チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「Kiss of Death(死の接吻)/リチャード・ウィドマーク誕生100年」

2014年12月26日 11時29分15秒 | 寝苦リジェ夜はネマキで観るキネマ
今日は米国の映画俳優だった
Richard Widmark(リチャード・ウィドマーク、1914-2008)が
生まれて100年の日にあたる。
ミネソタ生まれのスウェーデン系だが、イリノイ州で育ち、
同州のレイク・フォレスト・カレッジ(シカゴの北、ミシガン湖沿い)で演劇を学んだ。
卒業後は同大で演劇を教えてたが、
23歳のときに舞台俳優をめざしてNYに出た。
しばらくはラジオ劇に出演しててブロードウェイに立ったのは28歳のときだった。
さらに映画デビューは遅く、戦後になってからで、じつに32歳だった。それが、
"Kiss of Death(死の接吻)"(1947年)
である。この映画でウィドマークは
悪漢トミー・ユードウ役を演じた。その
残虐冷酷なギャングっぷりで、この映画デビューから
ウィドマークを典型的な「悪役」と全米に認知させた。が、
じつはこの役のオーディションのとき、監督以下審査役からウィドマークは
「品がよすぎる」「知性的にしか見えない」
とディスられたのである。それで一度は退出したウィドマークだったが、
思い直して引き返し、
審査役の御歴々の前でそれはそれは恐ろしい剣幕で
すごんでみせたのだった。
そうして勝ち取った役だったのである。
主演ヴィクター・マチュアのビアンコへの無学貧困層出身ギャング特有の
嫉妬と敵意と畏怖と卑屈を絶妙に演じた。

私がガキの頃に知ったウィドマークはそうした「暗黒街の悪役」というイメージとは
すでに違ってた時期の、
モンロウと共演したサイコ・スリラーの「ノックは無用」、
「アラモ」「西部開拓史」などの西部劇、それと、
「ニュールンベルグ裁判」だった。
こういったものはほとんどすべてTVで観たもので、
主に吹き替えてた大塚周夫の声のイメージが残ってる。
私がすでに高校生になってた時期の
「オリエンド行殺人事件」は映画館で封切りを観た。

ちなみに、
娘のアンはLA・ドジャーズの豪腕投手だった引退後のサンディ・コウファックスと
結婚し、離婚した。

ウィドマークが出演した映画はほとんど観たが、
TVドラマにもけっこう出てるようである。
そっちは一切観たことがない。その中に、
ベンジャミン・フランクリンの生涯を描いたTVドラマ、
"The Lives of Benjamin Franklin (1974)"
というのがあって、少年期、青年期、外交官時代、
独立戦争時代、政治家時代、と、
5人の俳優がそれぞれの時期のフランクリンを演じてて、
その独立戦争時代をウィドマークが担当してるものがあるらしい。
それがDVDにでもなってくれればいいと願う。

(追記:この記事を投稿した20日後の2015年1月15日に
大塚周夫さんは死去されました)
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