきました。

最近特に、日本が舞台の一つとして描かれる作品が多いですが、この映画は結構うまく描けていたんだじゃないかと思います。ただ、ファーストフード店と思われるお店で、茶碗と箸で食事をしている光景は無理やり日本らしさを埋め込んだ感が強くて「ハリウッドの中の日本」を抜け出せていないように感じましたが。

ウィキペディアでこの映画についての項目(2009年1月25日現在)を読みましたが、菊池凛子さんが聾者を演じたことに関しての反対の動きがあったんですね。ここ読むまで知りませんでした。手話と聾者の認識にマイナスの影響を与えると言う理由だそうですが。確かに凛子さんの演じたチエコはの行動はものすごくショッキングだけど、聾者全員に彼女のイメージを重ね合わせて見るかといわれると、私に関してはそういうことはありません。ただ、そういう障害を持った人が身近にいない人、もしくは少しでも偏見を持っている人にはそういう感覚を持たれる可能性が無いとは言い切れないな、と思いました。少なくとも私はこの記事を読むまで、そこまで想像できませんでしたが。ただ、彼女の演技はすばらしかったことは事実。そしてこの映画に描かれた聾者の女子高生たちの日常を見ることで、今まで考えたことの無い視点だったので考えさせられたし、そういう現状があるということに気づかされよかったと思います。


リチャードがベビーシッターの女性を電話で罵るところとか、スーザンが彼に再び心を開き始めるところとか、孤独な心を抱えた女子高生の葛藤やそれゆえの行動とか。人間の美しさや醜さや、滑稽さ。そういう素直な感情の側面をうまくえがいた作品だと思いました。

リチャードとスーザンの面倒をずっと見てくれたツアーガイドにお金を渡そうとするシーン。結局彼は受け取りませんでした。メキシコ人女性が共に迷子になったアメリカ人の子供たちを懸命に救おうとするシーン。チエコと父親が向き合うシーン。それのシーンを見たとき、確かに暗いし重いし、絶望的な面も描いた映画なのだけど、実はとても前向きなメッセージがふくまれた作品であると感じました。




おすすめ度:☆☆☆☆


『ディファイアンス ~Defiance~』

2009年01月20日 | 映画~た~
2008年・2009年  アメリカ映画



息を吐く間もない展開。まさにこの言葉がぴったりの映画だった。第二次大戦下、ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺、強制収容所に収容するために「ユダヤ人狩り」を行っていた時代。4人の兄弟が先頭に立ち、何とかナチスの追っ手から森へ逃げ込んだユダヤ人たちとともにコミュニティーを形成し、戦禍を生き延びる物語。実話を元にした映画です。


主演のダニエル・クレイグは007の役柄と「戦う男」という点は共通しているのですが、なんていうの?ベクトルが違うとでも言うのかしら。スマートな身のこなしのイギリス政府の孤高のスパイとは対極の、森で身を潜め仲間とともに戦う泥臭さのあるヒーローです。彼が長男トュービア。次男がザス(リーヴ・シュレイヴァ-)、三男アザエル(ジェイミー・ベル)そして四男アーロン(ジョージ・マッケイ)。まぁ、この兄弟たちの年が離れすぎているというのは目を瞑りまして。この3人がまったく兄弟には見えないのだけど、もうほんと、そんなことはどうでもよくて、それぞれのキャラクターが立っていて特に上3人の配役で映画が締まっています。


やっぱり好きなのでこの人を褒めずにはいられないのだけど、三男を演たジェイミー・ベル。『リトル・ダンサー』に始まり、テレビドラマの『バンド・オブ・ブラザーズ』、『ジャンパー』『父親たちの星条旗』とすでにキャリアも確立しているのだけど、この映画の中では若さ、あどけなさ、初々しさを見事に表現していてその演技力の高さに驚かされます。兄の後ろをついていくだけで精一杯だった少年から、兄たちの後姿を見て成長し、コミュニティーを引っ張っていけると期待できるほどにたくましく勇敢な青年に育つまでの変化。どうしたらここまで演じ分けられるのだろうと感心するくらい。

俳優たちはイギリス人、アメリカ人がほとんどなのだけど、映画の中ではナチスの脅威におびえるユダヤ人。なので基本は英語の台詞ですがドイツ語もあり。英語はドイツ訛でしたが、これってドイツ人が見たらやっぱり「・・・。」ってなるのかしら。ま、それを置いておいてもものすごい映画です。


トュービアが戦禍を生き延びるこの戦いの中で一番大切だと説いたのは、「人間らしく生き、人間らしく死ぬ」ということ。どんなに切羽詰った状況でも、理性を捨てた動物のように自分が生き延びることばかりを優先し、罵り合ったり争うのではなく、コミュニティーとして皆が共に生き伸びること、皆平等にそして助け合うこと。人間としての尊厳を決して失わないこと。

そのコミュニティにいる誰もが、親兄弟など身近な人々を殺され、いつ自分たちが殺されてもおかしくない状況にいる。その状況下で「人間の尊厳を守ること」を説き、その考えの下で共同生活をし、そして生き延びた人々。共同生活だったからこそ可能であり生まれた考え方なんじゃないかと思う。正直この兄弟なら、自分たち4人の方が動きやすいし、何百人分の食料の心配だってしなくていい、第一誰かに守ってもらわなくても戦えるし、「生きる」というか「死なないでいる」にはその方が楽だったと思う。しかしこの人たちは皆で生活し生きることを選んだ。それはどんな生活や方法でも良い訳ではなく、「人間として生活する」ことを選んだからなんじゃないかと思う。

次男は考えの違いからコミュニティーを離れ、敵(ドイツ軍)と戦う(と言うか殺しにいく)道を選ぶ。


次男を演じたリーヴ・シュレイヴァー。見たことがあるような気がするのだけど、全然どの映画なのか思い出せませんでしたが、調べてみるとかなり多くの映画に出演している様子。私は見ていませんが『スクリーム』シリーズとか。1999年にデンゼル・ワシントン主演の『ハリケーン』と言う映画があるのですが、たぶんこれで彼を見てうっすらと顔を覚えていたようです、私。しかも彼、ナオミ・ワッツの旦那さんだったのね。知らなかったわ。


このコミュニティー内で、教育や宗教といった文化面に広く従事した元編集者のアイザック役に、『イン・ハー・シューズ』でローズの恋人役だったマーク・フュ-アステイン。この人、賢そうな役似合います。


戦況に翻弄された人々の生活、想像しきれない戦況の恐怖におびえながらも生き抜いた人々の生き様、コミュニティーの難しさ、人間の尊厳、立場によって見方の変わる命の重さ、尊さ。いろんな要素が詰まっていて、状況は全く異なっていても現代に通じるテーマであり、考えさせられる映画です。移動しては住む場所を作り、また戦禍にさらされては場所を移動し。終わりの見えない旅路に耐えた人々の強さにただただ圧倒されます。映画のエンドロールで、このような生活がさらに2年間続いたと書かれていて、やりきれないと言う言葉では表現できない感情に襲われました。

こんな状況下に私は当然のことながら置かれたことが無く、「命」とか「生きるすべ」とか「生き方」とか、私がこんな言葉を使って意見を述べること自体ものすごくおこがましいことは重々承知の上なのだけど、ここは「映画の感想」としてあえて素直に思ったことを書かせて頂きました。


日本では2009年2月14日から上映予定だそうです。バレンタインですね。すばらしい映画ですが、デート向きではありません。





おすすめ度:☆☆☆☆☆


注:公開年度を2008年、2009年と書きました。この映画、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされていた作品で、それに間に合わせるために一部のみで2008年に公開されていたとのこと。2009年に一般公開となったとのことなので、両方の年を記載しました。




『イン・ハー・シューズ ~In Her Shoes~』

2009年01月14日 | 映画~あ~
2005年 アメリカ映画

キャメロン・ディアスとトニー・コレット主演のドラマです。トニー・コレットは製作総指揮も兼任しています。監督も女性のようで、女性特有の目線で丁寧に描かれた映画だと思います。


正反対の性格、キャリア、スタイルを持った姉妹二人の関係を軸に、家族との関係を描いた作品。内容は軽い感じのものではありませんが、映画全体の色彩やキャスティング、物語の進め方により過剰な重圧感はあまり感じません。だからといって派手な映画でもありません。コメディーのはじけるようなテンポや笑いや、アクションや映像などの「ごまかし」がない分、俳優陣の演技力が試される作品といえると思います。


好きで何度も見てる映画って、感想を書くの難しいわ。1度見ただけなら印象に残った箇所について書けばいいのだけど、何度も見ているといろんなところが見えてきて絞りきれないのね。・・・まぁ言い訳はこのくらいにして。


トニー・コレットは『リトル・ミス・サンシャイン』のお母さん役もやっていたんだけど、もう全然違うのね。確かに同じ顔なんだけど、別人に見えるの。完全に。同僚(マーク・フェゥアスタイン)に食事に誘われても、もう本当に仕事以外のことに興味がなくて、その断り方も「興味のなさ」がばればれで、かなりきつい態度なのよね。そしてその自分の態度のきつさに自分は気がついていない・・・というところまで、見事に表現しているのよ。自分の容姿に自信がなくて、美人の妹にどこか引け目を感じている姉。仕事と彼との不倫とご褒美の靴。彼女の視界に入ってくるのはそれだけ。だから職場の人たちの自分への目線や同僚からの好意にも全然気がつかない。ある意味幸せなような気もするわ。そのくらい周りが見えなくなれるというのは。もしかしたら、それ以外を見ないようにしているのかもしれないけど。


演じる役柄だけでなく、女優として抱く印象もとても対照的な2人なのだけど、この映画の中では2人ともとても抑えた演技をしていてその技術の高さに驚きました。コメディーのように喜怒哀楽を大きな表情の変化やわかりやすい動作であらわすのではなく。同じ「悲しさ」でもその悲しみの深さの1mmの違いを表現しきっているような。「喜」から「怒」という感情の変化や違いではなく、同じ「喜」ならその感情の中での度合いというか。特にキャメロン・ディアスのこういう表現に驚かされました。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』のときもダニエル・デイ・ルイスに引けをとらない演技力の高さは感じたけど、コメディーのイメージが強いから、余計に驚きだったのね。


「自分に自信が持てないから」、仕事に没頭してその心の溝を埋めようとした姉と、「自分に自信が持てないから」、その時々の楽しさや快楽で心の溝を埋めようとした妹。そして2人が抱えているトラウマには共通の理由があって、それが晴れていくと同時に彼女たちの表情や態度、服装や話し方まで変わっていく。『プリティー・ウーマン』見たいな強引なのではなく、本当に穏やかに地味に、でも確実によい方向に。



ローズが「弁護士」という肩書きを捨て、事務所の外の人たちと交流を持つようになり、いつもスーツだったのがカジュアルな服装になって行き顔つきまで変わっていく姿、なんだかすがすがしい気持ちになります。肩の力が抜けたと言うか。別に弁護士としてがんばっているのが悪いということでは決してないのだけど、のびのびしている彼女の姿が見ているこちらの気持ちまで心を軽くしてくれます。これ、どんな環境であれ日本で働いた経験のある女性なら共感できるんじゃないかな。

派手な映画ではないけれど素敵な場面がちりばめられた、そして丁寧に作られた映画だと思います。その割りにキャメロンの水着姿はしっかり(?)あってちょっと笑えるけど。かなり女性的な視点が色濃く反映された映画なので、男性には物足りない感もあるかもしれませんが素敵な映画です。



おすすめ度:☆☆☆☆

『いとこのビニー ~My Cousin Vinny~』

2009年01月09日 | 映画~あ~
1992年 アメリカ映画


これ何年前の映画なんだろう、と調べてみたら92年でした。17年前ですよ。当時私は中学生だったんだけど、この映画でマリサ・トメイがオスカーを獲ったことを覚えています。でも映画自体は見たことがなかった。いや、何度か見ようとしたのだけど、10代にわかる面白さではないのよ。だから毎回ものの15分くらいで挫折してました。

今回飛行機に乗ったときに、どういうわけかこの映画が選択リストの中にあって(だって17年前の映画だもの。このチョイスにびっくりよ。)もう迷わず見ました。なんか、「やっとこの映画を見て楽しめる年齢になったんじゃないか」というよくわからない自信(?)みたいなものがあって。機が熟した、みたいな(←おおげさ)。


いやー、面白かったわ。

内容はというと、都会っ子の学生2人がアラバマ州の田舎町をドライブ中。いろいろな偶然が重なりひょんなことから殺人容疑で逮捕されてしまう。自分の容疑を晴らすために雇ったのはいとこのビニー(ジョー・ぺシ)。しかしビニーにとってこれが弁護士としての初仕事。司法試験に落ち続け、最近弁護士資格を手に入れたばかりの新米。婚約者のモナ・リサ(マリサ・トメイ)とアラバマ入りしたのは良いが、裁判経験ゼロのビニーは裁判を闘うどころかその用意も進め方も、何をするべきなのかもさっぱりわからない。このままでは完全な負け戦。さてどうなる?・・・といった感じ。



主演はジョー・ペシ。ジョー・ペシって頭がつるつるしてたようなイメージがあったから、最初は彼だと気づかなかったんだけど・・・どうも私、ダニー・デビート(『ツインズ』『バットマン』のペンギン男)とごちゃ混ぜになっていたことがたった今判明。見事に2人の人物を一体化し、それぞれの名前も顔も知っているし作品だっていくつか見ているのに、私って、私って・・・。


弁護士が主役のドラマって、たぶん99%はものすごく頭の切れる人たちの議論合戦・どうやってトリックを見破るかというミステリー要素が強い作品が多いと思うのだけど、この映画はまずそこが違います。ジョー演じる弁護士ビニー、ダメダメなんです。いや、駄目どころの話ではなくそれ以下なんです。法廷にはジーパン、革ジャンで現れるし、手荷物は計算用紙とボールペンのみ。相手の弁護士がスーツを着て、革鞄からたくさんの参考資料などを取り出すのと見事に対照的。資料が少ないとか安物のかばんやスーツではなく、そもそもそれらを持っていない!法廷用語も全然わかっていなくて、審議の進め方もわからない。弁護士ではなく、親戚のおじさんが急遽出てきたみたいな雰囲気。胡散臭いんだけど、曲者というよりは「こ、この人大丈夫?」と心配になるほど弁護士として信用、信頼できる要素が皆無。見てるこっちが「ええぇ・・・」って力が抜けるほど頼りない。その設定が独特で新しささえ感じます(17年前なんだけど)。

ジョー・ぺシが映画のテンポを完全に操っていて、とにかく間延びせずワクワクし通しです。

そして抜群のスパイスがマリサ・トメイ!もうたまりません、マリサ!!!あの時代の、肩幅が2倍になるような肩パッドのスーツやレオタード。どれもものすごく派手で、頭も爆発していて、化粧も結構きつめで、正にあの時代!なのです。80年代後半から90年代初頭のケバケバしくて女性が強さを求め始めたあのファッション。特に黒地に花柄の全身タイツ(下着でなく一応洋服です)なんて、何処で買ったの?・・・っていうか、そのチョイスに脱帽!!!と脳裏に焼きついて離れないほど強烈。またマリサ、似合ってるのよ。意外におしりが大きくて驚きでした。ヒスパニック系なのかしら?体系とか顔つきとか。

そして少年たちを助けることになる彼女の供述のシーンはもう痛快。ものすごく「女性」の身なりの彼女が車に詳しくて、その知識を披露し相手の供述を打破していくシーンはたまりません。なんていうんだろう、聞いていて身を乗り出してしまいたくなるほど惚れ惚れとする知識と姿勢で、「モナ・リサ、よくやった!」とガッツポーズしたくなっちゃうほど。

ジョー・ぺシとマリサ・トメイのコンビが本当にはまっていて抜群なんです。映画の中だけど、どうしてモナ・リサがビニーの婚約者なのかは不思議ですけど。何で選んだんだろう・・・と。でもこのでこぼこ加減がものすごくいい。そしてモナ・リサのファッションと知識と柔軟さのギャップがものすごくいい!身近にこんな人がいたら、すごく魅力的で目が離せないと思います。


古い映画ですが、おすすめ!このビデオ(DVD)のジャケットが最高にかっこいいです。



おすすめ度:☆☆☆☆★