チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「スペ-ドの女王#24(結びの一番)」(差替え)

2005年04月28日 15時47分38秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
→アンダーンテ・ノン・トゥロッポ
 (前のアンダーンテ・ノン・タント・マ・ソステヌートと同じテンポ)。
ゲル:(憔悴しきって)「スタルーハ(ババァ)! ティ(ジブン)!
            ティ(ジブン)・ズヂェーシ(ここにおったんか)!」
ゲルの脳には故伯爵夫人の亡霊が見えてるのである。
♪ソー<ラーーーーー、<ドー<ミーーーーー、
 オォ~レェ~~~~~、亡ォ~霊ェ~~~~~、
 チャチャチャッ、マツケン・サァ~ン婆ァ~~~~~♪
「スペードの女王」は露語では
「пиковая(ピーカヴァェ) дама(ダーマ)」あるいは
「дама пик(ピーク)」である。
仏語では「pique(ピク) dame(ダーム)」であるが、
「dame of pique」という英語にすれば、
(ご立腹のご婦人)という意味である。まぁ、そんな和製英語は「ダメ」、
かもしらんが、とにかく、ゲルマンに教えてあげないといけない。
それはともかく、クラ&ファゴが全音下降。
ゲル:「チェヴォー(なんやそない)・スミヨーシシャ(笑ろうとるんや)?
    ティ(ジブンは)・ミニャー(ワテから)・
    ス・ウマー(理性を)・スヴィラー(奪いよった)。
    プラクリャータヤ(いまいましいババァめ)!
    シュトー(なんや)?
    シュトー(なにが)・ナーダブナ(望みや)・チビャー(キサンの)。
    ジーズニ(命か)? ジーズニ(命か)・マヤー(ワテの)?
    ヴァジミー(持ってったらえぇ)・イヨー(ジーズニを指す代名詞の対格)!」
ゲルは自ら胸を刺す(ピストルでないのはなぜか? ペテルブルクの鉄火場では、
銃はフロントで預かる決まりだったのかどうかは知らないが、まかりまちがっても
即死させないためのドラマ上の方策である。自分でピストルを胸にあてて撃てば、
おそらく、即死である。でなくても、まず口はきけない。が、それでは、
ゲルマンの死ぬ前の大事な台詞が言えずじまいになってしまう。
よけいなことに労力を割くくせに、それくらいのことにも考えを及ばさず、
平気でピストルにしてる無神経な演出家も世の中にはいるから楽しい)。
ちなみに、刃物で心臓をひといきに突こうというときには、
刃が横になるような角度で刺さないと肋骨に当たって失敗する危険大らしい。
いっぽう、米国のドラマなどではチビッコギャングなんかが、
短銃を片手で握って腕を伸ばし、横にして撃ちまくる、というシーンが出てくる。
あれでは的確さを欠く、とツッコむむきがあるが、
あれはわざと撃ちにくい構えをとり、しかも、薬莢が顔に当たりやすい、
という困難をすすんで選択することで「歌舞いてる」のであって、
それを稚拙な撃ちかたと評するのはナンセンスである。それはともかく、
このゲルマンの場合、即死せず、絶命するまでにかなりの台詞を口にするので、
致命傷ではあったが、まかり間違って心臓をザックリとらえたのではないもの、
と推察される。ゴッホの短銃自殺も即死しない場所を狙ったものである。
いずれにしても、ゲルマンが自害の刃を刺すと、お役御免とばかりに、
知盛の亡霊は橋掛かりを渡って失せにけり。イヨ~~~、ポン! である。
→モデラート・モッソ・エ・アジタート、C。
一同:「ニシシャースヌィ(痛いやっちゃなぁ)!
    カーク(なんと)・ウジャースナ(おとろしぃ)・パコーンチル
    (始末をつけたもんや)・オーン(ヤツは)・ス・サボーィ(オノレに)」
〃 :「オーン(アヤツには)・ジープ(息がある)!
    ジープ(生きとる)・イシショー(まだ)!」
ゲルマンの意識がもどる。エレ公のほうを向いて立ち上がろうとする。
ゲル:「クニャース(公爵はん)! クニャース!
    プラスチー(許したってぇな)・ムニェ(ワテのことを)。
→リテヌート・モルト。
   「ムニェ(ワテ)、ボーリナ(シンドイわ)、ボーリナ、
    ウミラーユ(もう、あかん)。
→モデラート・アッサイ。
   「シュトー・エータ(誰や)? リーザ(リーザはんか)?
すると、「ヘ長」の「愛の主題」が1フル&コルアンに現れる。
   「ティ(キミは)・ズヂェーシ(ここにきてくれたんやね)?」
前場でのリーザの台詞をそのまんま返す形になってるのである。つまり、
ここでやっとゲルマンは「正気で」リーザに対話できたのである。
   「ボージェ・モーィ(なんとなんと)!
    ザチェーム(どないしたんや)? ザチェーム?
    ティ(キミは)・プラシシャーィシ
    (死に瀕しとるワテを看取りにわざわざきてくれたんやね)!
    ダー(そうなんやね)!
    ニ・クリャニョーシ(ワテを責めんといてくれるんやね)?
    ダー(そうなんやね)!
    クラサーヴィツァ(なんという麗しいヒトや)!」 
1クラが(ヘ長で)、♪ミーーー>レー>ドー|
>シー>ラー<ドー>ラー|<シーーー>ソーーー|<*♪と吹く。
   「バギーニャ(キミは女神や)!
    アーンゲル(天使や)!」
そう言い終えると、ゲルマンは息絶える。その瞬間、
(ヘ長の「ド」を変ニ長の「ミ」に置換して)
♪*ミーーー>レー>ドー|……♪
「ヘ長→変ニ長」。後幕で亡霊ウィリが暗躍する
アダン「ジゼル」の終い「変ニ長→ヘ長」の真逆である。
第三の死人は、前二人の死で使われた「嬰ヘ短」とは
「別世界」なヒトだったのである。そして、この「ヘ長→変ニ長」はまさしく、
「4番交響曲」の『カンツォネッタ』章中部、
♪(ヘ長)シ<ド>シ>ラ|ラン>♯ファ・♯ファ<ソ|<*
 *(ヘ長の「ド」を変ニ長の「ミ」に置換して)ミー>レ>ド|
 ドン>シ・シ<ド|ー>シー>ラ|ー>♭ラー>ソ♪
である。「伯爵夫人、リーザ、ゲルマン」の「死の3重唱」の中に、
成就される愛は『もはや見られない』、のである。
死は誰にもやってくる。アヴェ・マリア・シェルにも、
薬害あって一理なしの安倍英にも、死も来たざわ、なのである。ちなみに、
安倍大先生には、死の際に、「死ミョールカ、トゥローィカ、トゥース」
なる伯爵夫人の「7、3、1」という舞台の袖からの声が聞こえたであろうか。
(「あがり篇」に続く)
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ゲルマン (Пётр)
2006-04-27 15:21:16
はじめまして。Пётрと申します。

「スペードのQ」ゲルマン自害のシーンですが、私が是までに見聞きした演奏では殆どが「短銃」で自殺します。

が勿論仰る通り、台本(正確には、CD等の解説書の粗筋)には、Il se frappe d’un stylet.詰まり「短剣」で突き刺す、とあります。短剣では迫力も無いし、話の流れ(前のシーンで老婆を短銃で脅迫)からも、又舞台の場合遠い座席からもはっきり自殺と判るようにこういった演出がなされているのだと思います。

実際私のライブラリー(A.デイヴィス=LPOのLD、ゲルギエフ=キーロフのDVD、I.タランキン監督・国策映画の劇中劇→DVD、サンクトペテルブルク建都300年記念ガラ・コンサート→ゲルギエフ=キーロフのVTR)は全て「短銃」です。

ゲルギーのガラ演奏会では、(銃身の長い)短銃では無く、何と(現代の銃身が短い)ピストルが使われています。持ち道具係、しっかりせい!

唯一「短剣」なのは何と画像の無いCD→マルク・エルムレル=ボリショイ劇場O(メロディア=LE CHANT DU MONDE)です。

これを聞いていると、やはり自殺するところは良く判りません。何故、皮肉にも絵の無いCDに「発射音」を入れなかったのでしょう?ボリショイの伝統・権威がなせる業ですかね?
返信する
「>ものごとのトバぐち」 (passionbbb)
2006-04-28 01:18:05
>ピヨトルさん、

コメント、ありがとうございました。

「かけ」ごと大好きな私の、

「おやじぎゃぐ」第一主義のこのブログの

「文体(le style)」は、

タントウ直入な表現からはずれることも多々ありますので、

普通の文章に対するスタンスでご覧いただくと、いささかは

ぎこちなく感じられることと思います。申しわけありません。ともあれ、

鮨屋で出されるお茶の順の呼び名のひとつである「差し替え」に、

この場の「刺す」をかけておいたのですが、

一年後がかりでもクイツイてくださって救われました。

漁というのは、そのように根気がいるものですが、

「鳥羽」の海女さんたちも、アワビを濫獲して根絶してしまわないように、

残す分はのこして、来年・再来年を待つ、ようです。さて、

この場面で「銃」をぶっぱなさせて平気でいれる神経な「演出家」もしくは

「芸術監督」は、とても幸せな人生を送ってるヒトにちがいありません。

なにしろ、「ものを考える」という習性がないのですから。ではまず、

仮に、銃でゲルマンが自殺目的で自分を撃つとしましょう。即死せず、かつ、

2、3分で死ぬような箇所を狙うのは、至難(死なん)の業です。

頭部や心臓にぶちこんだのでは公爵に謝る猶予も、

ソ「トバ」を立てる余裕もなくなってしまいます。

それよりなにより、

たとえば、ピヨトルさんがアトランティック・スィティでも

ラス・ベ(ヴェ)ガスでもチェジュドでも、

ソウル(漢城)でもどこでもいいですから、

「賭場」を経営してると(勘定)してみてください。

Sコムもまだ創業してない時代、胴元業の誰が

客の「銃(jeu)」の持ち込みを自由にさせるでしょうか?

現代の「賭場」が「ゲンナマ」でなく「チップ」で遊ばせるのは、

なぜでしょう? たとえジェスィー・ジェイムズでなくても、

強盗を犯す要素があるものは世の中にウヨウヨといるのです。

銃(飛び出し)なんて賭場の中に持ち込ませるわけありませんね。まぁ、

機械仕掛けで「飛ば」ないペイパーナイフ程度のものなら、

ごまかして持ち込めるでしょう。内府(ナイフ)殿が開いた幕府の代々の

上様が御座す江戸城でさえ、脇差だけは許されてたのですから。さて、

「日本におけるサンクト=ゲルマン年」は先月で終わってしまいましたが、

プー資金があまりない私は今度の日曜日に京都競馬場で行われる

「第133回天皇賞」には、ディープインパクト号を

「勝たない」ほうに賭けるつもりです。当日は、ガウスの誕生日。

あんのじょう「正17明太」頭立てになりました。17番ゲイトには

「ブルー」トルネード号。が、おなじく「ブルー」名を持って

同競走に参画してきた馬に、私はぶちこみます。ところで、

数学の確率論に「同様に確からしい」博打を持ち込んだのは、

「人間は考える葦である」と書いたパスカルですが、

「京都競馬場」の所在地は「伏見区葭島渡場島町」です。

ワタシバジマは「トバ」シマと誤読してしまいそうです。

お茶々イコフスキーの「淀城」があった辺り。

「真鍋」という名は、四国、とくにサヌキ香川、イヨ愛媛に多い名です。

「大西」という名の多さもKト吉の冷色も「同様に確からしい」はずです。

先人に「まなべ」とは、陳腐ではあるけれど、重要な言葉です。

ゲルマンも、銃で自決させられて、とんだ

トバっちりでしょう。そんなことをさせてヘイキなむきのことなど気にせず、

チャイコフスキーの音楽をこそ、堪能し愛でてはいかがでしょう。

巷のひどい演奏、パフォーマンスなどはどうでも、

自分の頭の中で「再現」させてみればいいのです。それが

チャイコフスキーの音楽の真のすばらしさに近づく第一歩。

この場面の音楽は、涙なしには思い浮かべれません。

返信する
太腿からナイフ (Пётр)
2006-04-28 15:13:16
オペラ(に限らずお芝居全般)のストーリーが荒唐無稽、御都合主義であり全く辻褄が合わない事は承知の上で、二、三の素朴な疑問にお答え願えれば幸いです。



1.賭場にはチャカが持ち込めない、との御指摘、尤もです。只、仰るようにドスなら何とか忍ばせることが可能となると・・・。金属探知機も無く、女スパイ宜しくガーターにでも挟み込んでの入場が容易い様では何かと物騒ですね。

そもそも、ゲルマンの入場を許した胴元の責任は大きい事になります。



2.ファラオンのルール・ブックに如何書いてあるか知りませんが、ゲルマンは口では「A」と言いつつ、実際手にしたカードは「Q」でした。

この場合、矢張り「口頭での申告」が優先されるのでしょうか?

若し逆に実際の手持ちカードが優先されれば、ゲルマンの勝ちで「あれれ~」です。

結果的に単なる「言い間違い」で負け、では彼も浮かばれませんね。

返信する
verba volant scripta manent (Пётр)
2006-04-28 18:18:45
大変失礼致しました。上の私の投稿に大きな間違いが有りました。

2.ファラオンのルールの所ですが、私の勘違いで全く逆の事を書いてしまいました。



正しくは、口頭申告と引き札が相違した場合、矢張り「手持ちカード」が優先されるのですね? と言う確認です。

そもそもルール上、口頭申告自体不要(或いは無効?)なのでしょうか? 一般のカード・ゲームは無言で進める事が原則ですから。

若し口頭宣言も証拠として採用されるなら、この矛盾をどう解決するのか分りません。(引き分け、無効試合なんて無いですよね)

多分、ラテン語の金言「ウェルバ ウォラント スクリプタ マネント」じゃありませんが「言葉より文書」なんでしょうね。



又、このケースと反対に「引き札は勝ち、宣言は負け」も矢張り「引き札優先で勝ち」と見做されるのでしょうね。

詰らぬ拘りばかりで相済みません。修羅場を潜り抜けられた(であろう)管理人様にお尋ね致します。
返信する
「>thighコロとタメイキ」 (passionbbb)
2006-04-29 23:24:39
賭場にはチャカが持ち込めない><ドスなら何とか忍ばせることが可能>

▲このごろは「チャカ」とか「ドス」という語は、その方面のかたや

擬音・先斗町方面のかたなどによれば死後だそうです。いや、

これは「チャカに説法」だったかもしれませんね。



<女スパイ宜しくガーターにでも挟み込んで>

▲青い【ガーター】が似合うようなご婦人ならさぞセクスィでしょうね。

たとえその女スパイから正拳突きを【ミゾオチ】にくらわされても、

私のようなおっさんは恐悦至極です。そういえば、かつて、

大麻樹脂をコンドーム詰めにして自分の膣内に挿入して密輸しようとして

成田の税関で疑われ、その「場じゃ否」としらを切ったものの、

別室にご案内されて「モンドーム用。中のものを出しなさい」となって

とっつかまった早大生がいましたね。



<ゲルマンの入場を許した胴元の責任は大きい事になります>

▲ジャニーさんの力もメリーさんの力も大きいのでしょうが、

堂本強大の力も大きいのかもしれません。



<ルール上、口頭申告自体不要(或いは無効?)なのでしょうか?>

<口頭申告と引き札が相違した場合>

▲そんなこと、考えるまでもなく自明ではありませんか? いっぽう、

ポウカーをご存知ですか? あれは「自分の手のうち」を明かさないように、

スパイや忍者のようにポウカーフェイスを繕うのが肝要なゲイムです。

ハッタリですね。これを我々似非ギャンブラーは、

「忍者ハッタリ君」と呼んでます。それはどうでも、

あれは「口には出さず」とも、仕草や顔つきで、

(拙者のテは「ロイアル・ストレイト・フラッシュ」でござる。

大怪我しないうちに早々に降りるがよろしい)

と「虚勢を張ってる」わけですね。でも、それがたとえ

「ブタ(なんの役にもなってないもの)」でも、

他の全員が「降りて」しまえば、その者の勝ちです。

ファラオンとは大違いですね。もっとも、

イリェーツキィ公爵以外の全員がグルなら、死ぬのは

ギェールマンでなく公爵、という「筋書き」の「選択肢」もありますね。

「複数のヒト」の「一致した」証言、は信憑度が高いですから。でも、

そういうとき、必ず「裏切り者」が出てくるわけで、やはり

「悪いことはできない」のではなく「悪いことを成し遂げるのは難しい」

ということですね。話がまったくそれてしまいましたが、

既成の作品にあれこれ別の可能性・選択肢をさぐってみても、

それは不毛であり、その思考過程にもあまり意義があるものとは思えません。

物事に拘ること自体はある意味ですばらしいことだと思いますが、

その対象が益ないものでは徒労でしかありません。

オペラ「スペイドの女王」においてゲルマンが、

リーザの心変わりで傷ついたエレツキーにファラオンで負ける、

しかも、伯爵夫人の亡霊の言葉(つまり、ゲルマン自身の思い込み)

に翻弄されて全財産を失う、ということは必須であり、

その場で自害することは違えれないことなのでしょう。チャイコフスキーは

「ピーカヴァヤ・ダーマ」をフィレンツェで書き上げましたが、この

サイ期の場面はゲルマンの「錯乱=pazzia」です。いにしえ、

「六ツ丸薬」一族のジュリアーノ・メーディチが「パッツィ」一族によって

サンタ・マリーア・デル・フィオーレで刺し殺された史実を

チャイコフスキーは重ねてたはずです。

「弦六・フィレンツェの思い出」の緩徐章の慟哭・絶叫はまた、

ゲルマンの死を切実なものとして感じてたチャイコフスキーの強迫観念でしょう。

「スペイドのクウィーン=槍と花(薔薇)=フィレンツェ」



<修羅場を潜り抜けられた(であろう)管理人様にお尋ね致します>

▲♪金毘羅舟ふね、追い手に帆賭けて、修羅シュchouchouゥ~~~♪

私はどすけべエロキモいおやじなので、「おねえさん連中」の

フトモモをお手てでなでころがすのはタメイキが出るほど大好きなのですが、

ではあるけれど、銭をそれほどかけたくはない、というような類の、

欲の皮の突っパリジェンヌにミ修羅ンのお星様附き店をせがまれたとき、

そのおねだり攻勢をかわす、という戦火はくぐってきました。いちばん効くテは、

ヅラをとって、鉄火場で苦労を重ねて鉄火テッカに薄くなったオツムを

見せてやることだと思ってました。しかし、かえってそれがツボにはまって

ウケてしまうことも多々ありました。日本人よりフランス人は

男のテッカテカおつむを気にしないむきが多いことを学びました。ちなみに、

「ゼンリンの地図」というのは、別府の温泉街のロウカル地図から始まった、

のですが、パリのレストランやオテルを道に不慣れなヒトや

町並みを見知ュランおのぼりさんが車で容易に行けるように

地図を作成した車輪屋さんが、あの「三ツ星屋」さんですね。でも、

その社名は「コウリン」ではありませんし、社長は

「コリン三ツ星」から降臨した小倉優コウリンでもありません。



<ラテン語の金言「ウェルバ・ウォラント、スクリプタ・マネント」

▲す、す、すごすぎる! ラ、ラ、ラ、ラテン語など、無学な私には

中国語以上にチンプン漢文です。ただただ、タメイキが出るばかり。

唯一知ってるラテン語の単語は「愛」と「死」だけです。

morsという死を表す語に、「a」という接頭辞を附加すれば、

amorという愛が生まれます。この場合、「a」は、

「アンチ」の意味か「近づく」意味か解かりませんが、

サイコロ賭博で大損をした場合、残された道は、

♪好きすき、好きすき、ダイスきっ、あぁ~いぃ~しぃ~てぇ~るっ♪

などと鼻歌をうたったタメイキをついて、

「一休み、ひとやすみ」なんて悠長なことはいってれません。

死(die)しかありませんね。明日4月30日は、

ダイスう学者ガウスの誕生日ですが、私はその足元にもはるかに及ばない愚脳で、

髪ガウスいおつむにわずかに数本が「とどまってる」情けない風情の、

一にもニにもオヤジギャグに従事(十字)してるという、まったく

シマツ(島津)におえないおっさんです。最近は、

エクウステンションをつけることができないほど、

乏しくなってしまいました。ちなみに、同日は、

「黒」で輪郭を取る画風のエドゥアール・真似ントの命日です。天皇賞で、

黒い枠の馬がニゲルことがあったら、大波乱が起きるかもしれません。

競馬は確率論では測れない類の賭博ですが、いずれにせよ、

ブレーズ・パスカルの太腿よりも、モニカ・ヴィッティ扮する

モデスティ・ブレイズの唇のほうがいいに決まってます。

返信する

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