映画食い倒れ。

~映画は人生のデザートです~

個人的覚え書きのため、たまにネタばれありです。

「ゲド戦記」

2008年07月28日 | 映画~か~
2006年 日本映画

宮崎駿監督の息子、宮崎吾朗が監督を務めた長編アニメ。公開当時、酷評でしたよね。やっぱり見る側としては、「スタジオ・ジブリ」作品としてのクオリティーを期待してしまうのは避けられないこと。だって、「スタジオ・ジブリ」の名の下に、コマーシャルだって「宮崎駿の長男」と言うのが大々的に使われていたから。比較しないわけがない。

で、見ました、『ゲド戦記』。方々からの批判を聞いていたので、ジブリの作品としてではなく、ひとつのアニメ映画としてみてみようと肝に銘じての鑑賞。

すべて見終わっての感想はと言うと・・・「悪くはない」。これ、素直な気持ちです。悪くないんです。でもものすごく肯定的な意味かと言うとそうではなく、「よくもない」んです。実は、ものすごく酷評されていたけど、ジブリと言う枠を取り払って作品を見てみたら、「意外によかった!」という感想を持てるかも、という淡い期待を抱いていたんです。でも、着地点は「悪くはない」を超えることはありませんでした。


まずね、キャラクターたちのキャラが立ってない。それぞれの性格や個性、背景がうまく描ききれていないんです。主人公のアレンでさえ。キャラクターたちに魅力がないの。人物たちを描ききれていないから、話に抑揚が生まれない。どんな映画でも、登場人物たちの気持ちの変化とともに、話は進んでいくのだけど、その変化がわかり辛い。映画ってその世界の中にどっぷり浸かって、登場人物たちの気持ちの変化に自分の感情を動かされたりするものだけど、それがない。だから映画を見ていても、なんだか、「電車でたまたま乗り合わせた人の会話を聞いている」ような。ずっと話している内容は耳に入ってくるけど、人物像がつかめないからいまいち面白くないと言うか。『ゲド戦記』の内容として、主人公アレンの心の変化(脳の変化?)は核であるのに、それがよく表現されていないと言うのは致命傷。

そして、話のつじつまがあわないの。いろんなところに「あれ?」っていうのがちりばめられていて、集中できない。さらに、話が途中でブツブツときられているような印象。たとえば主人公アレンは父を殺してしまうのだけど、何で殺したのかさっぱりわからない。ウィキペディア曰く、「社会のみでなくアレンの頭の中もおかしくなってた」=「だから父親殺害にいたった」(2008年7月28日現在)という説明があったのだけど、ウィキペディア見なきゃそんなのわからない。映画を見た印象では、両親とアレンとの間に確執があったようにしか見えないのよ。

映画の中でそれなりにキャラクターが描かれているのは、ハイタカくらい。テルーもまぁそこそこ。これじゃあ映画は楽しめない。

さらに、映像の中に「余韻」がないの。台詞はないけど、映像で空気感が伝わってきたり、登場人物たちの心の動きを表現したりという、文章で言うと「行間」のような部分が、この映画にはないの。一番印象的だったのは、ハイタカがアレンに剣を手渡す時のシーン。アレンはハイエナに襲われ、そこをハイタカに助けられる。目覚めたアレンにハイタカが「これは君の剣だろ?」(こんな感じの台詞)と差し出すんだけどさ、その剣というのはアレンの一族に伝わる剣なわけよ。そん所そこらの物ではないわけ。それをさ、見ず知らずのハイタカが手渡してきたんだから、警戒するとか、逆に「わざわざありがとう」と感謝するとか、感情の動きがあるはずなの。でも、「はい」と渡された直後、画面はすぐに切り替わっちゃうの。もったいないのよ。ここで人物像を描ける、観客にそれを伝え表現できるチャンスなのに。

あ、もしかしたら、アレンはおかしくなってたから、感情が伴わなかった・・・と言うことなのかもしれないけど(皮肉よ、ケケケっ)。


悪役のクモは、唯一キャラ立ちしていたような気がするけど、最後の戦闘シーンのクモは、映画と言うよりタイムスリップして『妖怪人間べム』を見ているような気分になりました。映像を見ていただければ、納得してもらえると思います。クモも途中と最後ではまったく別物になってたしね。

ほかにも、風景や街の様子に統一感がまったくない。ギリシャっぽいなぁと思えばイタリアチックな部分があったり、イギリスっぽかったりモロッコみたいだったり。これがいろんな要素が溶け合ってひとつの空間が作り上げられていればいいのだけど、まったく溶け合ってなくて、「何、この街?」と余計な疑問を増やしてくれます。世界観が完成されてないのよ。


これだけ「よくない」部分の感想が出てきたのに、「悪くない」理由は、話がわかりやすかったから。人物像は描けていないし、話に引き込まれることもなかったけど、無駄に台詞が説明口調なの。みんな話を説明してくれるのよ。だから描ききれてはいなくても、話は理解ができるの。それにこれにも原作である小説が存在しているから、話自体はしっかりしているし。


でも、アレンが「おかしくなる」時の皺っぽい顔がものすごく苦手です。見たことないけど、「デスノート」の黒いやつみたいな顔。だからもう見たくありません。



おすすめ度:☆☆★


「さくらん」

2008年07月24日 | 映画~さ~
2007年 日本映画

安野モヨコ原作で監督は蜷川実花、音楽が椎名林檎。もう、これだけでお腹いっぱいになりませんか?原作であるコミックはまったく読んだことがないけど、テレビで見た主演の土屋アンナの花魁姿は、今まで時代劇で見てきた花魁と異なる、ものすごくロックだけどそれでも抜群に美しかったし、映画自体なんとなく気にはなっていた。でも、なんていうか、「おらおら、これだけ今が旬な女たちがこぞって参加してるのよ!よくないわけがないじゃないのっ!!!」とマスコミとか観客に畳み掛けてくるような面子に、腰が引けてたのよ。だってほかにも、永瀬正敏、成宮寛貴、安藤政信、夏木マリ・・・ほら、なんか『an・an』の特集みたいな俳優のチョイスじゃない?だから、自分の中の気持ちの整理もつき(←大袈裟)、世間の風評も落ち着いたときに見てみようと思ってたの。


で、感想なんだけど・・・「意外にいいじゃない?」と言うのが正直なところ。そう、意外におもしろかったのよ。個性派(と言われている)俳優たちが、その個性だけで観客を呼び込もうとしてるんじゃ?とも思っていたのだけど、うまいこと演技に反映されていて、「個性の一人歩きのキャスティング(でも大人数)」の心配をしていたのだけど、それはまったく苦にならなかったわ。

原作は読んでいないからまったく知らないんだけど、1本の映画としてはうまいことまとめられていたと思う。蜷川実花が監督だし、「原色の洪水のような映像なんだろうなぁ、あたくし最後まで耐えられるかしら」と不安も抱いたのだけど、これも映画の毒味となっていい作用になってました。椎名林檎の楽曲も、時代劇にジャズなんだけど、吉原と言う街のの非現実性を、大人の夢見心地な空間と言う異空間な雰囲気をかもし出すのにうまく合ってました。まぁ、きよ葉(土屋アンナ)が川で泣いているシーンのバックで、英語の歌詞というのはものっすごい違和感でしたけど。

この映画、脇を固めてる俳優陣が本当にいい仕事してます。代表格は菅野美穂と木村佳乃ね。2人とも、10年前とは別人。女優の風格と言ったら陳腐に聞こえるかもしれないけど、でもそれが備わっているように感じました。菅野美穂の台詞回しって、実はあまりうまいとは思わないのだけど、それでも引き込むものを持っているのよね。木村佳乃が泣くシーンがあるのだけど、この泣き顔が汚くて、「やるなぁ」と感心しました。褒めてますよ、これ。日本の映画ってそれほど本数を見たことないですけど、どんな場面でもどんな役でも綺麗で美しくて、全然同情できないものがいくつかあったんですけど(というか、だからあまり好きではなかった)、ここ数年女優さんたち、特に20代から30代前半の人たち、頑張ってるなぁと思います。『フラガール』も女優さんたちが素晴しかったし、『嫌われ松子の一生』の中谷美紀は抜群だった。夏木マリもはまり役だった。夏木マリを見ていて、「強すぎる個性も、それが味になることがあるんだなぁ」と納得。もちろん全員ではありませんけど。

安藤政信、この人この映画で一番よかった。映画の前半で、清次(安藤政信)が10代の設定の時と、映画後半の20代の設定時ではまったく顔や風格が違っているの!メイクとかではなく、これは演技によるものだと思うのよ。この人の抑えた演技、いいわ。永瀬正敏は・・・実は正直この人の演技、わかんないの。うまいのかどうなのか。「さすが永瀬!」という感じはしなかったし、だからと言ってほかに適役がいるかどうかと考えると思いつかないし。世間では「演技派」だの「国際派」だのいわれてるけど、なんか今ひとつ納得できないでいるのよね、私。今回もその疑問は晴れることはなく・・・。


外国人から見ると、「女郎」と「舞妓・芸子」の区別が難しいと言うけど、この映画を見てその区別って難しいなぁ、と私もおもってしまったわ。

土屋アンナさん、演技まったく期待していなかったんだけど(『下妻物語』の演技もうまいと思わなかった)、結構よかった。日暮(土屋)が桜を見た時の表情とか、うまいなぁ、とうなづいてしまったもの。漫画原作で、イラスト以上の存在感や雰囲気を出せるのはすごいです。そして古来の日本的な美しさとは異なるけど、それでもやはり美しかった。

ひとつ気になったのは、きよ葉(土屋)の子供時代を演じた子役。見た目はよかったんだけど、もう少し演技のうまい子はいなかったのかしら。そして蜷川実花の独特の色彩は、この映画ではよかったけど、もう十分です。



おすすめ度:☆☆☆★     意外によかった。

『(原題)Run, Fatboy, Run ラン・ファットボーイ・ラン』

2008年07月22日 | 映画~ら~
2007年 イギリス映画

いやあ、再び久々の更新です。更新のない間、サイトにいらしてくださった皆さん、ありがとうございます。お待たせいたしました。

今回は飛行機の中で見た映画、『Run,Fatboy,Run』です。2007年のイギリス映画ですが、今のところ日本公開もDVD発売の予定もなさそう…でも抜群に面白いです!


妊娠した彼女リジーとの結婚式当日、結婚の決意が固まらないデニス(サイモン・ペグ)はなんと逃走!自分がリジーには不釣合いなのでは…という恐れから、それにしても最低最悪なことをしでかしたデニス。月日は流れ…それでもリジーのことを愛する気持ちは変わらず、5歳になった息子ジェイクのおかげでリジーとは日常的に会うことができたデニスは、5年前の自分の重大な過ちに気づく。何とか彼女とよりを戻そうと考えていたデニスだが、リジーには甘いマスクで金持ちビジネスマンの彼、ウィットが!何をしてもウィットにかなわないデニス。このままではリジーはウィットと結婚してしまうかも。今まで何一つ長続きしたことのないデニスだが、ロンドンマラソンを走りぬき、自分の誠意を証明することに。それからトレーニングの日々が始まるが・・・。


主人公デニスを演じるのは、イギリス映画界では知らない人はいないサイモン・ペッグ。お気に入り映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』(←お気に入り過ぎて感想が書けない)などコメディー映画への出演が多い俳優・コメディアン。たしか『シベリア超特急』の水野晴郎が亡くなる前に見た最後の映画は、彼主演の『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン』だったはず。こちらもものすごくイギリス風味の強いコメディでおすすめ。

映画の中のデニスは、性格は悪くないんだけど、うだつがあがらないというかちょっとダメ…いやかなりダメダメキャラ。息子との関係はとてもほほえましいのだけど、物事が長続きしないし、口も悪いし、仕事もできないし、見た目貧弱だし。リジーの彼のウィットと見事に対照的な人物。ただ、個人的な感想を言わせてもらうと、スーパー・ビジネスマンで非の打ち所のないウィットは「ハンサム」であると言う位置づけなのですが、まったく持って私の好みではありません。誰もそんなこと興味もないし聞きたくもないでしょうが、なんていうの?濃いの、なんか。この間、『ジャンパー』の感想の中で、「ヘイデン・クリステンセン=大沢樹生」説を説いたときにも少し書きましたが、「誰もが認めるいわゆる男前」で「本人もそれを承知している」人がかもし出す雰囲気が非常に苦手なのです。ええ、確かに小学4年生の私は、光ゲンジでは大沢樹生派だったわよ。諸星君は今まで見たことがないほど完璧にかわいくてアイドル顔で驚いたけど、それでもやっぱり大沢派だったの。でもね、人間って年齢とともに好みが変わるじゃない?あんなに好きだった大沢君が、現在では極めて苦手なタイプに。バンジージャンプでプロポーズとか有り得ない訳よ!

あ、何でこんなところで光ゲンジを語っているのかしら。そんなことはどうでもよくて、私にはウィットよりもデニスのほうが、(外見は)好みだと言うことよ。とにかく、サイモン・ペッグが出ていると安心して映画を見ていられるし、期待通り笑わせてくれる貴重な俳優。『アクシデンタル・ハズバンド』のユマ・サーマンのような、妙なそわそわ感を抱く必要もなく、心から素直に笑える貴重な俳優です。あたくし、サイモンをべた褒めですね。

リジー役の女優さん、本当に本当にきれいで、見とれます。確かにデニスにはもったいない。脇を固める俳優陣も、曲者揃いで個性が際立っています。デニスの親友(?)のゴードン役は、『ショーン・オブ・ザ・デッド』でも共演しているディラン・モーラン。インド系の家主やデニスのマラソンの結果を賭けに使うような友人たちの存在が、映画をただのロマンチック・コメディーで終わらせない、ひねりでありスパイスの役割をしています。

ゴードンの賭け仲間も、「デニスのがんばりに感動して、賭けなんてどうでもよくなっちゃった!」なんてことはなく、最後の最後までかけにはこだわってて、デニスに負けてもらいたい人は頑張れなんていわなくて、へんに感動に持ってこないところが私は好きです。イギリスの映画で描かれる、「ダメなやつ」って、ものすごく親近感を抱いてしまうほど身近で、誰でも「あるある」とうなづいてしまう要素が詰まっているところがいいと思う。「映画=夢の話」でなく、生活に根ざしている(コメディーセンスを含む)映画を作るのがうまいなぁ、と思います。

映画を見ている間、私が小学校低学年のときに土曜日の8時から放送してた『加トちゃん・ケンちゃん、ごきげんテレビ!』とか、中学のときの月9の『ひとつ屋根の下』とか思い出したりして、なんだかちょっと笑えました。これに賛同していただける方がどれほどいらっしゃまったく持って不明ですけど。

太っちょのデニスが走るから「Fatboy」のはずなんだけど、正直デニスは太ってるようには見えません。足も顔も細いから。ただ、おなかはポンポコリンです。おなかを見なかったら、かなりのスマートさんなんです。おなかのポンポコリンだけで「デブ」と言われてしまうのはかなり厳しいですが(何目線?)、いいんです、コメディーだから。

結論から言うと、「おもしろい!!!」です。機会があったら、コメディー好きな人はぜひ。



おすすめ度:☆☆☆☆☆

「ウォンテッド ~Wanted~」

2008年07月03日 | 映画~あ~
2008年 アメリカ映画

アンジェリーナ・ジョリー、モーガン・フリーマン、ジェームズ・マカヴォイ主演のアクション映画です。

さえない会社員のウェズリー(ジェームズ・マカヴォイ)は、ある日謎の女性フォックス(アンジー)と出会う。突然自分の身が危険にさらされ、彼女はそれを救ってくれたのだ。彼女が属する謎の暗殺者集団に招集された彼は、自分が暗殺者の素質を持った選ばれし者であると知らされる。訓練を重ね、一人前の暗殺者に成長したウェズリーだが、大仕事を任されるが、それを遂行することで重大な秘密に気づいてしまう。


ほかの映画を見にいったときの予告編で、面白そうだったので期待していたのだけど、期待していた中身と全然違っていました。なんというか、・・・「子供だまし」? 中身が無いのよ。派手なアクションもあらすじとしての物語もあるけど、矛盾だらけ。アメリカの漫画をベースにしているということで、この出来にも納得なんだけど、正直映画に入り込めないのよね。もっと面白みやひねりのある物語を期待しておりましたので。


世界を救うための暗殺者集団なのだけど、敵を暗殺する際に一般市民が思いっきり巻き添えだしさ。何かを達成するためには犠牲もいとわない、という前提がこの物語にはあるらしいわ。私は賛同しないけど。

ウェズリーの暗殺者への訓練が、なんか「ええっ?」って思うようなありえなさで、笑うどころかため息です。映画としてのインパクトをつけるためなのか、妙にグロいシーンがあったり。内容ではなく映像で勝負の映画なので仕方が無いとはいえ、やっぱり中身は大事だと思わざるを得ませんでした。

大仕事をやってのけた後のウェズリーは、初めとは別人格のようにたくましく、自信に溢れ、「さすが俳優!」という一面を見せてくれます。また、彼のガン・アクションも後半は見もの。

このウェズリー役のジェームズ・マカヴォイを見ていると、なんだかジェラルド・バトラーに目元とか似ているなぁ、と思っていたんだけど、二人ともスコットランド出身らしいです。スコティッシュって独特の顔つきがあると、今まで感じたことが無かったのだけど・・・あるのかも。

アンジェリーナ・ジョリーのガン飛ばしはすさまじいです。あの目でにらまれたら、私、確実に泣きます。あんなに鋭く、さらにドスの効いたガンを飛ばせる女優がほかにいるでしょうか?「ほんとにこの人、小さな子供の親なの?」と思うくらい、その凄みといったら無いです。田舎町を特攻服で走っている現役の暴走族だって、絶対にかないません。そして、ガリガリです、アンジー。激やせとは聞いていたけど、映画も激しいアクションだし、「ああ、そんな激しいアクションしたら骨折れるっ!!!」と心配になるほどのガリガリぶり。「この人、こんなんで双子の出産できるのか?」と見てるこっちが別の意味でハラハラします。

モーガン・フリーマンは前作の『最高の人生の見つけ方』とは全く異なる役柄で、同じ人物とは思えないダークな影を感じる演技です。


日本での公開は9月20日から。



おすすめ度:☆☆★