映画食い倒れ。

~映画は人生のデザートです~

個人的覚え書きのため、たまにネタばれありです。

『サイダーハウス・ルール ~The Cider House Rules~』

2016年01月24日 | 映画~さ~
1999年 アメリカ映画


最近、昔見たことのある映画を見返すことが多くなりました。というのも、当時の印象と今の年齢(30代後半)になって感じるものが大きく異なっていること、そして若いころにはよくわからなかった作品の深さなどをしっかりと味わいたいというのが理由です。

今回の『サイダーハウス・ルール』もその一つ。
恐らく、初めて見たのは2000年代前半、2001年ごろだったのではないかと思います。これを初めてみた時の印象は「自分勝手な金髪女に振り回される可哀想な孤児院出身の男」という非常に単調なものでした。当時大学生か大学を卒業したばかりの年齢の私には、この話の本当に表面しかわからなかったんだと思います。世の中は、すべてが黒白はっきり分かれているものと疑っていなかった若かりし頃の自分と、あの時よりはもう少し世間を学んだ今の自分とのギャップを、いろいろな映画を通して楽しんでいる最中です。




主人公ホーマー(トビー・マグワイヤ)は孤児院で育ち、父親代わりの医師ラーチのもと医学を学ぶ。医師免許を持っているわけではないので、ホーマーが医療行為に携わるのは違法行為。それでも、彼の腕の良さから孤児院ではラーチの右腕として生活をしていた。その孤児院では、違法ながら堕胎も行っており、望まない妊娠をした女性が数多く訪れていた。ある日、若いカップルが中絶のために孤児院を訪れる。それがキャンディーと恋人のウォリー。彼らとの出会いに、常に胸に持ち続けていた外の世界への憧れを刺激されたホーマーは、彼らとともに孤児院を出ることを決意。ウォリーの実家の家業であるサイダー醸造所で働くことになる。


さて、映画の感想ですが、いつものことながら完全に忘れていた部分が多く驚きました。まず、一番驚いたのは、キャンディー(シャーリーズ・セロン)の恋人役が、ポール・ラッドだったということ!以前『40男のバージンロード』の感想の中で触れたアメリカの俳優です。最近はアメリカのコメディー映画では彼が出ていない作品を探すほうが難しいのではないかというほどの売れっ子ですが、1999年の作品でソコソコ重要な役を演じるほどのキャリアがあったとは知りませんでした。ウィキペディアで見てみると、1993年から映画に出演しているとのこと(2016年1月24日現在)。キャリアの花が開くまで、結構下積みがあったんですね。ある意味初々しい彼を見て思い出したのが、1990年の『ステラ』という作品に、主人公の娘の彼氏というチョイ役で出ていたベン・スティラー。今のベン・スティラーからは想像できないほど、初々しくて青臭い感じ。それと同じ感覚を、『サイダーハウス・ルール』のポール・ラッドに感じました。個人的には、彼はコメディーよりももっと「普通の人」の方が安心してみていられるので、こういう役柄のほうがあってると思っています。


また、当時注目され始めていたシャーリーズ・セロンが、当時の私には「ただのきれいな金髪女優」でしかなく、そして恐らく…と言うか確実に映画の中での「男性依存の一人でいられない絶対悪」(当時の感想です)の印象が強かったからこそ、全然好きな女優ではなかったのです(若いって、単純…私)。これ、逆に言えば、そのくらい彼女の演技力が高かったということですよね。彼女自身と映画の中での役柄をリンクして見てしまったほどですから。そして、今の彼女の快進撃と言ったら!その後『モンスター』でアカデミー主演女優賞を受賞し、いまも新境地を開拓し続けていることを本当に嬉しく思います。あんなに好きではなかったのに、今では好きな女優の一人である彼女が出ていた作品だからこそ、もう一度見てみようと思ったのです。


主演のトビー・マグワイヤは、こういうちょっと世間ずれしている役が抜群にうまいと思います。ちょっと浮世離れしているというか。足元が地上から1.5センチ位浮いていそうなイメージを、いつも勝手に持っています。


この映画の背景は第2次世界大戦のさなか。つまり、1940年代。サイダー醸造所で働いている季節労働者たちは黒人。彼らが寝泊まりするのは母屋の離れなのですが、ここにホーマーが紹介され、彼らと共に働くことになったことを、季節労働者たちは「歴史的な出来事だ」と驚きます。舞台はアメリカ東海岸北部。南部とは異なり、黒人に対する差別意識は低い土地柄ではありますが、それでもどうしても職業によって人種が分かれているような状況下で、白人のホーマーが彼らと一緒に生活をし、同じ労働をするというのは、労働者の彼らにとっては衝撃だったのだと思います。逆に、そのことが大きな意味を持つものという認識をしていなかったホーマーやウォリー、キャンディーや彼らの家族たちは、本当に差別意識が殆ど無かったのではと思います。


やがて軍人であるウォリーに出兵命令が下り、彼がいない間一人の孤独に耐えられないキャンディーはホーマーと親密に。また、季節労働者たちも様々な問題や、暗い現実を抱えており、ホーマーは孤児院の外の「本当の世界」をここでの生活を通して学んでいきます。


15年以上前に見た時には、キャンディーは完全に「悪」だったのですが、今回見なおしてみて、正義でないにせよ悪とは言えないよなぁ…と、自分の見方、感覚、意見が年令によって変わっていくことの面白さを感じました。また、ラーチの死をきっかけに、孤児院へ戻る決断をするホーマー。外の世界を見て帰ってきた彼にも精神的変化がもたらされます。世の中の法律に照らし合わせればそれは完全に違法ですが、ラーチの医師を引き継ぎ、医師として孤児院で生活することを選んだホーマー。もしかしたら、私がこの15年と少しの間に学んだ「世の中とは完璧ではないことで溢れている」ということを、彼は孤児院から離れた1年の間に学んだのかもしれません。彼は孤児院で生活する子どもたち、看護婦たちに暖かく迎えられます。彼には帰る場所があったということ。そしてそれは、そこで生活する子どもたちにも一つの「希望」になったのではないかと思います。


最後になりましたが、ラーチ役のマイケル・ケインは、あの役柄が自然すぎて彼がそこにいて当然としか思えないほどで、他の俳優陣とは「肩の力の抜け具合」が完全に異次元レベルでした。これがキャリアがなせる技なのでしょうか。この役で、彼はアカデミー賞助演男優賞を受賞も、もちろん納得です。


何を正解とするのではなく、世の中や人生の、白と黒の間のグレーの濃淡を描いている素晴らしい作品でした。


この作品を楽しむには、ある程度の年齢と人生の経験が必要かもしれませんが(少なくとも私にはそうでした。苦笑)、静かで丁寧に作られた作品が好きな方はぜひ!



おすすめ度:☆☆☆☆★





画像はこちらより:http://www.imdb.com/media/rm512537088/tt0124315

『Amy』

2016年01月09日 | 映画~あ~
2015年 イギリス映画


2011年に27歳で亡くなった、歌手エイミー・ワインハウスのドキュメンタリーです。

とても評判がよい映画で、いつか絶対に観たいと思っていた作品です。昨日、BAFTA(イギリスアカデミー賞)で2部門にノミネートされたとの発表があったばかりで、同日にテレビでも放送されていたので観てみました。

本当によく出来たドキュメンタリーでした。まず一番驚いたのが、彼女が歌手として成功する前の映像が多数残っていたこと。友人たちと撮ったプライベートの映像で、エイミーはどちらかと言うとシャイな、本当にどこにでもいる「普通の」女の子なのです。ただ普通でないのは、彼女の歌声。16歳、17歳の時に撮られたその映像の中で友人のためにバースデーソングを歌っているのですが、見た目の若さと彼女から発せられる歌声のギャップに一瞬頭が混乱するほど。完全に成熟し、深みを増した歌声なのです。

18歳でレコード契約を結び、本格的に歌手としてのキャリアがスタートします。この時期に撮られたインタビューでは、当然といえば当然ですが、本当にしっかりと自分の意見を話し、音楽へのこれ以上ないほどの純粋な愛が溢れ出ています。私が彼女を目にし始めた2005、2006年あたりにはほぼ完全にいわゆる彼女へのイメージ…大きな髪型、痩せた体、ドラッグ、アルコールの問題にまみれ、ボロボロの格好でロンドンのカムデン地域を歩いている…が確立していたので、普通に話せる彼女を見たのは、もしかしたらこの映画が初めてだったのかもしれません。


「今溢れている音楽は、私にとっては音楽じゃない。…だから私は自分で本当の音楽を見つけてきて、それを聴いてそこから学んでいるの」(意訳)と10代の彼女が答えていたのが印象的でした。彼女が魅せられた音楽というのがジャズで、「ジャズを聴いている私、カッコいい」というセルフイメージのための言葉ではないことは、彼女の歌声を聞けは誰も疑わないでしょう。ジャズが好きになったのは、父親の趣味も大きく影響していたようです。

さらに、「自分が経験したことしか書けないけど、私は私なりに本当の音楽を生み出すための挑戦をしている」とも。確かに彼女の歌の歌詞は、痛々しいほどにどれもリアルで、彼女を知っている人であれば、どの歌で誰との関係を、その時どんな状態だったかが手に取るようにわかるほど、まるで誰かの日記を読んでいるのではと錯覚するほど、包み隠さずに出しきっていることがわかります。これが、彼女の音楽に対する真剣さ、嘘偽りのない本気の愛で真っ向勝負をしていたことの現れでもあり、「私は歌手でない。ジャズシンガーなの」と他のアイドルやポップ歌手とは一括りにするなという強い意志が感じられます。それと同時に、あまりに純粋で強すぎるからこそ、自分の体を守るための鎧さえ身につけず、裸一貫ですべてを音楽に投げ出していった彼女の強さと弱さは、感動するとともに悲しくもあります。


子供の頃から家庭内に問題を抱えていたというバックグラウンドを持つエイミー。特に父親との関係は複雑です。小さいころに母親を捨てて出て行った父親。ほとんど会うこともなかったのに、成功してからは、常に父親をそばにおき、一緒にツアーにも同行されています。しかしこの映画の中でも、その関係の危うさが随所に露見しており、つい先程(2016年1月9日)、その父親が「この映画に描かれていることは全く持って嘘だ」とツイートしたことがニュースになりました。


また、2006年ごろに後の夫となるブレイクとの出会いを機に、それまで問題を抱えながらもなんとか保っていたバランスが完全に崩されます。また、ずっと仲の良かった幼なじみたちとの間にも溝ができ始めたのもこの頃です。


実はわたくし、彼女のステージを見たことがあります。2008年のイギリス、グラストンベリー・フェスティバルで、その時に、一緒に参加した人たちと冗談交じりに「彼女が亡くなる前に見ておかなきゃね」といいながら、彼女のステージに向かった覚えがあります。2008年時には、すでにアルコール、ドラックの問題が取り沙汰されており、「エイミー=クレイジー」というイメージが定着していました。実際、そのステージでも、常にフラフラとしており、立っているのがやっとという状態。そんな彼女をカバーすべく、バックシンガーたちが本来ならばスターの後ろでひっそりとコーラスをするという役割のはずなのに、それはもう必死になって踊り歌い、ステージをなんとか成立させようといった、完全に「普通ではない」状態でした。

ただ、若いがために、そして彼女のどうしようもない程の歌唱力の高さのために、どんなに彼女自身の状態が悪くとも、それなりに声は出てしまう。それが果たして良いことなのか否か。拒食症、そしてドラッグの使用、常に酩酊状態という問題山積みので私生活の失態を晒しても、テレビや舞台にたてば完全でなくとも歌が歌えてしまうからこそ、彼女を完全に休ませることなく、どんな状態でも仕事を続けさせてしまったのではないかと思いました。


このドキュメンタリーを見ながら思い出したのは、ブリトニー・スピアーズ。彼女が元バックダンサーと結婚し二児の母親になり、更に離婚。あの当時のブリトニーは誰から観ても完全におかしく、最終的には頭を剃り上げるまでに。でもそこまで状況が悪化して、それが誰の目にも明らかだったからこそ、少しの間仕事から離れることができたのではないか。逆に、髪の毛が伸び、一件普通に見える状態にまで戻ると、どんなに精神が病んでいても表舞台に立たされてしまう。使い古された言い方だけど、まさに「操り人形」。ブリトニー・スピアーズは商品であって人間でないという扱われ方。『Gimme More』というシングルをリリースした時は、ショウビズ界の恐ろしさを感じたのを覚えています。しかし、現在のカムバックを見ていると、その業界で生き抜いていく強かさが彼女には培われていたのだなと感心します。



彼女が亡くなる数日前、疎遠になっていた幼なじみに電話があり、この時はここ数年では珍しくドラッグも泥酔もしていない状態で話していたとのこと。そしてその内容は、それまで彼女がしてきた無茶により、友人たちを悲しませてしまったことに対する謝罪だったといいます。そして、新しいアルバムの制作に向けて動き出し、最悪の状態からやっと抜けだしたかのように見えた矢先の突然の死。


これまで、どんなに彼女の曲が好きだったとしても(実際、今も聴いていたりしますが)「ドラッグに大量飲酒にやりたい放題やっての結果なのに、どうして彼女を神格化しようとするのか」という意識が少なからずありました。今も彼女が住んでいたロンドンのカムデンには、数あるストリート・アートのなかに彼女の顔をいくつか見つけることもできます。しかし、このドキュメンタリーを見て、彼女がたまたま抜群に音楽のセンスに恵まれた、生まれ持ってのクレイジーなドラックジャンキーという印象から、「音楽が好きで好きでたまらなかった、一人の若い女性」という見方に変わり、そして痛々しいほどに純粋さを持ち続けた彼女を愛おしく感じます。


一番印象的だったのは、アメリカのグラミー賞で彼女のアルバムが年間ベストアルバムにノミネートされ、その発表がされる直前の様子。彼女は別会場におり、モニターから賞の会場の様子を見ています。その舞台上にプレゼンターであるトニー・ベネットが現れた瞬間の彼女の顔。ずっとずっと憧れてきた歌手が、モニターを通じてはいますが目の前に現れ、その時の彼女の純真無垢な、小さな子供のような表情。作ろうと思って作れる表情ではなく、ただ好きで好きで仕方がない、そのあこがれの人への視線が本当に愛おしく、これこそがタブロイド上を賑わせていた泥酔写真からはわからなかった、本当の彼女の素顔の一面だったんだと胸が熱くなりました。


もちろんエイミーへの愛情はこの上ないのですが、彼女を被害者として涙をさそうのではなく、とても中立な立場で作られている作品だと思います。

日本での公開は、2016年の夏頃になるとのこと。音楽ファンの方は必見です!




おすすめ度:☆☆☆☆☆




画像元:http://www.express.co.uk/entertainment/music/578637/Amy-Winehouse-unseen-footage

『x+y』

2016年01月02日 | 映画~あ~
2015年 イギリス映画


2016年の映画初めは、『x+y』でした。これ、大満足の作品です。

ネイサンは、幼少期に自閉症の一種であると診断される。そのため人とのコミュニケーションが上手く取れず、特に母親のジュリーは息子との関係に常に悩む。同時に、ネイサンの数学に対する能力はずば抜けており、9歳にして中学校レベルの数学を勉強すべく、数学教師をしているハンフリーの特別講習をうけることになる。後に数学オリンピックのイギリス代表に選ばれたネイサンは、自分以上に数学のできる個性豊かなチームメイトや他国代表の学生たちと出会い、人の感情やかかわり合いを少しずつ学んでいく。


まず、とにかくリアル。登場人物たちのそれぞれの立場、感情、キャラクターが、本当に上手く描かれていて、一人ひとりの人格がしっかりしています。個人的には、母親ジュリーの気持ちに寄り添って映画を観ていました。というのも、同じではありませんが、似たような状況になったことがあり、ネイサンや彼のチームメイトのような「人間とのコミュニケーションが苦手な人達」に囲まれ、苦労した経験があるからです。

以前、IT系企業のエンジニアが集まる部署に数年務めていたことがあるのですが、彼らがまさにネイサンや数学オリンピックの代表達のようなタイプでした。人により程度の差はありますが、目を合わせられない、挨拶ができない、会話の中で適切な言葉選びができないから相手を怒らせたり傷つけたりするということが多々ありました。最近よく聞く「アスペルガー症候群」も軽度自閉症の一つです。数字のように、正解不正解がはっきりしているものに関してはいいのですが、そうでないもの、例えば人の気持ちを考えること、表現をオブラートに包むこと、TPOに合わせた話題を選ぶことが上手くできなかったりします。


それでも、職場は変えればなんとかなります。結局は他人ですから。でも親子の関係は選べない。更に、パイプ役であった父親が亡くなってしまったことで、母親はどうにか歩み寄ろうと努力するも諸刃の剣。よくわからない数学の方程式でうめつくされたノートを目にして、「これは何?私にも教えて」と小学生の息子に聞いてみても、「お母さんは賢くないからわからないよ」と相手にさえしてもらえない。学校への見送り時のハグも拒否され、数学オリンピック合宿の為台湾に旅だった息子からは、無事に到着したという電話の一本さえない。母親を馬鹿にしている、というよりはどうして無事を伝える電話をしなくてはいけないのか、どうして握手やハグをしなくてはいけないのかが純粋にわからないわけです。

台湾合宿では、同じくイギリス代表候補に選ばれた仲間や、中国代表たちとの交流から、これまで出会ったことのない人々と接する機会に恵まれます。ネイサンのように相手を気遣った言葉選びができないがために友人ができず、孤独に苛まれてしまうチームメイト。自分の賢さから天狗になってしまうもの。他のメンバーの自己顕示欲の強さに煩わしさを感じる者。また初めて自分を異性として見てくれた人。数学に長けているという一つの共通点で集まったメンバーにも、本当に様々な違いがあり、ここでもコミュニケーションや人間関係構築の難しさが浮き彫りに。そういう、現実社会で本当に問題になっている、でもあまり表面には出てきにくい微妙な葛藤を、繊細に、そして的確に描いています。

特に印象に残っているのは、ネイサンのチームメイトのルークの自傷行為が発覚するシーン。「ただ数学が人よりできるから数学をやっているだけ。別に好きでもなんでもない。でも数学で人より優れていなければ、ただの変わり者になってしまう」…代表から外れてしまったあとの彼の言葉には、はっとさせられます。人に対して無神経な口の聞き方をすることから彼らには感情がないように思えてしまうのですが、他人と人間関係を築けないことのストレスからうつ病になる人も多くいるのも事実です。それがこのシーンに集約されていて、胸がつまりました。


とにかく、どの俳優さんもとにかく素晴らしくて、正直一人ひとりに賛辞を送りたいところなのですが、出来るだけかいつまんで行きます。

ネイサンの母親ジュリーを演じたのは、大好きなサリー・ホーキンス。もうもう、わたくし彼女が大好きで、彼女が出ているとその映画への安心感が増すほど。この映画でも抜群のうまさで、言葉としてセリフには起こされていない母親の孤独感や誰かに頼りたいという心の叫びが彼女の演技からにじみ出てきます。

ハンフリー先生役のレイフ・スポールは、どうやらこれまでに幾つもの映画で彼を観ていたようなのですが、私がはっきりと覚えているのは『I Give It a Year』という作品のみ…。これ、イギリスのコメディー映画なのですが、B級寄りの作品(にしてはキャストは豪華)で、これを見ただけではこんなにうまい俳優だったのかとは気づきませんでした。レイフさん、素晴らしかったです。もちろんスクリーンライターによるセリフがそもそも素晴らしいのでしょうが、このハンフリー先生の人格が、彼の演技によってしっかりと輪郭が現れています。この人がその辺の学校に務めていても驚かないくらい、とてもリアル。

もう何度も言っていますが、イギリス映画の良さって、人物像のリアルさだと思うのです。この映画も例外ではなく、この加減が絶妙です。


そして、ここ1、2年感心しつづけていること。それはイギリスの若手俳優たちの台頭と演技力の高さ。本当にどんどんと新しい才能が出てきています。この映画もメインは10代(役柄)の学生たちなのですが、見事にみんながうまい。主演のエイサ・バターフィールドはもちろんですが、個人的イチオシは、彼のチームメイト役だったアレックス・ローサー(Alex Lawther)。最近では、カンバーバッチ主演の『イミテーション・ゲーム』にも出演しているようですが(未見)、実は今年の夏に彼の舞台を見たのです。と言っても、彼の存在を知っていたわけではなく、たまたま誘われて観に行った舞台が彼主演の『Crushed Shells and Mud』という作品で、これがもう、興奮して眠れなくなるほど素晴らしかったのです。こちらも10代の3人の若者が主役の作品なのですが、この3人の演技力と言ったら。後に出演者を調べてみたところ、皆テレビドラマや映画の経験が長く、きちんとキャリアを積んできている俳優さんたちだったのですが、まだ二十歳前後の彼らの演技力の高さ言ったら!イギリスは本当に音楽と演技の才能に溢れてた国だと身を持って実感しています。


映画の感想に戻りますと、気になったのが中国代表でネイサンに好意を抱くチャン・メイ(多分こういう読み方。英語ではZhang Mei)。彼女は映画の中では、自閉症的な疾患はない人物として描かれていると思いますが、彼女のあまりに突飛な行動にイライラ。大事な数学オリンピック本番前日に、好意のある人のベッドに潜り込むって一体どんな神経をしているのか!翌日中国チームの監督であり伯父(もしくは叔父)にそれが発覚し、当然ながら怒られるのですが、彼女の理屈では「どんなに頑張っても、自分が選ばれたのは伯父がいるからこそのコネだと言われ、女だからと対等に見てもらえない」と数学オリンピックをボイコットして飛び出します。


全然理屈になっていない。


他の出場者のベッドに潜り込むのことは全く持って別のこと。性差別を訴えるのなら、そこで女を使うな、と。映画としては、彼女のこの猪突猛進な愛情表現?のおかげで、ネイサンは人を愛するという感情や悲しみといった感情を徐々に理解し始めることになるので、お母さんとしては結果オーライなのでしょうが、この役柄が中国人でなく他のヨーロッパ人という設定だったら、話の設定としてこういう行動を取らせていたか?という疑問を正直持ちました。そこに、作り手の特定の人種や国に対するステレオタイプなイメージがあったのではないか、という印象を受けました。

また、この当たりからエンディングにかけて一気に話が動き始めるのですが、それまでがいいペースで来ていたのに一気に飛ばし過ぎな印象も。映画としてこのエンディングに持って行きたいという気持ちはわかるし正解なんでしょうが、それまでと全く異なるスピードに切り替わってしまったことで、このエンディングの良さを受け入れたいという気持ちを強く持ちつつも、ちょっと白けてしまったのも事実です。


ちょっと残念だと思ってしまう部分はあるものの、とても丁寧に繊細に作られた素晴らしい作品です。


最後に、イギリスチームの監督役にエディー・マーサンが出ているのですが、彼はどこでもしっかりと良いスパイスを加えて、作品をしめてくれます。今回の役柄も、チームの10代の子供同様に、典型的「数学はできるけど言葉のチョイスがいつも間違っている」タイプで、チョイ役ですが絶妙です。



どうやら日本での公開は未定なようで、日本版のタイトルは今のところ見つけられませんでした。
それでも機会があればぜひ!



おすすめ度:☆☆☆☆★



画像はこちらのサイトより:http://macbirmingham.co.uk/event/x-y/

2015年ベスト。

2016年01月01日 | 年間ベスト
皆様、明けましておめでとうございます。

イギリスもどんよりとした曇天のもと、新年を迎えました。本年も、よろしくお願い致します。



さて、2015年のわたくし個人の映画ベストランキングです。
2015年のランキングと言っても、2015年に公開された映画ではなく、私個人が見た映画なので、公開、製作年はバラバラです。それ以前に、去年は2回しかこのブログを更新していないというのに、ベストの発表。2014年に引き続き、この適当さ。すみません、てきとうで。お時間のある方だけお付き合いください。


それでは、まずは昨年見た作品一覧から。

- This is Where I Leave You (2014 アメリカ)
- ホットロード (2014 日本)
- 六月燈の三姉妹 (2013 日本)
- Love is Strange (2014 アメリカ、フランス)
- 柘榴坂の仇討 (2014 日本)
- ゴーン・ガール (2014 アメリカ)
- バックコーラスの歌姫たち (20 Feet from Stardom, 2013 アメリカ)
- ラビット・ホール (Rabbit Hole,2010 アメリカ)
- A Long Way Down (2014 イギリス)
- 奇跡の2000マイル (Tracks,2013 オーストラリア)
- Girl Most Likely (2012 アメリカ)
- Day of the Flowers (2012 イギリス)
- プリンセスと魔法のキス (The Princess and the Frog,2009 アメリカ)
- はじまりのうた (Begin Again,2014 アメリカ)
- Fat, Sick and Nearly Dead (2010 アメリカ)
- Fat, Sick and Nearly Dead2 (2014 アメリカ)
- 私が愛した大統領 (Hyde Park on Hudson, 2012 イギリス)
- シェフ 三ツ星フードトラック始めました (Chef,2014 アメリカ)
- アドバンスト・スタイル そのファッションが、人生 (Advanced Style, 2014 アメリカ)
- ファーゴ (Fargo,1996 アメリカ)
- セッション (Whiplash, 2014 アメリカ)
- マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章 (The Second Best Exotic Marigold Hotel,2015 イギリス)
- It Follows (2015 アメリカ)
- ジヌよさらば〜かむろば村へ〜 (2015 日本)
- Re:LIFE~リライフ〜 (The Rewrite,2015 アメリカ)
- ディオールと私 (Dior and I, 2015 フランス)
- 紙の月 (2015 日本)
- マッドマックス 怒りのデス・ロード (Mad Max: Fury Road, 2015 オーストラリア)
- おみおくりの作法 (Still Life,2013 イギリス、イタリア)
- 007 スペクター (Spectre,2015 イギリス)
- 用心棒 (1961 日本)
- オレンジと太陽 (2011 イギリス)
- Papadopoulos & Sons (2012 イギリス)
- 新宿スワン (2015 日本)
- A Very Murray Christmas (2015 アメリカ)
- アリスのままで (Still Alice,2014 アメリカ)
- インサイド・ヘッド (Inside Out,2015 アメリカ)
- The Inbetweeners 2 (2014 イギリス)




数えてみると、2014年よりは少し増えて新しく見た映画は38本。気に入った映画は何度も見るのですが、それは数えていません。映画館には数回足を運んだのですが、予告編を観ていても心惹かれる作品が、個人的には今年もとても少なかったです。


それでは、2015年わたくしベストです。


1位 ディオールと私

これ、ドキュメンタリーです。ディオールのオートクチュールのデザイナーに抜擢されたのは、ベルギー人デザイナーのラフ・シモンズ。メンズコレクションのイメージが強い彼に、華やかなディオールのドレスを作り上げられるのか?伝統あるブランド、引き継がねばならないデザイン性、高い注目度、世界最高の腕を持つお針子達、内気な彼の性格…デザイナー就任からパリコレクションの本番はたったの8週間。ディオールのチームへの初めましての挨拶から映画は始まります。大きな名前を背負うことへのプレッシャー、人間関係、迫り来る納期・・・わざと大げさに、ドラマチックに仕上げるわけではなく、きちんと距離をとって淡々とその風景を映し出していて、非常に優れたドキュメンタリーでした。だからこそ、彼らの心の揺れや緊張がダイレクトに伝わってきます。そして、ディオールが作り上げてきたデザインの(ラフ・シモンズのデザインも含む)、時代に媚びない強さ、美ししさ、繊細さと言ったら!きっと今後、何度も見返す作品です。


2位 マッドマックス 怒りのデス・ロード

うちの旦那は公開を心待ちにしていて、一人で映画館に行きました。そう、わたくし、全く興味がなかったのです。むしろちょっと毛嫌いしていたといったほうが妥当。だって、もともとはメル・ギブソンの出世作。わたくし、メル・ギブソンがとても好きではないのです。その彼のイメージがものすごくこびりついている、繊細さなんてかけらも感じられなさそうな、ただ暴れまわっているだけの映画。そう思っていたんです。それが、旦那は絶賛し値引きになる前にブルーレイを購入。信頼しているサイトや新聞でも、この映画を絶賛。どうしたら、砂漠をただ爆走しているだけのトラック映画をこうも絶賛できるというの?という、逆の意味での興味が湧いてきて、ブルーレイを鑑賞したところ、ものの見事にハマりました(苦笑)。最初から最後まで止めどなく続く、心地悪いゾワゾワ感。これ、褒めてます!ただ残虐なシーンを盛り込んでいるとかではなく、なんというか神経に直接効いてくるような居心地の悪さ。それなのに目を離せないというある種の美しさが映画全編。これほど良さを説明するのが難しい映画って、もしかしたら出会ったことがないかもしれません。上手くいえませんが、もしかしたら「中毒」と言い換えられるかもしれません。英語で言う「Addict」です。俳優たちも素晴らしく、ニコラス・ホルトの配役に一番驚かされました。『アバウト・ア・ボーイ』に出ていた冴えない小学生が、あんな肉体派な役をこなせるようになるとは!あの、よくわからない、説明の付かない美しさを堪能するためにも、きっともう一度観ます。


3位 インサイド・ヘッド

これも、自分では予想しなかったランクインです。観ようとも思っていなかった作品の一つ。ほんの数日前に鑑賞したのですが、こんなに奥深い作品だったとは。わたくし、どこかで「どうせ子供向けなんでしょ」と高をくくっていたのですが、反省です。もちろん子供も楽しめますが、大人だからこそ心に沁みます。とにかく、話の内容がとても巧妙。人間の感情に関した話なのですが、はっとさせられます。当たり前といえば当たり前の内容かもしれませんが、あらためて映画を通してみてみると、まさに目からうろこです。


4位 用心棒

三船敏郎主演の黒澤映画です。ここ数年、何作か黒澤映画を観ているのですが、三船さんの存在感って本当にすごいです。…と私が言葉にすると安っぽく聞こえますが、何と言いますか、誰も彼にはなれないんです。もちろん共演者も皆トップレベルの素晴らしい役者さんたちばかりなのですが、三船さん演じる役柄が別の俳優だったら、映画自体が全く別のものになってしまう。私個人的には、実は一般的に古い映画って苦手なのです。正直これを認めてしまうのは、映画が好きと公言しておきながら恥ずかしいのですが。その年代によって台詞の言い回しや発声方法、良しとされる演技って異なると思うのです。どちらが良い悪いではなく、ただそういう年代が全面的に出ている感じが気になりすぎて、話に入っていけないことが多々あります。それが、三船さんのセリフ回し、声のトーン、演技、しぐさ、どれをとってもその時代に支配されていないのです。すべてが時空を超えているというか。40年前でも21世紀でも、そんなの関係なく、ずば抜けて雰囲気があってかっこいいのです。それが顕著に出ている作品ではないかと思います。


5位 おみおくりの作法

『フル・モンティ』の監督の作品ですが、ウィキペディアを見るまでこの監督がイタリア人だとは知りませんでした。『フル・モンティ』も『おみおくりの作法』も、イギリスらしさがとてもうまく出ている作品だからです。この映画、静かに話が進んでいきます。このまま終わってしまったら、観ている方が耐えられない…というところに素晴らしいエンディング。悲しく辛い状況には、とことん救いようがなく、それでも無駄に涙を誘うような作り方をしないところがイギリス映画の良い所だと思っているのですが、この映画も例外ではありません。




2015年のがっかり映画もついでに行っときましょう。


- ファーゴ

知ってはいたけど、やっぱり良さがわからなかった。カルト映画ランクには必ず名前が上がるこの映画、これまでも何度かチャレンジしたのですがなかなか最後まで見ることができず。やっとの思いで見たのですが、やっぱりわからない。2015年に新しいテレビシリーズとしても放送されていたのですが、そちらも全然面白さがわからず。去年の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』に続き、やっぱりコーエン兄弟の作品の良さがわからないままです。


- バックコーラスの歌姫たち

世界の有名歌手のバックコーラスを務めている女性たちのドキュメンタリー。すぐそこに自分が目指す立ち位置があるのに、そこには行けないもどかしさ、悔しさを語ることに終止していて、バックコーラスだからこその面白さとか、ポジティブな面にはあまり触れられていなかったのが残念。歌で生計を立てるものとして、ステージの中心に立ってスポットライトを浴びることを目指すのは当然の事で、もどかしさ、悔しさに終止するというのが本当の現実の姿なのかもしれませんが、なんだかそれでは本当にそのままで、それを映画にする意味はあるのか、と思ってしまった作品。


- 紙の月

個人的には、日本映画が全然元気がなかった時の日本映画の典型のような作品に思えました。原作の本をなぞっているだけで薄い。そして余計なところに手を加えて、尻切れトンボな印象。キャストは良かったのに。


- マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章 

わかっていたけど、やっぱり期待せずにはいられず、そして案の定のがっかり。1作目が素晴らしすぎて、2作目でがっかりしたくなくて、映画館にも足を運べなかったのですが、好きだからこそ2作目も見届けねばとの思いで見てやっぱりの結果。シリーズ物ってやっぱり難しいですね。


- The Inbetweeners 2

こちらも『マリーゴールド・ホテル…』と同じく、シリーズ2作目。『The Inbetweeners』はイギリスのドラマシリーズで、イギリス人なら知らない人はいないヒット作。映画1作目は本当に面白くて大成功だったのですが、2作目は…。こちらもわかってはいたけど、観ない訳にはいかないという勝手な理由で見たのですが、勝手にがっかり。ある意味予想通りだったのですが、好きなシリーズだからこそ、良い作品であって欲しかったという期待により、裏切られ感が増幅してしまった結果です。



2016年、皆様の映画ライフが充実した1年となりますように!