チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「雲ゐにまがふ沖つ白波/藤原忠通没後850年」

2014年03月13日 16時51分25秒 | ヘェ?ソウ?でチャオ和歌す
今日は、
あのウェリントン公爵がカトリックへの対応をしくじって選挙に敗れたあとを受けて
1830年乃至1834年に英国の首相を務めた
Charles Grey,2nd Earl Grey(チャールズ・グレイ、第2代グレイ伯爵、1764-1845)
の生誕250年にあたる日である。
紅茶のアール・グレイという銘柄のその名の由来が
この人物が紅茶好きだったことにこじつけた作り話でも知られる。
もっと有名なのは、キーラ・ナイトリー女史主演の映画にもなってるように、
この人物が若いときにハンサムだったので
デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナのツバメだったことである。
同夫人との不倫愛の結晶で女子が生まれたのち、
別の女性と結婚して16人の子をもうけた。

いっぽう、本日は、
平安時代末期の上級公卿で能書家でもあった、
藤原忠通(ふじはら・の・ただみち、西暦およそ1097-同1164)
の没後850年にあたる日でもある。こちらも
"子だくさん"だったのだが、正室に嫡男が生まれなかったことも、
父忠実&弟頼長との確執の一因になった。
藤氏長者の地位を弟頼長に奪われ、その頼長が
保元の乱で戦死してふたたび、藤氏長者に返り咲いた。
父忠実は死罪にせずただ幽閉した。
摂関政治の藤原氏とはいえ、父に折檻はしなかったらしい。が、
崇徳上皇は讃岐配流とされた。

その崇徳上皇が天皇位だった保延元年(西暦およそ1135年)に開いた
内裏歌合で忠通が詠み、詞華集に収録されてる歌が
定家によって百人一首(#76。百人秀歌では#79)に採られてる。ちなみに、
忠通の第11男は、「愚管抄」の作者にして、
「春のやよいの あけぼのに 四方の山辺を 見わたせば
花盛りかも 白雲の かからぬ峰こそ なかりけれ」
に始まる「越天楽今様」の作詞者の慈円(諡号=慈鎮)である。

(新院位におはしましし時、海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる)
[わたのはら 漕ぎ出でてみれば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波]
「(拙大意)大海原めざして舟を漕いで出てみると、沖の海は
本来は雲がいる場所である空との境(水平線)が区別できないほどで、
白波も白雲に同化してることだなあ」
(同じく「百人一首」に採られてる小野篁の
[わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ。海人の釣り舟]
を本歌とする本歌取りである。
わたのはら=「わた」は広がりのあるものを指す。ここでは海。
久かたの=枕詞。天・雨・空・月・日・昼・雲・光、また(比喩的に)都、
などにかかる。「ひさかた」とは「日ざす方」、
つまり太陽(とそれがある天や空)に関係する言葉を導く)
父&異母弟との自らの対立と、
鳥羽法皇&同母弟雅仁親王(のちの後白河法皇)との崇徳天皇の対立を、
白雲と白波に喩えたものである。

76という数字は、忠通が摂政をしてた近衛天皇の代数である。ちなみに、
第75代天皇の崇徳帝は百人一首は忠通の次の77番である。
その崇徳天皇の百人一首に採られてる歌は、
[瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ]
である。こちらも、
「われて」→「あふ」
という図式を詠ったものである。忠通の
「空と海」が「水平線でわかたれてる」→「一体となって見える」
という歌の図式と合致するのである。

定家の「百人秀歌」は、「百人一首」の#99後鳥羽院、#100順徳院という、
承久の乱で鎌倉幕府倒幕を図り失敗し、それぞれ
隠岐島、佐渡島に配流された父子天皇の歌2首が除かれてるのである。
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