映画食い倒れ。

~映画は人生のデザートです~

個人的覚え書きのため、たまにネタばれありです。

『Amy』

2016年01月09日 | 映画~あ~
2015年 イギリス映画


2011年に27歳で亡くなった、歌手エイミー・ワインハウスのドキュメンタリーです。

とても評判がよい映画で、いつか絶対に観たいと思っていた作品です。昨日、BAFTA(イギリスアカデミー賞)で2部門にノミネートされたとの発表があったばかりで、同日にテレビでも放送されていたので観てみました。

本当によく出来たドキュメンタリーでした。まず一番驚いたのが、彼女が歌手として成功する前の映像が多数残っていたこと。友人たちと撮ったプライベートの映像で、エイミーはどちらかと言うとシャイな、本当にどこにでもいる「普通の」女の子なのです。ただ普通でないのは、彼女の歌声。16歳、17歳の時に撮られたその映像の中で友人のためにバースデーソングを歌っているのですが、見た目の若さと彼女から発せられる歌声のギャップに一瞬頭が混乱するほど。完全に成熟し、深みを増した歌声なのです。

18歳でレコード契約を結び、本格的に歌手としてのキャリアがスタートします。この時期に撮られたインタビューでは、当然といえば当然ですが、本当にしっかりと自分の意見を話し、音楽へのこれ以上ないほどの純粋な愛が溢れ出ています。私が彼女を目にし始めた2005、2006年あたりにはほぼ完全にいわゆる彼女へのイメージ…大きな髪型、痩せた体、ドラッグ、アルコールの問題にまみれ、ボロボロの格好でロンドンのカムデン地域を歩いている…が確立していたので、普通に話せる彼女を見たのは、もしかしたらこの映画が初めてだったのかもしれません。


「今溢れている音楽は、私にとっては音楽じゃない。…だから私は自分で本当の音楽を見つけてきて、それを聴いてそこから学んでいるの」(意訳)と10代の彼女が答えていたのが印象的でした。彼女が魅せられた音楽というのがジャズで、「ジャズを聴いている私、カッコいい」というセルフイメージのための言葉ではないことは、彼女の歌声を聞けは誰も疑わないでしょう。ジャズが好きになったのは、父親の趣味も大きく影響していたようです。

さらに、「自分が経験したことしか書けないけど、私は私なりに本当の音楽を生み出すための挑戦をしている」とも。確かに彼女の歌の歌詞は、痛々しいほどにどれもリアルで、彼女を知っている人であれば、どの歌で誰との関係を、その時どんな状態だったかが手に取るようにわかるほど、まるで誰かの日記を読んでいるのではと錯覚するほど、包み隠さずに出しきっていることがわかります。これが、彼女の音楽に対する真剣さ、嘘偽りのない本気の愛で真っ向勝負をしていたことの現れでもあり、「私は歌手でない。ジャズシンガーなの」と他のアイドルやポップ歌手とは一括りにするなという強い意志が感じられます。それと同時に、あまりに純粋で強すぎるからこそ、自分の体を守るための鎧さえ身につけず、裸一貫ですべてを音楽に投げ出していった彼女の強さと弱さは、感動するとともに悲しくもあります。


子供の頃から家庭内に問題を抱えていたというバックグラウンドを持つエイミー。特に父親との関係は複雑です。小さいころに母親を捨てて出て行った父親。ほとんど会うこともなかったのに、成功してからは、常に父親をそばにおき、一緒にツアーにも同行されています。しかしこの映画の中でも、その関係の危うさが随所に露見しており、つい先程(2016年1月9日)、その父親が「この映画に描かれていることは全く持って嘘だ」とツイートしたことがニュースになりました。


また、2006年ごろに後の夫となるブレイクとの出会いを機に、それまで問題を抱えながらもなんとか保っていたバランスが完全に崩されます。また、ずっと仲の良かった幼なじみたちとの間にも溝ができ始めたのもこの頃です。


実はわたくし、彼女のステージを見たことがあります。2008年のイギリス、グラストンベリー・フェスティバルで、その時に、一緒に参加した人たちと冗談交じりに「彼女が亡くなる前に見ておかなきゃね」といいながら、彼女のステージに向かった覚えがあります。2008年時には、すでにアルコール、ドラックの問題が取り沙汰されており、「エイミー=クレイジー」というイメージが定着していました。実際、そのステージでも、常にフラフラとしており、立っているのがやっとという状態。そんな彼女をカバーすべく、バックシンガーたちが本来ならばスターの後ろでひっそりとコーラスをするという役割のはずなのに、それはもう必死になって踊り歌い、ステージをなんとか成立させようといった、完全に「普通ではない」状態でした。

ただ、若いがために、そして彼女のどうしようもない程の歌唱力の高さのために、どんなに彼女自身の状態が悪くとも、それなりに声は出てしまう。それが果たして良いことなのか否か。拒食症、そしてドラッグの使用、常に酩酊状態という問題山積みので私生活の失態を晒しても、テレビや舞台にたてば完全でなくとも歌が歌えてしまうからこそ、彼女を完全に休ませることなく、どんな状態でも仕事を続けさせてしまったのではないかと思いました。


このドキュメンタリーを見ながら思い出したのは、ブリトニー・スピアーズ。彼女が元バックダンサーと結婚し二児の母親になり、更に離婚。あの当時のブリトニーは誰から観ても完全におかしく、最終的には頭を剃り上げるまでに。でもそこまで状況が悪化して、それが誰の目にも明らかだったからこそ、少しの間仕事から離れることができたのではないか。逆に、髪の毛が伸び、一件普通に見える状態にまで戻ると、どんなに精神が病んでいても表舞台に立たされてしまう。使い古された言い方だけど、まさに「操り人形」。ブリトニー・スピアーズは商品であって人間でないという扱われ方。『Gimme More』というシングルをリリースした時は、ショウビズ界の恐ろしさを感じたのを覚えています。しかし、現在のカムバックを見ていると、その業界で生き抜いていく強かさが彼女には培われていたのだなと感心します。



彼女が亡くなる数日前、疎遠になっていた幼なじみに電話があり、この時はここ数年では珍しくドラッグも泥酔もしていない状態で話していたとのこと。そしてその内容は、それまで彼女がしてきた無茶により、友人たちを悲しませてしまったことに対する謝罪だったといいます。そして、新しいアルバムの制作に向けて動き出し、最悪の状態からやっと抜けだしたかのように見えた矢先の突然の死。


これまで、どんなに彼女の曲が好きだったとしても(実際、今も聴いていたりしますが)「ドラッグに大量飲酒にやりたい放題やっての結果なのに、どうして彼女を神格化しようとするのか」という意識が少なからずありました。今も彼女が住んでいたロンドンのカムデンには、数あるストリート・アートのなかに彼女の顔をいくつか見つけることもできます。しかし、このドキュメンタリーを見て、彼女がたまたま抜群に音楽のセンスに恵まれた、生まれ持ってのクレイジーなドラックジャンキーという印象から、「音楽が好きで好きでたまらなかった、一人の若い女性」という見方に変わり、そして痛々しいほどに純粋さを持ち続けた彼女を愛おしく感じます。


一番印象的だったのは、アメリカのグラミー賞で彼女のアルバムが年間ベストアルバムにノミネートされ、その発表がされる直前の様子。彼女は別会場におり、モニターから賞の会場の様子を見ています。その舞台上にプレゼンターであるトニー・ベネットが現れた瞬間の彼女の顔。ずっとずっと憧れてきた歌手が、モニターを通じてはいますが目の前に現れ、その時の彼女の純真無垢な、小さな子供のような表情。作ろうと思って作れる表情ではなく、ただ好きで好きで仕方がない、そのあこがれの人への視線が本当に愛おしく、これこそがタブロイド上を賑わせていた泥酔写真からはわからなかった、本当の彼女の素顔の一面だったんだと胸が熱くなりました。


もちろんエイミーへの愛情はこの上ないのですが、彼女を被害者として涙をさそうのではなく、とても中立な立場で作られている作品だと思います。

日本での公開は、2016年の夏頃になるとのこと。音楽ファンの方は必見です!




おすすめ度:☆☆☆☆☆




画像元:http://www.express.co.uk/entertainment/music/578637/Amy-Winehouse-unseen-footage

『x+y』

2016年01月02日 | 映画~あ~
2015年 イギリス映画


2016年の映画初めは、『x+y』でした。これ、大満足の作品です。

ネイサンは、幼少期に自閉症の一種であると診断される。そのため人とのコミュニケーションが上手く取れず、特に母親のジュリーは息子との関係に常に悩む。同時に、ネイサンの数学に対する能力はずば抜けており、9歳にして中学校レベルの数学を勉強すべく、数学教師をしているハンフリーの特別講習をうけることになる。後に数学オリンピックのイギリス代表に選ばれたネイサンは、自分以上に数学のできる個性豊かなチームメイトや他国代表の学生たちと出会い、人の感情やかかわり合いを少しずつ学んでいく。


まず、とにかくリアル。登場人物たちのそれぞれの立場、感情、キャラクターが、本当に上手く描かれていて、一人ひとりの人格がしっかりしています。個人的には、母親ジュリーの気持ちに寄り添って映画を観ていました。というのも、同じではありませんが、似たような状況になったことがあり、ネイサンや彼のチームメイトのような「人間とのコミュニケーションが苦手な人達」に囲まれ、苦労した経験があるからです。

以前、IT系企業のエンジニアが集まる部署に数年務めていたことがあるのですが、彼らがまさにネイサンや数学オリンピックの代表達のようなタイプでした。人により程度の差はありますが、目を合わせられない、挨拶ができない、会話の中で適切な言葉選びができないから相手を怒らせたり傷つけたりするということが多々ありました。最近よく聞く「アスペルガー症候群」も軽度自閉症の一つです。数字のように、正解不正解がはっきりしているものに関してはいいのですが、そうでないもの、例えば人の気持ちを考えること、表現をオブラートに包むこと、TPOに合わせた話題を選ぶことが上手くできなかったりします。


それでも、職場は変えればなんとかなります。結局は他人ですから。でも親子の関係は選べない。更に、パイプ役であった父親が亡くなってしまったことで、母親はどうにか歩み寄ろうと努力するも諸刃の剣。よくわからない数学の方程式でうめつくされたノートを目にして、「これは何?私にも教えて」と小学生の息子に聞いてみても、「お母さんは賢くないからわからないよ」と相手にさえしてもらえない。学校への見送り時のハグも拒否され、数学オリンピック合宿の為台湾に旅だった息子からは、無事に到着したという電話の一本さえない。母親を馬鹿にしている、というよりはどうして無事を伝える電話をしなくてはいけないのか、どうして握手やハグをしなくてはいけないのかが純粋にわからないわけです。

台湾合宿では、同じくイギリス代表候補に選ばれた仲間や、中国代表たちとの交流から、これまで出会ったことのない人々と接する機会に恵まれます。ネイサンのように相手を気遣った言葉選びができないがために友人ができず、孤独に苛まれてしまうチームメイト。自分の賢さから天狗になってしまうもの。他のメンバーの自己顕示欲の強さに煩わしさを感じる者。また初めて自分を異性として見てくれた人。数学に長けているという一つの共通点で集まったメンバーにも、本当に様々な違いがあり、ここでもコミュニケーションや人間関係構築の難しさが浮き彫りに。そういう、現実社会で本当に問題になっている、でもあまり表面には出てきにくい微妙な葛藤を、繊細に、そして的確に描いています。

特に印象に残っているのは、ネイサンのチームメイトのルークの自傷行為が発覚するシーン。「ただ数学が人よりできるから数学をやっているだけ。別に好きでもなんでもない。でも数学で人より優れていなければ、ただの変わり者になってしまう」…代表から外れてしまったあとの彼の言葉には、はっとさせられます。人に対して無神経な口の聞き方をすることから彼らには感情がないように思えてしまうのですが、他人と人間関係を築けないことのストレスからうつ病になる人も多くいるのも事実です。それがこのシーンに集約されていて、胸がつまりました。


とにかく、どの俳優さんもとにかく素晴らしくて、正直一人ひとりに賛辞を送りたいところなのですが、出来るだけかいつまんで行きます。

ネイサンの母親ジュリーを演じたのは、大好きなサリー・ホーキンス。もうもう、わたくし彼女が大好きで、彼女が出ているとその映画への安心感が増すほど。この映画でも抜群のうまさで、言葉としてセリフには起こされていない母親の孤独感や誰かに頼りたいという心の叫びが彼女の演技からにじみ出てきます。

ハンフリー先生役のレイフ・スポールは、どうやらこれまでに幾つもの映画で彼を観ていたようなのですが、私がはっきりと覚えているのは『I Give It a Year』という作品のみ…。これ、イギリスのコメディー映画なのですが、B級寄りの作品(にしてはキャストは豪華)で、これを見ただけではこんなにうまい俳優だったのかとは気づきませんでした。レイフさん、素晴らしかったです。もちろんスクリーンライターによるセリフがそもそも素晴らしいのでしょうが、このハンフリー先生の人格が、彼の演技によってしっかりと輪郭が現れています。この人がその辺の学校に務めていても驚かないくらい、とてもリアル。

もう何度も言っていますが、イギリス映画の良さって、人物像のリアルさだと思うのです。この映画も例外ではなく、この加減が絶妙です。


そして、ここ1、2年感心しつづけていること。それはイギリスの若手俳優たちの台頭と演技力の高さ。本当にどんどんと新しい才能が出てきています。この映画もメインは10代(役柄)の学生たちなのですが、見事にみんながうまい。主演のエイサ・バターフィールドはもちろんですが、個人的イチオシは、彼のチームメイト役だったアレックス・ローサー(Alex Lawther)。最近では、カンバーバッチ主演の『イミテーション・ゲーム』にも出演しているようですが(未見)、実は今年の夏に彼の舞台を見たのです。と言っても、彼の存在を知っていたわけではなく、たまたま誘われて観に行った舞台が彼主演の『Crushed Shells and Mud』という作品で、これがもう、興奮して眠れなくなるほど素晴らしかったのです。こちらも10代の3人の若者が主役の作品なのですが、この3人の演技力と言ったら。後に出演者を調べてみたところ、皆テレビドラマや映画の経験が長く、きちんとキャリアを積んできている俳優さんたちだったのですが、まだ二十歳前後の彼らの演技力の高さ言ったら!イギリスは本当に音楽と演技の才能に溢れてた国だと身を持って実感しています。


映画の感想に戻りますと、気になったのが中国代表でネイサンに好意を抱くチャン・メイ(多分こういう読み方。英語ではZhang Mei)。彼女は映画の中では、自閉症的な疾患はない人物として描かれていると思いますが、彼女のあまりに突飛な行動にイライラ。大事な数学オリンピック本番前日に、好意のある人のベッドに潜り込むって一体どんな神経をしているのか!翌日中国チームの監督であり伯父(もしくは叔父)にそれが発覚し、当然ながら怒られるのですが、彼女の理屈では「どんなに頑張っても、自分が選ばれたのは伯父がいるからこそのコネだと言われ、女だからと対等に見てもらえない」と数学オリンピックをボイコットして飛び出します。


全然理屈になっていない。


他の出場者のベッドに潜り込むのことは全く持って別のこと。性差別を訴えるのなら、そこで女を使うな、と。映画としては、彼女のこの猪突猛進な愛情表現?のおかげで、ネイサンは人を愛するという感情や悲しみといった感情を徐々に理解し始めることになるので、お母さんとしては結果オーライなのでしょうが、この役柄が中国人でなく他のヨーロッパ人という設定だったら、話の設定としてこういう行動を取らせていたか?という疑問を正直持ちました。そこに、作り手の特定の人種や国に対するステレオタイプなイメージがあったのではないか、という印象を受けました。

また、この当たりからエンディングにかけて一気に話が動き始めるのですが、それまでがいいペースで来ていたのに一気に飛ばし過ぎな印象も。映画としてこのエンディングに持って行きたいという気持ちはわかるし正解なんでしょうが、それまでと全く異なるスピードに切り替わってしまったことで、このエンディングの良さを受け入れたいという気持ちを強く持ちつつも、ちょっと白けてしまったのも事実です。


ちょっと残念だと思ってしまう部分はあるものの、とても丁寧に繊細に作られた素晴らしい作品です。


最後に、イギリスチームの監督役にエディー・マーサンが出ているのですが、彼はどこでもしっかりと良いスパイスを加えて、作品をしめてくれます。今回の役柄も、チームの10代の子供同様に、典型的「数学はできるけど言葉のチョイスがいつも間違っている」タイプで、チョイ役ですが絶妙です。



どうやら日本での公開は未定なようで、日本版のタイトルは今のところ見つけられませんでした。
それでも機会があればぜひ!



おすすめ度:☆☆☆☆★



画像はこちらのサイトより:http://macbirmingham.co.uk/event/x-y/

『おくりびと』

2011年11月26日 | 映画~あ~
2008年 日本映画


実はいま、イギリスではテレビで放送中なのです。
去年の帰国時に日本でDVDをレンタルして、うちの祖母と一緒に見たこの映画。そういえば感想書いてなかったなぁと(いつもどおり)ふと思いましてね。このブログもほったらかしだったし。久々の更新ですが、なんだかいつも以上に反感を買いそうな内容になるような…あくまで個人の感想ですので、あしからず。


おくりびと(納棺師)という職業、この映画を見るまで知りませんでした。でも、どんな職業に対しても偏見とか差別とか、もちろん無くはないんだろうけど、妻(広末さん)の「汚らわしい!」というセリフは強烈だったなぁ、といまだに思い出します。でも、例えば葬儀屋さんとかに対して「汚らわしい」なんて思ったりする?亡くなることって、人生の一大イベントで、その後のお葬式などの一連の儀式ってなくなった本人よりもむしろ、残された家族の為の儀式。それをつつがなく執り行われるようサポートしてくれるのが葬儀屋さんや納棺師さんなわけで、むしろある種の尊敬すら覚えると思うのだけど…それを自分の家族が職業として選ぶこととは違うのかしら。それとも地方によって偏見や見方は異なる??

「お前ら、死んだ人間で食ってんだろ?」というセリフも。
もうね、わかんないんですよ。まだ30代のあてくしには、納棺師や葬儀屋さんって幸い身近なわけではなくて、かなり未知の世界。全く知らないわけです。だからそういう職業に対する「イメージ」というものすらない。だから映画の中で出てくる「納棺師に対するイメージ(偏見)をはっきりと持っている人たちの態度」というものに、賛成も反対もできない。

ある意味ね、この映画は私にとって「衝撃体験」だったのかもしれません。もちろんこれが本当のこの職業の姿ではないのかもしれないし、あくまで映画なのだけど。それでも納棺という儀式、この映画で見るかぎりでは、正直美しいと感じました。亡くなった人への尊敬、そして残された人たちへの尊敬を形にするような仕事なんだな、と。もちろん、そういう「美しい」仕事ばかりではなくて、仕事御始めたばかりのモッくんが遭遇した「キッツい現場」もあるんでしょうけど。

先ほどの暴言(セリフ)を吐いた俳優さん。名前は存じませんが、素晴らしい演技でございました。


でもね、カタギの仕事をしている旦那に「汚らわしい」と吐き捨てて出ていくような嫁、そんなひとでなしな女とは別れろ!モッくん、別れてしまえ!!!と心のなかで叫んだわよ。

実はモッくん(シブガキ隊も知っている世代なので、本木さんは私の中ではいつまでもモッくんのまま。ららら~)の「オモシロ演技」ってもともと苦手で、だからどんなにいいと言われても映画自体を見る気になれなかったというのが本音。モッくん若かりし頃の『ファンシーダンス』とか『シコふんじゃった』とか。『おくりびと』のなかでも、「ああ、モッくん!」とちょっと個人的に辛い「オモシロ演技」もあったのだけど、それでも映画自体は素晴らしかったと思います。だからやっぱりテレビで放送してると見てしまうんですよね。でも・・・


・・・・・・・・


広末涼子さん。


自分が高校生の時は広末さん本当にアイドルで、ドラマにも歌番組にも引っ張りだこ。かわいいという印象はあったのですよ。でも、三上博史と出ていた『リップスティック』の不良少女役が全然不良少女に見えなくて、更に相手が三上博史だからなのか、演技力の差が素人目にも痛々しくて。そしてその後に見たのが、映画の『秘密』。この時のお相手が小林薫で、もちろん売れっ子の広末さんは「演技力が高い」と評判だったので、きっと彼女も女優として成長しているんだろうと思ってみてみたら、全然変わってなくて、もう見るに耐えなくて途中で止めたくらい。

この映画でも、全体のレベルと広末さんの存在(と演技)のギャップが強烈すぎて…正直、辛かったです。彼女が出てくると映画自体に集中できなくなるほど。この配役を恨んだくらい。どんな役でも「常に可愛らしさを忘れない(はあと)」っていうのが全面に出てるような。「行ってらっしゃい(はあと)」「わー、米沢牛!(はあと)」…。もちろん役柄が「健気で明るい妻」なんだろうけど、健気というよりは状況が全くわかっていないように見えるのよ。モッくんの妻ではなく、広末涼子なの。演技でなく、広末涼子として笑顔を振りまいているようにしか見えないの。すいません、言葉きついけど、これ正直な感想よ。

たぶんね、広末さんに合うドラマや映画もあると思うんですよ。『ケンジとヤスコ』に出てた時(帰国時に1回だけ見た)、「ああ、広末さん!この役抜群に会ってるじゃない!」と思ったもの。今更言っても遅いかもしれないけど。


でもね、やっぱりこれって個人の趣味の問題じゃないですか?それにファンの方だっているだろうし。友達とこの映画の話をした時も、自分からはあえて言わなかったのですよ。でもね、私が言い出さなくても友人たちが先人を切ってくれたの。「映画よかったよね…広末涼子以外は」。しかもね、3人も。別々の機会に、友人3人が3人とも私の心にそっと秘めていたこの思いを口にしてくれたのよ。ある意味有難かったけど。


私個人の感想なんだけど、日本の女優さん(いや、韓国の女優さんも)って、どんな映画や場面でも、常に「美しさ」「かわいさ」を失わない人多いですよね。それがありがたがられて「さすが女優、どんな場面も美しい!」という評価になるのかもしれないけど、個人的にはその方向は好きではないのですよ。演技だから「リアリティがない」というのはおかしな話かもしれないけど、話の内容より、ドラマや映画の質より、己の美が最優先!というところ。いや、もしかしたら女優さんたちの考えではなく、事務所だったり映画やドラマの制作の意向で「常に美しく」なのかもしれないけど、正直ね、白けるんですよ。

「プラダを着た悪魔」のメリル・ストリープのすっぴんの場面覚えてます?メリルだとわかっているのに、メリルに見えなくらい地味な顔が画面いっぱい。一個人の単なる映画好きに、「メリル、いいの?」と本気で彼女の今後のキャリアを心配してしまったほど。
「フラガール」の富士純子さんの演技、覚えていますか?炭鉱の町しか知らない女性。化粧っけなんかまるで無くて。いつもは凛とした着物姿しか見ていなかったから、あのギャップにもものすごく驚いたんですよ。それと同時に、「ああ、日本の女優ってすごい人がいるんだ」と嬉しさのあまり彼女に拍手を送りたくなったほど。


話が飛びましたが、『おくりびと』、面白かったです。そして山形県の風景が、本当に本当に美しい。でも広末さんが好きでない人には、ある意味辛いかもしれません。



おすすめ度:☆☆☆★ (しつこいのは承知ですが、広末さんの演技が良かったら、4つ星は確実でした。)

『英国王のスピーチ ~The King's Speech~』

2011年01月20日 | 映画~あ~
2011年 イギリス映画 


予告編を一度も見ることなく、話の内容も殆ど知らない状態で見に行くことになった『英国王のスピーチ』。イギリスでは、映画がゴールデン・グローブ賞の最優秀作品賞、主演俳優コリン・ファースが最優秀主演男優賞にノミネートされており(コリンは受賞!おめでとう!!!)話題を集めている作品です。


実話が元になっているこの映画。吃音症(きつおんしょう、どもりなどで人前でうまく話せない症状…アタクシが読めないのでよみがな付き☆)を持っているアルバート王子は、スピーチが苦手。しかし皇室の王子という身分のため、大勢の民衆を前にスピーチをしなければならないことがしばしば。そのたびに苦い思いをしてきた。この吃音症を克服するためのトレーニング、オーストラリア人トレーナーのライオネルとの友情を描いたドラマです。


まず、なんといってもこの映画の見所はキャストの豪華さ。アルバート王子・後のジョージ6世をコリン・ファース。その妻でエリザベス妃をヘレナ・ボナム・カーター。そしてオーストラリア人のトレーナー役は、オーストラリア人のジェフリー・ラッシュ。この3人がひとつの映画に出ていると聞いたら、観ないわけにはいきませんわ。


映画が始まって5分で、もう心がどっぷりと映画に引き込まれてしまったほど、最初から「この映画が良くないわけがない」とある種の自信と、そして映画に対しての信頼を感じることができます。そのくらいいい。コリンの演技、もう「素晴らしい」という言葉では安っぽく聞こえてしまうんじゃないかと心配になるほど、素晴らしい(やっぱり他の言葉が見つからない…アタクシの表現力・苦)。コリン・ファースは個人的に好きな俳優なんだけど、「こんなに凄かったのか、この人」と正直驚いたほど。


コリンだけでも十分に素晴らしかったし、他の俳優がずば抜けた演技力がなかったとしても映画としては十分に楽しめたんじゃないかと思いますが、そこで終わらないのがこの映画。アルバート王子(コリン)の吃音症を治すためのトレーナー役がジェフリー・ラッシュ。コリンの演技に唸ったところに、ジェフリー。そう、そうでしょ?この映画が良くないわけがないのよ。ジェフリーというと最近だと『パイレーツ・オブ・カリビアン』のイメージが強いかもしれませんが(っちゅーか、顔が特殊メイクでわかんないけど)、私の中でジェフリーというと、オーストラリア映画で彼自身がアカデミー主演男優賞を受賞した作品でもある『シャイン』がものすごく印象に残っております。なんか、もう演技とかではなくて、何かが乗り移っているといったほうがしっくりくるような。今回もまさにそのとおりで、彼以外の俳優があの役を演じている想像をする余地を与えないほど、見事なまでに演じきっております。


さらに、アルバート王子の妻のエリザベス役にヘレナ・ボナム・カーター。もう畳み掛けてきます。もう完全に隙なし。何この配役!完璧だわよ。最近のヘレナって、旦那(ティム・バートン)の映画の中の役のように、エキセントリックなイメージが強いのだけど、皇室のこの役に微塵の違和感も感じないのよ。この人の持つ美しさと力強さと演技力の高さの別の側面を見せられた気がします。


主演の3人がただ演技がうまいだけではなくて、演じる役のの中に少しの「遊び」を入れてくるものだから、それぞれがものすごくキャラ立ちしているのよ。だからといって自分の役を全面に押し出したり、アクが強すぎたりするのではなく、その少しの「遊び」のおかげで役に息吹が吹き込まれて、役の人物像の輪郭がもっとはっきりとしてくるというか。ヘレナが終わりかけのシーンで見せた、あの一瞬の表情の崩し方。あのほんの一瞬に、アタクシ涙いたしました(本当に)。「これでもか!」という演技合戦ではなく、それぞれが演じることを楽しんでいるように感じられるほど(実際はどうか知らないけど)、力のある俳優や優秀なスタッフで創り上げられた映画なんだという雰囲気がひしひしと伝わってきました。ああ、言葉じゃ言い表せないので、見てください!


ところどころに笑いも入れてくるし、その配分が抜群です。どうしてゴールデン・グローブの作品賞がソーシャル・ネットワークになったのか。アタクシ個人的には、『英国王のスピーチ』の圧勝でございます。


日本では2月26日からの公開のようです。おすすめ!



おすすめ度:☆☆☆☆☆

『インセプション ~Inception~』

2010年08月02日 | 映画~あ~
2010年 アメリカ映画

もう3ヶ月近くも更新していなかったんですね、あたくし。映画はDVDも含めて週に1本は見ているのですが、感想の更新って意外に時間がかかってしまいなんだか放ったらかしのままです。

そんなことは置いておいて、最新作『インセプション』です。日本でも7月下旬から公開されているようですね。先に見にいっていた友人たちから「話が複雑で途中でわからなくなるけど、面白い」とある種絶賛に近い感想を聞いていたので楽しみにしておりました。

まず、本当に複雑!さらに英語難しい…もう2重苦です。始めの5分ですでに迷子になりました。何とか必死についていったつもりですが、完全に話を理解したという自信がありません。

それでも面白いです。まず映像が面白い。前回感想を書いた『アバター』でも映像がすばらしいと書きましたが、『アバター』の場合は想像世界、アニメの延長みたいな感じだったのに比べ、『インセプション』の映像はもっと現実に近いです。いや、夢の中なんですけど…(すでにこんがらがってきた)。映像に遊び心と大胆さがあって、実際には起こりえないことばかりなのですが、「えー、これ思いっきりCGだし興ざめ!」ということが無いのです。

話の内容に関しては、アタクシ自身が100%理解しきっていないので割愛させてください。こんなんで「映画の感想」と言ってはいけないというのは重々承知でございますが…だって、アタクシのブログだし(えへっ)。自分なりの感想ということで書かせていただきます(いい逃げ道だわ)。

この映画のすばらしさは映像のみではなく、キャストがすばらしい!主演のディカプリオはもちろんよいです。実は彼の主演というと、『シャッター・アイランド』も見にいったのですが、こちらも面白かったです。ただどちらも同じに見えます、ディカプリオ。役者にはいろんな種類があって、役柄によって全く別人になってしまう人、それからどんな役を演じてもその人らしさを失わない人。ディカプリオは後者だと思います。良くも悪くも、どんな役を演じてもディカプリオ。トム・クルーズってそうですよね。その映画に出ても、トムのまま。主演級の俳優にはこういうタイプ、意外に多いような気がします。でも、うまいんです。ディカプリオには、いつかオスカー獲ってほしい。

そして、謙。謙はいい仕事します。安心のブランドです。前にも何かの感想のときに書いたような気がしますが、テレビドラマシリーズ『鍵師』の時からあの眼光の鋭さがテレビの許容範囲を超えているのではないか、と勝手にドキドキしていたアタクシとしては、大画面の中の謙のほうが安心してみていられます。そして当然ですが、ほかの役者に負けないあの存在感といったら!画面からでもあの存在感を放つのですから、実際間近で見たらアタクシ倒れるんじゃないかと思います。嫁(南果歩)とか、日常生活に支障は無いのかと思うほどです。

日本ではディカプリオをメインとしてPRが行われていると思いますが(いやたぶん何処でもそうですが)、この映画は主要人物が複数いてその誰にも個性があり、お互いぶつかり合うことなく引き出しあっています。やたらキャストだけ豪華でも、個性のぶつかり合いでお互いのよさを消耗してしまうだけの作品って実は多く、興行的にも失敗するケースが多いように見受けられますが、『インセプション』は話の内容、映像のみならず、俳優たちが負けていないのが印象的です。

驚いたのは紅一点のエレン・ページ。『ジュノ』で注目されて(その前の『Xメン』は未見。興味が無いから)、今年の春に公開された『ローラーガールズ・ダイアリー』(こちらも未見。見なければ!)とかコメディーのイメージがものすごく強かったのですが、『インセプション』での彼女の「賢い学生さん」という役柄が意外にもぴったりで、学生の初々しさを残し、この年代の女性の細かな心の動きなど、映画の本筋には関係ないけれど所々で面白みを持たせる演技は拍手物です。

一番印象に残ったのは、ジョセフ・ゴードン=レヴィッド。この俳優、全然知りませんでした。いや、彼の映画は見たことがあったようなのですが、俳優として印象に残っていなかったというか。彼の主演作である『500日のサマー』も見ているのに、私の意識はすべて、共演のズーイー・デシャネルに持っていかれていたようで。この彼がすばらしくよかったのです。見た目から「アジア系?」と思ったのですが、ウィキを調べてみるとそうではなさそうですね。
ほかのよい意味でアクの強い俳優たちに囲まれながらも、彼の存在感は際立っていました。今回の作品が彼の出世作になりそうですね。

エンディングも含みを持たせる終わらせ方で、観客に考えさせる、余韻を持たせる演出でよかったです。

そうそう、今ウィキで主演俳優をチェックしていたのですが、トム・べレンジャー画出ていたのですね!ええ、すぐに「ああ、あの人が!」と一致しましたが、実はその人を映画の中で見たとき、「どこかで観たことあるけど誰だっけ?マーチン・シーン?んンン、でも何かが違うような…」と消化しきれていなかったのです。そう、トム!トムだったのね!!!


おすすめ度:☆☆☆☆★
(あたくしが日本語字幕で見ていたら5つ星だったような気がします。そう、原因はあたくしです。)

「アバター ~Avatar~」

2010年05月15日 | 映画~あ~
今更なんですけど…『アバター』です。
日本でも大ヒットだったようですね。映画の配給会社が、広告にものすごく力を入れたという記事を読みました。ほかの国では出来るだけ公開前の露出を控え、内容を秘密にすることで話題づくりをしていたとのことですが、日本では逆に公開前の露出を大きくしたそうです。とにかく登場人物たちの肌の青さに目を慣れさせるために、テレビでも長めのCMを頻繁に流し、「免疫」を作ると言う方法をとったそう。「青い」と言う見た目のために、映画の内容以前に拒否反応を起こす人が多いと言う考えからだそうです。それが見事に的中した、ということでしょう。

実際私も、全く興味を持っていなかった一人で…だって青いんですもの、登場人物たちが。ただでさえSFがあまり好きではないので、青い登場人物たちの存在がさらに足を遠のかせてくれました。ええ、あたくし心のそこから日本人です。

それが、映画を見て大絶賛の旦那と義父。「きっとおゆりも好きだと思うから」と半ば強引に旦那に連れて行かれて観てまいりました。これが2月だったと思います(うろ覚え)。しかも旦那は鑑賞2回目。


さて、やっとこさ映画についてですが…いや、実はね。映画を見ている間はそれなりに楽しめたんです。でも感想をといわれると、1行で終わってしまう。なので、その感想は最後にとっておいて、とりあえずよかった点を挙げてみましょうか(強引なのはわかっていますが、こうでもしないとSFに対しての「やっぱり苦手」感が文章全体に出てしまうので)。

まず、映像と言うか作られた世界のなかの「自然界」(わかります?)がものすごく美しかった。この映画の世界って、ものすごく現代の地球に似ているけど同じものではもちろん無いわけで、ある種仮想世界なんですけど、その仮想世界の中で描かれている「手付かずの自然」がやたら美しいんです。想像でここまで現実味を帯びた美しさが作り出せるのか、とため息が出るほど。

それから、ミシェル・ロドリゲスが主要キャストの一人として出ているのですが、彼女がこれまで演じてきた役の中で、これが一番はまっているように思いました。これまでも肉体勝負(ガテン系の部)で活躍してきましたが、ハワイの女子サーファーの役やSWATよりも、今回の反体制+良心を持ったヘリコプターの操縦士役が一番しっくりでした。長い台詞のときよりも、一言つぶやくような時に彼女のもともとの雰囲気と役柄が合致しているように思いました。


さて、そろそろ映画自体の感想といかせていただきましょう。一言で言いますと、

「ガンダム版もののけ姫」


ガンダム好きな人から「ガンダムはこんなものじゃない」と言われそうですが、例えです、例え。軍人たちが乗っていたあのロボットも、私には「モビルスーツ」にしか見えなくて。引っ張った割りにそのまますぎて申し訳ないんですが、この一言に尽きます。実は旦那(イギリス人)も、「もののけ姫みたいな物語だから、おゆりも楽しめると思うよ」と言っていたんです。ほんと、その通り。ほかの友人(フィリピン人)にはなしたところ、「実は僕ももののけ姫みたいだと思っていた!」とこちらも賛同。

なので、もののけ姫を見たことのある観客にとっては、物語自体は全く新しさの無いものだったんじゃないでしょうか。まぁ、そんなこと言ったら映画の大半はそうですけど。むしろ、もののけ姫をベースに設定を変えて作ったんじゃないかと思うほど。実はそうです、といわれても驚きません。

あ、そうそう、今思い出したけど、でかい鳥とか馬に乗るときに自分の髪の毛の先端から出てるなんかよくわからない体の部位(本当になんと説明していいのか…なにかいい説明のしかたありません?)と動物の尻尾とかとさかの先端にある同じような部位(…。)を結合させるんですけど、なんか、あれがすごく見るに耐えなかったわ。ほかの人の感想にも同じようなことが書いてあるのを見て「ああ、私だけじゃないんだ」と妙な仲間意識を覚えました。

あと、空中に浮いている土地?島??が『天空の城らぴゅた』を思い起こさせました(また!)。こんなこと言うの、私が日本人だからでしょうか。だからといって、別に『~ラピュタ』のファンではないんですけど(あたくしのお気に入りはトトロ!)。


映画としては、楽しめました。断然映画館向きの作品ですよね。どらえもん映画以来の3D体験だったし。今後3D作品増えそうですけど、あたくしとしては基本的に映画は2Dで十分です。というか、この映画見た後頭痛が酷くて夫婦ともどもバファリンのお世話になりました。目も疲れるし、脳みそもいろいろ疲れるのかしら。


おすすめ度:☆☆★ (ただし映画館に限る)

「アドヴェンチャーランドへようこそ ~Adventureland~」

2009年11月19日 | 映画~あ~
2009年 アメリカ映画


1980年代後半、アメリカはペンシルバニア州の田舎町を舞台にした青春映画です。主人公ジェイムズは、コロンビア大学に進学しジャーナリズムを専攻することを楽しみにしていた矢先、両親から金銭的な援助は出来ないと告げられる。挫折感を感じながらも、夏休みの時間をアルバイトをしてすごすことにした彼が見つけたのは、アドベンチャーランドというものすごくしょっぼい、地元の遊園地。そこで個性豊かな同僚たちと出会い、同じゲームコーナーに勤務しているエムに恋心を抱くようになる。


新聞の映画批評のページ(英:デイリー・テレグラフ紙)で5つ星で紹介されていたので見に行ってきました。名前も内容も全く聞いたことが無かったのですが、何となく見てみたい衝動に駆られ2ヶ月ほど前に映画館で見ました。


80年代、アメリカ、青春映画…というと咽返るような青臭さに、見ているこっちが恥ずかしくなる、と言うようなイメージを持っているのですが、この作品はとにかくいろんな意味でバランスがよく一味違います。

まず、主人公のジェイムズのキャラクターが、抜群にいいのです。全然目立つタイプではないが、頭の回転が速く言葉選びがうまくて笑いが取れる。更に年齢の割りに冷静だけど冷めているわけではない。10代の若者が主人公の青春映画というと、目を覆いたくなるような情熱の強さと若気の至りとしか言いようがなくとにかく勢いだけで突き進む、と言うのが定説でそれが「こっ恥ずかしさ」の原因でもあると思うのだけど、この作品ではうまい具合に中和されています。だからと言って若者らしさが無いと言うのではなく、過剰すぎないのです。

映画の中に引き込まれて登場人物に感情移入をする類の映画ではなく、「ああ、この感覚!10代ってこんな感じだったかも」と見ている側は一歩ひいて冷静に、それでいて自分の人生経験の何かと重ね合わせたりして、どこか身近に感じられるような不思議な映画です。懐かしさを感じさせるような。


好きになったエムに隠し事があり、それに気づいたジェイムズ。エムの持つ闇の部分も、ジェイムズの若さゆえの不器用さも、過剰な演出をせず、しかしながら軽すぎることも無く、うまい塩梅で描かれています。


ジェイムズを演じているのは、ジェシー・アイゼンバーグ。ナイト・シャマラン監督の『ヴィレッジ』に出ていたそうですが、私の記憶の中ではあいまいです。しかし、この彼の演技力の高さは今後注目です。エムを演じているのがクリスティン・スチュアート。私は見ていませんが、『トワイライト』のシリーズに出ているそうです。また、ジョディー・フォスターの『パニック・ルーム』でジョディーの娘役を演じたのが彼女だそう。当時とは顔が違っているだろうし、ウィキペディア見るまで知りませんでした。


また、この映画の監督は、『スーパーバッド』の監督だそう。この映画も大好きで何度も見ていますが、同じく10代の若者主演の青春コメディーでもスタイルが全く異なっていると言うのが面白いです。この監督、10代の若者の心の揺れを描くのがものすごくうまいなぁと思います。しかもそれを「笑い」が中心となるはずのコメディーの中うまく描き出しているのだから驚きです。『スーパーバッド』はややグロい部分もあるので嫌う人も多い作品ですが、コメディー好きで見ていない方は是非!

そして脇を固めている俳優陣も本当に個性豊かで、最近サンドラ・ブロックと『プロポーザル』(まだ見ていないけど、ものすごく見たい)で共演していたライアン・レイノルズが重要な役どころで、遊園地の管理人は『スーパーバッド』で警官を演じていたマーティン・スタール(この読み方であってるのかしら?)。彼の存在で映画のコメディー部分が強化され、作品全体にメリハリが出ています。ほかにも、ジェイムズの幼馴染たちやエムの家族など、ちょい役なのだけれど個性がしっかりあって作品のスパイスになっているところも要チェックです。


日本での公開の予定は今のところなさそうですが、すっきりとした新しさのある青春映画でおすすめです。




おすすめ度:☆☆☆★


*日本では結局劇場公開されなかったようですが、DVDは発売されているようです。(2011年1月17日追記)

『40男のバージンロード ~I Love You, Man~』

2009年10月11日 | 映画~あ~
2009年 アメリカ映画


友人が映画館にこの映画を見にいって、お奨めされたので観てみました。恋人との結婚が決まり、その準備を始めるカップル。婚約者のゾーイには大勢の女友達がいるのに、自分には親友と呼べる男友達がいないことに気が付いたピーター。ベストマンを探し出すべく、あの手この手で「男友達探し」をすることに。

ベストマンというのは、英語圏の結婚式で新郎側の一番の親友が務める役割で、指輪の交換まで指輪を預かったり、結婚の準備を手伝ったり、とにかく信用されている人でないと頼まれないもの。日本にはベストマンの制度は無いけど、たとえば「仲人」を頼まれることが名誉であるように、ベストマンと言うのはものすごく名誉なこと。


さて、感想ですが、ベタベタのコメディーです。率直に感想を述べると・・・「映画館行かなくてよかった」。私としてはあまり楽しめずに終わりました。話が面白くないわけでもないし、テンポが悪いわけでもない。でも、楽しめない。その理由は、キャスティングなんじゃないかと思います。なんかね、映画の中のどのキャラクターにも気持ちが入らないのよ、観ていて。じゃあ人物像がうまく描かれていなくて印象が薄いのか、と言うとそういうわけでもない。ただ、俳優たちの演技を見ていて、気持ちが乗ってこない。

内容がベタベタなので、キャスティングもものすごくベタな方が私としてはよかったんじゃないかと思います。ベタなコメディーだからこそ、「ここ、笑うところです!」と言うところで笑えないと、観ている方が辛い。その笑いどころをしっかり作ってくれる俳優が、この映画の中には存在しなかったと思う。主役のピーター(ポール・ラッド)に、男友達をなんとしても探さなくては!という必死さがあまり伝わってこないし、ひょんなことから出会ったシドニー(ジェーソン・セゲル)と友情を育んでいくことになるのだけど、どうしてこの2人がうまくいくのか納得がいかなかったり。気が合うようには見えないのよ。シドニーも映画の中ではちょっと風変わりな性格なんだけど、それがうまく表現しきれていなかったようにも思う。ただ失礼なやつなのか風変わりなのか、その違いもよくわからなかった。ベン・スティラーとオーウェン・ウィルソンとか、もうものすごくわかりやすいコンビの方が、こちらも安心して笑える。


主役のピーターを演じたポール・ラッドの経歴を見てみると、これまでに数々のコメディー映画に出演している様子(『ナイト・ミュージアム』『40歳の童貞男』、最近では『Year One』)。そして親友候補のシドニーのジェーソン・セゲルも数々のコメディー歴あり。さらにこの2人は過去数年間でコメディ映画で何度も共演している。監督は、『ポリーに首ったけ(Come along Polly)』の人らしい。ベンを以前に使っているのね…。

ただ、もうこうなると、趣味の問題なんだと思う。友人は代絶賛。私はちっとも楽しめなかった。あ、ピーターの弟役のアンディ・サンバーグはよかったです。



ということで、

おすすめ度:無星   

だめ、私にはお奨めできない。



* 邦題が『40男のバージンロード』となったようですね。もちろん劇場未公開ですが(公開されてても行かなくて良いと思いますけど)、DVDでは発売されているのかしら?ということで、題名部分に邦題を追加しました。(2011年1月22日 追記)

「アメリカン・ヒストリーX ~American History X」

2009年05月18日 | 映画~あ~
1998年  アメリカ映画


10年位前に見て、今回2度目。とにかくエンディングが衝撃的で、いつかもう一度見てみようと思っていた作品。2回目ということもあって物語の概要は大体覚えていたし、今回は俳優たちの細かな演技を堪能できました。


物語の舞台はアメリカ。高校生だったデレクは、黒人に父親を殺されたことをきっかけに、異常なまでに人種差別主義に傾倒していく。ある日自分の車を盗もうとした黒人を殺害し、刑務所に3年間服役。その間弟のダニーは、デレクが所属していた白人至上主義集団に属し、ヒトラーを敬愛。兄の姿を追い求め、尊敬していたからこそ彼を真似たはずだったが、出所したデレクは全くの別人になっていた。


主演はエドワード・ノートン。弟役にエドワード・ファーロング。エドワード・ノートンを初めて見たのは、リチャード・ギアと共演した『真実の行方』。このときの役も衝撃だったわ。そして抜群に演技がうまくて、役柄の特徴を演じ分けられるのよね。演じられる役柄が幅広いだけでなく、同じ人物の中のいろんな側面を明確に表現できる。調べてみてわかったけど、この『真実の行方』が彼の映画デビュー作で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされたそう。あの演技なら、納得よ。演技力の高さから、芸歴長いんだろうなと思っていたけど、映画デビューが1996年。この『アメリカン・ヒストリーX』が1998年だから、デビュー2年目であの存在感と演技力かぁ。あそこまで様々な役を演じきれる俳優って、なかなかいないわ。

彼本人の顔の作りは「優男」だと思うのだけど、それこそ今回のアメリカン・ヒストリーXで演じたDerekのような優男とは正反対の男も演じているし、それに違和感が全く無い。この映画の中だけでも1人の人物の3つの表情を、もう見事としか言いようの無いほどに演じ分けていて、その怪物振りには脱帽です。服役前・出所後、そしてデレクの高校生時代もエドワード・ノートン自身が演じているんだけど、そのシーンを初めて見たときは「似てるけど、いやー、若い俳優を使ってるんだな」と思ったほど。高校生役さえも違和感が無いの。なんかすごすぎて、すごい以外の言葉が出てこないくらい。黒人を殺害した後の彼の瞳孔の開いた「イッちゃってる」表情の恐ろしいこと!!!


そしてエドワード・ファーロング!最近見ないわよね。ターミネーター2で一気に知名度を上げて、当時は日本の女子中高生の間でもアイドルとして大人気だったのを覚えてるわ。彼がカップヌードルだったかインスタント・ラーメンの日本のCM(ホットヌードルでした)に出てたのを覚えてる方、います?それに、日本語でCDなんかも出しちゃったりして。同じクラスの同級生の女の子、買ってたもん。私はなんか恐ろしくて聴けなかったけど。ターミネーター2のあとしばらくして彼の姿を見たのが、今回のこの作品。彼も、ただ見てくれがいいというだけではなくて、演技がうまいし雰囲気があるというのを再確認しました。10代の男の子なんだけど、若さや初々しさではなく何処と無く陰りがあり、それと同時に透明感もある。アイドルはアイドルなんだけど、独特だったなぁと思う。最近は映画に出てるのかしら?最近の彼を見たことがないので今はどうなのかわからないけど、子役として本当にうまかったなぁ、としみじみ思うわ。


この映画を見ながら、思い出した映画が2本。『This is England』そして『クラッシュ』。10代の子供をある種「洗脳する」と言う意味で、ダニーが白人至上主義に傾倒していく様が、『This is…』の少年・・・に。『クラッシュ』はこのブログに感想をあげていないけど、こちらもアメリカの人種差別の負の連鎖を描いた作品です。これもものすごく衝撃的な映画で、私の感想を一言で言うなら「Helpless」。救いようが無い。映画が悪いとかそういうことではなくて、描いている内容がね。映画としてはいい作品です。でも何度も見たくはない。


話を今回の作品に戻して…。デレクがあれほどまでに人種差別主義に傾倒していったきっかけは彼の父親の死なのだけど、そうなっていったのは家族の中で彼だけなのね。そこにはやっぱり理由があるのね。アメリカの人種差別問題の根深さ。映画の中ではさらっと触れられているんだけど、その「さらっ」とほんの短いシーンの中に、その根深さがしっかりと描かれていて印象的です。刑務所の中の人間関係、「ああ、どの世界も一緒なんだ」と妙に納得させられたり。デレクは素直で、利害関係のためにその主義に走ったわけではないからこそ、深く深くそこにはまり込んでしまった。3年間も待っていたデレクの彼女の、彼に対する態度の豹変振り(理由はデレクが変ってしまったからなんだけど)は、その主義を主張する集団の「浅はかさ」がよく表現されているように思います。

そうそう、同じ集団に属しているふとっちょがいるんだけど、彼って『タイタンズを忘れない』に出てた彼かしら?どうやらEthan Suplee(イーサン・サプリー)と言う俳優さんだそう。タイタンズでは黒人差別が当たり前の時代に、誰よりも早く黒人チームメイト(アメフト)と打ち解ける役柄なのよね。間逆の役どころで面白いです。



おすすめ:☆☆☆☆★

「愛を読むひと ~The Reader~」

2009年02月22日 | 映画~あ~
2008年 アメリカ・ドイツ映画


ケイト・ウィンスレットがゴールデングローブ賞で主演女優賞を獲得したことでも話題の作品です。予告編でもポスターでも、ケイトとレイフ・ファインズの名前が大きく書かれているので、2人を中心とした話かと思ったら・・・いや、まぁそうなんだけど、俳優としてはレイフ・ファインズではなく、彼の若かりしころを演じたドイツ人俳優のダフィット・クロスがメイン。

舞台はドイツ。学校帰りのマイケル(ダフィット)は体調不良で路面電車を途中下車。フラフラになっていたところを、ハンナ(ケイト)に助けられる。かなり年の離れた二人だが、これをきっかけに2人は関係を持ち始める。しかし突然ケイトは消えてしまい、否応無く2人の関係は終わってしまう。その後法律の勉強をするためにロースクールに進んだマイケルは、思いがけないことろでケイトの姿を目にし、彼女の過去を知ることとなる。


映画を見にいった時、第二次大戦のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺にも関係する話だと言う程度にしか知識が無い状態でした。確かに戦争が背景にはあるし、映画の骨組みとして土台になっているのだけど、映画の舞台となっているのは戦後のドイツ。予告編を見る限り、ものすごくロマンチックな印象を持っていたのだけど、実際はそれ以上の作品でした。

マイケルとハンナの年齢を超えた愛情。それはものすごく純粋だけど、ただきれいに描いているだけではなく、それぞれの感情をしっかり描いている。10代の少年のまっすぐで時に痛々しくもある、力強くも壊れやすい愛情。それに対して、過去を背負って、さらに常にコンプレックスと戦いながら生きてきた21歳も年上のハンナの、大人の女性としてのしんの強さ、つややかさ、そして不器用さ。二人の感情のゆれが映画を通して手に取るようにわかるほど、とにかく演技が卓越していてため息が出る。ケイトの主演女優賞の受賞は、この映画を見れば誰も文句は無いと思います。

そしてハンナが消えてしまった後、2人の糸は切れることなく再び引き戻されます。でもそれは恋人同士としてではなく、誰も予想しなかった形で。

ハンナの「どうして?」と見ているこちらが彼女を問い詰めたくなるようなみちを彼女は選択し、そして2人にとって幸か不幸か再び出会う日がやってくる。静かだけれど劇的に話は進み、胸を締め付けられる。どうしてそこまでして彼女は「それ」を守らなくてはならなかったのか。自分が彼女の立場だったら、たぶん「それ」よりも自分のその後の人生を確保する方が楽なように感じるけれど、彼女にとってはそうではなかったのだろう。そして月日は流れ、その愛情のカタチは変わっても、2人は強靭な何かにつながれていて、そしてお互いを大切な存在であると認識している。

ものすごく切ないのだけど、「みじめ」であるわけではない。

原題は『The Reader』。単純に考えればこれはマイケルのことなのだけど、場面によってそれはハンナともとることができる。うまいネーミングだな、と唸らされる。


ウィキペディアで調べてみたら、ハンナ役をニコール・キッドマンが演じる可能性もあったとのこと。いやー、ケイトでよかったと思うわ。ニコールだと女優としての「綺麗さ」が前面に出て、過去の苦しみを背負った影の部分をうまく表現できなかったんじゃないかと思う。あくまで私の想像だけど。そのくらいケイトはよかった。めぐりめぐってケイトに回ってきたこの役。本当にすばらしかった。彼女の女優魂を見せ付けられた思い。監督が『めぐりあう時間たち』の人(スティーブン・ダルトリー)と聞いて納得。重い話なのだけど、じっくりと話を進めながらも見ている側をどっぷりと落ち込ませてしまうことなく、だからといって軽い作りにはしない、実にうまくバランスの取れた作品だった。

マイケル役のダフィット・クロスの青臭い感じ、そして大学生になった時には青年として成長している雰囲気を演じ分けていて印象に残っている。最近のドイツ人俳優というと、『グッバイ・レーニン』に主演して、その後『ボーン・アルティメイタム』『ラベンダーの咲く庭で』など各国の映画にも出演するようになったダニエル・ブリュ-ルが印象に残っているのだけど、ダフィット・クロスも今後の活躍が楽しみです。


メロドラマっぽい展開あり、裁判ドラマあり。いろんな側面を併せ持った作品です。確かに大きな映画賞を取ってはいるけれど、明らかに大衆向け作品ではありません。派手な展開がある作品でもないし、どちらかと言うと地味にスローに話が流れていきます。イギリスでも人気があるかと言われれは、正直そうではありません。日本ではきっと大きな映画館で上映されるでしょうが、好き嫌いはかなり別れると思います。10代、20代前半くらいの年齢だとちょっと楽しめないかも。でも、私個人としてはかなりおすすめ。映画館で見れてよかったと思える作品です。


日本での公開は、2009年6月19日から。


おすすめ度:☆☆☆☆★