映画食い倒れ。

~映画は人生のデザートです~

個人的覚え書きのため、たまにネタばれありです。

『サイダーハウス・ルール ~The Cider House Rules~』

2016年01月24日 | 映画~さ~
1999年 アメリカ映画


最近、昔見たことのある映画を見返すことが多くなりました。というのも、当時の印象と今の年齢(30代後半)になって感じるものが大きく異なっていること、そして若いころにはよくわからなかった作品の深さなどをしっかりと味わいたいというのが理由です。

今回の『サイダーハウス・ルール』もその一つ。
恐らく、初めて見たのは2000年代前半、2001年ごろだったのではないかと思います。これを初めてみた時の印象は「自分勝手な金髪女に振り回される可哀想な孤児院出身の男」という非常に単調なものでした。当時大学生か大学を卒業したばかりの年齢の私には、この話の本当に表面しかわからなかったんだと思います。世の中は、すべてが黒白はっきり分かれているものと疑っていなかった若かりし頃の自分と、あの時よりはもう少し世間を学んだ今の自分とのギャップを、いろいろな映画を通して楽しんでいる最中です。




主人公ホーマー(トビー・マグワイヤ)は孤児院で育ち、父親代わりの医師ラーチのもと医学を学ぶ。医師免許を持っているわけではないので、ホーマーが医療行為に携わるのは違法行為。それでも、彼の腕の良さから孤児院ではラーチの右腕として生活をしていた。その孤児院では、違法ながら堕胎も行っており、望まない妊娠をした女性が数多く訪れていた。ある日、若いカップルが中絶のために孤児院を訪れる。それがキャンディーと恋人のウォリー。彼らとの出会いに、常に胸に持ち続けていた外の世界への憧れを刺激されたホーマーは、彼らとともに孤児院を出ることを決意。ウォリーの実家の家業であるサイダー醸造所で働くことになる。


さて、映画の感想ですが、いつものことながら完全に忘れていた部分が多く驚きました。まず、一番驚いたのは、キャンディー(シャーリーズ・セロン)の恋人役が、ポール・ラッドだったということ!以前『40男のバージンロード』の感想の中で触れたアメリカの俳優です。最近はアメリカのコメディー映画では彼が出ていない作品を探すほうが難しいのではないかというほどの売れっ子ですが、1999年の作品でソコソコ重要な役を演じるほどのキャリアがあったとは知りませんでした。ウィキペディアで見てみると、1993年から映画に出演しているとのこと(2016年1月24日現在)。キャリアの花が開くまで、結構下積みがあったんですね。ある意味初々しい彼を見て思い出したのが、1990年の『ステラ』という作品に、主人公の娘の彼氏というチョイ役で出ていたベン・スティラー。今のベン・スティラーからは想像できないほど、初々しくて青臭い感じ。それと同じ感覚を、『サイダーハウス・ルール』のポール・ラッドに感じました。個人的には、彼はコメディーよりももっと「普通の人」の方が安心してみていられるので、こういう役柄のほうがあってると思っています。


また、当時注目され始めていたシャーリーズ・セロンが、当時の私には「ただのきれいな金髪女優」でしかなく、そして恐らく…と言うか確実に映画の中での「男性依存の一人でいられない絶対悪」(当時の感想です)の印象が強かったからこそ、全然好きな女優ではなかったのです(若いって、単純…私)。これ、逆に言えば、そのくらい彼女の演技力が高かったということですよね。彼女自身と映画の中での役柄をリンクして見てしまったほどですから。そして、今の彼女の快進撃と言ったら!その後『モンスター』でアカデミー主演女優賞を受賞し、いまも新境地を開拓し続けていることを本当に嬉しく思います。あんなに好きではなかったのに、今では好きな女優の一人である彼女が出ていた作品だからこそ、もう一度見てみようと思ったのです。


主演のトビー・マグワイヤは、こういうちょっと世間ずれしている役が抜群にうまいと思います。ちょっと浮世離れしているというか。足元が地上から1.5センチ位浮いていそうなイメージを、いつも勝手に持っています。


この映画の背景は第2次世界大戦のさなか。つまり、1940年代。サイダー醸造所で働いている季節労働者たちは黒人。彼らが寝泊まりするのは母屋の離れなのですが、ここにホーマーが紹介され、彼らと共に働くことになったことを、季節労働者たちは「歴史的な出来事だ」と驚きます。舞台はアメリカ東海岸北部。南部とは異なり、黒人に対する差別意識は低い土地柄ではありますが、それでもどうしても職業によって人種が分かれているような状況下で、白人のホーマーが彼らと一緒に生活をし、同じ労働をするというのは、労働者の彼らにとっては衝撃だったのだと思います。逆に、そのことが大きな意味を持つものという認識をしていなかったホーマーやウォリー、キャンディーや彼らの家族たちは、本当に差別意識が殆ど無かったのではと思います。


やがて軍人であるウォリーに出兵命令が下り、彼がいない間一人の孤独に耐えられないキャンディーはホーマーと親密に。また、季節労働者たちも様々な問題や、暗い現実を抱えており、ホーマーは孤児院の外の「本当の世界」をここでの生活を通して学んでいきます。


15年以上前に見た時には、キャンディーは完全に「悪」だったのですが、今回見なおしてみて、正義でないにせよ悪とは言えないよなぁ…と、自分の見方、感覚、意見が年令によって変わっていくことの面白さを感じました。また、ラーチの死をきっかけに、孤児院へ戻る決断をするホーマー。外の世界を見て帰ってきた彼にも精神的変化がもたらされます。世の中の法律に照らし合わせればそれは完全に違法ですが、ラーチの医師を引き継ぎ、医師として孤児院で生活することを選んだホーマー。もしかしたら、私がこの15年と少しの間に学んだ「世の中とは完璧ではないことで溢れている」ということを、彼は孤児院から離れた1年の間に学んだのかもしれません。彼は孤児院で生活する子どもたち、看護婦たちに暖かく迎えられます。彼には帰る場所があったということ。そしてそれは、そこで生活する子どもたちにも一つの「希望」になったのではないかと思います。


最後になりましたが、ラーチ役のマイケル・ケインは、あの役柄が自然すぎて彼がそこにいて当然としか思えないほどで、他の俳優陣とは「肩の力の抜け具合」が完全に異次元レベルでした。これがキャリアがなせる技なのでしょうか。この役で、彼はアカデミー賞助演男優賞を受賞も、もちろん納得です。


何を正解とするのではなく、世の中や人生の、白と黒の間のグレーの濃淡を描いている素晴らしい作品でした。


この作品を楽しむには、ある程度の年齢と人生の経験が必要かもしれませんが(少なくとも私にはそうでした。苦笑)、静かで丁寧に作られた作品が好きな方はぜひ!



おすすめ度:☆☆☆☆★





画像はこちらより:http://www.imdb.com/media/rm512537088/tt0124315


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